寡進の男
青い空に流れる絹雲。誰もいない屋上でそれを眺めていると、白い煙が上がった。
続いてパンパンという軽快な音。昼間の花火って情緒がないわよね。うるさいだけだわ。
「さてと。そろそろ行こっかな」
お腹空いたし。ヤムチャも終わる頃だろうし。初日の午前中いっぱいを割り当てられるなんて、要領悪いんだから。その点、あたしはうまくやるわよ。
少し気だるくなった腰を上げて、フェンス越しに校庭を見下ろした。黒髪。栗毛。ブロンド。地面を徘徊する雑多な髪の色。チケット売りの声。祭りの出店と見紛う食べ物屋。所狭しとひしめく手書きの看板。今年の学祭の流行はカフェか。芸がないわね。…ま、うちのクラスの出し物よりはずっとマシだけど。
校舎に沿った螺旋階段を、できるだけ人目につかないように静かに下りた。そしてクラスメートに見つからないよう、こっそりと校内に入り込んだ。

人目を選んで廊下を進みヤムチャのクラスを訪れたあたしは、呼びつけたヤムチャの姿を見て、思わず叫んでしまった。
「ちょっと、ヤムチャ!何その格好!!」
黒のシャツに白いネクタイ。白地に薄いストライプのベストに白いスーツ。白のエナメル靴。立ち上げた前髪…
絶対的に異質なその服装を、ヤムチャは一言で表現した。
「何って…ウェイターだけど」
「ウェイター!?」
あたしはまたもや叫んだ。
ウェイターですって!?そんな口車に乗せられたわけ?どこの世界にギャングスーツを着込む高校生がいるのよ!…ちょっと格好いいけど。いえ、そういう問題じゃないわ。
「あんた絶対騙されてるわよ…」
っていうか利用されてるわ。正確に言うと、かこつけられてる。ああもう!いい加減に少しはわからないものかしら。
「とにかく、早く着替えてきてよ。もう終わったんでしょ?」
溜息混じりにそう言うと、ヤムチャは困ったように少し乱れた髪を掻き上げた。
「それが午後からも顔出せって言われてて。…あ、少しだけなんだけど」
あたしはすっかり呆れ果てた。
完全に客寄せパンダね。…本当に、こいつ気づいてないのかしら。実はわかってて乗ってるんじゃないの?
その時、クラスの中から女が2人、顔を覗かせた。こちらはまったくもって極々普通の、白シャツ、サロンエプロンに黒のパンツ。…何、このクラス。
「ヤムチャくん、お疲れ様。次は2時からお願いね」
品を作りながら当然のようにそう言う女たちに、当然のようにヤムチャは答えた。
「ああ、わかってるよ」
わかってないわよ!
どう見たってわかってないわ。こいつ、どうしてこんなに鈍感なのかしら。この女たちも女たちよ。ひとの彼氏で遊んでるんじゃないわよ!
「行くわよ、ヤムチャ!」
なおも何か話しかけようとする女たちを、あたしはことさらに無視した。当然よ!こんなのに付き合う方がおかしいのよ。
…そうよ。情けないことに、あたしの彼氏がおかしいのよ。

ヤムチャの腕を取りながら廊下の角までやってきて、あたしははたと考え込んだ。
…こいつ、どうしよう。
こんな派手なの連れて歩いていたら、一発で見つかっちゃうわ。絶対にパスしたいのに…
「…おい、ブルマ、何してるんだ」
「何って、ベストを脱ぐのよ。もちろんジャケットもね」
ベストのボタンを外しながら、あたしは宣告した。この『白スーツ』ってやつがね、どう考えたって異質なのよ。ハイスクールじゃなくたって、街中にだって滅多にいないわよ、こんなやつ。
「ああ、そういうことなら自分でやるから…」
わりあいすんなりと、ヤムチャはあたしの言葉に従った。これで黒シャツに白タイ、白のパンツ。…なんか、よりパンダっぽくなったわ。
「ま、いっか」
ギャングよりはパンダの方が――マシかどうかは知らないけど、この際、目立たなければどうでもいいわ。それじゃあ、さっさと校庭へとフケ込んで…
エントランスへと向かうべく階段を降りかけると、ヤムチャは足を止めて、今来たばかりの道を戻ろうとした。
「これ、クラスに置いてくるよ。邪魔だから」
言うと同時に、手に持ったジャケットを肩にかけた。…この格好つけ!
「そんなこと後にしなさいよ」
ていうか、邪魔なら最初から脱いできなさいよ。本当はそんなことこれっぽっちも思ってないくせに。それより今は、少しでも早くこの場所から…
「いや、だって」
ヤムチャは譲らなかった。もう、何だってこいつは、いつもいつも空気を読まないのかしら。あたしは今、急いでるんだっつーの。
どことなく顰めてすら見えるヤムチャの顔をあたしが見返した時、その背後から声がした。
「ちょっとブルマ、何やってんのよ。交代の時間よ」
ヤムチャにではなく、あたしに向かって文句をつける、聞き知った女の声。…ヤバッ!見つかっちゃった。
「早くしてよ。今、誰もいないんだから。客が減るでしょ!」
客なんて来なくていいわよ。あんなの今すぐやめたって、誰も惜しがりゃしないわよ。
心の中でボヤいている間にも、あたしはクラスメートに腕を捕まれていた。あー、もう逃げられない。いえ、見つかった時点でアウトなのよ。だからさっさと外に出たかったのに。さっさと隠れたかったのに。なのに――
「もう!ヤムチャ、あんたのせいよ!責任取ってもらうからね!!」
クラスメートがあたしの腕を引っ張った。あたしは一瞬ヤムチャのタイを、ついでその腕を引っ張った。ヤムチャはそれを振り払わなかった。
でもそれは気休めにすらまったくならず、あたしは絶対に行きたくなかった自分のクラスの方向へと、廊下を走らされた。

どういう状態なのかは、だいたいわかっていた。いつだって同じ。ジュニアスクールでも、ミドルスクールでも、そして今回のハイスクールでも。
窓を覆う暗幕。壁を埋める暗幕。パーティションにも暗幕。薄暗く視界のきかない空間。迷路を模した通路。古典的な効果音。…芸がないんだから。
「1時半までだからね。ちゃんとやってよ!」
お化け屋敷の正面、向かい合うように設置された受付スペースにあたしを放り込んで、クラスメートは去っていった。
「一時半までなんだな?それなら俺も付き合えるから…」
悪びれた風もなく、ヤムチャが言い放った。あたしは即座にそれに答えた。
「当たり前でしょ!これで逃げたら怒るからね!」
午後からは付き合うって言ったくせに。その約束を破った上に、ひとの計画までふいにしてくれちゃって。それでどうして偉そうに『付き合えるから』なのよ。もう!
怒りに身を置きながらも、もう一つの感覚が心の中にあることを、あたしは自覚していた。
…これでも、ずいぶんマシになった方よね。最初の頃は何をするのだって、あたしから言わなきゃしようとしなかったんだから。
シャツの袖をまくって太い腕を覗かせながら、受付デスクの椅子の一つにヤムチャが座り込んだ。あたしの前にはもう一つの椅子。メインの受付席。
あーあ、やっぱりダメか。今からでも逃げられ…ないか。ヤムチャにそんなことできるはずないものね。こいつがもっとサボり慣れていればよかったのにな。
溜息をつきながら、イスに腰を下ろした。デスクの上にはチケット回収ボックス。そして端には、お化け屋敷内部に潜んでいるお化け役への合図のスイッチ。…これ、押さずに済ませたいなあ。
片頬杖をついて、努めて近くを見るようにしていると、自然とそれが目についた。
「あんた、ネクタイ曲がってるわよ」
みっともないわねえ。格好つけてるわりに、どっか抜けてるんだから。
あたしが言うと、ヤムチャはすかさずそれを直しながら、無造作に呟いた。
「ああ…、さっき引っ張られたから」
「何よ、あたしのせいだっていうの!?」
普通言わないでしょ、そういうことは。外見を格好つける前に、その無神経さをどうにかしなさいよ。だいたいヤムチャがあの時ぐずぐずしなければ、あたしはネクタイなんか引っ張らずに済んだのよ。ひとのせいにしないでほしいわね。
「あっ、いや、いやいやいや…」
「あんたが悪いんでしょ!!」
ネクタイを引っ張ったのは、こいつ自身のせい。今ここにあたしがいるのも、こいつのせいよ!
「ああ、うん。うん、そう…」
あたしはヤムチャを言い負かした。でもそれで、気が治まるわけもなかった。
本当なら今頃は、校庭で甘いものでも食べてるはずだったのに。クレープあたりがカップルの気分よね。…そりゃあ、相手はこいつだけど。
思わず溜息をついた時、教室のドアが開いた。廊下からの光と共に、客が2人入ってきた。
来なくていいのに。今はお昼なんだから、大人しくごはんでも食べてなさいよ。しかもカップルか。…嫌味ったらしいわね。
ドアが閉められて再び訪れた薄闇の中で、あたしはチケットを受け取った。手振りでGOサインを出しながらなにげなく顔を上げて、ふいに気づいた。
…この女!
いつもいつもヤムチャのクラブの試合を見に来ていたバカ女!さんざんあたしに嫌味言ってたくせして、ちゃっかり彼氏作ってるんじゃないの!
あたしの視線に、向こうも気づいたようだった。受付デスクを通り過ぎがてら、わざとらしく男の手を握り締めた。何よ、見せつけてるってわけ?
でも残念ね。ヤムチャはたぶん気づいてないわよ。
チケットを回収ボックスに放り込みながら、あたしはこっそり隣の男を窺い見た。ヤムチャはさして2人を――とりわけまったく男の方を――気にした様子もなく、その視線を明後日の方向に向けていた。ほらね、やっぱり気づいてないわ。…情けないわね。
それにしたって腹立つわ。あんなにしつこくヤムチャを追い回していたくせに、一体、その変わり身の早さは何なのよ。それにどうして、公認カップルのあたしたちより先んじてるわけ。後から付き合い始めたくせに。あんたたちバカ女が甘やかすから、ヤムチャはいつまでもこんなんだっていうのにさ。
「子どもっぽいわよね、お化け屋敷なんて。入るカップルの気がしれやしないわ」
2人の姿を視界から追い払いながら、あたしは言った。
「まあな。でも定番なんだろ?」
暖簾に腕押し。まったくのんきにヤムチャは答えた。本当に空気の読めないやつね。こういう時は同意するもんでしょ。
「定番だから何だっていうのよ」
努めて近くを見るようにしながら、押したくもないスイッチを押した。お化け役への、入場者ありの合図。半瞬ほどして、お化け屋敷の中の灯りが次々と消え出した。足元を照らすもの以外に光のないお化け屋敷は、もはや薄闇を越えて暗闇となった。漏れてくる光がなくなって、あたしたちのいる場所も、自然と暗さを増した。
こんな暗いところを歩いて、何が楽しいのかしら。お化け屋敷なんて、まったく無用の長物よね。
お化け屋敷は教室の3/4ほどを占めていた。受付デスクを通り過ぎた窓際の入り口からスタートして、迷路染みた通路を巡り、ドア横の出口でゴール。普通に歩けば所要時間5分強ほどの、くだらない迷路。…そうね、5分くらいなら。それくらいの間なら、無意味さにも堪えられるってもんよ。
しかしながら、10分経っても2人は出てこなかった。さらに5分ほどが経った時、教室のドアが開いた。今度は女の2人連れ。
うっそー。立て続け?あんたらダイエットでもしてるわけ?今はお昼ごはんの時間でしょ!少しはこっちの都合も考えなさいよ!
あたしは再び、押したくもないスイッチを押した。女2人が入り口に消えるとほとんど同時に、出口からあのカップルが顔を覗かせた。
「途中でカラーリップ落としたの。探してきて」
「はぁ!?」
唐突に言われた女の言葉に、あたしは思わず声を上げてしまった。だって、そうでしょ。なんだって、お化け屋敷の中でリップなんか使う必要があるのよ?それもカラー…一体何やってたの、このバカップルは!?ここはハイスクール!しかも教室でしょ!よくも恥ずかしげもなく、そんなこと人に言えるわね!
「最後の四つ辻の行き止まりのところよ。仕事でしょ。見つけてきてよ。あたしもうすぐ当番なんだから、早くして」
知らないわよ、そんなこと!
その言葉は呑み込まざるをえなかった。ああもう、どうしてあたしは当番なの。どうしてこんな女の言うことなんか聞いてやらなきゃいけないの。…それもこれも、元はといえばヤムチャがぐずぐずしてたから…!
「ヤムチャ、あんた探して」
責任を取ってもらう時がきた。そうあたしは判断した。
「俺?」
「客を入れちゃったから、灯りを点けるわけにはいかないのよ」
「…うん?いいけど…」
どことなく腑に落ちない顔をしながらも、ヤムチャはあたしの言葉に従った。さっさと出口からお化け屋敷の中へと入るその足を、あたしは慌てて追いかけた。ふとヤムチャが振り向いて、不思議そうな目をして言った。
「なんだ、ブルマも来るのか?」
「何よ、あたしが行っちゃいけないの!?」
「あ、いや、そうじゃなくて…ブルマは受付にいた方がいいんじゃないのか?」
「あんなやつらと一緒にいるのはごめんよ!」
本当のことを、あたしは言った。理由はもう一つあるけど、それを言うつもりはなかった。
こいつはそんなこと知らなくていいのよ。こいつは黙ってあたしの前を歩いてくれれば、それでいいの。

闇しか見えない通路。2人は並べない狭さ。
出口から最後の四つ辻までは一本道。真っ暗なその道を、あたしはヤムチャの首筋を見ながら歩いた。…どうしてこいつはこんな時に限って、黒いシャツなんか着てるわけ?まるで保護色じゃない。
女の言った場所には何も落ちていなかった。ぐるりと頭上を見回して、ヤムチャが壁の暗幕を弄り始めた。しゃがみこんで何やらごそごそやりながら訊ねてきた。
「この向こうはどうなってるんだ?通路ではないみたいだが」
「さあね。よくわかんない」
あたしはなんにもタッチしてないのよ。製作にも企画にも、出し物を決める話し合いにすらも。…サボってたから。そうしたら、いつの間にか割り当てられてたのよ。お昼時の受付当番をね。こんな理不尽な話ってないわよ。だからサボろうと思ってたのに…
ヤムチャは暗幕の向こうが怪しいと睨んだらしい。腰を落としながら床との隙間に腕を突っ込んで、盛大に探し始めた。それであたしは邪魔にならないよう、一歩を引いた。四つ辻の中央に向かって。それがいけなかった。
足首に生温い何かが触れた。頬を冷たいものが掠った。
「ぎゃっ!」
上げたくもない悲鳴を上げて、さらに悪いことにあたしはほとんど反射的に、目の前に立ち上がったヤムチャの体に抱きついてしまった。
「…おい、ブルマ…」
囁くように呟いたヤムチャの声には、驚きとそれ以外の微粒子が含まれていた。
しまった…
絶対バレたくなかったのに。ああ神様、今こそこいつが、持ち前の鈍さを発揮してくれますように!
あたしの願いは叶えられた。間違えた解釈で。ヤムチャは心配しているというよりはむしろ感心したような声音で、無造作に言い放った。
「おまえ、ひょっとして怖いのか?」
「うるさいわね!」
耳元に降ってきたその声に、あたしは怒鳴りつけた。普通言わないでしょ、そういうことは!彼氏なら、黙ってフォローしたりするもんでしょ。百歩譲って言うにしたって、言い方ってものがあるわよ。本当に無神経なんだから!
「うーん…」
さっぱり重みの感じられない声で、ヤムチャが唸った。その胸の中で顔を上げられないままに、あたしはそれを聞いた。
「なあ、お化け屋敷の何がそんなに怖いんだ?」
「このバカ!」
なんだって、今そんなことを訊くのよ!無神経にもほどがあるわよ!だいたい、怖いものに理由があるわけないでしょ。怖いから怖いのよ。このすっとこどっこい!
怒りに心を奪われながらも、あたしはヤムチャの背中に回した手を緩めることができなかった。心とは裏腹に、体が固まってしまっていた。…だから、お化け屋敷は嫌いなのよ!!
羞恥ともどかしさ。その2つを振り払えないあたしに、ヤムチャがさらに追い討ちをかけた。
「あのさ、そろそろ離れてくれないと出られないんだけど」
「うるさいわね!あたしだってそうしたいわよ!」
嫌味なほど平静なその声。淡々としたその口調…
ああもう、一体どこまで無神経なのよ、こいつは!どうしてそういう、ひとに恥をかかせるような言い方をするわけ!?ここは優しく宥めるところでしょ!…あたしだって、離れられるものならとっくにそうしてるわよ。それができないから、しょうがなくくっついてるんじゃないの!!
いつか行った遊園地でのことを、あたしは思い出した。こいつ、あの時はあんなに気が利いたくせに。今日はさっぱりなんだから。やっぱり全然マシになんかなってないわ。
意識が現実から逸れかけて、あたしは少しだけ冷静になった。いつまでもこうしてるわけにはいかない。もしここに誰か来たら…遊園地とは違って、ここはハイスクールなんだから。あっ、そういえばさっき客を入れたんだっけ。それにバカップルもそこにいる…
あたしは意を決した。ヤムチャの背中、シャツを掴んだ両手を緩めかけた。薄く目を開けて体を離そうとした時、それが触れた。
これまでまったく気を利かせなかったヤムチャの両手が。あたしのお尻に…
「きゃあぁぁあ!!」
瞬時に体を離した。目の前の男が驚いたような目であたしを見た。…それはあたしのすることよ!
「あんた、何触ってんのよ!!」
「いや、少し体を持ち上げようと…」
淡々とヤムチャは答えた。…下手くそな言い訳!
「信じらんない!!」
ここはハイスクール!しかも教室でしょ!百歩譲って触るとしたって、普通は髪とか肩とかでしょ!!いくらなんでも飛ばし過ぎよ!
息を整えてヤムチャを睨みつけた。ふと近くから囁き声が聞こえて、あたしは現実を思い出した。
「さっさと出るわよ。ほら早く!」
その手にリップがあるのを認めて、あたしはヤムチャの体を出口の方へと押し返した。
こんなところを見られたら、またあることないこと言われるに決まってるんだから。その気になるにしても、場所を考えなさいよね!
そうだとしても、お尻はダメだけど。…もう、エッチなんだから…


「あー、お腹空いた」
一時間の受付を終えて、ようやくクラスの外へ出た。途端に口をついた言葉がこれだった。
だって、もう1時半だっていうのに、まだお昼ごはん食べてないし。客は結構やってくるし。ヤムチャはあんなことするし…
最も、今ではあたしは、ヤムチャの下手くそな言い訳を信じかけていた。やらしいことしようとしたわりには平然とし過ぎだもん、こいつ。いつもはもっとおどおどするくせに。
そうよね。ヤムチャがそんな色気のあること考えるわけないわよね。もしやっぱりそうだったとしたら、むしろ褒めてやりたいくらいだわよ。それでもお尻はダメだけど。
「何か甘いもの食べたいわね。とりあえず外行くわよ」
カップルっぽさがどうとかなんて、もう思ってやしないけど。それでも今は甘いものが食べたい。…疲れたわ。疲れた時には甘いものよ。
エントランスへ向かうべく階段を降りかけると、ヤムチャは足を止めて、一時間前に駆けてきた道に目を向けた。
「俺、クラスに顔出さないと…」
「えぇー!?」
あたしは容赦なく批難の声を上げた。午後からは付き合うって言ってたのに。あたしのサボりは邪魔したくせに。なのに自分は女に愛想振りまきにいくわけ?…いい根性してるじゃない。
「たぶんほんのちょっとだけだから。終わり次第すぐ行くから。それまでどこかでメシでも…」
「あんた、あたしに一人でごはん食べろっていうの!?」
いつも一緒に食べてるのに、今日だけ一人で食べろって!?こいつ、いつになったら理解するのかしら。そんなことしたら、ケンカしてるって思われるに決まってるでしょ!!よりにもよって学祭の日に、どうしてあたしがそんな視線に堪えなきゃいけないのよ。寛大ぶって約束破ろうとしてんじゃないわよね。あたしのお尻触ったくせに。触り逃げなんて許さないわよ!
話を続ける間にも、ヤムチャの足は自分のクラスへと向かっていた。もう、どうしてこいつは他人にばかり律儀なのかしら。絶対、間違ってるわ!
しかたなくあたしはヤムチャの隣を歩いた。…しょうがないから付き合ってやるわ。ついでに何か奢らせよっと。ただで触り逃げなんてさせないわよ…そして、何気なくヤムチャの服装を検めて、ふと気づいた。
「あんた、背中からシャツが出てるわよ」
みっともないわね。ジャケット背中にかけてる場合じゃないわよ。
あたしが言うと、ヤムチャはすかさずそれを直しながら、無造作に呟いた。
「ああ…、さっき引っ張られたから」
「何よ、あたしのせいだっていうの!?」
普通言わないでしょ、そういうことは!!どういう神経してるのよ!…そりゃあ、否定はできないけど。でも――
「しょうがないでしょ!だって、あれは…あれは…」
「ああ、うん。うん、わかったから」
ヤムチャはあっさり引き下がった。わざとらしい宥め口調で。
「もうわかったから。…あー、そうだ、ストロベリーマキアート奢るから。それ飲みながら待っててくれ」
なーーーにそれ!
ついでのように付け足されたヤムチャの宥め言葉に、あたしはすっかり頭にきた。『もう』って何よ。奢るのなんて当たり前でしょ!なのにどうして、そんな上から口調で言われなくちゃならないのよ!
「あんた、あんまり調子に乗らないでよね!」
あたしはお化けが怖いんであって、ヤムチャが怖いわけじゃないんだから。確かに抱きついたけど、あんなの誰だってよかったんだから。いい気にならないでほしいわね!
あたしが怒鳴ると、ヤムチャは黙った。首を竦めて、そのまま先へ歩き続けた。あー、ムカつく。本当にムカつくわ!

黒いシャツに白のネクタイ。白のベストに白いスーツ。どこから見ても立派なギャングスーツ…
まったく、こんなウェイターがどこの世界にいるっていうのよ。格好よければいいってものじゃないでしょ!
「じゃあ、ストロベリーマキアートな。あ、イチゴケーキあるけど食べるか?」
「当然でしょ!」
ついでのように付け足されたヤムチャの言葉に、新たな怒りを感じながらあたしは答えた。そういうのはね、黙って持ってきなさい。あたしがイチゴを好きってことくらい、知ってるでしょ!本当に気が利かないんだから。
あたしのオーダーを取るとすぐに、ヤムチャは奥へと消えていった。他に何を言うでもなく。あー、仕事熱心ですこと。この朴念仁!
カフェには女たちがひしめきあっていた。男子生徒もいるにはいるけど、カップルだけは絶対にいない。異常な客層だわ。…気づかない方がどうかしてるわよ。
サロンエプロンをつけたウェイトレス。それと数人のギャングスーツウェイター(わりと厳選されてるわね)。無駄のありすぎる動線で立ち働くそれらの人の間から、時折白々しい視線が寄せられてくることに、あたしは気づいていた。
公認カップルの弊害よ。嫉妬。妬み。でも、羨望の眼差しはない。まったくムカつくったら。あからさまに指を差しているやつもいるし。
残念ね、ケンカしてなくって。残念ね、あんたたちの彼氏じゃなくって。これから一緒に回るわよ。クレープだって食べてやる。うんと見せびらかしてやるわ。
心の中で毒づきながら、一通り視線を睨み返した。一仕事終えた目をテーブルに落として、あたしはこっそり溜息をついた。
あー、虚しい。
あんな無神経な男の一体どこが自慢なんだか。気は利かないし、約束は破るし、そのくせ格好だけはつけててさ。おまけに、彼女を彼女とも思わない、鈍感な男よ。
よくもまあ、そんな男とあたしは付き合えるもんだわよ。本当、貴重な存在よね。あいつはもっと、あたしを大事にすべきよ。こんなにかわいくて健気な女、他にいないのに。
ややもして、トレイ片手にヤムチャがやってきた。あたしは再び周囲の視線を浴びながら、テーブルに置かれたストロベリーマキアートに口をつけた。
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