不進の男
あたしは最悪の物件を掴んだ。
整った顔立ち。引き締まった体。人懐っこい笑顔。穏やかな物腰。
他人の心を読まない頭。誰にでも答える軽い口。
これが最悪じゃなくてなんなのよ!
しかも、あたしとあいつは今や公認なのよ。今さら別れるわけにはいかないのよ!
「エスプレッソ!リストレットで!」
適当に飛び込んだカフェで、あたしは今の気持ちを象徴する飲み物をオーダーした。


C.Cへと帰り着き、そのエントランスで相対したヤムチャは、相変わらず下目線だった。
「…あの、ブルマさん。ごめん…」
従順そうに放たれたその言葉に、あたしはもう騙されなかった。
謝ればいいってものじゃないのよ。反省すればいいってものじゃないのよ。だいたいこいつは――
「あんた、何で怒られてるかわかってるの?」
「それはその…女の子に告白されたから…」
ほーらね!何もわかっちゃいないんだから!
「でも、あの子いなくなっちゃったし…きっともう会わないし…」
続くヤムチャの言葉は、あたしの確信を助長させただけだった。
そして本人は、そのことにすら気づいていない。これで許せるわけがないでしょ!
「もういいわ」
こともなげに言ってやった。あたしの言葉に、ヤムチャが息を抜きかけたのがわかった。
「しばらく話しかけないで」
何もわかっていない男に、あたしは最後の言葉をかけた。


「おまえ、もういい加減許してやれよ」
午後の授業を途中でサボってヤムチャより先に帰ったあたしを、ウーロンが渋い顔で咎めた。
サボったことについてじゃない。今や周囲にバレバレの、あたしとあいつのケンカについてだ。
「話は聞いたけどよ、告白されたってだけだろ?しかもいきなりだって言うし」
『いきなり』『告白された』!?
ウーロンの口から飛び出したその言葉を、あたしは瞬時に心の中で咎め返した。
何言ってんのよ。じゃあ何で、あの女はヤムチャにしなだれかかってたのよ?
あいつがモタモタしてたからでしょ。のうのうと見逃してやったからでしょ!普通は、ああいう状況になる前に気づくものなのよ。そして告白なんかさせないものなの!
それが何よあいつったら、よりにもよってあたしの目の前で、あんなことさせちゃって。しかも…
「…何もそこまで怒ること…」
依然として続いていたウーロンの言葉を遮って、あたしは言ってやった。
「あいつがそう言えって言ったの?」
ウーロンまで手懐けちゃって。本当にやることが早いんだから。
「あのな。おれはただ、おまえの姿勢の問題をだな」
「余計なお世話よ。ひとのことに口出ししないで。…追い出すわよ」
それきりウーロンは黙った。あたしも追撃することはせず、配信されたばかりの学術誌に手を伸ばした。


それでもあたしは、毎日ヤムチャと一緒に登校していた。小等部へ行くプーアルとウーロンも一緒だ。
本当はヤムチャの顔なんか見たくもないけど、朝は一緒に行かなきゃ、また噂を立てられちゃう。今では、あたしたちが付き合っていることはおろか一緒に住んでいることさえ、学校中に知れ渡ってしまっている。公認カップルなんて、碌なものじゃないわ。
「…も出るんじゃないかな」
「そんなものあんのか」
「俺もつい最近知ったんだがな」
あたしの後ろから聞こえてくる、ヤムチャたちの会話。ふん、わざとらしく気を引こうとしちゃってさ。
ハイスクールが見えてきた。あたしは溜息をつきながら、そのゲートを潜った。

あたしはヤムチャとはクラスが違う。だから校内にいる間は、あいつに関わらなくて済む。
なんて思ったら大間違いよ。
「ねえ、ヤムチャくんってどこの人なの?」
「…東の方。暑いところよ」
クラスメートの質問に、言葉は少々ボカしながらも口調はきっぱりと、あたしは答えた。
そうせざるを得ないからよ。ここであたしが言葉を濁したりなんかしたら、また何かあったと思われちゃう。…公認カップルなんて、碌なものじゃないわ。
「武道やってるって聞いたけど、本当?」
「…本当。そこそこ強いわよ」
それにしたって露骨すぎよ。
クラスメートが訊いてくるのは、ヤムチャ本人のことばかり。あたしたちの付き合いになんて、触れもしない。どういう神経してるのかしら。あたしは彼女だっていうのに。あたしの存在は無視なわけ?
「ヤムチャくんって、休日とか何してるの?」
「知らないわよ!」
そう答えることができたら。でも、あたしたち一緒に住んでるんだもの。知らないって言う方が不自然よね。
だから、あたしは席を立った。あいつのプライベートなんか、教えるつもりはないわ。




「退屈だなー」
「そうね〜」
夕食後のリビングでなにげなく発せられたウーロンの呟きに、あたしは心底同意した。
本当に退屈。ハイスクールはもちろん退屈だし、C.Cにいても退屈。リビングにはウーロンしかいないし、あたしはもう父さん母さんと遊ぶ年でもない。
窓からポーチ脇の外庭をちらりと覗いて、やっぱり気がなさそうにウーロンが言った。
「あいつもよくやるよな…」
あたしはそれには答えなかった。
そこに誰がいるのかは知っている。従順な僕とその主だ。あいつは少し前から急に武道に身を入れだして、夕食の後はもっぱらそこでトレーニングをしている。朝、ハイスクールへ行く前にもやってるみたい。どうしてなのかは知らないわ。関係ないわよ。
もう何度も読み返した学術誌をソファの下に放り投げて、あたしは記憶を掘り起こした。
以前にも、こんな風に退屈を感じたことがあった。ヤムチャたちがC.Cに来る前。孫くんに会う前…
「ねえ、孫くんに会いに行かない?」
ふいに浮かんだ考えを、あたしは躊躇することなく口に出した。
「あー、あいつか」
「なんとなく孫くんといると退屈しないし。会いに行くって約束したでしょ」
ウーロンの返事を、あたしは待たなかった。口に出した時点で決めていた。
まだ一ヶ月ちょっとしか経ってないけど、もうずいぶん前のことのような気がする。ドラゴンボール探しの旅。孫くんと一緒にいた時間。ヤムチャたちが初めてここに来た日…
最後の記憶だけを脳裏から追い払って、あたしは宣言した。
「決まり!今度の日曜日ね!」


「…あら、あんたも来るの?」
4日ぶりにヤムチャと話した。これがその台詞だった。
別に内緒にしていたわけじゃないけど、教えてもいなかったのに。外庭に着けたエアジェットの脇に、いつの間にかヤムチャが来ていたのだ。
ヤムチャは何も言わなかった。あたしに答えたのはウーロンだった。
「あのな、おまえがヤムチャを無視するのは勝手だけど、だからって仲間外れにするなよな」
「ダメだなんて言ってないでしょ」
そっちこそ勝手に曲解しないでほしいわね。
あー、ムシャクシャする。
誰も彼もが、ヤムチャの肩持っちゃってさ。そんなにこいつがいいわけ?
みんな騙されてんのよ。こいつの外見のよさに。

エアジェットが地を離れて数十分。
「どれくらいかかるんだ?」
「2時間くらいね。このスピードだと」
操縦桿を握りつつ発されたヤムチャの言葉に、あたしははっきり答えた。
カメハウスの場所を知ってるのはあたしだけだもの。答えないわけにはいかない。
「どんなところなんだ?」
「完全な孤島よ。まるっきり海に囲まれた…」
「老師様一人で住んでるのか?」
「亀が一匹いたわ」
まったく惰性で、あたしは答え続けた。隠すようなことでもないし。
「久しぶりだな、あいつに会うのは…」
「まだたったの一ヶ月でしょ」
反射的に否定した。こいつと同じように感じてるなんて、思われたくなかった。
「もう100km進んだら、南下して」
事実だけを、あたしは言った。

「嘘…」
何で?
カメハウスのあったはずの島に到着して、あたしはひたすら呆然とした。
何もない。数本の椰子の木の他には何も。
「確かにハウスのあった形跡はあるな」
緑の草に覆われた島の中でそこだけ何も生えていない地面に目を落としながら、ヤムチャが言った。
腰を落としてその場所に触れた。完全に乾いている。もうずいぶん前だわ、ここからいなくなったのは。…ひょっとして別れた直後?
信じらんない。
会いに行くって約束したのに。いなくなるならいなくなるで、どうして教えてくれないのよ。せっかく来たのに。ひさしぶりにあいつと遊んでやろうと思ってたのに。
「ちぇっ、無駄足かよ。ひさしぶりにあいつの間抜け面を拝めると思ったのによ」
「残念ですね…」
「何、そのうち会えるさ」
残念がる一同の中で、ただ一人ヤムチャだけが明るい声でそう言った。
こいつ、どうしてこう能天気なのよ。少しは機微ってものがないわけ?
「きっとあいつは元気でやってるよ。いつまでもここにいてもしかたがない。帰ろう」
きっぱりと放たれたその一言が、あたしたちをエアジェットへと促した。

再び空に囲まれるエアジェット。視界から遠ざかる孤島…
「勝手なものよね。黙っていなくなるなんて」
「行き先くらい言ってけっつーの!」
「あいつは本当に配慮がないんだから」
呆然から憤怒へと変わりつつあるあたしの声に、誰も答えなかった。ヤムチャはおろか、ウーロンとプーアルさえも。何よ、さっきまであんなに残念がってたのに。あたしと同じこと思ってたくせに。
「次に会ったらとっちめてやるわ!」
この声にも返事はなかった。ヤムチャはただ黙って操縦桿を握り、ウーロンとプーアルもまた黙って窓の外を見続けていた。
何よ。何よ、何よ。
何でみんな、あたしを無視するのよ。
孫くんまで。あたしたち、一緒に旅した仲でしょ。どうして黙っていなくなるのよ。
そりゃ、きっと孫くんは元気だわよ。あたしだってそう思うわ。でも、そういう問題じゃないでしょ。
別にすっごく会いたかったってわけじゃないけど。でも…


あたしの生活は、再び退屈になった。
退屈なハイスクール。退屈なC.C…
「あれ、ヤムチャは?」
翌朝一緒に登校しようとして、あいつがいないことに気がついた。うっかり訊いてしまったあたしの声に、ウーロンはさして気にした様子もなく、淡々と答えた。
「あいつなら先に行ったぜ。プーアルもな。早朝トレーニングだってよ。空手の大会があるんだとさ」
「ふーん」
感情を込めない声で、あたしは答えた。
そんなこと何も言ってなかったのに。…勝手なものよね。
ウーロンが教えてくれなかったら、知らないままだったわ。クラスメートに訊かれていたら、恥を掻いていたところよ。
もう背中越しの会話はない。ウーロンとあたしとで、さして会話が弾むわけもない。
「退屈ね…」
「そうだな」
あたしの呟きに、ウーロンはただそう答えた。

それから2日間、あたしはウーロンとしか話をしなかった。そんなことあるはずもないのだけど、ほとんどそうだと言い切れる。
朝はウーロンしかいない。帰ってもウーロンしかいない。父さんはいるけれど、いつもそこらへんをフラついていて捉まらないし、あたしも今特に取り組んでいる物があるわけじゃないから、捉まえても話すことがない。母さんなんて、ボケてて話にならないわ。
うちってこんなに退屈だったのね…
ドラゴンボールを探しに行く前にも、それは思っていたけれど。あの頃よりもっと退屈なような気がするわ。


朝、ハイスクールへ行こうとしたところで、雨が降り出した。
雨の日って大嫌い。なんとなく鬱々とするし、より退屈さが増すわ。
どこにも行けないし。絶対に行けないってわけじゃないけれど、行く気にならない。
だから、あたしはその日ひさしぶりに授業を全部消化した。サボったってどこにも行けないし。行きたいところもないし。C.Cに帰ったって、やっぱり退屈だし。
退屈な場所から退屈な場所へと居所を移すため、ハイスクールを出ようとした時、エントランスでそれを見た。
毎日一緒にいるはずの男。嫌でも毎日思い出させられる、公認カップルの片割れ。
もうずいぶん長いこと話をしていないような気がする。実際には孫くんに会いに行った(会えなかったけど)時以来だから、3日間だけど。
ふと目が合った。あたしはエントランスの左側に、ヤムチャは右側に。間には誰もいなかった。
あたしは何も言わなかった。ただ黙って傘を差した。何も持たないあいつの手元を見ながら。
ヤムチャはあたしに一瞥をくれて、それから一歩を踏み出した。
エントランスの外に向かって。

…ちょっと。
何よそれは。どうしてこいつまで、あたしを無視するのよ。

「ちょっと、ヤムチャ!」
あたしは退屈を捨てる決心をした。驚いたように立ち竦むヤムチャに向かって、言ってあげた。
「どうして無視するのよ。何で黙って行っちゃうのよ。声かけなさいよ!あたしがいるんだから!あたしは傘持ってるんだから!」
あたしの好意はまったく通じなかった。ヤムチャは相変わらずの間抜けな声で、あたしの言葉に答えた。
「だって、話しかけるなって…ブルマさんが自分でそう…」
「『しばらく』って言ったでしょ」
こいつってどうしてこうなの。いい加減、言葉を読みなさいよ。
だいたい、怒ってるのはあたしなんだから。こいつが話しかけてこなかったら、どうやって仲直りするのよ。
あたしは頭を切り替えつつあった。今のヤムチャの態度がそれを助長した。
こいつは教えてやらなきゃダメなのよ。ただ待ってたって成長しやしないわ。あたしとこいつは公認なんだから、今さら手を離すわけにはいかないのよ!
まずはこいつに、自分の立場をわからせなきゃ。あんたはあたしの恋人なんだってことを!
「それから!」
そのための一歩を、あたしはヤムチャに教えてやることにした。
「いい加減、その『ブルマさん』ってのやめてよね!いちいち『さん』づけされるとイラつくのよ」
こいつだけよ、そんな呼び方をするのは。彼氏のくせに、一番他人行儀だなんて、どういうことよ。慇懃無礼ってこのことよね。
「わかったら、さっさと傘を持つ!あんたの方が背が高いんだから。いつまでもあたしに不自由なことさせないでよ」
本当に気が利かないわよね、こいつ。まったく、みんなこんなやつのどこがいいのかしら。あたし?あたしはしかたなく付き合ってやってんのよ。

だって、あたしとこいつは公認カップルなんだから。
今さら『好きじゃない』なんて言えないのよ。
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