微進の男
夏の名残のある日差し。暑い空気を緩和する、肌に冷たい秋の風。
いい陽気ね。遊園地日和だわ。

身支度を整え、ヤムチャの待つリビングへと顔を出して、早くもあたしは不機嫌になった。
「どうしてあんたたちまで来るのよ!」
ソファの端には、コーヒーを啜っているヤムチャ。身につけているのは、あたしが買ってあげたジーンズに、ステッチのきいたシャツ。悪くない服装ね。そこまではいいわ。
でもどうして、プーアルとウーロンも一緒なのよ!
あたしが怒鳴りつけても、ウーロンはびくともしなかった。それどころか、飄々として言ってのけた。
「いいじゃねえか、邪魔しないからよ。だいたい、どうせおまえら何もしないんだろ?」
「あんた、何てこと言うのよ!」
そんなにはっきり言うことないでしょ!
ええ、ええ、わかってるわよ。どうせ、ヤムチャは何もしやしないわよ。そんなことあたしだって思ってるわよ。2人きりだろうが、そうじゃなかろうが同じことよ。
「まったく、図々しいったらありゃしない!」
ウーロンを咎めながらも、あたしの視線は自然とヤムチャに吸い寄せられた。
こいつ、なんて口が軽いのよ。何でもかんでも、みんなに言っちゃうんだから。口は軽い、身も軽い。それでいて、手だけは遅いなんて。
…あたし、一生バージンなんじゃないかしら。


「やっぱり最初はジェットコースターからよね!」
遊園地のゲートを潜り、フリーパススタンプの押された手を陽にかざしながらあたしが言うと、ウーロンが皮肉ともつかない声を出した。
「おまえって意外性のないやつだよなあ」
「何それ、どういう意味よ」
何のことを言ってるんだか知らないけど、意外性なんて必要ないわよ。あたしの知ってる男は意外性の塊だったけど、いいことなんて一つもなかったわ。
「ところでプーアル、あんたはどうするの?たぶん身長制限で引っかかるわよ」
あたしが素朴な疑問を提出すると、プーアルではなくその主が、答えると共に命令を発した。
「そうだな。プーアル、今のうちに変身しておけ。子どもあたりが妥当だろう」
「はい、…変化!!」
瞬く間に、プーアルはヤムチャの言葉を実行した。煙る空気の向こうから、ミドルスクールに届く年齢かと思われる、黒い髪の男の子が現れた。…ちょっと、孫くんに似てるわね。
それにしても、手際いいわねえ。
阿吽の呼吸で詐欺行為を働こうとする目線の男を、あたしは思わずまじまじと見つめた。
「あんた、こんな時だけ知恵働くのね」
ポケットに片手を突っ込んだまま、ヤムチャは淡々と答えた。
「構わないだろ。本人の安全が図れればそれでいいんだ」
「それはそうだけど」
あたしが言いたいのは、そういうことじゃないんだけどな。
こいつ普段は気が回るくせに、どうしてあたしといる時はさっぱりなのかしら。謎だわね。
「じゃあ行くわよ。まずはジェットコースター3連発ね!」
男3人の返事は待たず、あたしはジェットコースターの方角へと足を向けた。レディファースト。それを無視させるつもりは、今日のあたしにはなかった。

ジェットコースターの後は、バイキング。ついで垂直ループコースター。ローター。
さらに4度目のジェットコースターに向かいかけたあたしを、ウーロンが咎めた。
「おまえ、絶叫系しか乗らないつもりかよ…少しはバランスとろうぜ。観覧車とか、コーヒーカップとか」
「メリーゴーラウンドやお化け屋敷もありますよ」
プーアルが言い添えた。あたしより早く、ウーロンがそれに答えた。
「お化け屋敷っていうのはな、カップルで入るものなんだよ。こいつらが行くと思うか?」
「どういう意味よ、それ!」
失礼な言い草よね!あたしたちがカップルらしくないなんて、そんなこと…あたしだって思ってるけど。でも、口に出すことないでしょ。そういうことは胸にしまっておきなさいよ!
「観覧車は最後よ。コーヒーカップは乗ってもいいわ。メリーゴーラウンドは適当にね」
「お化け屋敷は行かないんですか?」
「ああいう非科学的なものは好きじゃないのよ」
あたしが言うと、ここでようやくヤムチャが口を開いた。…こいつ、軽いわりには押しが弱いのよね。ウーロンたちがいると、それがはっきりわかるわ。
「お化け屋敷は非科学的なのか。じゃあ、他のものは科学的なのか?」
「大概の遊具は綿密な計算の元に設計されてるのよ。心理学的見地からのチェックも入るし。でも、綿密なお化け屋敷なんて聞いたことないわ」
「ふーん」
曖昧に頷いて、ヤムチャは黙った。そうそう、その辺で引いておきなさい。今はその押しの弱さを褒めてあげるわ。空気を読むなんて無駄な努力もしなくていいわよ。
「じゃあ、コーヒーカップね。その次はジェットコースターよ!」
あたしは再びレディファーストを実行した。

レディファーストに加えてもう一つ、あたしには行使できることがあった。パシリを使うことがそれよ。
「あたしストロベリーマキアートね。ダブルホイップ。シロップは少な目。ミルクはブラベ、多目でね」
「注文多いぞ、おまえ。そこまで注文つけるなら、自分で…」
不満そうに呟くウーロンの声を、あたしは一喝した。
「何言ってんの。あんたたちが買いに行くのが筋ってもんでしょ!」
こいつとプーアルはオマケなんだから。思いっきりお邪魔虫なんだから。パシリくらいやって当然よ。
だいたい、他人のデートについてきて、入園料まで払わせておいて、よく言うわよ。タカられてるのはあたしの方だっつーの。
「キャッシュはプーアルに預けておくから。ナンパなんかせずに、さっさと買ってきなさいよ」
人込みの中へ消えかける2匹を目で追いかけながら、ヤムチャが呟くように言った。
「2人だけで大丈夫かな。やっぱり俺も行って…」
「あんたは行っちゃダメなの!」
「何で?」
あー、もう!
相変わらず茫洋としたヤムチャの目を見ながら、あたしは心の中で溜息をついた。
本当にわかってないんだから。別に2人きりになりたいってわけじゃないけど、彼女を一人置いていいわけないでしょ!…こいつ、デートの意味すら、知らないんじゃないかしら。
誘ってくれなくてもいいけど、せめて人並みに付き合えないものかしらね。こいつって本当に疲れる男…
その時、2人がやってきた。プーアルとウーロンじゃない。でも、あたしの見知った人間――ヤムチャのクラブ試合を必ずといっていいほど見に来ていた、バカ女たちが2人。
ちょっと、どうしてこんなところで、ハイスクールの人間に会うわけ。どうして休日にまで、あんな女たちの声を聞かされなきゃいけないわけ。
向こうはまだあたしたちには気づいていないようだった。この人込みだもの、当然よね。でも気づかれるのは時間の問題だ。
軽く思案を巡らせた。どうしようかな…
…見せびらかす?
その案はすぐに却下した。だって、どうしてわざわざそんな面倒くさいことしなくちゃいけないのよ。だいたい、邪魔されるのがオチだわよ。
ヤムチャの後をずっとついてきたりとか、あいつらなら本気でしかねない。冗談じゃないわ。
「ヤムチャ!あっちの方に行くわよ!」
「でもプーアルたちが…」
「すぐ戻るから!」
口答えるヤムチャを、女たちとは反対の方向へと引っ張った。でも、反対方向とは言っても、ここは見晴らしのいい遊園地。隠れるところなんてない。
ふと、それが目に入った。唯一あたしたちの正面に口を開けていたアトラクション。そのゲートへ向かって、反射的にあたしは走った。パススタンプを押されたヤムチャの手を強引にかざしながら、ゲートを潜った。
そして中に入り一息ついて、改めて自分のしたことに気がついた。

呆然の淵に佇むあたしを見て、ヤムチャが不思議そうに呟いた。
「一体何が…、…どうかしたのか?」
後半部分の質問にのみ、あたしは答えた。
「嫌いなのよ、お化け屋敷!さっきそう言ったでしょ!!」
最悪!
どうしてよりにもよって、入った先がお化け屋敷なのよ。しかも自分から足を踏み入れたなんて。一生の不覚だわ!
あたしが怒鳴りつけると、ヤムチャの首の傾げる角度が深まった。ついには口調にも不審の色を漂わせて、ヤムチャはあたしに訊ねた。
「どうしてそんなに嫌いなんだ?」
「置き去りにされたの!昔、父さんと母さんに。しかもあの人たち、それに気がつきもしなかったのよ!」
3つか4つの頃のことよ。そんな小さな頃のこと覚えてるわけないだろうってみんな言うけど、あたしははっきり覚えているわ。すっごく心細かったんだから!…本当はもう一つ理由があるけど。それは言う必要ないわよね。
あたしの言葉に、ヤムチャは神妙な顔つきで答えた。
「俺はそんなことしないけど」
「当たり前でしょ!したら殴るわよ!!」
とは言えそれも、殴れる状態にあればの話よ。
あたしは溜息をついた。『溜息の数だけ幸せは逃げていく』っていうけれど、ついでにお化けも逃げていってくれないかしら。もしそうなら、何度だってつくのにな。
答えのわかりきった自分の屁理屈に、再び溜息をついた。つきながら考えた。ヤムチャを先に行かせるべきかもね。こいつ鈍いから、そうすれば気づかれないかも…
決断しかけたその時、ふいに右手が掴まれた。自分のではない左手をそこに認めて、あたしは反射的に声を荒げてしまった。
「ちょっと、何するのよ」
「だって、怖いんだろ?」
ヤムチャはあたしの顔を覗きこみながら、でもさして気にした様子もなく、淡々と答えた。
「な、何言ってんのよ!怖いわけないでしょ!」
「でも、今トラウマだって…」
ヤムチャの口から出た意外な言葉に、あたしは思わず目を瞬いた。
…トラウマ。
なるほど、こいつ今の話をそう取ったわけか。でも、そうよね。誰が聞いてもそう思うわよね。そうか、そうよね。
あたしはできるだけ平静を装って、この話を肯定した。
「そうよ、トラウマなの。でも、怖いわけじゃないわよ。何て言うかこう…気になるだけよ!」
「うん、わかるよ」
緩やかなヤムチャの声音に、あたしはそれ以上弁解するのを止めた。それを合図としたように、ヤムチャが一歩を踏み出した。
「じゃあ、行くか。できるだけゆっくりな。怖かったら言えよ」
少し湿った大きな手の感触を右手に確かめながら、あたしは覚悟を決めた。

それからずっと、ゲートの光が見えるその時まで、あたしたちはお互いの手を掴んでいた。それは全然不自然なことではなかった。だってあたしは『トラウマ』なんだから。そればかりか、覆い被さる闇の怖さも、偏狂的に耳に響く音のおどろしさも、心臓を脅かす異形への反応も、すべて『トラウマ』で片付けることができた。
そうか、トラウマって言えばよかったのね。本当にこいつ、こういう知恵働くわね。
二重の意味であたしを救った横の男に、あたしは改めて感謝した。


数十分をかけて、あたしは何とかお化け屋敷を歩ききった。安堵の気持ちを押し隠してヤムチャの手を離し、先ほどいた場所に戻ろうと体の向きを変えた時、2人に捉まった。
プーアルとウーロン。ウーロンはあたしの頼んだストロベリーマキアートに口をつけながら、白々しい口調でのたまった。
「おまえら、やらしいな。2人きりになった途端、お化け屋敷なんか入りやがって」
「あんた、何てこと言うのよ!」
思ってたって言わないでしょ、そういうことは!どういう神経してるのよ!
「どうりで注文つけると思ったぜ。いやらしいな、おまえ」
「違うっつーの!」
あたしはお化け屋敷が嫌いなの!入りたくなんかなかったの!
入りたくなかったけど…まあいいわ。
ヤムチャはひたすら黙っていた。その方がいいわ。こいつが口を開いたら、何を言い出すか…本当に口が軽いんだから。
「隠すな、隠すな。ダメだなんて言ってないだろ。おまえらだって、一応カップルなんだからな」
「一応って何よ!一応って!!」
いつまでも止まないウーロンの減らず口に、あたしの神経は消耗してきた。つい今、磨り減らしてきたばかりだし。
話の切れ目を探せないあたしの耳に、ヤムチャの声が届いた。
「あー、プーアル、もう一度飲み物買ってきてくれないか。そうだな、アイスコーヒー。シロップ多目で」
「はい!ヤムチャ様」
この主従のやり取りに、あたしも便乗した。
「ウーロン、あんたも行くのよ」
「またかよ」
「あんた、あたしの飲んだでしょ!ストロベリーマキアート!ダブルホイップ、シロップはバニラで少な目、ベリーソース追加、ノンアイス。ミルクはブラベ、多目でね!」
めいっぱい注文をつけてやった。ウーロンはぶつくさ文句を言いながら、プーアルに引っ張られるようにしてショップへと向かった。
そうか、こうすればよかったのね。こんなことにも気づかないなんて、…疲れてるわね、あたし。
半ば抑えきれずに溜息を一つついて、偶然あたしを救った男と共に、あたしはベンチに座り込んだ。
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