緩進の男
『The End』の文字が確かに出ていることを確認して、あたしはテレビを消した。エンドロールを観る気も起こらなかった。
「何このラスト。最悪!」
ハイスクールが舞台なんだから、最後までやれとは言わないわ。でも、それにしたって中途半端過ぎるわよ。
どうして、そんなところで終わるわけ。あの誤解は解けたわけ?これじゃ、うまくいったのかどうかすら、わからないじゃない!
遠くソファの陰に放り投げたリモコンを、恨めしげにウーロンが見やった。
「おまえ、消すなよ。見終わったんなら、おれにリモコンくれ」
「勝手にすれば。…あー、毎週見てて損した!」
リモコンを拾い上げながら、ウーロンはさらに文句を重ねた。
「ドラマに怒ったってしかたないだろ。本当にわがままなんだからな」
「何言ってんの!普通こういうのは、ハッピーエンドで終わるはずでしょ!さんざん気を持たせておいてバッドエンドなんて、視聴者を甞めてるにも程があるわよ!」
バッドエンドなんて、現実の中だけで充分よ。誰だってそう思ってるわ。リサーチ足りないんじゃないかしら。
あたしの言葉にウーロンは答えず、再びテレビのスイッチを入れた。横から口を出してきたのは、ヤムチャだった。
「あれバッドエンドなのか?雰囲気的には違うように感じたけど」
はあ!?雰囲気!?
思わずヤムチャの顔を見返した。
こいつだけには言われたくないって、このことよね。こいつがどれだけ雰囲気読めてるっていうのよ。だいたい、現実が伴わなきゃそんなのただの幻想よ。…性格が温いと、ドラマの感想まで温くなるのかしら。
「何が雰囲気よ。あんな中途半端なの許せるわけないでしょ。テレビ局に文句言ってやるわ!」
それとリサーチ会社にもね。父さんにも言っておかなくちゃ。あのテレビ局のスポンサーにはならないように。
視聴者を甞めるなっつーの!


視聴者は神様。
その言葉を、あたしは一週間後に実感した。
あのドラマの終了後、あたしは自分の言葉を実行した。まずは手っ取り早いところから――つまり父さんから。その結果、あのテレビ局の次次回作に、C.Cが出資しかけていることが判明したのだ。
あたしの言葉は間接的に伝わった。そしてどういう関連なのかは知らないけど、映画のチケットが直接送られてきた。それも山ほど。向こう半年は映画のチケット買わずに済むわ。ラッキー。
あたしがそれを伝えると、ウーロンが白けた目で呟いた。
「おまえ、金持ちのくせにセコいな」
「何言ってんの。当然のことでしょ!」
お金の問題じゃないのよ。意向が反映されたってことが大事なのよ。
「早速行くわよ。封切りたてのミステリー。明日の放課後ね!」
「いいよ」
あたしの言葉に、ヤムチャは素直に頷いた。それを訊いてきたのは、ウーロンだった。
「明日の何時だ?」
「何であんたが訊くのよ」
誘ってないっつーの!
あたしの険にもウーロンはまったく動じず、しれっとした声で言った。
「おまえ、話するだけしといて、外すなよ。どうせおまえら何もしないんだろ?」
「シアターで何をするっていうのよ!」
デリカシーなさ過ぎ!それに、そこらの妖しいカップルと一緒にしないでよ。
「連席じゃなくてもいいからよ。おまえらには何にも期待しとらん」
「予約席なんだってば!」
こいつ、どうしてこんなことばかり言うわけ?故意犯もいいところじゃない!
その時、ヤムチャが身振りを交えながら、あたしとウーロンの間に入ってきた。
「まあ、いいじゃないか。チケットはたくさんあるんだろ?」
「もうー!」
ヤムチャの言葉に、あたしは不満を隠さなかった。こいつ、やっぱりデートの意味わかってない!
…まあ、いいか。映画観るだけだし。シアターで何するわけでもないし。
「じゃあ、夕方の回ね。チケットは渡しておくから、勝手に入りなさいよ」
せめてシアターへ着くまでは、デート気分を味わうわよ。
最も、そんなものがあればの話だけど。


ハイスクールの放課後。掃除もとっくに終わった時間。
「ヤムチャ、行くわよー」
ヤムチャのクラスのドアの陰からあたしがそう声をかけると、ヤムチャは瞬時に椅子から立ち上がり、廊下へと出てきた。
従順よね。こういうところは、素直でいいんだけどな。
問題は、その素の部分なのよね。
ハイスクールのエントランスから一歩を出て、手元の時計を確かめた。
「まだ時間あるから、ソフトクリーム食べていこ!」
「いいよ」
この声にも、ヤムチャは素直に答えた。シアターへの道から一区画を反対に逸れたことにも、何も文句は言わなかった。
「あたしダブルベリーソフトね!」
「じゃあ俺はアイスコーヒー」
こういう時、ヤムチャはたいてい飲み物をオーダーする。それも必ずと言っていいほど、アイスコーヒー。それは全然構わない。男がソフトクリームをパスするなんて、よくあることだし。
でも、ヤムチャのやり方には疑問を感じる点が一つある。
「あんたって甘党なのかそうじゃないのか、よくわからないわね」
Mサイズのコーヒーに、ガムシロップを2つも入れるのよ。男でこんなに入れるやつ、あまりいないわよね。アイスやパフェには閉口しているらしいくせに。絶対矛盾してるわよ。…嫌がらせかしら。
「そうか?甘党じゃないと思うけど。コーヒーは別だろ。それより」
ヤムチャはあたしの言葉を軽く流した。そして数拍を置いて、呟くように言った。
「…あのさ、ひょっとして、イチゴ好き?」
「ちょっと、何それ!」
あたしは思わず叫んでしまった。
「あんた、今頃それに気がついたの!?毎朝フレッシュイチゴ食べてるでしょうが!デザートだってイチゴばかりよ!」
こいつが来てからもうすぐ3ヶ月間、その間ずっとよ!
「信じらんない。あんた鈍すぎ!」
鈍いとは思っていたけど、ここまでだったなんて。男として鈍いとかそういう問題じゃないわよ。観察力がないにも程があるわ。…それとも観察する気がないのかしら。
そうかもしれないわね。こいつ、あたしに対してだけじゃなくて、他の女に対しても万遍なく鈍いし。まるで全然構ってないみたい。
…ひょっとして、女嫌い?

本気でそう思ったわけじゃない。だって、もしそうならラブレターを受け取ったりしないわよ。女にしなだれかかられて、平気なはずもないわ。こいつは本当に、ただ鈍いだけなのよ。
いっそ女嫌いの方が格好はつくわよね。こいつ、見た目はいいんだから。…それだと、あたしも打つ手ないけど。
いつの間にか、あたしはヤムチャより数歩先を歩いていた。別に一緒に歩きたくないというわけじゃない。気づいたらそうなってたというだけ。
って、何でよ!
普通、男の方が先に行っちゃうものでしょ。それで女が追いかけていくものでしょ。そうしたら男が歩を緩める。それが普通のカップルでしょ。なんで、あたしが前なのよ。どうしてあいつは並びかけてこないのよ。
本当にいつまで経っても、それらしくならないんだから。ええ、わかってたわよ。どうせあいつにとっては、ただのシアターへの道すがらよ。とっととシアターへ行ってやるわよ。
一人さっさと横断歩道を渡りかけた。瞬間、突然身体を拘束された。
「ブルマ!」
次にその声が聞こえた。ほとんど同時に、二歩をあたしは退けられた。ヤムチャの手によって。あたしの胸元に巻きつけられた、ヤムチャの両腕によって。
「ちょっと、何するのよ!」
突発的にそう叫んだあたしに、荒々しい声音が降りかかった。
「おまえこそ何してるんだ。気をつけろ!」
「おまえ!?」
思わず反復した。何、今の。『おまえ』ってあたしのこと?こいつがそう呼んだわけ!?
言葉尻を捉えると共に、あたしは事実をも把握した。あたしの横に尻餅をついている子ども。その子に駆け寄る、母親らしき人。あたしたちを見る周囲の視線。その中の半分ほどは、目の前の道路を猛スピードで今や遠くに走り去った一台のエアカーを見ていた。
…全然気づかなかった。それで、あたしは引き戻されたのね。
完全に冷静になって、あたしは背中にいるヤムチャの顔を仰ぎ見た。今や冷静じゃないのは、ヤムチャの方だった。
「あ、いや…ブルマ…さんこそ…」
あたしを抱く腕を緩めながら、妙に弱々しい口調でヤムチャは言った。
何こいつ。
今、確かに『おまえ』って言ったのに。その前だって、呼び捨てにしたくせに。それに助けたんだから、もっと堂々としてればいいのに。
「悪いのは向こうだけど、気をつけないと。車より歩行者の方が弱いんだから。…あ、ほら、早く渡らないと信号が変わる…」
そう言って、ヤムチャはさっさと先に立って歩き出した。あたしは溜息をつきながら、その後姿を一瞬だけ見送った。
…お礼言うタイミング逃しちゃった。

あたしはすぐにヤムチャに追いついた。そして黙って、半歩ほど前を歩いた。
なんとなく、口を開ける雰囲気じゃなかった。それに、こいつがシアターへの道を知ってるのかどうか怪しいし。
ややもして、シアターに辿り着いた。そこにはすでに、2人がいた。
特に態度の悪い方の一人が、口を開いた。
「遅いぞ、おまえら」
「あんたとデートしてるわけじゃないのよ」
こいつとプーアルはオマケだってのに。本当に立場がわかってないんだから。
「おまえ、遅れてきておいてそれかよ」
「勝手に入ってろって言ったでしょ」
どうしてあたしがウーロンなんかと待ち合わせしなくちゃならないのよ。だいたい、そういうのは彼氏の台詞だっつーの。
あたしは後ろを返り見た。プーアルを肩に乗せかけている、あたしの彼氏のはずのその男。
こいつもねえ。
うろたえることないのに。マズイこと言ったわけじゃないんだし。本当に立場がわかってないんだから。
「せっかく待っててやったのに、なんだその言い方は」
「どうせまた何かタカる気なんでしょ」
耳に入り続ける雑音に適当に答えながら、シアターのゲートを潜った。

館内に入り席に着く段になって、ウーロンは雑音を越えた存在になった。
「ちょっと、勝手に座らないでよ」
どうしてウーロンがあたしの隣なのよ。それは絶対違うでしょ!違う上に、許されないわよ。
「ヤムチャがここ!ウーロンはあたしの隣にこないでよ!」
彼氏が隣に決まってるでしょ!それでなくてもウーロンの隣なんて、冗談じゃないわ。暗闇紛れに触ってくること、必至だわよ。
本当に、こいつらもう少しどうにかならないのかしら。
その時、横から主と僕の会話が聞こえた。
「プーアル、おまえブルマとウーロンの間に座れ」
「はい、ヤムチャ様」
時々はわかってるみたいなのよね。さっきだって、助けてくれたし。周りは見えてるのよ、周りは。
自分だけ、見えてないのよ。こいつは、自分のことに関してだけ、てきめんに鈍いのよ。彼氏としては、最悪の資質だわ。


映画を観終えた後は、映画談義。いつもはあまりしないけど、今日はそうせずにはいられない。だって…
「だから、主人公が犯人なんだってば!本当に解らなかったわけ!?」
シアター向かいのカフェで、ショートケーキの上のイチゴをわざとらしく見せつけながら、あたしは叫んだ。
「マジかよ。あれってそういう意味なのか?」
「よく解りませんでした」
まったく、呆れるわね。
あんたたち、2時間半も一体何を見てたのよ。豚に真珠とはこのことだわ。まともに映画談義もできないわけ?
「俺は解ったよ」
口元にコーヒーの湯気を当てながら、ヤムチャが言った。ようやく話し相手が見つかったと喜んだのもつかの間、ヤムチャはこんなことを言い出した。
「解りにくいなとは思ったけど。終わり方が中途半端というか。もう少しはっきりさせるべきだよな」
思わず溜息をついた。こいつもやっぱりわかってないわね。
「何言ってんの。あれはわざとなのよ。余韻と謎を残して、観ている人間に考えさせようって腹なのよ。あれはあれでいいのよ」
結局、これがこいつの限界なのよね。
事実は理解できるんだろうけど、その裏にある真意は掴み取れないのよ。雰囲気が読めてないのよ。観察力が足りないのよ。要するに鈍いのよ。
「気づかない方がおかしいのよ」
諦めと共に、あたしはイチゴを口に放り込んだ。
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