過去の男
その言葉を言ってほしいなんて思ったこと、今までなかった。でもね…
他人に言ったとなれば、話は別よ!!


「オラ、『愛してる』なんて言われたの初めてで…」
「…ああ、そう…」
こめかみを引き攣らせながら、あたしは彼女の話を聞いていた。彼女――チチさんよ。
かわいいわよね、彼女。すっきりと纏められたきれいな長い黒髪に、やっぱり黒い大きな瞳。あたしの好きなタイプよ。東洋系の顔立ちって憧れるわよね。孫くんもなかなかいい男になっちゃったし、お似合いだわ。…ルックス的には。中身は断然孫くんが劣ってるけど。…あいつ、ちゃんとやれるのかしら。
だから、あたしが憤りを感じているのは、彼女に対してじゃない。昔、彼女に求愛したというバカな男に対してよ。
「でも、オラは悟空さに決めてたから。そんなことすっかり忘れてたんだけども…」
さりげなく数十分前にそうなったばかりの夫を惚気るチチさんの言葉に、あたしは心底情けない気持ちになった。
…あいつは覚えていたみたいよ。
喉元までその言葉が出かかった。絶対に言いやしないけどね。そんな、幸せに水を差すようなこと、言わないわよ。
これでもあたしは、孫くんたちの結婚を祝福してるんだから。あいつには幸せになってもらいたい――正直そこまでは思わないけれど、あいつには適当にやっていてほしいわ。常識人に近づけるのなら、なおのこといいわよね。そういう意味でもチチさんとの結婚は、とってもいいことよ。問題は、あいつがちゃんとやれるかどうかだけど。
少し前を歩いていた孫くんとクリリンの歩幅が狭まった。どうやら、目的の店に着いたらしい。
あたしたちは話をやめて、レストランのドアを潜った。

「ふわぁ〜…悟空さ、すごい食欲だなぁ…」
あんぐりと口を開けながら呟いたチチさんの姿に、思わず笑みが零れた。
「チチさん、これから大変よ。こいつは食べるわよ〜。きっと世界一食欲旺盛な夫よ」
「大丈夫。オラ、料理得意だよ。悟空さにおいしいものいっぱい食べさせるだよ!!」
初々しいわよね。幸せのお裾分けされてる気分になるわ。
本当に楽しそうに、チチさんは自分の隣で6人前の大皿を次々と空にする男(こう呼ぶの抵抗あるわね)に声をかけた。
「悟空さは何が好きだか?」
「ほらか?ほら、あんれも(何でも)食うぞ!!」
そうじゃないでしょ、と突っ込みかけたあたしを、チチさんの声が制した。
「そうか。じゃあ、いろいろ作るだな!!」
まったく、負けるわ。こんなかわいい人をお嫁さんに出来たなんて、孫くんは幸せ者よ。
「あんた、そんなに食べたら午後の試合に響くわよ」
「ほうか?じゃ、腹はひぶんみぇにひとくかな。…ほかわり!!」
あたしがちょっぴりだけチチさんの趣味を疑った次の瞬間、円卓の向こう側で料理をつつく一人の男の姿が目に入った。軽く手を振りながら見せた約半年ぶりの笑顔に、あたしは思いっきりそっぽを向いた。
…どうせ、あたしは不幸せ者よ。


武道会が終わり、孫くんたちも行ってしまって、あたしの気分は現実に戻った。
少し余韻は残っていたけれど、エアジェットのタラップを上がり、シートに落ち着くヤムチャの顔を見た途端、それも消し飛んだ。
…最悪の展開。最悪の事実。最悪の言動よ。
半年ぶりに会ったのよ。それが何?顔に傷はつくってるわ、あんな試合は見せられるわ、止めがこの話よ。
ヤムチャがチチさんに言ったという台詞を、ほぼ正確に、あたしはチチさんから聞いていた。時間による脚色はおそらく多少はあるにせよ、彼女の話は信用出来る。数十分話しただけだけど、あたしはそう感じていた。そもそも筋斗雲に乗れるんだから、疑う余地ないわよね。
まったく、なんて男なの。
あいつがチチさんに会った時って、すでにあたしと面識があった頃じゃない。一体どういうことなのよ、それは。
将来有望な娘に唾をつけておいて、あたしに手を出したわけ?チチさんが孫くんと結婚しなかったら、どうするつもりだったのよ。最低よね!!
なーにが女に免疫がない、よ。あれだけ初めてみたいな顔してたくせに。ちゃっかりしたもんだわよ。
そんな男だから、事がバレてもヘラヘラしていられるのよ。あたしがこんなに傷心してるってのに。
もう、最悪!


ヤムチャと一言も言葉を交わさぬまま帰り着いたC.Cの自分の部屋で、あたしは着替えもせず、怒りにまかせてそれを作った。
それ――ドラゴンレーダー。
これまで何度も修理してきた。もう手馴れたものよ。
ひさしぶりに目にするその小型探査機を、手には取らずデスクの上に置いたまま、あたしはスツールに腰を下ろした。
また探しに行くことになるなんて、思ってもみなかった。
でも、同志の中から選ぶ気はしないし。あたしの周りには同志の男しかいないし。ナンパで見つけるなんてもっての他だし。
だから、ドラゴンボール。
…あまり気乗りしないなあ…
溜息をつきながら、寝室へと向かった。とりあえず、着替えよう。
そう思った時だった。
「ブルマ、入るぞ」
声と共にドアが開いた。
しまった。ロックかけ忘れた。あんまり怒ってたものだから…
「何の用よ?」
デスクの前に戻りながら、あたしはその男に言った。殊更訊ねるように。
プーアルの手前とりあえず置いておいてあげるけど、こいつはもう用もなしにここに入ってはこられない人間なのよ。
相変わらず緩んだ口元で、ヤムチャは答えた。
「話しようと思って」
「話すことなんか、あたしにはないわよ」
後ろ手にデスクに寄りかかりながら、そう突っぱねた。ヤムチャは引き下がらなかった。
「…じゃあ、聞いてくれないかな」
そう言って、ふてぶてしくも話し始めた。こいつとチチさんの馴れ初め未満の話を。
あたしはそれを聞いた。…本当は聞きたくなかったけど、こいつが勝手に話したのよ。
その口が閉じかけるのを察知して、あたしは言ってやった。
「それで?」
「いや、それでって…」
ヤムチャは口篭った。ふん、情けない男。
釈明するなら、最後までやり遂げなさいよ。ただ話をするだけなら、プリスクールの子にだってできるわよ。
「じゃあ、あたしが訊いてあげるわ」
思考が追いつく間もなく、あたしは口を開いていた。どうしてかはわからない。
いえ、きっと最後だからよ。最後だから、どうせなら全部訊いてやろうと思ったのよ。その方がすっきりするわ。
「あんた、ずいぶんチチさんに構ってたわよね。何で?」
「そ、それは…」
ヤムチャはまた口篭った。あたしが何も知らないとでも思ってたの?
観客席の人込みの中にいるあたしなんか、あんたには目に入らなかったでしょうけどね。武舞台裏から覗くあんたの顔は、あたしからはよく見えたわよ。
ずいぶんご執心だったわよね、チチさんに。そりゃそうよね。せっかく唾つけてたのに、孫くんに持ってかれるところだったんだものね。っていうか、持ってかれたけど。
「本人には言えたのに、他人には言えないわけ?――『愛して』たからでしょ」
「だからそれは違うって…」
何が違うっていうのよ!
ヤムチャとそれ以上話す気が、あたしにはまったくなくなった。時間の無駄よ。
これからどうするかなんて全然わかんないけど、今すべきことはわかるわ。こいつを脳裏から追い出すことよ!
あたしは再び寝室へと足を向けた。まずは、視界からこいつを追い出すために。
目を伏せ体を背けると、あいつは視界から消えた。

一瞬だけ。

気がつけば、あたしはヤムチャに右腕を掴まれ、強引にキスされていた。思わず目を瞠ったあたしに、ヤムチャが叫んだ。
「おまえだけだって!」
あたしの瞳はさらに見開かれた。今、こいつ何て言った?
そんな台詞一度だって言われたことないばかりか、『好き』って言わせるのだってあんなに大変だったのに。
言えるなら、もっと早くに言いなさいよ。こんな時じゃなく、もっと雰囲気のいい時に…
「おまえだけだ。俺があい――」
「ストーーーップ!!」
なおも続けようとするヤムチャの声を、あたしはその胸元から制した。何とか体を離して、自由な左手でさらに距離を取った。
「わかった、わかったから。もうわかったから、とりあえず出てって」
すっかり怒りも吹っ飛んだ声で、あたしは言った。あたしの右腕を緩めながら、ヤムチャが呟いた。
「ドラゴンボールは…」
ドラゴンボール?…ああ、レーダーか。こいつ、それに気づいたのね。
「探さないから。ね?もう出てって」
あたしが再三促すと、やっとヤムチャは出て行った。未練がましい目をして。あいつが何を望んでいるのかあたしにはわかったけど、それは無視した。
必要もないのにドアを後ろ手で押さえて、あたしは息をついた。

あー、びっくりした。
あいつでも、あんな風に強引にくることあるのね。さすがに本気を感じたわ。…最初っから、そういう態度に出ればいいのよ。
でも、冗談じゃないけど。
あんな風に、勢いにまかせてどさくさ紛れに言われるなんて冗談じゃないわ。しかも同じ言葉――まだ記憶も生々しいこの時に。あいつやっぱり、女心ってものを全然わかってないわね。
とりあえずあいつの本気を信じることにして、少し様子を見てみることに、あたしは決めた。
だって、やっぱりまだ釈然としないし。
そんな簡単に許せるものじゃないわよね。




それから一週間、あたしはあいつの様子を見ていた。
…ふりをして(牽制よ。甞められてたまるもんですか)、実は自分の心を見ていた。
あいつの気持ちなんてわかってる。あいつは嘘のつけない男――ではもうなくなったかもしれないけど、そんなに複雑な男じゃないわ。単純で、淡泊。好きでもない女に執着したりはしないわ。
次の女にいくかどうかは別として、身軽になればこれ幸いと、さっさと修行にでも行っちゃう。そういう男よ。
だから、問題はあいつじゃない。あたしの心よ。
…やっぱり納得できないのよね、あたし。
何も感じずに、そういう台詞を言えるものなのかしら。
もしそうだとしても、今でもそうだったと言い切れるのかしら。
チチさんがあんなにかわいく成長したって知った今でも、その時まったく他意がなかったと思えるのかしら。
あたしは孫くんを見た時、ちょっと惜しかったかなって思ったけどな。ま、その気持ちだけで7年も待てるわけもないけどね。
突き詰めていくと、あいつの心か。それが問題なのよね…


「ヤムチャ。いる?」
いるとわかっていて、あたしはそう声をかけた。あいつの部屋のコンソールに向かって。
それにどんな効果があるのかはわからないけれど、とにかくそういう気分だった。
一週間と一日目の昼。あいつのトレーニングの合間を見計らって、あたしは決着をつけることにした。夜になんかやりたくないわ。朝まで余韻を引き摺るなんて、冗談じゃない。
それに、うまくいった時のことも、一応は考えておかないと。どちらにしても、夜が来る前には終わらせておかなくちゃね。
少し間をおいて、ドアが開いた。ドアの内側に佇むあいつに、一言だけかけた。
「ハイ」
「…どうした?」
思わず溜息が出た。
こいつって、本当、不器用よね。
そういうこと言ったら帰っちゃうかもしれないって、わからないのかしら。自分の状況理解してないのかしら。
あたしの溜息の意味は、いつもとは少し違った。こいつの不器用さを確認しておくことは、今日に限っては悪いことじゃない。
ヤムチャの言葉には答えず、勝手に部屋の中に入りベッドに座った。隣にあいつが座り込むのを待って、あたしは声をかけた。
「ねえ、ヤムチャ。この前言ったことって本当?」
「え…」
ヤムチャは即行で口篭った。おかしな表現だけど、本当にそんな感じ。そしてすぐにまた、さして変わらない声を出した。
「…ああ」
制する必要もなかった。ヤムチャはそっぽを向いて、小声であたしの言葉を肯定した。少し頬を赤らめながら。
…かわいい。
なりふり構わず来る様に、本気を感じるのは確かなことだけど。でも、こんな風に口篭るこいつを見てても、それを感じる。不思議なものね。
よし、じゃあテスト開始よ。
「ねえ、ヤムチャ」
意識して素っ気ない口調を作った。勘付かれたくないとか、不審に思われたくないとか、理由はいろいろあるけど…
「キスする?」
ほとんど瞬時に目が合った。完全に見開かれた瞳。隠しようもないほど驚いてる。こんな瞳を、あたしは何度も見てきた。
この後、こいつはいつも躊躇いがちに手を伸ばすの。でも、今日は違った。
半拍をおいて、すぐにあたしを掴まえにきた。半ば覆い被さるように、いつもより荒く、そして優しく重ねられるその唇。
すっごく気持ちいい。頭の芯が痺れそう。あたしやっぱり、こいつのこと好きなのよね。
…でも、流されないわ。

息をするため離した瞬間を、あたしは捉えた。あいつの右頬に手を当てて、さりげなく牽制した。ポケットからそれを取り出し、自分の口に放り込んだ。
笑みを浮かべたまま。大丈夫、例えうまくいかなくっても、泣いたりしないわ。

それが胃の腑に落ちたのを感じることはなかった。でも、すぐにわかった。
手が小さくなったから。あたしはヤムチャから身を離し、窓際へ飛んでいった。
窓に映る自分の姿に目を凝らした。…身長からすると、確かに10歳くらいよね。
大人に比して大きな目。やっぱり比して小さな頭。けれど全身のバランスからすると、だいぶん大きい。メリハリのないスタイル…
「かわいい?」
振り向きがてらそう訊ねた。答えはなかった。
「ちょっと、ヤムチャ!かわいいかって訊いてるの!」
ヤムチャはあたしの質問をまるっきり無視して、至極当たり前のことを訊いた。
「…今食べた飴のせいか?」
「そうよ。これはね『ビミニ・キャンディ』って言って、食べると年齢が半日の間約半分…」
白けたようなヤムチャの視線にぶつかって、あたしの科学者魂は四散した。まったく、ノリの悪いやつ。でも確かに、こんなこと言ってる場合じゃなかったわ。
再びベッドへ戻りヤムチャの元に駆け寄ると、あたしは用意していた台詞を放った。
「『愛してる』って言って」
「は?」
即行で帰ってきた間抜けな声に神経を逆撫でされながら、あたしは自分の心を整理する方法の一端をヤムチャに明かした。
「『愛してる』って言ってよ。チチさんには言ったんでしょ」
数瞬の間が開いて、困ったような声が返ってきた。
「…どうすればいいんだ?」
だから!再三言ってるでしょ!
こいつ、適応力なさ過ぎ!いつまでも呆然としてないで、ちゃんと話を聞きなさいよ!
「『愛してる』って言うのよ、あたしに。…心を籠めてね」
最後の部分を、あたしは特に強調した。そう、そこが一番大事なところよ。
ヤムチャは納得できないようだった。おずおずと、でも口篭ることはなく、その質問を口にした。
「どうして子どもの姿なんだ?」
「あんたが本当にあたしを愛しているかどうか知るためよ。いいじゃない、チチさんだって子どもだったんでしょ」
あたしが言ってやると、ヤムチャは黙った。俯くその姿勢から、すっかりしょげているのがわかった。
ふん、いい気味よ。本来、こんな嫌味程度で済まされるようなことじゃないのよ、こいつのやったことは。
それに、これが最後かもしれないんだから、遠慮なんかしないわよ。

「いい?ちゃんと心を籠めてよ。適当に言ったら承知しないからね。目の前のあたしに、心を籠めるのよ」
最後にそう念を押して、あたしは黙った。
本当は、言葉を聞きたいわけじゃない。こいつの心が知りたいだけ。
でも、心は目に見えない。だから言葉で量るしかないのよ。
こいつの脳裏には、あたしの姿があるはずよ。22歳の、大人のあたしの姿が。この子どもの姿のあたしに、それを投影しているはずよ。
こいつは、どう感じているかしら。
あたしにそれを感じているかしら。子どもの姿のあたしに。大人のあたしに対するものと同じものを感じているかしら。それとも、子どもだと切り捨てるかしら。
こいつの誤魔化しや嘘は、あたしには通用しないわ。…もしそうだとしても、構わない。
あたしはその言葉を聞きたいわけじゃない。あんたの心が知りたいのよ。

ヤムチャはなかなか口を開かなかった。構わないわ。存分に考えるがいいわ。考えたって、どうせ無駄なんだから。
あたしが知りたいのはこいつの感情であって、思考じゃないんだから。どうせ、こいつはそういうの、隠せやしないんだから。
あいつが目を閉じた。そして開いた。あたしはその瞬間を、ひたすら待った。
溜息と共に、ヤムチャは言った。
「無理だよ」
その言葉が耳に届くと同時に、あたしは右手を振り上げた。


「よーし!合格!」
俯きかけるヤムチャの肩を、思いっきり叩いてやった。
あいつは、わけがわからないといった顔であたしを見返した。それを目にして、あたしはさらに自信を深めた。
あたしの意図はバレてない。今のは、完全にこいつの本心よ。
痛みを伴わずに済んだ自分の掌を、膝の上に置いた。ここで大人のあたしの姿を思い浮かべて言っちゃうようなら、本当に殴っていたわ。
だって、それってそういうことだもの。未来の姿を視野に入れて口説く――つまり、唾をつけるってことよね。
こいつは、あたしがこんな美人だって知ってておまけにすっごく好きなのに、あたしの子ども姿には何も感じなかった。だったら、チチさんの子ども時代にだって、何かを感じてるはずないわよ。
確かにチチさんはかわいいけど。でも、あたしの方が絶対こいつのタイプなんだから!
一つだけ、この方法には大きな穴があったけど。それはクリアーできたみたいだし。


あー、こいつがロリコンじゃなくてよかった。
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