鳴竜の男
なんとなく、ケンカしたの。成り行きで、なんとなく。
そんなに気に障るようなことを言われたわけじゃなかった。だけどその時はあたし、ちょっとイライラしちゃってて。…種を明かせば、あの日だったから。気がついたら、怒鳴りつけてたの。そしてそのままC.Cに帰ってきちゃった。
もちろん、ヤムチャは一緒に来なかった。それはケンカする前からわかってた。まだもう少し外で修行を続けるって言ってたから。帰ってきたって、あたしがあの日なんだから、どうせできないし。
それから4日ほどを、あたしはイライラして過ごした。そして一週間も経った頃には、すっかり気持ちが変わっていた。
なんだか、よくわかんない気持ちに。どうしてあんなこと言うのあいつは、って怒るわけではやっぱりないし。なんで謝りに来ないの、と思ったりも当然しない。だからといって、自己嫌悪に陥るってこともない。
ただなんとなく物足りない、みたいな。それでさらに一週間も経った頃、なんとなく行ってみたの。ケンカする前に約束していた次のデートの待ち合わせ場所へ。
そしたら、ほんのちょっぴり、本当に少しだけあたしより遅れて、ヤムチャがやってきた。

あたしたちが一番最初にしたことは、視線を合わせることだった。ケンカした後に会う時たいていいつもそうであるように、どことなく気まずい視線を。そして次に、ヤムチャが口を開いた。
「…ああ、ブルマ、この前は…」
いま一つ危機感の感じられない表情で、でも態度だけは項垂れて。だからあたしは、それを最後まで聞かずに言ってやった。
「遅いわよ」
あたし、ヤムチャのこういうところが嫌。
こういう、よくわかんないけどとりあえず謝っとけ、みたいなの。よくわかってないのなんて、顔を見れば丸わかりよ。言い包めやすくていい、そう思うことも確かにあるけど。でも今は、絶対的に嫌だわ。
だって、この前のことに関しては、怒ったあたしにだってわけがわかってないんだから。今さら蒸し返されたって困るわよ。
「え…ああ、うん。ごめん…」
そう言ったきり、ヤムチャは何も言わなくなった。どことなく放心したように、あたしの目の前に突っ立っていた。『そんなことないだろ』、そう言わなかっただけでも上出来だわ。あたしはそう考えて、さっさとヤムチャの腕を取った。
「さ、行くわよ」
「行くってどこへ?」
「決まってるでしょ、今日は――」
ことさらにいつもの態度を決め込んだあたしの足と口は、次の瞬間止まった。
「予定、まだ立ててなかっただろ」
…そうだった。
その話をしてる途中で、席を立っちゃったんだった。だって、ヤムチャがあまりにもノリ悪いから。『会ったばかりなのにもう次のデートの話か』、なんてこと言うから…
だけど、早いとこ決めちゃいたかったんだもの。そうすれば、その後何も考えずに遊びまくれるし。それに、次の時にはうちに帰って来るつもりだって言うから。っていうか、今日がその次の時なんだけど。
「んー…」
あたしはすっかり考え込んだ。あの時のことではなく、今のことを。何をするかなんて、全然考えてなかった。そんなこと考えるような気分じゃなかったわ。だいたい、来たのだってなんとなくなんだもの。
あたしが足を向ける方向すら決められずにいると、ヤムチャがおもむろに口を開いた。
「じゃ、俺ちょっと自分の買い物してもいいか?」
「買い物?」
あたしは完全に意表を突かれた。珍しいこともあるものね。ヤムチャが自分から何かしようと言い出すなんて。しかもそれがショッピングだなんて。
「この前別れてすぐ、持ってった家のカプセル湖に落としちまって。そこに服もかなりの量入れてたもんだからさ」
「ドジねー。でも、じゃあ、どうやって寝泊まりしてたの?」
「それはその辺の木の上とか洞窟とかで…」
「2週間も!?不潔ーーー!」
「あのな…」
もうあたしには、ことさらいつもの態度を取る必要はなかった。
今の話で決まったわ。今日のデートの目的が。今日はヤムチャを真っ当な人間に戻す日よ。よく見たら、髪も結構乱れてるし。服は新調したみたいね。悪くはないけど、やっぱりデザートカラーに走ってるわ。着たきり雀で帰ってきてた昔よりはだいぶんマシだけど、まだまだ甘いんだから。
「お風呂は?ちゃんと入ってたんでしょうね?」
「さっき入った」
「さっき!?じゃあ、その前は?」
「それは湖とか滝とかで適当に…」
「ぎゃーー!不潔ーーー!!」
自分でも偉いと思うことに、あたしはその不潔な男の腕を引っ張って、いつもの道を歩いた。
ショッピングエリアへと続く道を。一通り買い揃えたら、ヘアサロン。それから、うちに帰ってお風呂。
もう、選択の余地がないわね、これは。


最後にキスを一つしてから、ゆっくりとヤムチャが傍を離れた。それであたしは、ようやく考える時間を取り戻した。それまでヤムチャが横になっていた場所にうつ伏せに転がってから、やっぱりうつ伏せになった隣の男を見た。
ちょっと短くし過ぎたかしら。ヤムチャって、結構童顔だからなあ。うっかり切り過ぎると、思いっきり若返っちゃうのよね。だいたい、こんな大きな傷が顔にあるのにちっとも強面に見えないって、どういうことよ。
改めて持ったヤムチャの髪への感想を、あたしは口にはしなかった。そんなこと言うわけないわ。ヘアサロンに連れてくまでにだって、さんざん揉めたんだから。それにまあ、これはこれでかわいいし。
「ねえ、明日…って、もう今日ね。うちで会社のパーティやるから、あんたも出てね」
ごくごく現実的な話をあたしが切り出すと、ヤムチャは疲れた素振りも興味の色も見せずに、片頬杖をつき始めた。
「パーティ?珍しいな。ここでやるのか?」
「うん。パーティホールでね。創業記念と新技術の発表を兼ねて。あたしは別に何もすることないけど、家族として出なきゃいけないから」
「俺はなんで?」
「あんたはあたしのエスコート役」
時々行かされるよそでのパーティなら、そんなもの必要ないけど。自分とこのパーティとなれば、また別よ。ここはきっちり格好つけなきゃね。
「何時からだ?」
「お茶の後から3時間」
「了解」
空いている方の手を軽く掲げて、ヤムチャは会話終了の合図をした。やっぱり、たいして興味ないわね。まあ、ごねなかっただけでも上出来かな。
それが、あたしが現実について考えた、最後のことだった。次の瞬間、あたしは現実どころか、他の何についても考えなくなっていた。ヤムチャがまたあたしにキスをしてきたからだ。今度はあたしの上に乗りながら。
やっぱりね。きっとそうくるんじゃないかと思った。最後の質問に答えたその時に。昼間はゆっくりしててもいい。間接的にそう教えたその時に。
ほんっと、こいつってわかりやすいわね。考えてることと考えてないことが、丸わかり。
長く深い夜のキスをされながら、あたしは深くベッドに沈み込んだ。何も言わずにあたしの心を解く唇。当然のようにあたしの肌に触れる指。…ヤムチャってば、わかってるのかしら。
あたしがいつもいつも待ってるんだってこと。いつだって待たされてるんだってこと。そうしたくてしてるわけじゃないってこと。勝手に出てって、勝手に帰ってきて。自分のしたい時にしたいことして。本当に、勝手なんだから。
きっと、わかってないわよね。…だからきっと、あの時あんな風に怒鳴っちゃったんだってこと…
あたしだって、わかってなかった。たった今、わかったの。肌で感じられたからわかったの。遅いわよね。自分でも呆れちゃうわ。だってもう、思い始めちゃってるもん。
今は、それでもいいかな。…って。




…また、おいてかれちゃった。
翌朝あたしが目を覚ました時、隣にヤムチャの姿はなかった。
冷たいシーツに、整えられた枕元。ご丁寧にベッドの下に纏められたあたしの服。
もう、ずるいんだから。いっつもすることだけして、いなくなっちゃうんだから。いなくなるならなるで声くらいかけろって言ってんのに。だいたい、今ここに誰か来たらどうするのよ。あたしがヤムチャの部屋で寝てることを、一体どう説明するのよ。まあそれは、二人でいても同じことだけど。
カーテンを開けると、外はすっかり明るくなっていた。雲一つない青い空。…あー、気分爽快。お肌の調子もバッチリ。ひさしぶりだったからかしら。なんかすっごく燃えてたわね、昨夜。
結局のところあたしはなかなか気分よく、ヤムチャの部屋を後にした。モーニングキスしろ、なんて今さら噛みついたってしかたがないし。ぶっちゃけた話、無理矢理起こされてキスするよりは、寝てる方が気持ちいいわよね。しっかし、ヤムチャってばタフね。一体何時に起きたのかしら。
飛び飛びの思考をだらだらと続けながら、シャワーを浴びて身支度を済ませた。自分の部屋を出る頃には、お昼近くになっていた。絶対にかけられるであろう言葉への返事を用意して、テラスへと足を向けた。

「おっせーなあ、おまえ。こんな時間まで寝てたのかよ」
あたしがテラスに顔を出すと、思った通り一人退屈そうにテラスに陣取っていたウーロンが、やっぱり思っていた通りの台詞を口にした。その白々しい視線を撥ね返してから、あたしは嘘とも本当ともつかない返事を返した。
「もっと早くに起きてたわよ。ちょっと部屋で片づけものしてたの」
「おまえの部屋、きったねえからなあ」
「放っといてよ」
だいたい、こう言っておけば流せるのよ。自分でも少し情けないと思うけど。このことに気づくまでに、結構時間かかっちゃったけどね。いつもはあんまり使わない。ヤムチャが帰ってきた翌日によく使う手よ。ウーロンはまだ気づいてないみたい。目ざといところがあるわりには、案外単純よね、こいつ。
「ふあーあぁぁ…」
欠伸と伸びを同時にしてから視線を遠くに飛ばすと、ポーチの前でトレーニングをしているヤムチャの姿が見えた。その傍には、従順なその僕。あんな夜を過ごした後で、おまけに今日はパーティがあるっていうのに、いつもと全然変わんないんでやんの。緊張感ないんだから。
ま、あたしだって別に心構えなんかしてないけど。派手なお茶会だとでも思っておけばいいのよ。代理じゃなく娘役って気楽でいいわね。っていうか、これが本来の形なんだけどね。
そうあたしは思っていた。数分後、母さんがテラスにやってくるまでは。
「ね〜え、ブルマさ〜ん」
まずそう呼びかけられた時点で、すでにあたしは気構えていた。母さんがあたしを『さん』づけで呼ぶ時って、必ず何かあるんだから。
「ママ、お願いがあるんだけど〜。これ、ママの代わりに覚えてくれないかしら〜」
予想通りの台詞と共に母さんがあたしに差し出したのは、たいして厚みのない書類の束だった。一枚目には『C.C創業記念パーティメイン招待客リスト』の文字。当然あたしは、それを断った。
「何言ってんの。ホステス役は母さんでしょ」
「だってママ、こういう方たちのお顔覚えるの、苦手なんだもの。お話することもあまりないし。それより秘書の方たちにお酒をふるまってる方がいいわ〜」
「母さん、秘書は会場には入れないのよ」
「わかってるわよ〜。だから控えのお部屋にお酒を差し入れするのよ〜」
ダメだわ、こりゃ。
ゲストの相手をするどころか、秘書控え室に篭るのがオチだわ。『秘書に若い男は連れてこないように』。そう指示するように、父さんに頼んでおけばよかった。…またあたしが面倒みるのか。面倒くさいわねえ…
「最初の30分くらいはいなきゃダメよ」
本当はそれでもダメなんだけど。出来の悪い親を持つと、子どもは苦労するわ。
あたしがリストを受け取ると、母さんはさっさとうちの中へ戻って行った。いそいそと昼食の支度を始める姿を窓越しに見ながら、あたしはリストを捲り、そして閉じた。するとウーロンが、呆れたようにあたしを見た。
「おまえ、ほんっと適当だな。そんなチラ見で大丈夫なのかよ」
「だいたい知ってる顔だもの。きっとあんたたちだって知ってるわよ」
この頃にはプーアルもテラスにやってきていて、母さんの手伝いをしていた。さりげなく興味を覗かせる無垢な顔と、あたしに文句をつけたかわいくない顔を前に、あたしは再びリストを捲った。
「まず、主賓ね。これは独身の女社長だから、たぶん連れはなし。C.Kファクトリーのママレー氏」
「あー、あの厚化粧のおばさん…」
「時々TVに出てますね」
「それから、うちと昔から提携してるCP&RTのメイプル夫妻」
「あのド派手な夫婦か」
「有名な方ばかりなんですね」
「うちと格が同じ会社しか呼ばないんだから、自然とそうなるわよ。それとマスコミ関係ね」
ここであたしはリストを閉じた。今度はウーロンは文句を言わなかった。その代り、思いっきり目を白けさせて、ぼそりと呟いた。
「こりゃ期待できねえな…」
「何がよ?」
「べっつに〜。こっちの話だよ」
あっそ。
何やら気になる態度を取り続けるウーロンを、あたしは無視した。気にはなるけど、だいたいわかるわ。どうせ若い女が来ることでも期待してたんでしょうよ。そんなのいないって言ってんのに。出たってたいしていいことないって、わざわざ教えてあげたのに。無理して止めさせるほどでもないから、ホスト側に加えてあげたけど。
羨ましいわ、一般人の感覚って。あたしなんか、なーんの期待も持てないわよ。そうね。強いてあげれば、ヤムチャの正装くらいかしらね。言わばそれが、唯一の不確定要素よ。だけど、例えいい感じに出来たとしても、正装で外に連れてくわけにはいかないし。そういう店、予約してないし。
本当に、ささやか過ぎる楽しみだわね。


クリームイエローのタキシードに、甘い色合いのイエローのアスコットタイ。襟に金と銀のアンティーク風ブローチ。
「うん、母さんにしてはなかなか品のいいもの選んだじゃない」
唯一の不確定要素は、あたしの期待を裏切らなかった。黒い髪と焼けた肌を引き立てる、爽やかで大人びた雰囲気の三つ揃い。タッパがあるから、淡い色でもとってもスマート。髪型にも合ってるし。ヤムチャのことだからそれなりに出来上がるだろうとは思ってたけど、想像以上よ。はっきり言って、文句のつけようがないわ。…本人に関しては。
「…あんたたちとお揃いじゃなければ、もっといいんだけどね〜…」
とりあえずの満足感を得たあたしの目は、自ずとそちらへ向けられた。文句のつけようがない本人の傍で、いつにも増してその存在感を発揮する、2人の邪魔者。襟のブローチ以外は、まったく同じ格好をしたおまけの参加者。あたしがことさらに言ってやると、地に足をつけた方が図々しく口を開いた。
「なんだよ、文句あんのかよ」
「あんまり露骨につるむんじゃないわよ。恥ずかしいから」
せっかく格好いいのに。3人並ぶと、まるで学芸会だわよ。母さん一人に任せないで、あたしも選ぶの付き合えばよかったかしら。でも、そんな気分じゃなかったのよね。
過去の自分をちょっぴり後悔していると、父さんがやってきた。初めて聞くその台詞は、でもあたしの心を全然浮き立たせなかった。
「ブルマ、そろそろ出迎えのスタンバイしてもらっていいかね?10分前だから」
「あっ、はーい。あんたたちは適当にくつろいでていいわよ。ある程度出迎えが終わったら、あたしも行くから」
パーティでのホストとホステスの役割。ゲストのお出迎え。そりゃあたしはホストの娘なんだから、そこに加わったって全然不自然じゃないわよ。だけど、うちの場合はねえ…
会場の隅に設けられたソファへと腰を下ろすエスコート役の姿を遠目に見ながら、あたしは念を押しておいた。
「いい?あたしと父さんが相手の名前を出すまでは、母さんは絶対に喋らないでよ。名前や社名を間違えるっていうのは、すっごく失礼なことなんだからね」
本当はホステスが喋らないっていうこと自体が、ダメダメなんだけど。まったく、出来の悪い親を持つと、子どもは苦労するわ。


主賓を何組か迎えた頃には、どうやら母さんはカンニングの要領を掴んだようだった。というより、名前を出さずに会話するコツを覚えたみたい。根は社交的な人だから。それであたしは出迎えの役から解放されたわけだけど、だからといってすっかり気楽になったというわけではなかった。
ヤムチャたちと合流して、あたしがまずしたこと。それは優雅なレディとしてエスコートされることではなく、おまけの人間を小突くことだった。
「うひっ。いひひひ。ぐひひひひ…」
「ウーロン、下品な声出してんじゃないわよ」
「なんだよ、話と違うじゃねえかよ。バニーのおねえちゃんがいっぱいいるなんて、おまえ一言も言わなかったじゃねえか」
たいして不服そうな顔もせず、というかはっきり言ってにやけ顔で、ウーロンはあたしの拳を受けていた。それであたしはこの時になって初めて、自分の親が開催したパーティの実情を知ることとなった。――トレイの上のカクテルグラスをゲストに手渡すたび、揺れる胸の谷間。談笑し始めたゲストの後ろから覗く、丸いしっぽのついたハイレグのお尻。否が応でも目に入る、人頭の上に飛び出る長い黒耳に黄色いリボン――
「…父さんの仕業ね。普通はボーイなのよ……ちょっとヤムチャ、何見てんのよ?」
「え!いや、俺は何も…」
「エスコート役はよそ見しない!」
まったく、やらしいんだから。そんなこととっくに知ってたけどさ。
「ウーロンも!いつまでもそんなにやけた顔してんじゃないわよ。あんたはホスト側の人間なんだからね、あんまり恥掻かせないでよ」
「ちぇっ、うるせえなあ。…おまえ、こんなとこにいていいのかよ。お嬢様ってのは後から出てくるもんなんじゃねえのか。派手な音楽と一緒に階段の上とかからよ」
「一体いつの時代のパーティよ、それは!」
へったくそな厄介払いのしかた!っていうか、どうしてあたしが厄介者扱いされなきゃならないのよ。あたしはホストの娘なんだっつーの。
あたしがまたウーロンを小突いた時、ヤムチャが横から口を挟んだ。
「なあ、でもさ。やっぱり話と違うよな。若い男はいないって、おまえ前に言ってなかったか?」
それであたしは再び、自分の親が開催しているパーティの実情を知ることとなった。いつものように会場内を隅から隅まで見渡す必要はなかった。あたしも出迎えたゲストと出迎えていないゲストに混じって、ところどころに見え隠れする、オヤジには絶対に着ることのできないタキシードの色。薄いとはどうしたって言い切れない髪の量――
「いつもはいないのよ。変ね。それに見たことない顔ばっかりだわ。どういうことかしら」
「うふふふふ〜。ママが呼んだのよ〜」
「わっ、母さん!びっくりした!」
突然横から母さんが出てきた。出迎えはどうしたのよ。ちらと思ったそのことを、あたしは口にはしなかった。すぐにそんな場合じゃなくなったからだ。
「若い方がいないとつまらないでしょ。秘書の方たちはこちらには来られないし。ブルマちゃんもお年頃だって言ったら、みなさん喜んで出席してくださったわ〜」
「娘をダシにしないでちょうだい!!」
「やっぱり若い方はいいわね〜。お話も楽しくって〜」
あたしの言葉はまったく聞かずに、母さんはゲストの波の中へと消えて行った。パーティ会場の中央で、小まめにゲストに飲み物を勧めているホスト役と、にこやかにゲストに話しかけるホステス役。…結果的にはよかったのかしら。などと思えるはずは、あたしにはなかった。
当然といえば当然の成り行きで、あたしに声がかけられたからだ。
「ブルマさん。ブルマさーん」
よりによって母さんから。例によって『さん』づけで。
「こちらの方がブルマさんも一緒にお話しましょうって」
面倒くさ〜〜〜。
これじゃ断れないじゃない。ある程度ゲストと会話することも、ホストの娘の役目。そう思いたいところだけどさ。…断り前提の誘いなんて。楽しむことすら許されない会話なんて。そんなの、面倒くさい以外の何物でもないわよ。どうして、自分とこのパーティだけこうなのよ。これがよそのパーティだったらよかったのに…
「は〜ぁ…」
4人の二世と1人の三世を振り切って壁際へ逃げると、黙ってそこに立っていたエスコート役が、これ見よがしにカクテルを差し出した。パーティが始まって早一時間。あたしはようやく一杯目のカクテルにありついた。
「あんまり楽しくなさそうだな」
「すっごく疲れるわ」
「はは」
笑い事じゃないっつーの。
あんたがいなければ、あたしは楽しめるの!っていうか、どうしてあんた楽しそうなわけ?目の前で彼女が声かけられてて平気なの?いえ、そんなことよりも。…自分が目の敵にされてること、わからないの?
そりゃ、そうさせてるのはあたしだけど。あたしがヤムチャのところにいるから、そうなっちゃうんだけど。だけどはっきり言って、他に居場所ないし。…でも、そんなあたしよりもヤムチャの方が、絶対に居心地悪いはずなのに。好意だけじゃなく敵意にも気づかないわけ?よくそんなんで武道家やってられるわね。
「ブ・ル・マさーん」
やがてまた、母さんの声が聞こえてきた。…あー、はいはい。あたしはもうほとんど惰性で、声のした方向へと足を向けた。
にこやかにゲストをもてなす、ホストとホステスとその娘。確かに図としては間違ってないんだけどさ。
その裏にあるものが、決定的に間違ってるわよ。ったくもう。


さらに2人の二世。そして1人の三世。それらを何とかにこやかに撃退した頃には、あたしの心はすっかりやさぐれてしまっていた。
…本当にこれが『大企業C.C』の『業務を兼ねたパーティ』なわけ?
なんだって、三世まで来てるのよ。何考えてるのか見え見えじゃない。そりゃ、元はと言えばそういうことを仄めかした母さんが悪いんだけどさ。オヤジ連中はこぞって鼻の下伸ばしてるし。それだって、バニーガールなんかにお酒配らせてる父さんが悪いんだけどさ。そういえば、マスコミが来てるのよね。そういうところカットして報道してくれるかしら。無理よね、きっと。ああ、もうあたし明日から表を歩けない。っていうか今、穴があったら入りたい。
穴がないならせめて人陰に隠れよう。そう思ってあたしはまた壁際へと寄ったのだけど、それすらもできないということがわかっただけだった。
「もう、ヤムチャったらどこ行ったのよ〜」
隅から隅まで会場を眺め回してみたけれど、エスコート役の姿はどこにも見当たらなかった。喜々として金髪のバニーガールを追いかけているブタを一匹と、眉を下げてそのブタを追いかけているネコを一匹、遠くに見つけただけだった。…プーアルってば偉いわね。ヤムチャだけじゃなく、ウーロンのお目付け役までしてるなんて。それにしても、ヤムチャは一体何をしてんのよ。女の尻を追いかけているわけじゃなさそうだけど。ほんっと、勝手なんだから。トイレじゃなかったら許さないわよ。
そう思いながら、会場隅に設けられたレストスペースへと足を向けた。人陰が無理なら、物陰に隠れるわ。そしてものすごく嬉しいことに、コの字型に置かれたそのソファには、誰も座っていなかった。まだ宴もたけなわだから。そうじゃなくても、今日は誰も来ないかもね。このパーティには華があり過ぎるもの。男ってほんっと、やらしいんだから。
は〜ぁ。
溜息をつきながらソファに座り込んだ。さらに深く沈み込もうとした時、ふいに横から声が聞こえた。
「はじめまして、お嬢様」
あたしはすぐさま姿勢を正した。…目敏いやつね。そう心の中で呟きながら。
「本日はお招きありがとうございます。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。初めてお目にかかります、テルライズカンパニーのフラウドと申します」
固有名詞が違うだけで、あとはもう何度も聞いた台詞。言うまでもなく、20代か30代。顔はわりといい方だけど、もうそんなこと関係ないわ。
「こんばんは、はじめまして」
そろそろ『こんにちは』から『こんばんは』に切り替える時間よね。それだけが、あたしの考えたことだった。
「…ええと、父さんと母さんはどこに…」
「博士と夫人はどうやら休憩しておられるようです。それで不躾かとは思いましたが、お嬢様に直接お声をかけさせていただきました」
うわー、面倒くさ〜〜〜。
納得と不納得が、同時にあたしの心に広がった。父さんはきっと新技術発表の準備よ。母さんは……あの人、本当に行ったのね。秘書控え室にお酒差し入れしに。そりゃ初めっから期待なんかしてなかったけどさ。…もう勘弁してほしいわ。
「本来ならば妻も同席させるべきなのですが、あいにく体調を崩しておりまして。ご無礼をお許しください」
あ、妻持ちか。
この瞬間、あたしの心に光明が差し込んだ。いいわね、それ。
赤みを帯びた銀髪…いえ、薄い赤毛か。中肉中背の、どちらかというとおとなしそうないでたち。あんまりタイプじゃないけど、世の中的にはどうにかその範疇に入るレベル。妻持ちの若いいい男。今のあたしにとっては、最高の話相手よ。
「それは残念ね。どうぞお大事になさってね。ところで、場所を変えません?そうね、ギャラリーのバルコニーはどうかしら」
すでにあたしは決めていた。この不毛なパーティで、せめて楽しみの一つも作ることに。見たところ、結構賢そうな顔立ちだし。ひょっとすると今日初めて、実のある会話ができるかもしれないわ。会社の名前は知らないけど、玉の輿狙いじゃなくうちのパーティに参加してるってことは、それなりに有望な会社のはずよ。ホストの娘としての役割も果たせるし、一石二鳥よ。ヤムチャなんかどうでもいい…とまでは言わないけど、どうせバレないわよ。そんなに長話するつもりないし。
「光栄です。喜んでお相手させていただきます」
そう言うとフラウド氏とやらは、実にさりげなくあたしの手を取った。そしてあたしがソファから立つとすぐに手を離して、実にさりげなく、傍を通ったバニーガールからカクテルを2つ受け取った。
いいわいいわ〜。いえ、ものすごく普通の態度なんだけど、今ここでは聖人に見えるわ。これなら妻持ちじゃなくっても、全然OKよ。
「もとは祖父が銃火器でひと山当てたのが、始まりなんですよ。でも、もう時代が違いますからね。今は社会に貢献することが企業に求められている時代ですから。私は科学の分野でそれをしたいと思っているんです」
「賢明な判断ね。あたしもまったく同感だわ」
「C.Cの技術力と開発力、そして何より革新性には脱帽します。僭越ながら、ぜひ取り入れさせていただきたいものです」
「そう、科学と発明には革新性が絶対に必要よ。それとインスピレーションね。それが引いては技術を先へ進めるんだから」
堅苦しい話題の端々に、あたしと共通する分野の話。柔らかな物腰に、さりげない笑顔。これよ。これこそが本来のパーティの姿なのよ!あー、どうして父さん引っ込んじゃったのかしら。こういう人とこそ、あの人は話をするべきなのに。
いつまで経っても始まらない、色気話。それにあたしはこの時初めて感動を覚えて、思いのほか長話してしまった。空の端の雲に隠れていく夕陽を見た時に、それに気づいた。さすがにそろそろヤムチャも戻ってきてるわよね。さらにそのことにも気がついたので、後ろ髪を引かれる思いで、〆の言葉を口にした。
「あたし、そろそろ中に戻らなくっちゃ。お話できてとても楽しかったわ。後で父と母にもぜひ顔を見せてね」
「こちらこそ、ご丁寧なお相手ありがとうございました。では…」
フラウド氏はとても丁重に、あたしの言葉を受け入れた。でも、あたしはすぐにはその場を去らなかった。最後の一言と共に、フラウド氏があたしの手を取ったから。そして実にさりげなく、その行為をやってのけたからだ。
まったく何を思う間もなかった。気づけばフラウド氏が、ものすごく自然に片膝をついて屈み込んで、取ったあたしの手の甲にその唇を当てていた。…これまで想像の中のパーティにしか存在しなかった、紳士的なこの仕種。
惜しい。すっごく惜しい…!
この人とは一番最後に会話すればよかった。そうしたら、きっととてもいい気分でパーティを終えられたに違いないのに。どうして神様は、こうも中途半端に気が利くのかしら。あー、この後他の人と話したくな〜い。……ヤムチャ、戻ってきてるといいなあ。もう絶対、背中に隠れさせてもらおうっと。 あいつがタッパあるやつでよかった。
おそらくは唯一の、ヤムチャにできてフラウド氏にできないこと。それにあたしが期待を寄せた、次の瞬間だった。
一瞬にして、すべてが変わった。空の端の雲に消えゆく夕陽が、暗雲から覗く陽に。たいして広くもない大理石のバルコニーが、どこまでも続く空に。スマートに引っ込められた手が、強引に抱える手に。当然、あたしのフラウド氏に対する評価も変わった。
何、この人?
そう、周りが変わったわけじゃない。あたしが仰向けに担がれていたのだ。
下の方から、カプセルの戻される音が聞こえた。次に、微妙に慣れた感覚があたしを襲った。
「きゃあぁぁぁー!」
宙へと投げ出される感覚。優しく抱きかかえられてのものではなく、まるで荷物のように扱われて。バルコニーの真下にあったC.Cのものではない型のエアカーにあたしを押し込むなり、フラウド氏が叫んだ。
「行くぞ、ライア!」
するとすぐに、女が一人飛び降りてきた。フラウドと同じ色の髪をした、少し小柄な若い女。今さっきまであたしがいたバルコニーのすぐ隣のバルコニーから、緑色の長いドレスをひらつかせて。こんな女いたっけ?おまけにすぐ隣にいたなんて。横が壁だったから気づかなかった。それにしたって、何が何だかわからない…
それでも、女がいたバルコニーに座り込んでいる人間の顔は、はっきりとわかった。その男と目が合った時、呆然としつつあった頭の中が生き返った。
「ヤムチャ!?」
「ブルマ!」
「ちょっと、何よ!何なのよーーー!?」
あたしは思いっきり叫んだ。助けを求めるどころか、まったく実のない言葉を。そうすることしかできなかった。
すでにエアカーが猛スピードで走り出していたからだ。


「あんたたち、こんなことして、ただで済むと思ってるの!?」
「やめるなら今のうちよ!聞いてんの、ちょっと!!」
あたしはひたすらに叫び続けた。口を塞がれなかったから。だから、ただもう惰性で、はっきり言って実のない言葉を叫び続けた。何がどうしてこうなったのかは相変わらずわからなかったけど、最も重要な事実だけはわかった。
どう見たって誘拐よ。バカな兄妹によるね!わかりやすいったらないわ。同じ赤毛、小柄な体格。強請り相手の不在を狙っての、人質の誘拐。問題はやり方よ。なんだって、こんなやつらがパーティに参加してるわけ?格が同じか有望な会社の人間しか招待してないはずでしょ!……母さんか。それにしたってセキュリティが甘過ぎ――いえ、そもそもそんなこと考えてるわけないわよね、あの父さんが。
…本当に勘弁してよ。なんてしょうもない親なの。
あたしは思いっきり怒り、すっかり呆れた。やがて状況が変わっても、怖さや哀しさなんてものは、一切湧いてこなかった。
「どこにする?」
「適当にでかい部屋を探せ」
エアカーを走らせてからほんの数分後。女とフラウドはそう言って、おもむろにエアカーを止めた。当然あたしは車から降ろされたわけだけど、連れていかれたのは見知らぬどこかのアジトではなかった。
それどころか、ものすごく知ってる場所。知ってるどころか、あたしのテリトリー。…C.C居住区にあるあたしの部屋。
「ちょっと、あんたたち!…何やってんの?」
思わずあたしは訊いてしまった。怒鳴るのではなく、ただ訊いて。そりゃあ、確かにパーティホールからは離れてるわよ。盲点であることにも違いないわ。だけど、盲点だったらいいってわけでもないでしょ。だいたいあたし、ここに来るまでにずいぶん声を上げてきたんだから。あたしがさらわれるとこ、ヤムチャだって見てたんだから。気づかれていないはずがないわよ。
自暴自棄になってる…ようには見えないわね。だいたい、人質さらってすぐ自棄になってたらただのバカよ。狂信者ってわけでもなさそうよね。武器もそれなりに持ってるみたいだし…
とりあえずあたしが目にしただけでも、フラウドと女は、それぞれ一丁ずつ銃を持っていた。あたしがこれまでに見たこともない型の銃。そう言えば銃火器でのし上がったって言ってたっけ。両手を後ろで縛られ、腿を座り慣れたスツールに括りつけられた状態で、あたしはまた叫んだ。
「ちょっと!何してんのって訊いてんの。答えなさいよ!」
あくまで口は塞がれていなかったから。そりゃ、あたしにとってはラッキーだけどさ。一体どういうやり方よ?
フラウドはあたしの研究デスクの端に片手をついて、銃を持っている方の手で、置いてあったツール類を横に押し除けた。女は少し離れた壁際の作業デスクに、後ろ手をついて寄りかかっていた。
「さあな。でも、訊くのはおまえさんの自由だ。いやいや、うんと騒いで訊いてくれ」
「教えてあげた方が、もっと騒いでくれるんじゃない?」
「どうかな。C.Cの娘っていやあ、結構出来るって評判なんだぜ」
「だけど、こんな単純な手に引っ掛かるような女よ。ただの間抜けなお嬢様よ」
なーんですってぇーーー!!
「陽が落ちるまで待つ必要すらなかったんじゃない?」
「そうだな。いろいろ手を考えてたのに、使えなくて残念だ」
のんびりと研究デスクの周りをうろつくフラウドに、悠々と作業デスクの前を闊歩する女。2人の態度は、あたしをわけがわからないまま、ひたすら不快にし続けた。何も計画を漏らさず話せなんて思ってないわよ。あたしは犯人一味じゃないんですからね。だけどねえ…!
フラウドが山になっていたナットを、手ではなく銃身で床へ落とした。そのまま手を銃ごと自分の顎に当てて、嫌味ったらしく笑って言った。
「もう5分ってところだな。ん、じゃあ退屈しのぎに訊いてみるか。おいお嬢様、今日のパーティで発表する新技術の青写真はどこにある?」
「は?」
あたしは一瞬完全に気を逸らされた。それでも、答えを探してやる気にはなれなかった。
「開発メンバーはどうなってる?開発に費やした時間は?」
「知らないわよ、そんなこと!」
やっぱりわけがわからないまま、でもとりあえずあたしは答えた。本当に知らなかったから。だってあたし、ただの娘だもん。会社にだって、私用(どうしても父さんに用があるとか、社の昔の設計図を見せてもらいたいとかよ)以外では出入りしないわ。まあ、時間とメンバーはともかく、技術の内容ならだいたい知ってるけど。父さんが教えてくれたから。でもそんなこと、言うはずないでしょ。
「この辺りで何か見つかりそうよ」
女が銃を計算用紙の上に置いて、設計計算書と覚書の紙の束を弄り出した。それはもう無造作な手つきで。
「設計図とかあるかもね。ここ、開発室みたいだし」
「そんなものないわよ。ここはあたしの部屋!そういうのが欲しいんならお門違いよ!残念だったわね!!」
今や怒りのみに支配されて、あたしは叫んだ。一体何なのこいつら。もう本当に頭にくる!
「ははっ。残念ながら、オレたちはそういうものには興味はないんだ。わざわざ啖呵を切ってくれたところ悪いな、お・じょ・う・さ・ま」
わざとらしくパーツを一つ抓みながら、フラウドが笑いたてた。きーーーっ!ああ、今すぐぶち殴ってやりたい!
「そろそろ知れ渡った頃かな。じゃあ、一丁派手にやるとするか。ライア、回線を繋ぐぞ。用意はいいか?」
「いつでもいいわよ」
ライア。そう言えば、さっきも名前呼んでたわね。
あたしは少しだけ冷静になって、再び作業デスクに寄りかかり始めた女を見た。でもすぐに、視線を元に戻すこととなった。フラウドが、あろうことか部屋のキーテレホンを弄り始めたからだ。
何それ。まさか、ここの内線使うの?こいつら、ひょっとしてバカ?……というよりは――
ここにいることを知らせたい…としか思えないわね。騒いでほしい、みたいなこと言ってたし。誘拐じゃないのかしら。…テロ?それにしちゃ、緊迫感漂ってないわよね。死にそうな気配なんか、全然ないわ。それどころか、銃を持ってるわりには殺されそうな気配すらさっぱり感じられない。カクテルで酔ってるせい…じゃないと思うんだけど。
「ブリーフ博士を出せ」
あたしが考えている間に、事態が進行し始めた。キーテレホンの受話器を片手にこちらへやってくるフラウドを、さすがにあたしは固唾を呑んで見守った。
「おう、博士か。ごくろうさん。…………いるよ。元気いっぱいさ。今のところはな」
とは言え、やっぱりそれほど緊迫感は湧かなかった。フラウドの口調は相変わらず軽かった。その台詞も、想像の域を出ない陳腐さだった。
「さて博士、さっそく取引だ。今すぐパーティを取りやめろ。そしておまえさん自身が、青写真を持ってこい。…………パーティで発表するつもりだった新技術のだよ」
はぁ?何それ。
呆れというよりは不可解が、あたしの中に広がった。やっぱり誘拐なわけ?でも、どうして交換条件が技術なの?さっき興味ないって言ってたのに。そりゃ、他会社に持ち込むとかすればお金にはなるけどさ。なんでそんな面倒くさいことするの?素直にお金取ればいいじゃない。犯罪者が情報を売ろうとしたって、足元見られるだけよ。身代金取った方が楽だし、きっと金額的にも上回るのに。っていうか、どうしてパーティを中止させようとするのかしら。普通は表向きは普段通りに進めたりするものじゃないの?
バカの考えることはわからない。うっかりあたしはそう思いかけた。でも、その直前で気がついた。同時にフラウドが通話を切ろうとしていることにも気がついた。
「あんた、青写真っていう言葉の使い方、間違ってるわよ!!」
だからすぐさまそう叫んだ。フラウドは少しだけ驚いたように片眉を動かし、一方では手を止めた。消えない通話ランプを見ながら、あたしは再び、そして思いっきり叫んでやった。
「言うこと聞いちゃダメよ、父さん!こいつらは、パーティと新技術の発表をぶち壊したいだけなんだから!本当にそれだけなんだから!技術の内容なんかどうでもいいのよ!」
たぶんビンゴよ。きっと奪った技術を売る気なんかも、さらさらないに違いないわ。ただ潰して、それから逃げる。それだけが目的なのよ。
「思ったよりも呑み込みが早いな、お嬢様。でも、今は黙っとけ!」
フラウドが銃をデスクに振り下ろした。そして思いきり叩きつけた後で、そのまま横に滑らせた。デスクの上にあった物がすっかり半分、床に落ちた。その背後では、ライアがつまらなさそうに作業デスクの端からボトルを掴み上げていた。フラウドのしたことにあたしは目を瞠り、ライアのしようとしていることには目を疑った。
「ちょっとやめてよ!叩かないで!その基幹組み上げるのに一週間かかったのよ!そのボトルは放っちゃダメ!」
「邪魔なんだよ、ごちゃごちゃと!!」
さらにフラウドが、デスクのもう半面に銃を滑らせた。その行為と台詞とで、あたしは完全に確信した。薄々そうじゃないかとは思ってたけど……こいつら、科学の知識まるでないわね。知識があったら、そんな扱いするわけないわ。そりゃ会社の技術なんかにはてんで及ばないけど、半年遊んで暮らせるくらいのお金にはなる代物よ。そのボトルの中身はね、塩素酸カリウム。衝撃を与えると爆発するのよ!
「父さん、こいつらのこと調べても無駄だからね!テルライズカンパニーのフラウドとライア、そんなの嘘っぱち。きっとただの雇われよ!」
「やかましい!!銃撃ち込むぞ!!」
「ちょっと!やめてったら!!それは一ヵ月かけて作った試作品――」
フラウドが今度は床にあったメカを蹴りつけた。だからあたしはまた叫んだ。でも、最後まで言い切ることはできなかった。
「おまえに騒いでほしいのは今じゃねえんだよ」
一転して声を落としたフラウドが、同時に手首を閃かせたからだ。居丈高に仁王立ちするその姿には、迫力はあまりなかった。斜めに構えた不機嫌そうなその顔も、全然怖くはなかった。
ただ、その冷たさが。喉に感じる冷たさが――
フラウドは何も言わずに、あたしの正面に座り込んだ。感触の角度が変わった。見えない銃身。それがさらに、あたしの心を冷やした。
…銃を喉に当てられる。それがこんなに怖いことだなんて、知らなかった。銃を向けられたことはあったけど、銃口が見えないなんてこと一度もなかった。喉元に突きつけられたことなんてなかった…
薄皮一枚で繋ぎとめられている、自分の命。それをこの時、あたしは心の底から実感した。
「取引は10分後だ。いいな!」
無造作にそう言い捨てて、フラウドは受話器を床に放り投げた。
あたしに当てた銃は少しも動かさずに。


銃を構えトリガーに指をかけながらも、フラウドの軽々しさは変わらなかった。一瞬それらしくなったように思えた声音も、すでにすっかり初めからの軽いものに戻っていた。
「バカなお嬢様だ。この銃が見えないのか?」
「あまり脅すのやめなさいよ。かわいそうじゃない。ね〜ぇ、お嬢様?」
…本当にそうかも。
ライアではなくフラウドの声に、あたしは深く同意した。心の中で。口に出していうつもりはなかった。もう何も。
…あたし、バカだったかも。ちょっと見くびり過ぎてたかも…
犯人を逆撫でしちゃ危険。そういうこと、すっかり忘れてた。だって、こいつら結構バカそうだったから。っていうか、たぶんきっと本当にバカだから。でも、だからこそ…バカだからこそ、人質を殺しちゃうこともありえるのよね。殺しそうな雰囲気は全然ないけど、うっかり殺しちゃうってことなら、ものすごくありえる…
どうしよう。助けを求めるも何も、ここあたしのうちだし。もう居場所は知られてるし。こいつらの顔だって、知られてる。だって、ヤムチャが見てたもの。フラウドの顔はひょっとしたらわからないかもしれないけど、ライアの顔はきっとわかる。一緒にいたみたいだったから。
…どうして一緒にいたのかしら?
ふと思ったそのことを、あたしはすぐに棚上げた。まだまだ他に考えることがたくさんあったからだ。
もし父さんが取引に応じたら、あたしどうなるのかしら。解放される…と思いたいところだけど…この状況じゃね。きっとすぐには無理よね。どう考えても人質続行よ。人質がいないとここから逃げられないもの。一体どうやって逃げるつもりなのかしら。そういうこと、何にも話してなかったけど。飛行機とか、ちゃんと持ってきてるのかしら。そうだといいんだけど。もしそうなら、ここを出た後で解放される…………ちゃんと解放してくれるかしら。ひょっとして途中で落とされたりとか…しないとは言い切れないわね、こいつらじゃ。やり方、めちゃくちゃなんだから。奇想天外な考えが賢さだと思ってる、典型的なバカよ。
まったく、一体どこの会社よ。こんなバカなやつらに仕事を頼んだのは。報酬をケチってる場合じゃないでしょうが。出し抜きたいんでしょ。だったら、もっと経費かけなさいよ。
一通り考え尽くしてしまった後も、あたしは考えることを探し続けた。そうしないと、とても耐えられそうになかった。沈黙に、じゃない。フラウドとライアは、相変わらずの軽い口調でくだらないことを話し続けていた。ライアはその辺のパーツでスロウアンドキャッチなんかをしながら。フラウドは依然としてあたしの喉元に銃を突きつけながら。自分の置かれたわけのわからない状況が不安なわけでもない。可能性のない奇想天外さなんて、あたしは怖くない。そしてここはあたしのうち。勝手知ったるあたしの部屋。なのに…
…慣れ親しんだ自分の部屋で誰かと過ごすことが、こんなに怖いなんて…
ヤムチャ、来てくれるかしら。
ひたすら論理的に思考を進めながら、時々あたしはそのことを考えた。時々こっそりと、窓の外に視線を飛ばした。…来てくれるとは思うんだけど。でも、大丈夫かしら。こいつらちゃんと、ヤムチャに銃向けてくれるかしら。特にフラウド。こいつインテリぶってるけど、めちゃくちゃ衝動的なタイプだわ。うっかりこの姿勢のままトリガーを引いたりしないでしょうね?…
本当に、バカって怖いわ。この世で一番怖いのは、こういう中途半端に出来るバカよ。自分が出来る人間だと思い込んでいるバカよ。
本当の本当に考えることがなくなった頃、キーテレホンがなった。内線を通さない通話のコール。どうやら10分経ったみたい。あたしは一瞬期待して、そして次に失望した。壁のモニターを見ていたライアが、黙ってドアコンソールを操作したからだ。
「父さん!どうして来たのよ」
「おれだって、来たくなかったよ。だけど、しかたないだろ」
ひどくぶっきらぼうに、父さんは言った。開いたドアの向こうに立ち尽くしているその姿は、すっかり項垂れていた。技術のデータが入っていると思われる封筒を持つ手が、ぶるぶると震えていた。怖がっているのか、データを盗られるのが悔しいのか、或いはあたしを心配しているのか。全部かもね。こんな父さんを見るのは初めてだわ。いつだってのんきそうで。いつだってマイペースで。でも、あたしはそんな父さんの意外な素振りに感動したりはしなかった。
だって、この人頭いいはずなのに。どうしてバカ正直に、こんなやつらの言いなりになるのよ。何か考えなさいよ。何か考えてよ。確実にあたしが解放される方法、何とか考えてよ…
「中には入るな。床に封筒を落とせ」
このフラウドの言葉にも、父さんは素直に従った。バカ正直を超えた、もはや親切に近いやり方で。一歩を後ろに進めながら、コンソールの前に立っていたライアの足元に、封筒を投げてよこした。当然、ライアがそれを拾い上げた。フラウドはほんの少し視線を投げただけだった。あたしは溜息をつくことさえできなかった。銃が相変わらず喉に触れていたから。今ではさっきよりも強く押しつけられていたから。だから、次の瞬間あたしの体が動いたのは、完全に外からの力によるものだった。
「変化!!」
ほとんど同時とも言える直前に、あたしはその声を聞いた。どう考えても空中から聞こえてきたその声――だいぶん緊迫した、でも十分にかわいらしい聞き慣れたこの声――…プーアル?そう思った時には、すでに頭が仰け反っていた。腿に括りつけられたスツールごと、後ろへ倒されていた。床に叩きつけられる寸前、あたしに頭突きを食らわせた枕が、頭の後ろに飛び込んできた。あたしは呆気に取られながら、瞑る必要のなかった目でそれを見た。
溶かされるように開けられた天井の穴から、舞い降りてくる人影を。あたしが心密かに待っていた、エスコート役の姿を――
「はっ!」
音だけを、あたしは聞いた。その後の視界には、天井の穴しかなかった。1度きりのその声と、2度の大きな銃声ではない物音。あたしが何回目かの瞬きをしたその時、天井の穴が見えなくなった。ヤムチャの顔がそれを遮ったからだ。何が何だかわからなかったけど、一つだけわかった。
すべてが終わった、ということが。そんなこと、わかりきってた。
「よし、プーアル、もういいぞ」
ロープとスツールをあたしの腿から取り除いて、ヤムチャが言った。抱きかかえられ立たされたあたしの足元で、枕が動いた。そして、本来の姿に戻った。
「ウーロン、終わったよ。もう出てきても大丈夫だよ」
「本当か?絶対だな?嘘だったら承知しねえぞ」
「本当だってば」
あたしは未だに呆然としていた。フラウドの銃が喉元から離れたその時から、ずっとそうだった。それでもなんとなく、何が起こったのかわかってきた。開きっぱなしのドアの横から、おずおずと父さんが顔を覗かせた。あたしの腕のロープを解きながら、ヤムチャが笑った。
「な?5分かからなかったろ」
そう言った直後、父さんも本来の姿に戻った。そしてその直後、あたしも素に戻った。
「ブルマ?…」
不思議そうな驚いているようなヤムチャの声が聞こえたけど、あたしはそれを無視した。
無視してひたすら、その体にしがみついた。腕が自由になったから。そして、我慢する必要もなくなったからだ。
…怖かった。ものすごく怖かった。あのバカが、あのバカが与える感触が、ものすごーーーく怖かった…………父さんも母さんもウーロンも結構始末に負えないけど、あのバカほどじゃないわ。
ヤムチャは少しだけ頭を撫でてくれた。だからあたしは心の中で10数えてから、大げさに顔を上げてみせた。そしてやっぱり大げさに、あのバカを糾弾してみせた。
「あたし、バカって嫌い!」
あたしが泣いていないってことを教えるためと、この場の空気を動かすためだ。
まったく、気が利かないんだから、プーアルもウーロンも。静かにしてるのはいいけどさ、さっさと部屋出て行きなさいよ。いつまでもボケーっと見てるんじゃないわよ。助けてくれたから、言わないでおいてあげるけど。
…あー、怖かった。


フラウドとライアはまったく身動ぎすることなく、部屋の隅に重なって倒れていた。それでもどうにか死んではいなかったので、2人の見張りと部屋の片づけをメイドロボットに任せて、あたしたちはパーティホールへと戻った。
パーティは依然として続けられていた。父さんと母さんも当然のようにそこにいた。父さんは新技術の発表を終えたばかりらしい白衣姿で。母さんはもちろん若い男を相手にして。…いいけどね、もう。いいわよ、もうそれで。どうせこの人たちは、いつだってそうなのよ。何があったって変わらないのよ。娘を何だと思ってるのかしら。
それでも一応、気にかけてはいたらしい。やがて2人揃ってやってきて、にこやかにねぎらいの言葉を口にした。
「やあ、ごくろうさま。みんな怪我はなかったかね?」
「みんなの戦ってるところ、ママも見たかったわ〜」
…本当に、娘を何だと思ってるのかしら。危機感ってものが、まるでないんだから。そりゃ、結果的にはよかったんだけどさ。さっぱりあいつらの思惑どおりにならなくて、大変結構なことよ。そう言ってやりたいけどさ…
ったくもう。
いろいろと言いたいことはあったけど、あたしは言葉を呑み込んだ。遠慮したわけじゃない。ちょっと疲れていたからだ。疲れてる時にこの人たちを相手にすると、疲れが倍加するのよ。だから、少し前から決めていたそのことだけを、はっきりきっぱり口にした。
「母さん。もうあたし、誰とも話しないからね。絶対に声かけないでよ」
この際大っぴらにサボらせてもらうわ。本当はパーティ自体、もう出たくないんだから。だけど、ここで引き上げるなんて虚し過ぎるわよ。あとあと遠回しに誘われたりするのもたくさん。残り30分、せいぜいエスコート役を見せつけておくことにするわ。
疲れながらも、あたしは気分を切り替えようとしていた。でも一歩も動かないうちに、足を引っ張られた。
「あらぁ残念。みなさんブルマちゃんが帰ってくるの待ってらしたのに。ブルマちゃんの気に入りそうな科学をやっている方も、ちゃんといたわよ〜」
「絶対に嫌!もうあんな思いするのごめんよ!!」
あたしはすっかり立ち止まってしまった。だって、最後の台詞。これを聞き流せるわけないわよ!
「あんな思いって何だよ」
ここで、何があっても変わらない人間が3人に増えた。いつもながらの白々しいウーロンの声にあたしは完全に逆撫でされて、ことさらに事実を叫んでやった。
「フラウドよ。男の犯人!あいつ科学をやってるだなんて大嘘ついて、あたしを騙したのよ!」
のだけど、そうしたことを、次の瞬間後悔することとなった。いつもながらの白々しい声が、いつもながらのなげやりな呆れ声に変わったからだ。
「なんだおまえ、ひょっとして自分でついて行ったのか?そういえば、わりといい男だったもんな」
「どこがよ。それに、あたしはただ話をしただけ!ホストの娘だからしょうがなくね!」
あたしはすかさず言い切って、それきり口を閉じた。
…あー、危ない危ない。
うっかり自分でバラしちゃうところだったわ。…別にあいつと話をしたのが悪いことだなんて思ってない。だけど、あたしから誘いかけたっていうのは、やっぱりまずいわよ。被害者の立場そのものが危うくなっちゃうわ。そうじゃなくたって迂闊過ぎるし。だいいち…
あたしはこっそりとヤムチャの顔を窺い見た。あたしが自ら頼んだエスコート役の顔を。ヤムチャはどことなく考え込んでいるようではあったけど、口を開く気配はまったくなかった。…うん、大丈夫。バレてないバレてない。のんきそうとまではいかないけど、疑ってる顔じゃない。…ひょっとしたらちょっとくらいは疑ってるかもしれないけど、怒ってる顔では絶対にない。訊かれないようにしとけば大丈夫。もし訊かれたって、押しきってやるわ。別にあたし、あいつとすごく話がしたかったわけじゃないんだから。悪くない条件だったから乗っただけなんだから。タイミングも良かったし。っていうか、タイミング計ってたんだろうけど。そうよ、あの時ヤムチャがいれば、あたしはあいつなんか相手にしなかった。あいつだってきっと話しかけてこなかった。ヤムチャがちゃんと横についてくれてれば…
あれっ。
当然と言えば当然の流れで、あたしはそのことを思い出した。そして今では、棚上げにする理由は何もなかった。
「ねえ、ヤムチャ。あんたどうして、あの女と一緒にいたのよ」
「えっ…」
ヤムチャは明らかに口篭った。でも、あたしはそれを咎めなかった。畳みかけもしなかった。それより先に、横から声が飛んできたからだ。まったくもって白々しい、ブタの声が。
「おれ見たぞ。ヤムチャがあの女に声かけられてるところ」
「えぇっ…」
ヤムチャはまたも口篭った。すでに疑いは濃厚になっていた。ウーロンの言葉はさらに続いた。
「腕に抱きつかれてただろ。『酔っちゃった』とか何とか言われてよ。また古い手に引っ掛かったもんだよな、おまえも」
「バッ、バカ!!」
そしてここで確定した。ウーロンが嘘をついているわけじゃないってことは、もうはっきりしていた。まったく、嘘のつけないやつね!
あんた一体何してたのよ!!あたしがフラウドに騙されてたっていう時に!…違うわ。フラウドに会う前に、ヤムチャはいなくなってたんだもの。あたしがホストの娘役をまっとうしていた時にだわ。一体どういうことなのよそれは。あんたはあたしのエスコート役でしょ!声かけられたからって、のこのこついてくんじゃないわよ。あれほどよそ見するなって言ったのに!!
さっきも言ったように、あたしは疲れていた。だからもう、四の五の言うのも面倒くさかった。そんなわけで、即行で右の手の平を構えた。その直前、また横から声が飛んできた。
「あーあ。ほんっとしょうもねえなあ、おまえらは。ブルマはいい男と見りゃすぐに尻を追いかけるし、ヤムチャは簡単に女にほだされちまうし。こりゃあもう終わりだな」
「なっ!何言ってんのよ。あたしは騙されたんだってば!あの男の口車に乗せられて…」
あたしの右手は拳になった。この上なく不本意な汗を掻く拳に。だって、あたしいい男だなんて一言も言ってないのに。世の中的にはギリギリいい男かもしれないけど、全然タイプじゃなかったわ。そんな男とちょっと話をしただけで、どうして尻を追いかけたとかになるのよ!?
「俺だってそうだ。っていうかな、やっつけただろ、俺は!!」
直後にヤムチャがそう叫んだ。その瞬間、あたしは続ける言葉を失った。拳はすでに緩んでいた。思わずヤムチャの顔を見た。そして数秒の間の後に、今やほとんど開いていた右手で、ヤムチャの服を掴んだ。
「…話し合いましょ。それがいいわ」
そのまま、やっぱり何も言わないヤムチャを連れて、パーティホールを出た。
充分に口を差し挟めるはずの数秒間、謝るどころか何も言い訳をしなかったヤムチャの態度が、そうさせた。


ヤムチャを引っ張りながら、短い廊下を歩いた。ホスト側控え室のドアを開けて、ヤムチャを中に押し込んだ。後から入って静かにドアを閉めながら、あたしは思った。
…どうしてこんなことになったのかしら。
なんて、そんなことわかってるけど。全部、父さんと母さんのせいよ。あの人たちがもう少しまともな感覚を持っていてくれればね、あのバカな兄妹がパーティに入り込むこともなかったのよ。ったく、出来の悪い親を持つと、子どもは苦労するわ。子どもだけじゃなく、その恋人まで苦労させられてるわ。
今やあたしはすっかり冷静になっていた。目に見える事実と見えない事実。その2つだけが、あたしの心を占めていた。…ヤムチャがどんな風に騙されたかなんて、簡単に想像がつくわ。想像も何も、きっとウーロンの言った通りよ。こいつ、そういうのに弱いんだから。弱いっていうか、見抜けないんだから。そんでもって、当然断れないんだから。
ま、見抜けなかったという点に関しては、あたしもヤムチャのこと言えないけど。情けないことに、どうやらあたしたちはまったく同じ手を食らったみたいね。どこまでも小憎たらしい兄妹だわ。あたしは騙された。ヤムチャも騙された。そう、あたしたちは被害者よ。あたしはどこからどう見たって被害者だし、ヤムチャはあたしほどじゃないかもしれないけど、やっぱり被害者よ。同じ被害者。でも、あたしとヤムチャには、決定的な違いがある。
それは、きっとヤムチャは『本当に』騙されたに違いない、っていうこと。やっつけることのできる程度の相手に無理矢理引っ張っていかれるはずはない。でも、女の方から誘い込んだってことは、もう間違いない。そんなの、さっきの反応見てればわかるわよ。こいつ、自分では一度も言わなかったもの。いつもだったら絶対に、そこんとこを強調してくるに違いないのに。『俺はそんなつもりなかったけど相手が…』とかってさ。それがダメなんだってことすらわからずに、謝ってくるに違いないのに。なのにさっきは何も言わなかった。これで怒れるはずないわよね。
だって、あたしは自分から誘ったんだもの。そりゃあ、邪な気持ちなんかこれっぽっちもなかったけど。でもそれでもダメだって、今までさんざん言ってきたんだもの。あたしが。ヤムチャに。だから…
「…おあいこ?」
…だと思うんだけど。
もちろんバレなきゃこんなこと思わなかったでしょうけど。でも、バレちゃったし。それに助けてもらったし。この辺で手を打っておくべきよね。
っていうか。…手を打ってくれないかしら…
ヤムチャは何も言わなかった。驚いたような呆れたような惚けたようななんだかよくわからない顔をして、黙ってあたしを見ていた。いつにもまして曖昧なその表情からはさっぱり感情が読み取れなかったけど、それでもたった一つだけ、あたしにはわかったことがあった。ヤムチャはあたしの言葉そのものに納得ができずにいる、ということが。…やっぱりちゃんと説明しなきゃダメなのかしら。でも説明したら、絶対にあたしが不利になると思うんだけど。なんとかその前に終わらせてくれないかな〜…
あー、情けない。こんな風に誰かに対して下手に出なきゃならない羽目になったのは、これが初めてだわ。おまけに、その誰かがヤムチャときたもんよ。今夜は自棄酒決定ね…
あたしはひたすらに待った。この期に及んでと思うかもしれないけど、やっぱり言いたくなかったから。言わずに済ませられるなら、何時間でも待ってやるわ。その境地に達しかけた時、ヤムチャがおもむろに口を開いた。
「うーん、そうだな…」
でも、すぐにまた黙った。そして、今さらのように考え込み始めた。えぇーい、この鳥頭!この状況で一体何を考える必要があるっていうのよ。いいか!悪いか!それだけでしょうが!!
はっ。まさか、『何の話をしているのかわからない』とか言うんじゃないでしょうね?
昔よく聞かされたその台詞。そしてそれを言われた時の、何とも言えず虚しい気分。それらを思い出して、あたしの気分は違う鬱へと向かいかけた。2つの鬱が混じりかけたところで、ようやくヤムチャが続きの言葉を口にした。
「もともと何でもなかったんじゃないか」
たいして気も入っていないような素振りで。というか、どう見てもこともなげに。
は?
うっかりそう漏らしてしまいそうなところを、あたしはどうにかして耐えた。…………これはチャラってこと?…じゃないわよね。どういう思考回路なのかしら。なかったことにしちゃうわけ?それでいいのあんた?
っていうか。さんざん考えた挙句がそれなわけ?そんな風に流しちゃうの?
……軽いわね〜……
あたしはそう思ったけど、当然口には出さなかった。いやもう、願ったり叶ったりの展開よ。叶い過ぎてついていけないくらいよ。本当についていけないわ。…確かにこいつ軽いけどさあ。ここまで考えなしだったかしら。そりゃ誤魔化しは効きやすいやつだけど、あたし(バレてることに関しては)誤魔化してなかったのに…
「それとも何かあったのか?」
ふいにヤムチャがそう言った。それはもうこの上なく軽い口調で。なんかすでに笑っているような気すらする。あたしはというと、この時完全に素に戻っていたので、半ば怒鳴るように思いっきり叫んでしまった。
「ま、まさか!!あるわけないでしょ!!」
そうしたら、いきなりキスしてきた。頬に手が触れるのと、唇が触れるのが同時だった。あたしは本当にびっくりして、目を閉じることすら忘れた。
う〜ん…
なかったことにされてるような気は全然しない。でも、仲直りのキスって感じでもない。…わけわかんない。
それでも確かに、気まずさはなくなっていた。何事もなかったように、ってほどカラッとはしていないけど。…何事もなかったようになんて、なるわけないわ。だって、何事もあったんだもの。ヤムチャはどうか知らないけど、あたしには。本当に疲れる一日だったわ。
そう、『だった』。そうなりつつあることが、部屋の外から聞こえてきた音でわかった。大勢の賑やかな足音と、それと同じ数の喧噪。パーティ、終わったのね。そうと知った時にあたしが思ったのは、ゲストを見送りに行かなくちゃ、ということではなかった。そして、それとほとんど同時だった。
「酒でも飲みに行くか」
空気も何もお構いなしに、ヤムチャが言った。軽く頭を掻きながら、さらに言った。
「どうも中途半端だよな。このパーティってやつは。酒も料理も、雰囲気も。それとも疲れたか?」
「平気。大賛成よ!」
だからあたしも、今だに残る腑の落ちなさを、この際投げ捨てることにした。なんか流されてるような気がするけど、まあいいわ。どうせあたしもそうするつもりだったし。酒の肴はちょっと違ったものになりそうだけど。思っていたより軽い愚痴になりそうよ。
そうよね。あたしが下手に出なきゃならない理由なんて、どこにもないのよ。あたしは騙されたんだから。それだって、父さんと母さんのせいなんだから。ヤムチャのせいにするのは、今はやめとこ。話を蒸し返しちゃいそうだもの。結局はちゃんと助けてくれたし。それに、話を聞いてもらうんだもの。そのくらいは大目に見なきゃね。
あたしの気分はすっかり切り替わった。もう全部吐き出しちゃお。…言えないこと以外は。愚痴吐き相手としては、ヤムチャは最高よ。こいつ、そういう話にはほとんど突っ込み入れないからね。ひたすら同調と相槌よ。よくそれでストレスが溜まらないものだと、時々本気で感心するわ。
帰路につくゲストの波を避けるため、あたしたちは裏口から外へ出た。まずは部屋へ戻って、服を着替えてこなくっちゃ。そう考えた時、一つどうしようもない事実があることに、あたしは気づいた。
「ねえ、着替えあんたの部屋でさせてよ。それから夜も寝かせて。さっき天井に穴開けたでしょ。大きいやつ」
「ああ、あれな。窓を割るよりいいだろうって博士が言うから…」
「どっちもどっちよ。いえ、むしろ天井の方が悪いわ。あれじゃ覗かれ放題じゃない。父さんてばあんな力任せのやり方してくれちゃって。てんで頭使ってないんだから」
あたしは早速、愚痴の一つ目を吐き出した。まあ、当然の流れよ。そしてそれに対するヤムチャの反応も、あたしにとっては当然のものだった。
「ま、確かにちょっと荒っぽかったかもな」
「あれはあんたがいたからこそ使えた手よ。どう考えたって、天才と言われてる人の考えることじゃないわよ」
「それはそうだろうな」
早くもあたしの心に感心が広がり始めた。呆れと抱き合わせの感心が。ヤムチャってば、手柄を自慢するどころか、自分が駒にされたことにも気づいてないわ。誰に対しても扱われやすいやつね。そんなだから、女にも簡単に騙されちゃうのよ。
それにしても、一体どうやって騙されたのかしら。やっぱり『介抱して』とかかしらね。それだったらバルコニーなんかに行かないで誰か呼べばいいのに。まっ、どうせそれだって言い包められたんでしょうけど。
当然と言えば当然の流れで、あたしはそのことを考えた。だって、やっぱり気になるもん。あいこにしたって、どうしたって気になるわよ。でも、今は訊かない。
やぶへびになったら嫌だから。後で忘れた頃に訊いてやるわ。そうね、一通り愚痴を吐き出してから。最後に一応労ってやってから。ベッドに入る前にでもさりげなく。それでやぶへびになりそうだったら、うまいこと誤魔化してそのままベッドに入っちゃお。
ヤムチャってば、そういうのに弱いんだから。
拍手する
inserted by FC2 system