右の男
まったく、何考えてんの。
朝、ほとんどすべての看護士からかけられたその言葉に、あたしの怒りは増大した。
どうして動き回るのよ。どうして部屋でおとなしくしていられないのよ。
いい加減、手間かけさせないでほしいわ。子どもじゃないんだから。
「ヤムチャ!あんた、また勝手に出歩いたわね!」
両手でドアを滑らせた。一体ここの病室のドアは、どうしてこんなに旧式なの。さっさとコンピュータ入れなさいよ!
鈍く開いたドアの隙間から、のんきに答える男の姿が垣間見えた。
「だって暇なんだよ」
何、その言い訳。説得力ないことこの上ないわ。足を折っている人は、その足で歩かない。そんなの、ジュニアスクールの子にだってわかることよ。まったくあんたは…
「どうしてそうバカなの!」
つける薬も処方してもらうべきかしら。
あたしの怒声にも、ヤムチャは全然揺るがなかった。まったく、バカがバカたる所以よね。
「おまえ、意味がわからないぞ」
「あんたがバカだからよ!」
ヤムチャは黙った。それでいいのよ!自分を認めるところから、人間の成長は始まる。あんたにもやっとそれがわかってきたようね。
でも、一人のバカが黙ったと思ったら、もう一人のバカが出てきた。
「おまえら、飽きもせずよくやるなあ…」
「うるさいわよ!ウーロン!!」
揃いも揃ってバカばっかりよ。なまじ頭がいいと疲れちゃうわよね。

ウーロンに猛省を促して、あたしはベッド横のスツールに腰を下ろした。所在なさげにヤムチャの周りをうろついていたウーロンが、ギプスの文字を見咎めた。
「おい、なんだよこれ」
ああ、それね。
「事実を書いたまでよ」
言っとくけど、取り消さないわよ。
だって、こいつは本当にバカなんだから。やることもバカだし、言うこともバカだし、言わないところもみんなバカよ。
本当に、どうしていつも何も言わないのよ。あったまきちゃうわよね。
あたしの言葉に、再びバカが甦った。…元祖じゃない方の。
「おまえらまたケンカしたのか…」
「余計なお世話よ!」
そういうことは、こいつだけに言ってよね。いつだってこいつが悪いんだから。だいたい昨日だって…
一瞬意識を飛ばしたあたしに、ウーロン、プーアル、ヤムチャ(何であんたまで見てんのよ!)の視線が集まった。
他のメンバーに気取られないうちに、あたしは担当医の元に赴いた。




本当に、何考えてんの。
夜、ヤムチャの様子を見に病院を訪れて、まず担当医から聞かされた話に、あたしは心底腹を立てていた。
どうして動き回るのよ。どうして車椅子使わないのよ。どうして左足を使うのよ。
「まったく、何考えてんの!あんた、何やってんの!」
ドアの反応、鈍すぎ!
後で武道会開催委員会に文句言ってやるわ。もっといい病院指定しろって。
ヤムチャはベッドの上にいた。いつものように半身を起こして。いつものように表情を緩めて。
「よう」
よう、じゃないわよ!
あんた、聞こえてたはずでしょ。何とか言いなさいよ。自分に都合の悪い時に限って、言い返さないんだから。
あたしはあいつに詰め寄った。ベッドの脇に据えられた、朝にはなかった医療機器を指差してみせた。
「何なのよ、これは!?」
「痛み止めだよ」
そういうことを言ってるんじゃないでしょ!
「どうしてそんな無茶をするのよ!!」
怪我には影響なかったからいいようなものの。痛めた足でジャンプするなんて、考えられない行為だわ。本当に、痛み止めの強化くらいで済んでよかったわよ。
ヤムチャは口元の笑みはそのままに、両手で軽く自分の腿を叩いた。
「しょうがないだろ」
「しょうがなくないでしょ!」
あたしは溜息をついた。あんたって、どうしていつもそうなのよ。
「人を助けるのは立派よ。でも何も足を使うことないでしょうが!!しかも、左足を」
まったく、間抜けなんだから。
だいたい想像つくわよ。どうせ何も考えてなかったんでしょ。頭より先に体が動いたんでしょ。あんたって、本当に…
「バーカ!!」
思いっきり意地悪く言ってやった。いいのよ、これでもこいつには足りないくらいよ。
ヤムチャは口を尖らせた。それで、出てきた言葉といえば。
「バカって言ったやつがバカなんだぞ」
ほらね。本っ当に能天気なんだから。
だいたい、今だってかなり痛いはずなのに。痩せ我慢してるんだか知らないけど、底抜けのバカだわ。おまけに、何なのその切り返しは。今どき、プリスクールの子だって、そんな台詞使わないわよ。
「ガキ」
半ば捨て台詞のつもりで、あたしは呟いた。
本当にガキよね。まあいいわ。後は明日のことを…
「おまえ、言うに事欠いて『ガキ』とは何だ、『ガキ』とは!!」
バッグからそれを取り出しかけていたあたしは、うって変わったその声音に、驚いて顔を上げた。
ねめるように眼光鋭く、ヤムチャがあたしを睨みつけていた。睨まれることなんて別段珍しくもないけど、今日のはちょっと迫力あるわね。
それに、こんなに熱り立っているこいつを見るのも初めて。…いや、前にもあったか。どうだったかしら。う〜ん…
「本当のことを言っただけでしょ」
まったく呆れて、あたしはそう呟いた。だってねえ。今のこの態度こそが、こいつがガキだってことを物語っているじゃない。
再びバッグに目をやったあたしの耳に、続くあいつの言葉が届いた。
「出て行け」
それはまったく、怒りに満ちた声だった。
何?あんた、本気で怒ったわけ?あんな一言で?
思わず呆然とするあたしの耳に、第二声が入った。
「出て行け。早く」
…ちょっと。
なんて声出すのよ。まったく怖すぎよ。あたしじゃなかったら、とうにビビッてるところよ。
あいつが目を伏せた。それは睨むよりよほど、威圧感のある仕種だった。思わずあたしは後退った。一瞬、スツールがその邪魔をした。
気がついたら、廊下にいた。ええ、認めるわ。
…ちょっとビビッちゃった。

あー、怖かった。
病院のロビーでコーヒーの湯気を顎にあてて、あたしは一息ついた。
びっくりしちゃった。…あいつ、本当にガキね。
あんなことであそこまで怒るなんて。ケンカした時だって、あんな声出さないのに。完璧に、怒るポイントずれてるわね。
おかげで渡しそびれちゃった。ドアも閉め忘れた。まあいいか。困るのはあいつだし。
それにしても、ひとがせっかく骨折ってあげたのに。物の見事に、恩を仇で返してくれたわね。…覚えてなさいよ。
不思議と怒りは湧いてこなかった。いえ、全然不思議じゃない。どうしてなのかはわかってる。
…呆れって、人を無力にするわよね。


翌朝。あたしはヤムチャのところへは行かなかった。
用事はウーロンに言いつけた。あいつじゃヤムチャの身長に全然釣り合わないけど。いいのよ、少しは困るがいいわ。とりあえずのお返しよ。
残りは後で返してやるわ。ええ、存分にいたぶってやるわ。…あいつの機嫌がいい時に。
そんなわけで、あたしはウーロン以外のみんな(プーアルはヤムチャのところへ行きたがったけど、あたしがとめた。だってこの子がいたら、あいつ全然困らないし。変化の術って厄介よね)と、場所取りに出かけた。
武道会の準決勝よ。

試合開始の銅鑼が鳴る直前、一人の男がやってきた。
今やその代名詞も2つに増えた男。バカでガキのヤムチャよ。
決して足を使わないという条件つきで(しっかし、この状況でそれが守られると思う医者も医者よね。やっぱり碌な病院じゃないわ)、あたしはあいつの外出許可をもぎ取ったのだ。それはそれは大変な交渉だった。飴と鞭とコネを使いまわしてやっと手に入れた許可証よ。うんと勿体ぶって渡してやるつもりだったのに、ウーロンなんかにその役を振っちゃったわ。あーあ。
片手を上げてみんなに挨拶するあいつを、あたしは遠目に眺めていた。ふと、その目があった。あたしはあいつに相応しい挨拶を、身振りを交えて返してやった。
「べーだ」
いいのよ、あいつにはこれで充分よ。
あいつは苦笑を湛えながら、あたしの右隣にやってきた。というより、そこがもともとあいつに割り当てられた席だった。
だって、こいつと身長が釣り合うのって、やっぱりあたししかいないし。何かあったら困るでしょ。本当にねえ、5人もいて、こいつの世話をまともにすることができるのがあたししかいないって、どういうことよ。
あたしたちは、なんとなく無言になった。あいつはどうか知らないけど、あたしはヤムチャのことよりも、その隣で興味深げにあたしたち2人を見ているウーロンの方が気になった。気になったなんてもんじゃないわ。あんた、何なのその目つき!
あたしはウーロンを一喝した。そして視線を前方に戻しかけて、ヤムチャと再び目が合った。
「ガキ」
…つい、言っちゃった。
だって、やっぱり腹立つわよね。あたしがあんなに苦労して許可を取ってやったのに、こいつはあたしを追い出したのよ。それに、まだお礼も言われてないし。しかもこいつは…
その時、試合開始の銅鑼が鳴った。あたしたちは視線を外した。


武道会って、不思議よね。
武道なんて、あたしそれほど好きなわけじゃないのに。っていうか、ほとんどわからないのに。どうしてか魅せられるわよね。
そりゃあ、友達が出てるからっていうのはあるけど。でもきっと、それだけじゃないわ。
おそらく、人間の本能よ。闘争本能に訴える、みたいなの。もしくは、動物行動学的な何か。それに加えて、今日の試合にはもう1つ、要素があった。
孫くんとクリリンの試合よ。
こういう時ってどうすればいいのかしら。迷うわよね。ぶっちゃけ、なんとなく孫くんに気持ちは傾きかけるけど、クリリンだって他人じゃないし。両方応援すればって思うかもしれないけど、試合ってそういうものじゃないでしょ。無意識のうちにね、どちらかを応援させようとする何かが働くのよ。
あたし苦手なのよね、こういうの。『どうすればいいのかわからない』ってやつ。だって、今までそんな風になったことなんてないし。ヤムチャとの付き合いの中でさえ一度も…一度はあったけど。

南国の熱気と武道会場の人いきれ、それと目に見えない緊張に、あたしの掌はすっかり汗ばんでいた。それに気づいたのとほぼ同時だった。
あいつの手が、あたしの拳を包んでいた。
依然、目では戦う友人達の姿を追ったまま、あたしは心の一端をそちらに割いた。
何考えてんのよ、こいつ。こんなところで。みんなに知れたらどうすんのよ。
だいたい、左手で掴んじゃダメでしょ。松葉杖はどうするのよ。本当に考えなしなんだから。
思ったとおり傾きかけるあいつの体を押さえて、あたしはその左脇に入り込んだ。あいつの腕をあたしの肩に回す。しょうがないわね、まったく。
こうすれば自然にくっつけるでしょ。こいつも満足するでしょうし…あたしも悪い気はしないし。だいいち、献身的に見えるし。まったく、合理的よね。
でも、あたしのこの無言の提案は、また無言のうちに退けられた。
あたしの肩に回した腕を、あいつは引っ込めた。いえ違う、置き直した。あたしの肩に。その掌をあたしの肩の上に。置くというより、ほとんど抱くように。
あんた何考えてるわけ。そんなところで男ぶってどうするのよ。…いや、ある意味ガキか。本当にガキだわね。
まったく、困った怪我人だわよ。




夜、簡単な検査を終えて、ヤムチャはベッドに、あたしは横のスツールに腰を下ろした。
検査の結果は良好。外出の影響なし。…あったら大変よ。あたしの立場がなくなるわ。
ヤムチャはすっきりとした顔をして、やっとあたしにお礼を言った。
「サンキューな。大変だっただろ」
あたしは包み隠さず、自分の奮闘ぶりを口にした。
「大変だったなんてもんじゃないわよ。特例中の特例よ。おまけに本人には邪魔されるし」
まったく、それが一番の問題だったのよ。
「何の話だ?」
きょとんとするあいつの耳に、あたしは事実を吹き込んだ。
「昨日の事故よ!ようやく話を取り付けて許可証貰いに行ったところだったのよ。危うく取り消されそうになったんだから。あんたタイミング悪すぎ!」
本当に、臨界突破してるんじゃないの。
「とにかく、もう少し自重してよね」
「わかったよ」
そう言うと、ヤムチャはあたしを引き寄せて、まずは頬に口づけた。

当然の報酬よ。
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