未進の男
なんか、よくわかんないやつね。

言われてあたしはコーヒーを啜るのをやめ、ヤムチャの顔を見上げた。
「試合?あんた、クラブなんか入ったの?何の?」
「入ったっていうか…」
自分で話を振っておきながら、ヤムチャは言い澱んだ。数瞬、宙を見つめてから、おもむろに話を続けた。
「試合だけ出るんだ。対外試合とか大会の時にな」
何それ。
おいしいとこ取りってわけ?案外、図々しいやつね。
「そんなことしていいわけ?」
「さあ?」
自分のしていることなのにも関わらず、ヤムチャは首を捻った。捻りつつ、先を続けた。
「武道をやってると言ったら、空手部に連れていかれたんだ。空手そのものは悪くないけど練習に割く時間がないと言ったら、それでもいいからと…それから体育の時間に野球をやっていたら、野球部のやつが声をかけてきて…ラグビー部はなんとなく覘いてたら、いつの間にか捕まっていた」
そこまでを一気に言い終えると、ヤムチャは飄々とした表情でコーヒーを啜った。
「あんた、意外と軽いわね…」
それともいい加減なのかしら。
そう感じたのは、どうやらあたしだけだったようだ。
「ヤムチャ様は運動神経がいいですから」
ヤムチャの従順な僕は、やはり従順にそう言った。
「試合の時は応援に行ってやるよ。だからマネージャー紹介してくれよな」
そういうことしか考えていないエロブタは、やはりそういうことを言った。
「あんたは軽すぎよ」
ウーロンの頭に拳を振り上げながら、あたしは心の中で付け加えた。
…意外性という点では断然ヤムチャに劣るけど。


ハイスクールの午後。5限目開始のチャイムと共に、あたしは図書室に篭った。なぜって?…サボりよ。
数学って最高につまんない。今さら基礎解析なんてやりたくないわ。
一人窓際に腰を下ろして、これまで手に取ったことさえなかった本を、ゆっくりと捲った。
何これ。どうしてゴールの方法が5つもあるの。クイック・スローインって何。言葉おかしいんじゃないの?
あいつ、こんなの覚えられるのかしら。あいつがあたしより頭がいいとは思えないんだけど。
ふいに、コツコツと窓を叩く音が聞こえた。一瞬隠れるように身を屈めてから、あたしは窓を開けた。この二週間ですっかり公認となったあたしの恋人が外にいた。
どうやら体育の授業中らしい。手には拾い上げたばかりのサッカーボール。額に少し長めのヘッドバンド。ゆったりとしたチャイナカラーのトップス。胸元に3連のくるみボタン。ボトムは意表をついてカジュアル風味…
…ハマりすぎてるわ。
正直、こいつがここまでハイスクールにハマり込むとは思わなかった。そりゃあ連れてきたのはあたしだけど。みんなに自慢できればそれでいいと思ってたのに。
「こんなところで何してるんだ?」
「…サボり。つまんないから」
少しだけ躊躇ってから、あたしは本当のことを口にした。
こいつはこれからずっとここにいるんだもの。いつまでも体裁を繕っていてもしかたがないわ。
「授業はちゃんと出ないと…」
「いいのよ、あんたはそんなこと心配しなくっても。そんなことより」
ずっとヤムチャの動きを気にしていたらしいクラスメートの一人を、遠目に認めながらあたしは言った。
「これ以上わけわかんないクラブに、足突っ込まないでよね」
そして手元のラグビーのルールブックを閉じた。


放課後の人気疎らな教室の片隅に、数人の男子。机の上に友人を置きながら、ヤムチャはのんびりと片頬杖をついていた。
…ハマりすぎてるわ。
というより、馴染みすぎてるわ。こいつ、こういうキャラだったの?
無口だと思っていたあたしの恋人は、ややぶっきらぼうに周りの人間と話し込んでいた。意外…でもないか。
こいつ饒舌なのよね、結構。最近よく喋るし。
おまけにかなりのんきだし。ウーロンの皮肉を、まったく意に介さずあっけらかんと聞き流しているところを、あたしは何度も見ている。
「ヤムチャ、帰るわよー」
あたしがドアの陰から顔を覗かせると、ヤムチャは手にしていた本を鞄にしまい込み、ほぼ瞬時に立ち上がった。
…なんか、妙に従順だし。
クールで無口であんなに凛々しかった雰囲気はどこへ行っちゃったのかしら。
残映をあたしは探した。ヤムチャの顔に。
「何だ?」
得られたものは、調子外れの声音と、気の抜けた表情だけだった。
「別に」
あたしは記憶を閉じた。ヤムチャを見る目は開けたまま。

C.Cへ帰る道すがら、ヤムチャがふいに切り出した。
「なあ、一つ教えてほしいんだけど」
「何?」
ほとんど惰性で、あたしは促した。
ここ二週間の間というもの、ヤムチャには山ほど質問をされていた。あたしのことについてじゃなくて、主にハイスクールのことについて。重箱の隅を突つくような質問を山ほど。それはヤムチャが都のやり方に疎いということを露呈すると同時に、確実に馴染んでいっているということを示していた。
「レポートの書き方。課題出たんだけど、さっぱりわからなくて」
「ああ、それはね…」
考える必要もない質問に惰性で答えながら、あたしはこの状況を楽しんでいた。
『レポートの書き方』だって。まったく学生的な質問よね。こいつって本当に適応力あるわね。このぶんじゃ、完全に都人化する日もそう遠くない…
あたしの楽観的思考は、ヤムチャの声に打ち消された。
「待った。待った、ちょっと待った。そんな一度に言われても覚えきれない…」
「ええー!?」
思わず叫び声を上げた。
だって、そんなに難しいこと言ってないのに。そもそも難しいことなんて何もないし。必須事項を順番にかいつまんで話しただけよ。
また一つ、ヤムチャについての事実が裏付けられた。…やっぱり、こいつあんまり賢くないわ。
まあ、今まで荒野にいたんだから、当たり前と言えば当たり前かもしれないけど。でも、そんなやつに1から教え込むのか…
「もう、いいわ。あたしがやったげる」
軽い溜息と共に、あたしは結論を出した。
身の回りのことやマナーなんかはいいけれど、ハイスクールのことにまであたしが手を出す必要ないわよね。逐一教えるよりあたしがやった方が早いし。そのうち勝手に覚えるでしょうよ。
「そんなことしていいのか?」
「いいんじゃない?あんたも似たようなことやってるでしょ」
首を捻りつつ言うヤムチャに、あたしは事実を突きつけた。
「クラブの助太刀。似たようなもんよ。要はバレなきゃいいんでしょ。適当にレベル落として書いてあげるわよ」
「はは」
皮肉のつもりだったあたしの言葉は、ヤムチャの笑顔に流された。まったく咎める素振りを見せない、従順そうなこの笑顔。
…かわいい。
最初の頃とはだいぶんイメージ違っちゃったけど。これはこれで悪くないわ。
「その代わり、付き合って。ミックスベリーソフト!」
「いいよ」
またもや従順そうに浮かんだその笑顔を見て、あたしは現実の意外さを噛みしめた。
本当に、ドラゴンボールなんか使わなくても、なんとかなるものよね。


すっかりルールを頭に叩き込んでその日を迎えたあたしは、試合会場の異様な雰囲気に眉を顰めた。
「何これ!」
グラウンドに響き渡る歓声。その大半が黄色い声。
ラグビーってもっと硬派なスポーツのはずでしょ。だいたいうちのラグビー部なんて、今まで存在を知らないほど地味だったはずなのに。なのに何で、こんなに女がいるわけ。
その理由はすぐにわかった。聞きたくなくとも聞こえてくる女たちの声。叫ばれるその名を、あたしは知りすぎるほど知っていた。
「ヤムチャくーん、がんばって!」
「ステキー!!」
ちょっとおー!!
咎めて回るのも不可能な数の女たちにあたしが近づいた時、見知った顔が声をかけてきた。
「あらブルマ、あんたも来たの?」
何それ!
『も』って何よ、『も』って。それはこっちの台詞よ。あいつはあたしの彼氏なのよ。なのに何であんたたちが応援に来るのよ。
「一体何なのよ、これは!!」
怒りを感じたのは、あたしだけのようだった。
「ヤムチャ様、格好いいですから」
あいつの従順な僕が、嬉しそうにそう言った。
「おれ、あとで誰か紹介してもらおうっと」
そういうことしか考えていないエロブタが、嬉しそうにそう言った。
「冗談じゃないわよ!!」
ウーロンの頭に拳を振り上げながら、あたしは心の中で叫んだ。
こんなの、あたしの計算にはなかったわよ!

「やだー、ヤムチャくんからボール取らないでよ〜」
「そうよそうよ、ヤムチャくんの邪魔しないでよ〜」
全方向から聞こえてくる間抜けな声に耐え切れず、あたしは事実を叫びたてた。
「うるっさい!!…今のは反則なの!あそこに並んでボールを貰っちゃダメなの!!あいつが悪いの!!」
歓声が消えた。半瞬だけ。次の瞬間、至極最もなはずのあたしの言葉が、一斉に拒否された。
「怖〜い」
「そんなの関係ないわよねー」
大ありだっつーの!
仮にも試合を見るんなら、それなりに勉強してきなさいよ。イラつくったらありゃしない!
だいたい、他の部員も部員よね。こういう雑音は即刻排除するべきでしょ!それなのに、みんなして鼻の下伸ばしちゃってさ。まったく、男ってこれだから…
あたしのイライラが最高潮に達したその時、一際大きな歓声が起こった。試合終了。あたしは胸を撫で下ろした。
やっと終わった。これでもうバカ女たちの奇声を聞かなくて済む…
けれど、それは甘かった。
「ヤムチャくーん、これ使って〜」
「お菓子作ってきたの。食べて〜」
うるっさい!!
もう何度目かもわからない叫び声を心の中で上げた時、プーアルとウーロンの姿が見えないことに気がついた。
ぐるりと周囲を見回して、2人を見つけた。ご丁寧にも観客席の端から順番に、女からの差し入れを回収して回っている。…ちょっと、余計なことしないでよ!普通受け取らないでしょ、そういうものは。何考えてんのよ!!
「あったまきた!!」
思いっきり叫んで、あたしはその場を離れた。
きっと、あいつがやらせているに違いないわ。プーアルはいつだって、あいつに従順だもの。ウーロンは知らないけど。
数100mを歩いてようやく不快なBGMが聞こえなくなった時、後ろから肩を叩かれた。振り向いたあたしの目の前に、従順な僕のいい加減な主がいた。
「何よ?」
「何って、その…一緒に帰ろうかと思って。俺ももう帰るから」
のうのうと告げる男に、あたしは言ってやった。
「あの女たちはどうするのよ?」
気づいてないとでも思ってるわけ?あんまりバカにしないでよね!
あたしがまだ睨みを利かせないうちに、ヤムチャが答えた。
「あれはウーロンにまかせてきたから」
「まかせたって、あんたねえ!!」
ヤムチャの胸元に詰め寄って、その上にある顔を睨みつけてやろうとして、あたしは気づいた。
ヤムチャの肩越しに見える景色に。こいつの僕と同居人のしていることに。プーアルとウーロンは、女たちから根こそぎ回収した差し入れの品々を、ラグビー部員たちに振舞っていた。
…そっか。そういうことか。
あたしの苛立ちは感心へと変わった。
案外、頭悪くないのかもね、こいつ。
視線を近くに戻した。あたしの不発に終わった怒声にも、まったく咎める素振りを見せない、下目線の男。
「いいわ。一緒に帰りましょ。でもその前にシャワー浴びてきて。あんた汗臭いわよ」
あたしがそう言うと、ヤムチャは笑った。あの従順そうな笑顔で。
「じゃあ、行ってくる。後でな。ブルマさん」
あたしの名を呼ぶその声に、凛々しさはまったくなかった。でも…
これはこれで、悪くないかもね。


外庭に面した渡り廊下でヤムチャを待っていると、ぞろぞろと群れをなして帰ってゆく女たちの姿が見えた。発される黄色い声。それと同量の不平の言葉。
あんたたちがどんなに追いかけたって、ヤムチャはあたしの彼氏なんだから。あいつはあんたたちなんか相手にしないんだから。指一本触れられませんよーだ!
先に感じたあたしの不満は完全に解消された。それに代わって、小さな不満が首を擡げた。
「ヤムチャのやつ、遅いわね…」
何をそんなに手間どってるのかしら。男の身支度なんて、そんなに時間かかるものじゃないわよね。部員と長話でもしてるのかしら。まったく、女を待たせるなんて。
ラグビー部室のある方向へと、足を向けた。シャワールームから続く廊下の途中に、ヤムチャの後姿を見つけた。その一点に、あたしの目は釘づけられた。
ヤムチャの腕に添えられた細い腕。紛うことなき女の手。
思わず眉を上げたあたしの耳に、その声が入った。
「あの、あたしあなたのこと…」
瞬時にあたしは駆け出した。
「ちょっと、あんた!何やってんのよ!!」
故意に語尾を掻き消してやった。
その男はあたしのなの!何、横から手出してんのよ!
あたしが睨みつけると、女は去って行った。ふん、根性なし。つーか、最初から来るなっつーの!
「あんたも何やってんのよ!」
相手にするこいつもこいつよ。どうしてさっきみたいに切り捨てないのよ。
芸もなく傍らに立ちつくしている男に、そう怒鳴りつけた。あたしの怒声に返ってきたのは、呆気に取られたような目と、間抜けな声だった。
「何って…だって、あの子が急に…」
「告白なんかさせちゃダメ!!」
ヤムチャの瞳に浮かんだ困惑を見て、あたしにはわかった。こいつが何も理解していないということが。

…何?何なの?一体、これは何なのよ。
確かにこいつは格好いいわよ。それをみんなに知らしめることもできた。でも、何か違うわよ。
こんなの絶対違うわよ。あたしが思っていたのはこんなのじゃなくって、もっと、もっと…

目を丸くして、いまいち緊張感に欠ける顔であたしを見ている男を睨みつけた。他人の心をまったく読まない、茫洋とした瞳。きっぱりと断らない、軟弱な態度…
「ヤムチャのバカ!!」
後から後から湧き出す怒りを、あたしはその一言に凝縮した。
そしてひたすら外を目指した。
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