初一の男
耳の端に除夜の鐘。テーブルの真ん中に年越し菓子。手の内には数枚のカード。毎年恒例の、みんな揃ってのカード大会。
「いつもいつも思うんだけど、年越しってマンネリよね」
ズルされないようウーロンの手元に目を配りながら、あたしは言った。少しだけ言葉を端折って。
年越しがっていうかさ。この面子がマンネリなのよね。父さん、母さん、ウーロン、プーアル。色も素っ気もありゃしない。カードの切り方もだいたい読めちゃってるし。読み間違うのは父さんくらいのものよ。
「おまえはただ退屈なだけだろ。去年ヤムチャがいた時は結構盛り上がってたじゃねえか」
さりげなくカードを一枚隠しながら、さりげなくウーロンが言った。あたしは即行でその手を叩いて、その言葉は無視した。
よくわかってんじゃないの。当たらずとも遠からずよ。少なくともウーロンじゃまともに相手にできないってことは確かだわ。
「あらあら、ウーロンちゃん大丈夫?まあどうしましょう、ママもう出すカードがないわ。ブルマちゃんもお着物を着れば気分が変わるわよ〜」
まずは母さんが支離滅裂なことを言って、勝負を投げ出した。あたしはその手元には構わず、一言だけを拾い上げた。
「母さん、着物なんか作ったの?」
「そうよ〜。お着物を着てパパと一緒に『お参り』しに行くの。『初詣』って言うんですって。お着物、ブルマちゃんの分もあるわよ」
「イースタンのお正月か。母さんてば流行に弱いんだから。あたしは着ないわよ。着物なんか着てたら操縦できないもん」
「おや、元旦そうそう行くのかね。その、カネハウスとやらに」
あたしの言葉に父さんは首を傾げはしたけれど、手は動かさなかった。それであたしは会話と勝負の両方を、ここで切り上げてしまうことにした。
「カネハウスじゃなくてカメハウス。いいのよ、あそこは年中休日なんだから。はい、あたしの勝ち!あたしそろそろ寝るわ。プーアル、あんたももう寝なさい。明日起きれないわよ」
勝負どころか意識すら曖昧そうなプーアルを小突いて、あたしはリビングを後にした。
トータルではどうせ父さんに敵いっこないんだから。せめて勝ち気分の時に終わらせてもらうわ。


初フライト。
あたしはそれを、まったくいつも通りに行った。
元旦の朝の賑やかな喧噪の中で。着物どころか思いっきり軽装で。お正月気分の欠片も味わうことなく。
常夏の地へ行くのに、着込んだりしないわよ。そんなことしたら汗まみれで死んじゃうわ。それにどうせ、あそこの連中は正月だって修行するに決まってるんだから。気分なんか出したって無駄なのよ。
まっ、それでも『あけましておめでとう』くらいは言わせてもらうけど。そう思いながらカメハウスのドアを開けたあたしは、そこにいた住民の姿を見て、瞬時にその姿勢を捨て去った。
「何やってんの、あんたたち。仮装大会?」
とりあえず目に入ったのはヤムチャとクリリンくんとウミガメだけだったけど、そう断定するには十分だった。弟子たち2人は見た目だけには爽やかな、でも実際にはこの上なく暑苦しそうな、明るい紺の羽織着物。シックな白黒縞の袴に、胸元には当然のように『亀』の文字。ウミガメも無理矢理紐締めてるし。…本当に無理矢理過ぎるわ。
あたしがそれきり言葉を切ると、クリリンくんがなぜか目を丸くして、ものすごくズレた返事を寄こしてくれた。
「ブルマさん、着物知らないんっすか?」
「何バカなこと言ってんの、そんなわけないでしょ。なんで着物なんか着てんの?今日は修行はなしなの?」
呆れに期待を混ぜてあたしが訊ねると、クリリンくんがその片方だけをさらに強めてくれた。
「今日は隣村で餅つきの手伝いをするんですよ」
「餅つき?へー、こんなとこにまで流行がきてるんだ」
っていうか、またバイトか。正月そうそうよくやるわね、こいつら。ここまでくると、修行っていうより『貧乏暇なし』って感じだわ。
それでもあたしの呆れは、いつもよりは薄かった。バイトとはいえ、季節感はあるわ。見た目だけならお正月って感じする。それにすっごく…
「あけましておめでとうございます、ブルマさん、ウーロンさん、プーアルさん」
その時、姿の見えなかった住人たちが顔を出した。まずは黒青髪のランチさんが、鮮やかな赤い振り袖姿でキッチンから現れた。
「あけましておめでとう、ランチさん」
それであたしはすっかり忘れ去っていた元旦の挨拶を返した。でも、グレーの袴を着たもう一人の人間に同じ態度を取る気にはなれなかった。
「やれやれ、やっと出たわい。おやブルマちゃん、おめっとさん。ちょうどいいところに来たのう」
「…何がよ?」
それどころか無意識に、渋面を作ってしまった。だって、最後の台詞。そうするなっていう方が無理よ。亀仙人さんの言う『いい』って、絶対いい意味じゃないんだから。
亀仙人さんはあたしの反応を気にした風もなく、欠けた前歯を覗かせて笑った。
「これから餅つきの助っ人に行くところでな。たぶん着るだろうと思うて、ブルマちゃんの着物も用意しておいたぞい。そこの2人の分もな」
あら、気が利くわね。
なんて言うと思ったら、大間違いよ。
「本当に着物なんでしょうね?」
キモノっていう名前の下着だったりとか、着物を着るっていう名目で変なことさせられたりとかしないでしょうね?
「信用ないのう…」
「自業自得でしょ」
亀仙人さんは不貞腐れたように項垂れたけど、やっぱりあたしは信用することができなかった。でも最終的には折れた。ランチさんが笑ってこう言ったからだ。
「ブルマさん、よろしかったら私が着付けしますわ。お着物も私が見立てたんですよ。きっとサイズも私とそれほど変わらないと思って」
「あら、それなら安心ね。喜んで着させてもらうわ」
「どういうことじゃい、それは」
わざとらしく眉を寄せてみせる亀仙人さんに、あたしもわざとらしく言ってやった。
「自業自得でしょ」
だって、本当のことだもんね。

用意されていた振袖は、ひどくかわいらしい物だった。濃い目のピンク地に、散らばる桜の花模様。明らかにこっちのランチさんが選んだものね。ま、金髪のランチさんが着物なんか見立てるとは思わないけど。
着てみると、ものすごく季節感が湧いてきた。同時に、ちょっと違う季節感も。
「ずいぶん軽いのね、この着物」
「この辺りは冬でも暖かいですから、生地が薄いんですよ」
それであいつら涼しそうな顔してたのね。感覚鈍いのかと思っちゃった。
髪をラフに結い上げてリビングへ行くと、テーブルの周りに全員が勢揃いしていた。ウーロンとプーアルは紋なしの袴。ウミガメに負けず劣らず強引なプーアルの着こなしから目を離すと、その隣にいた主と目が合った。
「似合う?」
袖を上げながらあたしが訊くと、ヤムチャはごくごく自然な笑顔で答えてくれた。
「うん、きれいだよ」
えへへ。
あー、なんかめちゃくちゃそれっぽーい。
いかにもお正月って感じがするし、なんかヤムチャも珍しくそれっぽい。これでみんながいなかったら、もっといいのにな。特に亀仙人さんとか。でも今は着物だから、そういう心配だけはしなくてよさそう…
あたしはすっかり気を抜いていた。そしてそれを、次の瞬間後悔することとなった。信じられないことに、あたしが最も気を許せるはずの男が、それをしでかした。
「なあ、ここどうしてこんなにいっぱい巻き物してるんだ?」
実にさりげない口調でそう言いながら、ヤムチャがあたしの胸元に触ったのだ。怒り半分驚き半分で、あたしはその手を払い除けた。
「ちょっと、何触ってんのよ。エッチ!」
「エ、エッチってそんな。俺はただこの腹のところが苦しくないのか気になって…」
あら、それはお気遣いどうもありがとう。
なんて言うと思ったら、大間違いよ。
「姑息なこと言わないで。あんた、亀仙人さんに似てきてるわよ。やらしい!!」
せっかくあたしも褒めてあげようと思ってたのに。もうやめたわ!
ヤムチャは凝り固まったように、その場に立ちつくした。謝ろうとも流そうともしないその態度にあたしが不審を抱き始めた時、クリリンくんが横から口を差し挟んだ。
「ヤムチャさん、着物を見るのも着るのも初めてなんだそうですよ」
「あら、そうなの。じゃあ、プーアルも初めて?」
「いえ、ボクは幼稚園の仮装で一度着たことがあります」
…仮装か。やっぱりね。
あたしは深く深く納得した。すると、従の堂々たるカミングアウトぶりとは対極に、主が小さな呟きを漏らした。
「どうもしっくりこないんだよな…」
「何言ってんの。すっごく格好いいじゃない!」
誤解してしまった罪悪感も手伝って、あたしは本当のことを言ってあげた。お正月だからね、特別よ。元はと言えば、紛らわしいことをしたあんたが悪いんだからね。
「餅つきも初めてだそうです」
「へー、珍しいわね」
クリリンくんはずいぶんと呆れているようだったけど、あたしはそうでもなかった。どうせ異国の行事だもの。それよりも、この袴よ。本当に格好いいわ〜。見れば見るほど見映えする。こんなに似合うんなら、うちにいた時にも着せておけばよかった。考えてみれば、ヤムチャってそっち系の顔立ちだもんね。しくったなあ。
「ブルマはやったことあるのか?」
「あるわよ。子どもの頃だけど。ニューイヤーパーティとかで、物好きな人が時々やるのよ。男の仕事よね、あれは」
「つきたてのお餅って、柔らかくっておいしいですよね。私、餡子と一緒に食べるのが好きですわ」
「あっ、あたしもそれ好き!」
今やあたしは、すっかり楽しくなっていた。期待してなかっただけに、なおさらよ。男の着物っていいわよね。惚けた表情してても、袖に手を入れたりしてればそれらしく見えるんだから。ヤムチャの場合は特にその色合いが強いわ。
男は顔よね〜。やっぱり。
ヤムチャと付き合い始めた頃にも思っていたことを、あたしはひさびさに思っていた。それもうんと強く。今は昔よりもずっと強くそう思う。だって――
「どれ、ではそろそろ行くとするかの」
そう言って亀仙人さんがゆっくりと腰を上げたので、あたしのヤムチャへの視線は自ずと強まった。長所を見据えるものではなく、短所を見据えるものとして。思った通りヤムチャは立ち上がって、これまで何度か耳にしたその台詞を口にした。
「よし、じゃあいくぞクリリン!」
「やっぱり今年もやるんですか?」
「当然だ。今年初だからな。気合いを入れてやれよ。ジャーンケーン、ポンッ!」
――これだもんね。
たかがジャンケンをするのに、どうしていちいちそこまで気合いを入れるわけ。だいたい普通は、負け続きの人間ってやる気をなくしていくものなのに。無駄に血の気が多いんだから。おまけにガキっぽいったらありゃしない。
あらかじめわかっていたこの展開に関して、あたしは口を出すつもりはなかった。遠慮していたわけではない。すでにもう、一悶着起こしていたからだ。あんなにバカバカしいケンカをしたのは、後にも先にもあれきりよ。もう何も言いたくないわ。
「あっ!」
「あっ!」
その直後、弟子たちが揃って大声を上げた。それはかなり意外なことだった。ヤムチャの反応はいつも通りよ。でもクリリンくんはいつだって淡々とやってるのに。
「奇跡ね」
その理由がわかった時、あたしは思わず言ってしまった。少なくともあたしは、ヤムチャがクリリンくんに勝っているところをこの目で見たことがない。
「今年の運を全部使い果たしたんじゃねえのか」
ウーロンの言葉にも、ほとんど同感だった。
「嫌なこと言うなよ」
「じゃあ、おれがドライバーってことで。久しぶりだなあ、運転するの」
勝ったヤムチャは憮然としてそこに留まり、負けたクリリンくんが颯爽とした足取りで外へと出て行った。玄関前に用意された、ワゴンカーへと。本当に意外なことだった。意外っていうか、初めてよ。他所へ修行しに行く時に、ヤムチャもあたしもドライバーじゃないなんて…
神様も粋な計らいするわねえ。
あたしはそう思いながら、勝者の位置である助手席へと向かおうとしているヤムチャを引きとめた。
「奇跡ついでに後ろに座りなさいよ。隣村ならナビする必要ないじゃない。ね?」
「いいけど…」
ヤムチャの顔には、まだ少し不満気なところが残っていた。ヤムチャってば時々、変なところでガキなんだから。それでもあたしの呆れは、そう強いものではなかった。ヤムチャの隣に座り込んだ時、あたしの視線は自ずと強まった。少し間抜けな紋の付いた羽織袴の上にある、困ったような顔の男に。
あんた、気づいてないだろうけど、顔がいいことでずいぶん自分を救ってるわよ。その顔じゃなかったら、絶対に思っていないところだわ。ちょっとかわいいかな、なんて。


周囲をぐるりと囲むソテツ。その根元に茂るトーチ・リリー。椰子の木陰に設えられた茶屋風の長椅子。深い影を落とさせる、燦々と輝く常夏の太陽――
隣村の餅つき会場とやらは、はっきり言って違和感ありまくりだった。常夏の景色に、強引なイースタン調の飾り付け。お正月というより、季節外れの祭りって感じね。そしてその感覚は、やがてすぐにいや増した。
「さて、餅つきの準備ができるまで、屠蘇でも飲んで待たせてもらうとしようかの。おぬしらも少しなら飲んでも構わんぞい」
そう言って亀仙人さんが長椅子にどっかりと腰を下ろしたからだ。
「ランチちゃん、ちょいと酌をしてくれんかの」
「ええ、もちろんですわ」
まったく、どこが修行なんだか。口実もいいところよね。
そうは思ったけど、あたしは黙って亀仙人さんとは別の長椅子に腰を下ろした。もういい加減口にするのも飽きたわ。それに今回に限っては、そう悪くない感じよ。着物にお屠蘇。すっごく気分出るじゃない。
「どうぞ、ヤムチャ様」
あたしが着物の裾を直していると、プーアルがすかさずヤムチャの手に盃を握らせた。さらにその盃へ中身を注ごうとしていたので、あたしは急いでプーアルの手から銚子を引っ手繰った。
「こういうのは女のすること!」
っていうか、この場合どう考えたってあたしのすることでしょ。プーアルも結構鈍いんだから。
「はいヤムチャ、どうぞ〜」
驚いたままのプーアルを無視してあたしが銚子を傾けると、ヤムチャが途端に盃を引いた。盃ばかりか、体まで。慌てて銚子を戻してから、あたしは訊いてみた。
「ひょっとしてお屠蘇も知らないとか?」
「そこまで無知じゃないさ」
「じゃあ、はい」
もう一度銚子を傾けると、今度はヤムチャは素直にお屠蘇を注がせた。片手できっちりと三度に分けて飲む(本当に知ってたみたいね)姿を、あたしはなかなかいい気分で眺めた。うーん、絵になるわ〜。写真に撮って飾っておきたいぐらいよ。
正面の長椅子では、ランチさんが亀仙人さんとクリリンくんの両方に、交互にお屠蘇を注いでいた。ちょっと悪いような気はするけど、今日くらいはいいわよね。きっとランチさんは分かってくれてるわよ。少なくとも、こっちのランチさんなら。金髪のランチさんならくだを巻きそうだけど。そう思って2杯目のお屠蘇を注ごうとした時だった。
「おいブルマ、おれにも一杯注いでくれよ」
場の空気を読もうともしない厚かましいブタが、くだを巻き始めた。当然、あたしはその言葉を退けた。
「そのくらい自分でやりなさいよ。どうしてあたしがあんたなんかにお酌しなくちゃいけないわけ」
わきまえてないにも程があるわ。一体何様のつもりなのかしら。
それでもウーロンは引かなかった。むしろさらに、くだを巻き始めた。
「けっ。ヤムチャばっかり贔屓しやがってよ」
「贔屓なんかしてないでしょ。ただあんたを差別してるだけよ」
「あー、そうかよ。そういうことにしといてやるよ。あーあーまったく、素直じゃないね〜」
「わけわかんないこと言わないでよ。女に酌させようなんて図々しいって言ってんの!」
「ヤムチャにはやってるだろ」
「ヤムチャは見た目大人だからいいのよ。あんたなんかてんでガキじゃない。あんたはお屠蘇が許されてるだけありがたいと思いなさいよ!」
「我儘なやつだな、おまえは」
どっちが我儘なのよ。
あたしがそう言ってやろうとした時、隣の男が口を開いた。あたしの手にある銚子を軽く退けながら。
「あ、いや、ブルマ、俺はもういいから。この酒結構強いから、これ以上飲むわけには…」
「えぇー!?」
あたしは思いっきり不平の声を上げてやった。…本人も空気読めてないわ。せっかく絵になるのに。すっごくそれっぽいのに。
「これから一修行あるんだから。とりあえずの儀式だから」
「残念だったな。どうしても注ぎたいってんなら、おれが受けてやってもいいぜ」
「お断りよ!」
あたしは儀式で注いだわけじゃないの!だいたい儀式なら、順番が違うじゃない。プーアルだって、ヤムチャに注ごうとしたりするわけないわよ。それくらい、見てりゃわかるでしょ!最も、本人もわかってないみたいだけど。
それでも、わかっているらしい人間はいた。あたしが少し息をついたその隙に、亀仙人さんがおもむろにあたしたちの会話に割り込んできたのだ。
「やれやれ。おぬしらも何というか…ま、後でゆっくりやるんじゃな。餅つきが終わったら、少し時間を取ってやるわい。わしらは餅も食べ放題じゃからの。さて」
そして腰を上げて、さらに言った。
「その餅をつきにゆくぞい。働かざる者食うべからずじゃ。正月といえども気を抜くでないぞ」
「はい!」
最後の、いつもながらの師匠と弟子のやり取りを見て、あたしはすっかり呆れてしまった。
…すっごい説得力のない台詞。
酒で顔を赤らめたじいさんに言われたくないわね、そんなこと。ヤムチャとクリリンくんも、よくそんないい返事をできるもんだわ。だいたい、たかが餅つきにどうしてそこまで気合い入れてるのよ。…本当に餅つきなんでしょうね?
ちょっぴりだけ、あたしは考え込んだ。こいつらのやってる修行って、わけのわからないものばかりなんだから。わけがわかるものは、バイトだったりするし。今回もバイトみたいだけど。騙されてるんじゃないのかしらね。クリリンくんはともかく、ヤムチャってばひとの言うことすぐ鵜呑みにするんだから…
あたしは軽く拳を握りながら、さっさと餅つき会場とやらへ向かっていく師弟の後をついていった。変なことさせられそうだったら、あたしがビシッと言ってやんなきゃ。世話の焼ける男だわ、まったく。
少しばかり歩いていくと、赤い敷物の敷かれた一角があって、そこにわりと見栄えのする杵と臼が置かれていた。それを横目に、周囲を囲むソテツの途切れているところを通り抜けると、そこにさらに広場があった。こちらは飾り付けは何もなしの、ただだだっ広いだけの場所。敷かれた大きな敷物の上に置かれた2本の杵と、二列に並んだそれに見合わない数の臼――
「わっ!何これ。どうしてこんなに臼がいっぱいあるわけ!?」
どう見ても100個単位のものに思える臼を見て、あたしは思わず大声を上げてしまった。亀仙人さんは淡々として、あたしに答えた。
「1000人分の餅をつくからじゃよ。一個や二個の臼では、陽が暮れてしまうじゃろ」
「1000人分!?そんなにいっぱい、普通つけないでしょ!」
「だから、わしらが呼ばれたんじゃよ」
なるほど。そりゃ、確かに修行だわ。
深く深く納得したあたしの視界の片隅では、ヤムチャがクリリンくんに餅つきのレクチャーを受けているようだった。やがてそれも終わって、着物の袖を捲り上げた師弟による餅つきが始まった。
「じゃあ、いきますよ老師様」
「どんとこいじゃ」
「よーい、せっ!」
「ほっ」
「せっ!」
「ほっ」
掛け声と共にそれぞれの列の臼に杵を振り下ろしては、次の臼へとカニ歩きする2人の弟子。その列の真ん中を、つかれた餅を捏ねくり回しては、次の臼へとジグザグ歩行する師匠。
正月に大人数分の餅つきやるのって時々聞く話だけど、こういうシステムになってたのね。なーるほど…それにしても、あくまで甲羅は背負うのか。しかも何なの、その掛け声は。
全然情緒がないわね。バカな男の仕事ねー、これは。
「せ!」
「ほ」
「せ!」
「ほ」
師弟から少し離れた敷物の隅に腰を下ろして、あたしは残るみんなと一緒に、一連の作業(餅つきというより完全に作業よ、これは)を見守った。ウーロンがちゃっかりとお屠蘇をがめてきていたので、それに口をつけながら。
「はいブルマさん、一献どうぞ」
「あ、ありがとランチさん。ランチさんは飲まないの?」
「ええ。飲んでいる時に変身してしまったら、困りますから」
「…そうね」
「それにしても、武道の修行っておもしろいですわよね。いろいろなやり方があって」
「…そうねー…」
そして、笑顔で言い切るランチさんに、がんばって相槌を打ったりもしながら。
まあ、袴を着せたのは、亀仙人さんにしては粋な計らいよね。これを道着でやられてたら、目も当てられなかったわ。バカバカしさここに極まれりよ。
やがてプーアルが腰を上げた(と言うのはちょっと変か。要するに飛んで行ったわけよ)ので、どうやら餅つきが終わったらしいことがわかった。明るいプーアルの声を皮切りに、師弟たちの間抜けな会話が始まった。
「お疲れ様です、ヤムチャ様!」
「まあ、汗は掻いたけど、それほど疲れはないな。薪割りみたいなものだな、これは」
「あー、確かに。そう言っておけばよかったかもしれませんね」
「わしゃ、ちょいと腰が痛くなったがの」
…薪割り。それは絶対に違うでしょ!もう情緒どころか、正月ですらなくなったわ。
あたしは大きな大きな溜息をついた。なんでかわかんないけど、今すっごく醒めた気持ちになっちゃった。…期待してたからかしらね。何を期待してたってわけじゃないんだけど、なんとなく――そうなんとなく、気分に浸り過ぎたのよ。考えてみれば、亀仙人さんの修行って、いっつもこんな感じなんだから。あたしもまだまだ甘いわね…
そうこうしているうちに、どこからか10人ほどの人がやってきて、臼から餅を回収(もう回収というより他にないわ)し始めた。あたりに充満するお餅のいい香り。それに気を取られていると、亀仙人さんが笑って言った。
「ほっほっ、では餅つきはこれにて終了じゃ。思ったより早く終わったのう。約束通り、ちょいと時間をやるぞい。餅を食うも屠蘇を飲むも各々好きにせい。ランチちゃん、さっきの場所でもう一度わしに酌をしてくれんかの」
「ええ、もちろんですわ」
…また飲むわけ?本当に口実もいいところじゃない。
もはや完全に呆れ果てて、あたしは会場へと移動する餅の後を、みんなと一緒に歩いた。その途中、ヤムチャがごくごく自然な感じで寄ってきて、ごくごく自然な口調で、少しズレたことを言った。
「ブルマ、どうした?着物に疲れたか?」
『あんたたちのバカさに疲れたのよ』
いつもなら口にしたに違いないその台詞は、この時あたしの頭の中には、あったかもしれないけど浮かんではこなかった。さっきわけのわからぬままに気持ちの醒めてしまった時と同じように、あたしはまた自分でもよくわからないままに、気を持ち直すことに決めていた。
「ううん、平気。ちょっとお屠蘇飲み過ぎちゃった」
まあ、いいや。
こういうの、久しぶりだもん。こんな風に一緒に何かをするっていうの(厳密には、あたしは何にもしてないけど)。いつも修行の後とかご飯食べながら話をするだけでさ。まあ、今だって似たようなものだけど。でもそれでも、いつもの修行よりはずっと楽しいわ。ちょっぴり時間も貰えたし。
ヤムチャはそれ以上何も言うことはなく、黙ってあたしの隣を歩き続けた。でも、あたしにはそれで充分だった。
だって、やっぱりヤムチャ格好いいんだもの。
少し伸びかけてる黒髪も、エキゾチックな黒い瞳も、何もかもがこの衣装にハマってる。タッパがあるから余計にね。普通にしてるだけでも、充分に雰囲気出てる感じ。あー、これでみんながいなかったらなあ…
ちょっぴり残念な気持ちもセットではあったけど、あたしの気分はすっかり切り替わった。亀仙人さんへの呆れも少しだけ薄まった。だって、着せてくれたのは亀仙人さんなんだからね。あのじいさんの口実も、たまには役に立つのね。あたしもまたお酌しようかなあ。あれ、すっごく絵になるんだもん。確かに強いお酒だったけど、口当たりはよかったし。きっとカメハウスに戻ったらいつもの格好に戻っちゃうんだろうから、今のうちにいっぱい堪能しておかなくっちゃね!
そう思っていたのだけど、会場についてさっきよりは弱いお餅の匂いと、強く漂ってくるある甘い匂いを嗅いだ時、あたしの気分はまたもや切り替わった。
「わー、餡子がある!さっそく食べようっと!」
なんかすっごく、甘いものが食べたくなってきた。お屠蘇飲んだ後だからかしら。お酒飲んだ後にラーメン食べたくなるってよく聞く話だけど、あれ嘘みたいね。だいたいラーメンなんて、お正月に全然似合わないし。しょっぱいものが食べたくなるってことなのかしら。まあそんなの、どうでもいいや。
「あっ、おいし〜」
つきたてのお餅の、赤ちゃんのほっぺたのような柔らかさ。そこに絡むふくよかな豆の風味。本当にすごくおいしい。田舎の食べ物がおいしいって本当ね。
これでイチゴがあったらなあ。即席イチゴ大福が作れるのに。
そう思うほどに餡の甘味を堪能した(つまり少し飽きてきた)頃になって、あたしはふと気がついた。さっきこの話題で盛り上がった相手が一人いたことに。
「ねえ、ランチさんも食べたら?餡餅、好きなんでしょ。その間、あたしが亀仙人さんにお酌していてあげるから」
とりあえず一皿餡餅を差し出しながらあたしが言うと、ランチさんはにこやかに笑って、でも手元の銚子は離さずに言った。
「あら、ありがとうございます、ブルマさん。でも、いいんですか?」
「こりゃあ珍しいこともあるもんじゃわい」
「ちょっとだけよ。変なことしたら、お屠蘇ぶっかけるからね!」
すでにぶっかけたい気分になりながら、あたしは言ってやった。ひとがせっかく親切にしてやろうってのに、その台詞は何なのよ。こんな美人が酌してやるって言ってんだから、素直にされておきなさいよ。失礼なじいさんね!
その時横をクリリンくんが通りかかったので、あたしはついでに訊いてみた。
「クリリンくんも飲む?」
「いえ、おれはいいです。今は腹が減ってるんで」
クリリンくんはそう言って、さっさとお餅を取りに行ってしまった。別にいいわよ。なんとなく言ってみただけだし。健全で結構なことだわ。そう思って空になった亀仙人さんの盃に、お屠蘇を注ごうとした時だった。
「おれにも注いでくれよ」
懲りもせず厚かましいブタが、さっきと同じ台詞を口にした。当然、あたしはその言葉を退けた。
「あんたは手酌で充分よ」
「いい態度だよな、おまえ」
「あんたは何もしてないでしょ。つーか、ガキは酒なんか飲まなくていいの!」
くだを巻くウーロンをあしらいながら、あたしは亀仙人さんにお酌をしてあげた。少しばかりの感謝心と、いっぱいの警戒心を抱いて。…疲れる酒の席ね。さっきヤムチャにお酌をしてあげた時とは、雲泥の差だわ。
そこでようやく気がついた。…ヤムチャはどこに行ったのかしら?
なんかいつの間にか忘れてたわ。あいつ、地味だからなあ。だから、ああいう派手な格好すると引き立つのよね。せっかく引き立ってるんだから、あたしをもっと引き立てなさいよ。気が利かないんだから!
「あっ!」
田舎くさい群衆の中でさらに引き立っているヤムチャの姿を見つけた瞬間、あたしは思わず叫んでしまった。すぐさま銚子と僅かな感謝心を放り出して、ヤムチャのところへ飛んで行った。
「ちょっとヤムチャ!何、納豆餅なんか食べようとしてんのよ!」
あたしが怒鳴るとヤムチャは一瞬動きを止めて、次にまじまじと手の中にある皿を見た。
「ああ、これ納豆餅って言うのか」
「もうヤムチャさん、いちいち新鮮なんだから…」
「いや、そのまんまの名前だなって思って」
即座に始まった弟子たちの間抜けな会話を、あたしは無視した。そんなのに付き合ってやる義理はあたしにはないわよ。
「納豆なんか食べちゃダメ!」
「何で?」
「そんなの食べたら、後で困るでしょ!」
「後で何が?」
「あー、もう!!」
やっぱりまだまだ甘かった。どこまでもわからない顔をし続けるヤムチャを見て、あたしはそう思った。普通にしてても充分なんて、そんなことあるはずなかったわ。普通にしてたら、こいつはこうなんだから。いつだって、こうなんだから!
「ちょっとこっち来て、ヤムチャ!」
呆然としたようにあたしたちを見るクリリンくんを置いて、ヤムチャを会場の隅へと連れていった。いつもなら大目に見てやるところだけど、今日はそうはいかないわ。
だって、今日は今年初めての顔合わせなんだから。しかも珍しくそういう雰囲気あるんだから。肝心の本人の中身以外はね!!
「あのね。納豆なんか食べたら、匂いがするでしょ。匂いがしたらできなくなっちゃうでしょ」
「だから何が…」
「キスが!初キスが納豆の味なんてやーよ、あたし」
「は…」
あたしははっきりと言ってやった。ヤムチャははっきりと意外そうな顔をした。あたしは切り替わったはずの自分の気持ちが、徐々にでも確実に元に戻っていくのを感じた。だから、戻りきってしまう前に、そうすることに決めた。
「っていうか、今してよ」
特に理由なんかないわ。気分よ。でもそれが、こういうことには一番大切なのよ。そして、あたしは今そういう気分なのよ。
「は!?」
「そうよ。今してよ。そしたら納豆食べてもいいから。今なら袴姿だし、ちょうどいいじゃない」
さらに、その気分は現実感覚をも引き連れてきた。考えれば考えるほどにグッドアイディア!ものすごく合理的だわ。本当はそういういきなり過ぎるのってあたしあんまり好きじゃないけど(だって、ムードないじゃない)、今は気にならない感じ。不思議ね。袴効果かしら。
「さっぱり意味がわからないんだが」
「袴着てるうちにしたいの!格好いいから!」
「う…」
ここでヤムチャが口篭ったので、あたしはもう完全に決めた。このまま畳みかけてしまうことに。ヤムチャって、おだてに弱いんだから。
「ね?いいでしょ。キスして!!」
「え…ああ。…今はちょっと。じゃあ後で…」
思った通り、ヤムチャはちょっと流された。ヤムチャってさ、何だかんだ言って、『格好いい』って言われること、否定したことないのよ。あたしに限らず誰に言われても、否定も肯定もせずに黙って受け止めるんだから。他人事みたいな顔してね。ハイスクールに通ってた時が、まさにそうだったわ。格好つけもいいところよね。
でもあたしは、この際それを利用させてもらうことにした。いいの。今はもう、ハイスクールの女たちはいないんだから。
「やだ。あたしは今したいの。今、キスしたいの!」
だって、その方が気分出るもん。今のこの格好の方が、絶対にそれっぽいもん。普段のヤムチャとなんかいつだってキスできるけど、それっぽいヤムチャとキスできるのは、今だけだもん。っていうかさ。
どうしてこいつ断るわけ?女がこんなにはっきりキスしたいって言ってんだから、素直にしておきなさいよ。失礼な男よね!
もう絶対に引かないわ。あたしがさらに意志を固めた時、少し遠くから声が飛んできた。
「おまえ、何してんだ。大声出しやがって、恥ずかしいやつだな。しょうがねえな、どう…」
「うるっさいわね!あんたに用はないのよ!!」
さっきからことごとく邪魔をしてくるウーロンの声。それをあたしは瞬時に退けた。もう、本ッ当に邪魔!この空気が読めないの!?
プーアルでさえ、顔を出してこないっていうのに。ウーロンもヤムチャも、本当に空気読めてないんだから。ヤムチャってば、全然そのままでよくないわ。神様も亀仙人さんも計らってくれたのに、どうして本人は計らわないのよ。あんまりかわいくない態度取ってると、捨てるわよ!
「ああ、ええと…ブルマ、とりあえず場所を変えよう。な?」
ウーロンから目を逸らすと、途端にヤムチャがそう言った。後ろからあたしの両肩を押し出しながら。わざとらしいその笑顔をあたしは咎めなかったけど、一応確認はしておいた。
「またそうやって誤魔化そうとしてー」
「いや、誤魔化してないから。ここは人目が気になるから車に…」
「本当?」
「ほんと、ほんと」
イェーイ。押し切った!
言い方が全然それっぽくないけど、まあいいわ。あたしのやり方も、あまりそれっぽかったとは言えないし(ヤムチャが鈍いせいよ)。それにどうせこいつはもともとそれっぽくないんだから。少しは格好よく見える今の方がまだマシよ。
「ねっ、手繋いで」
ヤムチャがいつまでもあたしの体を押し続けようとするので、あたしは言ってみた。気が利かないんだから。そう言ってやろうかとも思ったけど、やめておいた。
ヤムチャが今度は素直に、手を掴んでくれたから。口では特に何も言わなかったけど、あたしにはそれで充分だった。
こういう時は何も言わなくてもいいのよ。むしろヤムチャは喋んない方がいいかも。その方が雰囲気出る感じ。ヤムチャって、見た目はクールなんだから。黙ってた方が、よっぽど格好よく見えるわ。わかってくれたなら、なおさらよ。
あたしはすっかり満足して、ちょっぴり強めにあたしの手を握って隣を歩く男の顔を見た。ヤムチャがわかってくれたことは、もう疑いようがなかった。
だって、頬が赤いもん。ヤムチャはあれからお屠蘇飲んでないもん。これは絶対にお酒のせいじゃないもんね。
えへへ。
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