離れる男
半径1km、上空500m。
それがあたしに突きつけられた条件だった。

西の都から数百キロ離れた森の中。
常にあいつから上記の距離を保つという約束をして、あたしはヤムチャの修行についていった。
だってヒマなんだもの。学院は春季休業。あたしは新たな興味対象を見つけられずにいた。
修行を見ている(実際には見ていないけど。距離保ってるし)のはおもしろくも何ともないけど、修行先を探索するのは結構楽しい。ヤムチャの修行先はたいてい人の手の入っていない、云わば自然的な場所が多くて、虫除けスプレーさえ忘れなければ、新鮮な気持ちでヒマを潰すことができる。まあ、何ヶ月もいたいとは思わないけどさ(1週間くらいがいいところよね)。
この時はレアメタルを数種見つけだし、あたしは上機嫌で既に2日を過ごしていた。
気がつけば陽はすっかり暮れていたけど、ヤムチャはのべつ幕なしに修行をするので、あたしは気にせず歩き続けた。ふと、1歩が世界を変えた。

鬱蒼と生い茂る木々を掃って、突如現れた一面の星空。まるでポケットパーク。
都で見る星空とは全然違う。遠くて、広くて、大きくて――そこには本当の深遠があった。
深遠の中に生きる無数の光点。破壊と再生のペーソス。
あたしは、適当な草地を見つけて横になった。
「そんなところで寝てるなよ」
聞き慣れた声が邪魔をした。
「いいじゃない。寝かせてよ」
「クーガーに食われるぞ」
あんたってどうしてそうなの。
「そんなものいないわよ。雰囲気壊さないでよね」
傍らに立つ闖入者に背を向けたまま、あたしは半身を起こした。
「ここっていっつもこうなの?」
「こうって何が」
ヤムチャにはまったくわからないようだった。
「星よ。すごいじゃない」
「どこだって同じだろ」
あたしの不満げな視線に気づいて、ヤムチャは慌てたように付け足した。
「少なくとも俺の修行する場所はどこもこんなもんだ」
感動のない男ねえ。それともあたしが都会的すぎるのかしら。
「今日の修行は終わりだ。ほら、戻るぞ」
ヤムチャはあたしの手を引いて歩き始めた。保護者ぶっちゃって。
あたしは途中、2度3度と空を仰ぎ見た。
星空はいつまでもあたしの心に残った。


けぶる霧雨の中、ヤムチャは修行を続けている…はずだ。ここからは見えないけど。
窓を伝わる水滴を見つめるあたしは、退屈で退屈で死にそうだった。
ヒマを潰しにここへ来たのに、これじゃ何にもならないじゃない。あーあ。

『もっと健康的にストレスを発散させなさい』
前にディナに言われた台詞を、なぜか急に思い出した。
あたしは自分がストレスを溜める性格だとは思ってないけど、ストレス発散の方法が少ないことは確かだ。
お酒を飲んで寝たり、ヤムチャに管を巻いたり、…確かに健康的じゃないわね。
でもしょうがないじゃない。文明人なんてそんなものよ。特にあの都のネオンの中に住む人間は――

その時、心の中に理知の種がこぼれ落ちた。

それは育ち始めた。あたしの気持ちを糧にして。
ロマンティックな気持ちの中で育った苗は、やはりロマンティックな実をつけた。
でも決して、夢絵図じゃない。
すばやく頭の中に設計図を引いた。理論的には可能。問題はどこまで拘るかだ。
心の中に衝動が満ちた。あたしは雨の中濡れるのも構わずヤムチャを探し出し、一方的に言い放った。
「おまえ、俺に近づくなとあれほど――」
ヤムチャの怒声は、雨音と共に流した。
「帰るわ」
ヤムチャの瞳をまっすぐに見つめて言った。
「何?」
その瞳に浮かぶ困惑に向かって、笑ってみせた。
「修行がんばって。じゃあね」
ヤムチャは唖然としていたみたいだけど、大丈夫。あいつには修行があるんだもの。


それから3週間が経った。あたしは自由な時間のほとんどすべてを、その研究に費やしていた。
ヤムチャが修行を終えてC.Cに戻ってきた時、あたしはそのことに気づいていた。庭で迎えるプーアルたちの声が聞こえたから。今回の修行はいつもより短いわね。そんなことを考えながらも、あたしは出て行かなかった。ちょうど基幹をやっているところだったから。途中で手を離したくなかった。
そうしたら、ヤムチャの方からやってきた。珍しいこともあるものね。
床一面にぶち撒かれたパーツの中で、最も小さくそして重要な部分を弄るのをあいつは黙って見ていた。
それも終わり、あたしが安堵の息を吐いた刹那。
「何を作ってるんだ?」
あいつの声がかけられた。こういうのも気を読むっていうのかしら。
こいつにしては良すぎるそのタイミングに、あたしは軽く目を瞠りながら、そのご褒美に事実を教えてあげた。
「新しい引き出しよ」
なぜそんな言い方をしたのか、自分でもわからない。
「は?」
「そう、引き出しよ。うまくできるかわからないけどね」
ヤムチャはまったく理解できないようだった。それはそうだろう。でも、本当のことだわ。これはあたしの引き出しなのよ。
あたし自身にとっても新鮮な、この心の昂りを感じ取ったのか、ヤムチャは陽気に構えてみせた。
「ずいぶんいいものを作っているようだな」
あたしは茶目っ気を出した。
「すっごく役に立たないものよ」
そう、あたし以外の誰にも役に立たない引き出し。
この言い回しはあたしの気に入った。以後この発明品は「引き出し」と呼ぶことに、あたしは決めた。

引き出しの基幹は難なく完成した。やっぱりあたしって天才よね!…と言いたいところだけど、そうじゃない。なぜなら、ほとんどが既存の技術の応用だったから。
物足りなさを感じたあたしは、新たに1つ大きな要素を取り入れることにした。科学者の血が騒いだのだ。
反重力。
現在の科学ではまったく架空の技術とされているそれを、現実化してみよう。
幸いにして、うってつけのモルモットをあたしは1人知っていた。

「ねえ、それってどうやってるの?」
あたしは地に浮くヤムチャの足下を指差しながら言った。
「どう見ても重力に逆らってるわよねえ。どういう理念なの?」
ヤムチャはC.Cの外庭で、修行と称するトレーニングをしていた。無意味(よね?だって必要性が感じられないもの)に体を浮かせながら、これまでに見たことのないエネルギーの塊を掌に出していた。かめはめ波ならあたしも知ってるけど。それとは違うみたい。
本当にこいつらって、こういう技を開発するの好きよね。もっと人間の枠を外れずに生きられないのかしら。
「理念って言われてもなあ」
ヤムチャは困ったように頭を掻いた。
「わからないのにやってるの?本当に体力バカね」
まったく役に立たないんだから。
「気をコントロールするんだよ」
この「気」については、今ではある程度理論が組み立てられていた(ちゃんと研究してたわよ。ヤムチャは忘れているみたいだけど)。最初は超自然的なものとしか思えなかったけどね。科学って偉大なのよ。
それでも、疑問がないわけじゃない。
「その気っていうのが問題なのよ。一種の超光速粒子と考えるのが自然だけど、その速度がおかしいのよ。計算すると光速を越えちゃうのよね。そんなことってありえるのかしら」
「何でそんなことわかるんだ」
ヤムチャは訝しげに、あたしの顔を見た。
「あたしの専門だもん。仮説だけど、かなり真実を捉えている自信があるわ。この説だと、あんたたちのわけのわかんない技が、ほとんど説明できるのよ」
っていうかさ、使ってる本人がわからないって、一体どういうことよ。許しがたい鳥頭よね。
あたしは先を続けた。
「気が粒子であることは、かめはめ波やその他エネルギー波の特質からも明らかよ。気を感じることができるというのも、その説を補強するわ。粒子は外部干渉による変化によって反発力を生じ、結果質量を伴う。その一例がエネルギー波ね。ここまではいいわ。問題はその粒子の速度で、どう計算しても299792458m/s以上…」
これでも精一杯簡潔に纏めたつもりよ。なのにヤムチャったら、聞いてもいないんだから。
あたしは溜息をついた。
「じゃあさ、簡単な質問に答えてよ。どういう感覚なの?浮いてる?飛んでる?蹴ってる?体は軽い?」
あたし、小学校の先生になれるんじゃないかしら。
ヤムチャはようやく重い口を開いた。
「軽くはならないさ。…そうだな、連続して蹴ってる感じかな。今じゃそんな感覚も薄いけど。始めは確かにそんな風に力を込めていた気がする」
「じゃあ推進式なのね。運動の第3法則はどうなってるのかしら。通常、飛行はそれでするはずだけど」
ヤムチャはまた黙った。ちょっと、マジ?これミドルスクールで習う内容よ。あんた、ハイスクール行ったはずでしょ。…宿題、ちゃんと自分でやらせるべきだったかしら。
しばしの沈黙の後、ヤムチャはまるでぶちキレたように、あたしの体を抱え上げ(しかも背負いよ。彼氏だったらお姫様抱っこでしょ!)、空へと逃げた。あたしはこの扱いに抗議した。
「ちょっと!何すんのよ!」
「飛びたいんじゃないのか」
あんた、本当に話聞いてないわね。どうしたらその結論に行き着くわけ。
「違うわよ!…でも、ちょっと待って」
あたしは頭を切り替えた。軽い浮遊よりも飛行状態のほうが、現象は顕著に出るはずよ。これはチャンスだわ。
「抱えてるってことは腕は使ってないのよね。体勢も固定されてないし…じゃあ足?」
あたしはヤムチャの下半身へと腕を伸ばした。あれが起こっているのか、確かめたい。
「危ないって」
「飛行中に確認したいのよ」
あたしはさらに体を移動させた。
「ちょ、ちょっと待て!」
俄かにヤムチャが騒ぎ出した。あたしの腰を押さえつけながら、何やら盛んに喚いている。もう、うるさい!邪魔しないでよ。モルモットはモルモットらしくしていなさい!
「んー、余剰エネルギーの発光現象は確認できないなあ」
そう呟いたところで地面に降ろされた。ヤムチャが捨て台詞を吐いた。
「もう絶対おまえとは飛ばねえ!!」
何よ、非協力的なんだから。だいたい、あんたが勝手に飛んだんじゃない。これだから体力バカは嫌なのよ。

とりあえず感覚は掴んだ。あとは努力あるのみよ。
知ってる?天才って、1%の閃きと99%の努力で作られるのよ。肌が天才なだけじゃ、中身は開花しないんだから。その努力をいかに隠すかが、プライドのありようよね。
あたしは再び部屋に篭った。そして、引き出しに閃きと拘りを詰め込んだ。


完成した時、不思議と昂揚感はなかった。
もちろん達成感はあった。でも、それが連れてきたのは動ではなく静の気持ちだった。
なんとなく、わかっていたのかもしれない。
それとも、自分のそういう一面を見るのが怖かったのかも。柄じゃないって言われそうだし。
あたしは、1人静かに引き出しを開けた。
測れない漆黒が生まれる。
頼りなげな浮遊感があたしを包む。
星を模した鈍い発光体が漂い始める。
一面の星空。

あの時見た星空じゃない。未だ誰も見たことのない星空。だってこれは全宇宙の空なのだから。

あたしは闇の中に体を横たえた。
あたしの作った、あたしのためだけの空間が、あたしの心を静まらせる。
頭の中から雑音が消える。
何かが体中に降りそそぐようなこの感覚。
そうね。あたしにはこういう場所が必要だったのよ。
あたしだけの空間。
あたしだけの箱庭。
あたしだけの――宇宙。

自己陶酔の極みね。
でもそういう気分なのよ。


「ブルマ?いるのか?」
その時、ドアのコンソール越しにヤムチャの声が響いた。
あたしがいること知ってるくせに。まったく小心なんだから。
あたしはコンソールのリモコンを手に取った。

そうね。あいつにも見せてあげよう。
あんたならいてもいいわ。
inserted by FC2 system