緩歩の女
都にはかわいい子やきれいな子がいっぱいいる。それぞれみんな着飾って、笑顔で街を歩いている。だから、その中でひときわ輝く美しさ、とまでは言わない。
でもやっぱり、目立つ方ではあると思う。顔立ちが整っているだけではなく、何といってもスタイルがいい。そしてたぶん、自分でもそれをわかっているんだと思う。
いつもいつもと言ってもいいほど、そういう服を着ているからだ。動きやすそうと言えば聞こえはいいが、妙に足や胸元の出ている服を。それでさらに目立つことになる。時々、すれ違いざまあからさまに視線を寄こすやつもいる。
俺はそれが少し気になる。…こともある。

とはいえ、今一番気になっていることは、それではなかった。
「女へのプレゼント〜?」
リビングでみんなが来るのを待ちがてら俺が切り出すと、ウーロンは目を丸くして声を上げた。
「ああ、おまえならわかるんじゃないかと思ってな。女の子が、その…ちょっと特別な日に欲しがりそうなもの…」
「なんだ、ブルマの誕生日プレゼントかよ」
俺がさらに言うとウーロンはどことなく気の抜けたような顔をして、ソファに深く沈み込んだ。俺もなんとなくその隣に座ったが、背凭れに背をつける前に次の言葉が飛んできた。
「おれはまた、ついにおまえが他の女に乗り換えることにしたのかと思ったぜ。ずいぶん神妙な顔をして『女の子』だなんて遠回しな言い方するもんだからよ」
俺は少し気後れしながら、自分の言動を振り返った。別に隠していたわけではない。ちょっと気恥かしかっただけだ。
「あいつはあれだろ。今流行りの洋服とかよ」
頭の後ろで腕組みしながらウーロンが言った。投げやりとも言えるその口調にではなく、わりあい良心的なその内容に俺は首を振った。ともかくもそういうことだけは決めていたのだ。
「そういう、いつも買ってる物じゃなくてだな、もっとこう『これ』って感じでブルマが欲しがりそうなものってないかな」
それに、服は一応考えてみたんだ。今日一緒に街を歩きながら観察してもみた。でも、女の子のものってどうもよくわからないんだよな。ブルマはブルマで同じようなものばかり見てるし。それでそれが欲しいのかといえばそうじゃなくて、値段に文句つけてたりするんだよ。ブルマって金持ちのくせに妙に庶民的なところがあるんだよな…
まあとにかく、観察してもわからなかったので、少なくとも俺よりは女の子のことを――良くも悪くも――わかっているに違いないウーロンに訊ねてみたというわけだった。
「あいつが欲しがりそうなものか。じゃあ、メカのパーツで決まりだな。それなら絶対間違いないぜ」
「いくら何でもそれは現実的過ぎるだろ。もうちょっとこう…それっぽいものがいいんだが」
「それっぽい?そんならアクセサリーだな。おまえ知ってるか?今学校の女の間でお揃いのペンダントを持つってのが流行ってるんだぜ」
「お揃……いや、できればもう少しさりげないものが――」
「一体どうしろって言うんだよ!?」
「それがわからないから訊いてるんじゃないか」
俺がまったくもって率直に自分の気持ちを吐露すると、ウーロンは腕を解いて白けた目つきを覗かせた。
「おまえもたいがいだな…」
ここでリビングのドアが開いた。プーアルとママさんはキッチンにいる。ブリーフ博士は出張中。よって、今リビングに入ってくる人間は一人しかいなかった。それもあって俺はウーロンには答えなかったのだが、その間は少々不自然に、少なくともブルマの目には映ったようだった。
「ちょっと、何よ。二人してどうして急に黙るのよ?仲間外れにしないでよね〜」
部屋に足を踏み入れるなりそう言って、少し威嚇するように胸を張った。俺は咄嗟に誤魔化そうとしたが、ウーロンがあっさりと言ってしまった。
「今何か欲しいものあるかって話をしてたんだよ。昨日からセンター街でバーゲンやってるだろ」
俺は軽く心の中で頭を抱えた。そりゃあ何が何でも内緒にするつもりはなかったが、できればブルマには直接訊くことなく用意したかったのに。だからこそウーロンに訊いたというのに…
とはいえブルマは何も気づいた様子はなく、おそらくは本当の気持ちを打ち明けてくれた。
「バーゲンねー。確かにやってるんだけどねえ。今あんまり欲しいものないのよね。強いて言えば新しい基盤とか…」
「おまえは本当に予想を裏切らないやつだな。訊くんじゃなかったぜ」
「まー何よ。一体どういう態度よ、それは」
「普通、女が欲しがるのはそういうもんじゃねえだろ。まったく、色気も夢もない女だぜ」
「どうしてバーゲンに夢が必要なのよ?」
それはもう、思わず感心してしまうくらいさっぱりとした態度だった。まあ、バーゲンに夢が必要だなんて、俺だって思っちゃいないが。殊にブルマにとっては現実ばかりだろう。…しかし、本当に気がついていないのか?こいつ案外鈍いな…
おそらく言うことがなくなったのだろう。ウーロンはもうそれ以上ブルマをつつこうとはしなかった。よってブルマの応酬もそこで終わった。諌める出番なくして、俺にも言葉はなかった。やがてキッチンからママさんとプーアルがやってきて、再び開いた間を埋めた。
「は〜い、お茶が入ったわよ〜。今日はウェストエリアに新しくできたお店のお菓子よ。みんな好きなの選んでね〜」
「はい、ケーキここに置きますね」
それで完全に会話が切り替わった。ブルマが気づいていないのかどうかはわからないが、もう気にしていないことは確かだった。
「どんなのある?あたし今日はチョコレートっぽいのが食べたいんだけど」
「イチゴのチョコレートケーキがあるわよ〜」
「あ、じゃあそれにするわ」
訊ねた時にはすでに箱の中を覗いていて、宣言した時にはもうケーキに手を伸ばしていた。女の子って本当に甘い物に目がないよな。ブルマの場合それがイチゴだともう完全に目の色が変わる。色気より食い気、この時ばかりはそう見える。
だけど、普段はそうじゃないから悩むわけだ。だから俺も、何かそれっぽいものをあげたい、なんて思うわけだ。
ケーキの乗った皿を片手にソファに深々と座り込んだブルマは、なかなか幸せそうに見えた。本人の言っていた通り、すっかり充足しているように見えた。
うーむ。どうしようか…


結局、結論は持ち越した。お茶の時間が終わってまでもしつこくウーロンに相談する気は俺にはなかったし、翌日になってしまえばそうする時間もないのだった。朝食、登校、昼食。授業以外のほとんどの時間をブルマと一緒に過ごした後で、だが俺はふいに一人の時間を与えられた。
「ブルマならいないわよ。午前の授業だけ受けて帰ったわ」
「えっ…」
下校。それを一緒にするためブルマのクラスを訪れると、掃除をしていた女の子が一人やってきて、俺が何も訊いていないのに教えてくれた。
「ブルマって、自分が掃除当番の週はほとんどサボるのよ。バックレたり、掃除の時間になる前に帰ったり。本当にズルいんだから!」
「…………」
俺はなんとなくいたたまれない気持ちになって、女の子から一歩を引いた。昼休みまではいたんだ。俺と一緒に弁当を食べたんだ。そんなことを教えるつもりはなかった。それでは立つ瀬がなさ過ぎるというものだ。…ブルマも一言言ってくれればいいのになあ。そしたら注意したのに。ブルマが俺の言うことをきくかどうかはまた別だが。
「ヤムチャくん、かっわいそ〜。置いてかれたのね。自分勝手よねー、ブルマって。じゃあ、あたしと一緒に帰りましょうよ。荷物纏めてくるから待っててね」
「…あ、いや、悪いけど。君だって掃除があるだろ」
「掃除なんかよりヤムチャくんの方が大事よ。ねえ早く、みんなにバレないうちに行きましょ」
「ごめん、俺ちょっと寄るところがあるから…」
いつしか話題は完全にすり替わっていた。畳みかけるような勢いの女の子から俺はどうにか二歩目を引いて、ブルマのクラスを後にした。一体どっちが自分勝手なんだ。そう呆れると共に溜息が出た。ブルマに置いてかれることよりも、ああいうことを言われる方が困るんだよな。本当に、サボるんならサボると教えてくれよ。そうしたらわざわざクラスに探しに行ったりしないのに…
…もう明日か。どうしようかな。
やがてハイスクールのポーチを抜けると、思考は自ずと切り替わった。ブルマがサボったということも、どうしてサボったのかということも、今の俺にはどうでもよかった。一緒に過ごした昼休み、特に変わったところはなかった。もちろんケンカなんかもしていない。だから、ブルマのサボりは正真正銘ただのサボりだ。今俺が考えるべきは、今日のブルマではなく明日のブルマだ。
そんなわけで、俺の足は街に向いた。有言実行というわけではないが、数分前にした咄嗟の言い訳の言葉に従おうという気に、今ではなっていた。昨日はセンター街だけだったから、今日は他のエリアを見てみよう。それで何も思いつかなかったら、明日本人に訊ねることにしよう…
昨日街へ行ったのはブルマに連れられて言わば成り行き上のことであったから、自主的にプレゼントを探すのはこれが初めてだった。少々こそばゆい思いでショッピングエリアへ入り込むと、一区画も進まないうちに後ろから声が飛んできた。
「おーーーい」
「ヤムチャ様ー」
どうやら今日のジャンケン勝者はプーアルらしい。まずは手ぶらのプーアルが、次いで二人分の鞄を持ったウーロンがやってきた。二人はどことなく怪訝そうな顔で俺を見た。
「お買い物ですか、ヤムチャ様」
「おまえ一人か。ブルマは?」
「サボった。…んだと思う」
そして俺が答えた途端に、その理由がわかった。
「またかよ。しょうがねえなあ。で、今回の原因は何なんだよ?」
「ケンカしたわけじゃないって…」
「あ、そうなんですか。よかった、ボクはまたてっきりブルマさんが怒ってどっか行っちゃったのかと思いました」
「じゃあサボリか。しょうがねえなあ、あいつは」
だからサボリだって言ったのに。さっきの子といい、なんだかなあ。あまり意味なくサボらないよう、ブルマに言っておかないといけないな。
少々気を入れながら、俺は思った。思うだけなら自由だ。そして、さてこれからどうしようと考えていると、ウーロンがおもむろに言い放った。
「で、どうだ?何かいいもん見つかったか?メカのパーツよりブルマが喜びそうなものあったのかよ」
「な、なぜそれを…」
「おまえが一人でこんなところに来る理由、他にないだろ」
看破されたこと自体ではなくその訳が、俺に口を噤ませた。そうなんだよなあ。街に来る時は大抵いつもブルマが一緒で、主にブルマが道も買い物も先導するから、俺はあまり考えて買い物をしたことがないんだ。自分のものでさえそうなのに、それがブルマのものとなると…
「よし、おれも付き合ってやるよ。同居人のよしみだ。だから何か奢れよな」
それのどこがよしみだ。
こうして、たいしてありがたくもない気持ちで、俺はウーロンに付き合っていただくことにした。ま、追い返すほどのものじゃない。プーアルだけ連れてってウーロンを追い返すというのも露骨過ぎるしな。プーアルに鞄を返すと、ウーロンはさっさと先を歩き始めた。
「おまえはああ言ってたけどよ、やっぱり女のプレゼントっていやぁ身につけるものに限るぜ」
「身につけるもの?」
「アクセサリーとか、時計とか、靴とか、服とかだよ」
「範囲が広過ぎるぞ」
「とにかくだな、普通は女へのプレゼントといったら、まずジュエリーショップに行くものなんだよ」
「ジュエリー…」
それは少し早過ぎるんじゃないだろうか。
脳裏にブルマの姿を思い描きながら、俺は思った。あまり似合う気しないよなあ。いろいろな意味で。大変失礼なことながら。確かに女の子ってそういうイメージだし、大金持ちのお嬢様ならなおさらなんだろうが、ブルマにはそういう雰囲気があまりない。活発というか健康的というか、着てるものだって活動的なものばかりだ。容姿自体は大人っぽいんだがな…
服、靴、バッグにアクセサリー。いつしか俺の目はショーウィンドウに溢れるそれらの物ではなく、それらを身につけ着飾った街の女の子たちに向いていた。手入れの行き届いた髪。流行りの服。明るい笑顔。都の、特にこういう場所にいる女の子って、誰も彼もがかわいく見える。まったくその気がなくっても、自然と男よりも女の方に目がいってしまう…
「お、あったぞ。ここなんかどうだ?ちょうどセールやってるぜ」
ふいにウーロンが足を止めた。次の瞬間、俺は一見良心的だったウーロンの態度に、思いっきり突っ込みを入れることとなった。
「…お、おまえ、ここはジュエリーショップじゃなくて、ランジェリーショップだろうが!」
一瞬、息を呑んでから。読み違えるにも程がある。っていうか、そんな言い訳信じないぞ!
ところがウーロンは、予想したその言い訳をすらせずに、飄々と言ってのけた。
「おまえ遅れてんな。今は下着だってプレゼントする時代なんだぞ」
「おまえは俺の人生を終わらせる気か!」
「よう、そこの彼女。よかったらおれたちのも一緒に選んでくんない?こいつ自分の彼女にプレゼント買いたいって言うんだけど、サイズとかわからなくってよ」
「こんなところでナンパするな!しかも俺をダシにしやがって」
嵌められた。それとも便乗されたと言うべきか。ともかくもウーロンの魂胆は今では一目瞭然だったので、俺は数歩を引きながらプーアルに命令を下した。
「プーアル、ウーロンを止めてくれ。俺は少し離れたところにいるから…」
「は、はい、わかりました」
ウーロンに――というよりあの店に近づくなんて俺には無理だ。だいいちこんなところにいるのがブルマにバレたら大変だ。サボって一体どこに行ったのかはわからないが、わからないからこそ怖いのだ。
そんな心境から、俺はその場を離れある店に立ち寄った。何度かブルマと一緒に足を運んだスィーツスタンド。女の子の趣味はわからなくても、ブルマの食べ物の好みならわかるのだ。絶対に外しようのないそのイチゴの菓子を買い終えても、ウーロンはまだあの店先に粘っていた。それで俺は、視界のうんと端っこにウーロンとプーアルを置きながら、周りを少し歩いてみた。
服、靴、バッグにアクセサリー…どれもこれもいまいちだ。などと思っていはしない。正直言って、まだあまりピンときていないんだ。『自分が女の子にプレゼントをする』というそのことが。確かにイメージだけなら持っていた。タキシードに身を包んで花束を。そんなイメージを。ステレオタイプといえばそれまでだが。
だがいざその段になってみると、とてもそういうことはできないな、という気がする。照れくさいだけではなく、どこかズレている感がある。俺は本当に、憧れに夢を見ていたんだなあと思う。
いつしか俺はそこはかとなく冷静な気持ちになって、近くに並んでいたワゴンショップを覗き込んだ。手持無沙汰だったからだ。見るべき店はたくさんあるのだが…正直言って、女の店に男一人で入るのは厳しいんだよな。それがランジェリーショップじゃなくてもだ。そこへいくとウーロンはすごいよ。尊敬はしないがな。どうしたらあそこまで露骨になれるのか不思議だ。
それは、ブルマと一緒に歩いている時にも時々抱く感覚だった。ウーロンに対してではなく、ウーロンに似て非なる一部の都の人間に。確かに男というのは女に目が行くものだ。だから、気持ちだけなら多少はわかる。かわいくてスタイルもいい子が肌を覗かせているとなれば、気になるのは当然だ。だがそれにしたって露骨過ぎる。そして一方では、どうして気づかないんだ、という気にもなる。
…本当にな。自覚してるんだかしてないんだかわからんが、本人だけはさっぱりした態度なんだから。
そこで俺は思考を打ち切った。なんとなく手にしていた帽子を棚に戻すと、ワゴンショップの人間が声をかけてきた。二、三のやり取りをした後で、俺は決めた。
「ウーロン、プーアル、そろそろ帰るぞ」
この時にはウーロンの活動場所は、ランジェリーショップの外へと移っていた。俺が声をかけると、まずは一仕事終えたプーアルが、次いで実りなき仕事を切り上げたウーロンがやってきた。
「帰る?いいのか?ブルマの誕生日プレゼントはどうすんだ?もう明日だぞ。何もやらないとあいつ怒るぞ〜」
「いいよ。明日ブルマに直接訊くさ」
そう、俺は驚かせたいんじゃなく喜ばせたいんだから、それでいいんだ。ちょっと情けないけど、ブルマのことはブルマにしかわからない。そういうことにしておこう。
「ご苦労だったなプーアル、何か飲むか?」
そう決めてしまうと、すっかり気が楽になった。心の底から軽い気持ちでプーアルを労うと、その原因となった人物が図々しくも会話を引き取った。
「おれにも訊けよ。そういう約束だろ」
「おまえ、何もしてないじゃないか」
もう何を遠慮することもなく、俺は言ってやった。するとプーアルが、それは明るく嫌みを言った。
「そうだそうだ。ウーロンはナンパに失敗してただけのくせに」
「なんだとプーアル。あれはおまえが邪魔するからだろ。おまえがうるさくしなけりゃ、女の子たちだってだな…」
「うっそだ〜。ウーロンのナンパがうまくいったところなんて見たことないよ」
すでに会話は切り替わっていた。ブルマも一緒にくればよかったのにな。プーアルとウーロンの明るいやり取りに俺はそんなことさえ思いながら、夕暮れの街を後にした。


俺より先にハイスクールを出たはずのブルマが、俺より後に帰ってきた。
ひどく珍しいことではない。でも、そのブルマに迎えられるというのはわりと珍しいことだった。俺たちがC.Cのゲートを潜ると、ちょうど目の前のポーチ傍にエアバイクが降りてきたのだ。操縦者は言わずがもな。ブルマはゆっくりとゴーグルを外し軽く頭を振ると俺たちのところへやってきて、まるで咎めを含まない明るい声で言った。
「今帰ってきたの?三人してどこに寄り道してたのよ」
「うん、ちょっと街の方に。これお土産。ストロベリーチーズバー」
「わ〜、サンキュー」
そして俺が土産を差し出すと大げさなくらい喜んで、ブラウンバッグを胸に掲げた。初めの声を聞いた時に思ったことが、これで確定した。何だかいやに機嫌がいいな。うん、やっぱり今日のブルマのサボリは俺のせいじゃなかった。
今のうちに訊いてしまおうかな。あまりないブルマの素直そうな雰囲気に流されて、俺はそんなことを考えた。だが、その雰囲気に乗る前に、ウーロンが茶々を入れてきた。
「何だヤムチャ、おまえ案外ちゃっかりしてんな。そんなの一体いつの間に買ってたんだよ」
「おまえがすっかり自分の趣味に走ってた間にだよ…」
いつの間にもクソもないよな。思わず汚い言葉を心の中で投げかけると、ブルマがからかうような口調で話に入ってきた。
「何よウーロン、あんたまたナンパしてたの?」
「ただのナンパならまだいい。こいつ俺をジュエリーショップに連れてくフリして――」
「ジュエリーショップ?なんでそんなところに行こうとしたのよ?」
「うっ…」
こうして俺は自分の目論見からは完全に外れた形で、その話題に触れることとなった。そしてそれは少々困った心境を誘発した。内緒にする気はまったくない。でも、素直に訳を言ってしまう、そんな気にもなれない。こんな風に芋づる式に言うのはちょっとなあ。二人きりじゃなくたって別に構わないが、せめてもう少しそれらしく切り出したいじゃないか。
「ああ…えーと…」
「バッカだなー、おまえ」
ええーい、うるさい。
いつもながらのウーロンの茶々は、この時の俺にはいつも以上にうるさく感じた。ブルマがウーロンを邪険にする気持ちがわかってもきた。けれども、そのブルマは大変に機嫌がよかった。我ながら絶対に不自然だと思える俺の態度を流してくれた。
「ま、いいわ。あー、お腹空いた。さっそくこれ食べよーっと!」
カラッとした笑顔と明るい声で。そして大げさともいえる手つきで、俺のやった菓子を食べ始めた。さらに呆れたように投げられたウーロンの余計な台詞にも、笑顔を崩さなかった。
「ここで食うのかよ。中に入ってからにしろよ、行儀悪いな。だいたい何でそんなに腹減ってんだよ。おまえ、サボってたんじゃないのか?今まで何してたんだよ」
「ナ・イ・ショ!」
「何もったいつけてんだよ。どうせまたわけのわからないもの作り始めたんだろ」
「わけのわからないものとは何よ。あんたが理解できないだけでしょ。自分の頭が悪いのを棚に上げてそういうこと言わないでちょうだい」
まあ、さすがに終いには眉を寄せていたが。でもこれはウーロンが悪い。ウーロンのやつ、素でケンカ売ってるからな。
二人きりじゃなくてもいいけど、ウーロンはいない方がいいかもな。俺はまた一つ決めながら、言い合う二人の後に続いてポーチを潜った。




翌朝。トレーニングの汗をシャワーで流してからリビングへ行くと、隣接するキッチンからなかなか楽しい母娘の会話が聞こえてきた。
「いつも通り夜でいいわ。ケーキはいつものイチゴのケーキよね?じゃあ二段…ううん、三段重ねにして!」
「あらあら。そんなにたくさん食べ切れるかしら」
「今年はヤムチャたちもいるんだもの、大丈夫よ」
一体何のことを話しているのかは、およそ見当がついた。ブルマは俺たち居候組の取り分を心配してくれている…わけではないだろう。毎日毎日イチゴの菓子ばかり食べていて、よくも飽きないものだ。本当に好きなんだなあ。昨日土産にやったイチゴの菓子もあっという間に食べていたしな。
俺は笑いを噛み殺しながら、ブルマに近づいた。背後から。ブルマが俺の誕生日にそうしたように。
「おはようブルマ。誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう!」
声をかけると、まるで待っていたかのように笑顔が弾けた。この上ない素直さに溢れた花笑み。どこかくすぐったくなる明るい声。それで俺は、用意していた言葉を忘れた。正確には、棚上げしてしまった。『誕生日のプレゼント、何が欲しい?』そんななんてことのない台詞が、ひどく気恥かしいものに感じられたのだ。そしてそうしているうちに、プーアルとウーロンがやってきた。
「お誕生日おめでとうございます、ブルマさん」
「よーっす、おはようさ〜ん。おっと忘れてた、誕生日だったな。よ、おめでとさん」
俺は一瞬にして頭を抱えた。心の中でではなく現実に。ウーロンが言い終えた途端に、ブルマの機嫌が崩れたのがわかったからだ。わからいでか。この顔を見れば一目瞭然だ。
「ちょっとウーロン、何よその言い方。もう少しどうにかならないの?気持ちが篭ってないにも程があるわよ」
完全にいつもの口調となってブルマが言うと、ウーロンがまたこの時とばかりに、真っ向からその相手をするのだった。
「おまえこそ、もう少しどうにかならないのかよ。誕生日だってのに、初っ端からそんなケチつけることないだろ」
「何言ってんの。ケチつけてるのはあんたでしょ」
「どこがだよ。おれはおめでとさんって言ってやっただろうが」
「その態度がケチつけてるんだっつーの」
…いや、相手をしてるのはブルマの方か。まったくウーロンのやつ、何もこんな日にまでそんな態度を取らなくてもなあ。せっかくブルマが上機嫌だったというのに…
「おまえの負けだ、ウーロン。ブルマが正しい」
「そうよねー、ヤムチャってばわかってる〜!」
売り言葉に買い言葉。それを証明するように、俺が間に入っただけでブルマは上機嫌を取り戻した。一方ウーロンは、それはそれはやつらしい態度を取り続けた。
「なんだよヤムチャ、珍しく一方的に肩を持ちやがって。いくらブルマが怖いからってなあ」
や・め・ろ。
いつもながらの暴言混じりの減らず口。それをいつものように聞き流すことは俺にはできなかった。今日に限って俺を巻き込むのはやめてくれ。そりゃあブルマとウーロンなら、俺はブルマの肩を持つさ。でもそれは、ブルマが怖いからじゃない。絶対違うとは言い切れないが、少なくとも今日は違うんだ。
「そんなんじゃない。おまえ、俺の時も同じような感じだっただろ。俺は男だからいいけどな、ブルマは女なんだからそういう態度を取るな」
そんなわけで、俺は言ってやった。完全に事実に裏打ちされた言葉を。ウーロンの態度が悪いのなんて今に始まったことではないが、それにしたって極端過ぎるじゃないか。ブルマに対するのと、ブルマ以外の女に対するのと。外見ではなく中身で判断している、そう思ってやりたいところなのだが…
とはいえ、これはやぶへびだった。どだいウーロンが俺の言うことをきくわけもないのだ。結果、ウーロンとブルマの会話は、もう完全に俺には入り込めないものとなった。
「こいつが女なのは見た目だけだろ。女らしさの欠片もないくせによ」
「あーら、そんなこと言っていいのお。そんな風にパーティの主役を悪く言うやつには、パーティのごちそう食べさせてあげないから」
「あっ、卑怯だぞ、おまえ」
「それが嫌なら認めるのね。あたしはとびっきりのいい女だってことをね!」
「あー、はいはい。おまえはいい女だよ。体だけな」
…そういうこと言うの、やめてくれないか。なまじ本当のことなだけに反論できん。フォローもできないし、そもそもその角度の話には入っていけない。…結局俺のしたことは火に油を注いだだけか。せめて今日くらいはと思ったのに…
「あんた、ほんっとにかわいくないわね。それじゃあ彼女なんかできっこないわ。きっとナンパし続けの人生ね」
「放っとけ」
やがて終焉が見えてきた。ブルマとウーロンの不毛な会話は、たいがいがその台詞で終わる。ブルマが言った場合はともかく、ウーロンがそう言えばブルマは引く。俺以外の者に対しては、勝ちの見切りが早い。そしてやっぱり、この時もそうだった。
「はいはい、放っておくわよ。ウーロンはパーティに欠席、っと。ヤムチャ、プーアル、朝ごはん食べましょ。早くしないと遅刻するわよ」
言いながらさっさとテーブルへと向かった。いつの間にか出来上がっていた朝食の席に、俺はママさんの平常心を見た。次に、ウーロンのそれも見た。
「あっ、こんにゃろ。くそー、性格悪いな、おまえ」
「どっちがだ…」
そしてまたもや、それを流すことはできなかった。きっといつもだったら『どっちもどっちだ』などと思ったことだろう。でもやっぱり、今日の俺はブルマの味方なのだ。『しつこいぞ』。例えやぶへびになろうとも言ってやる。そう思った時、突然ブルマが笑い出した。
「そうよねー、そう思うわよね、やっぱり!」
カラカラと実に楽しそうに。一体何がそんなに楽しいんだ。そう言ってやりたいほどの笑顔だった。だがもちろん俺はそうは言わず、目を丸くしたウーロンと、これまでとはまったく違った雰囲気で顔を合わせた。
「ま、いいじゃないの。早いとこごはん食べましょ。ウーロンもさっさとしなさい。今日は特別に見逃してあげるわ」
でもすぐにブルマがそう言ったので、少し気恥ずかしい気分になりながら席についた。…にこやかな笑顔に明るい声。こんな雰囲気で事が治まるの、初めてなんじゃないだろうか。本当に機嫌がいいんだな。よ過ぎて怖いくらいだ。
とはいえ、まさか本当に怖がっていたわけはない。やっぱり女の子だなあ。男じゃここまでは浮かれないもんな。そんなことを思いつつすでに食事を開始しているブルマを見やり、その手が止まる頃になって気がついた。
うーむ。すっかり言いそびれてしまった…


朝食の後は登校。その時になってもまだ、いつもとは違う雰囲気は続いていた。
「ブルマさんはいつもどんな風に誕生日を過ごしているんですか?」
「ん?そうねー、ミドルスクールの頃からパーティは夜にすることにしたから、昼間はどこかへ遊びに行って…」
「つまりはサボリってわけか。しょうがねえな」
「今日はサボんないわよーっだ」
プーアルとウーロンはともかく、当のブルマが微笑ましいくらいに機嫌がよかった。にこにことプーアルの質問に答え、その後に入ったウーロンの茶々にも茶目っけたっぷりに舌を出してみせた。
「じゃあねヤムチャ。また後で、お昼休みにね!」
そしていつもは言わない台詞を言って、軽やかな足取りで自分のクラスへと駆けていった。まるで子どものようにはしゃいだ後姿。かわいいなあ。本当に誕生日が嬉しいんだな。そんな和やかな気持ちで俺は始業のベルを聞き、わりあい平常心で4限目終了のベルを聞いた。そして移動先の化学実験室から自分のクラスへ戻る途中、ブルマの声を聞いた。
「やっほーヤムチャ、今授業終わったとこ?」
ちょうどブルマのクラスの前で。そこまではさほど意外ではなかった。うん、確かに今日はちゃんと授業を受けているな。そう思った程度だった。だが、そこから先がいつもとは違い過ぎていた。
「今日は天気がいいから内庭でお弁当食べましょ」
「…ちょ、ちょっとブルマ…」
いつもは言わない台詞を言って、同時に俺の腕に手を絡めてきた。『天気が』、じゃなくて『機嫌が』、だな。俺は即座にそう理解した。外に出るのはいつものことだが、いつもはたいがい外庭や裏庭、体育館裏なんかのあまり人気のない場所に行きたがるからだ。おまけにこの手。その人気のない場所でだって、こんなことをされたことはない。それが今は人の溢れる昼休みの廊下で、まさに抱きつかんばかりだ。嬉しいがはっきり言って人目が突き刺さる…
と思っていたら、声が突き刺さってきた。
「ちょっとブルマ、待ちなさいよ!」
「あんたもしつこいわね」
ブルマのクラスから女の子が一人出てきて、それは荒っぽくブルマを呼びつけた。俺が何を言う間もなく、二人の会話が始まった。
「しつこい女は嫌われるわよ。ま、もともと好かれてないから気にしてないのかもしれないけど!わかったら引っ込んでて」
「言ったわね。サボリ魔のくせに!ふん。どうせあんたは今日はどこにも行けないんだから。あんたこそさっさとその手を放しなさいよ」
そして一瞬にして、口を差し挟める状態ではなくなった。…うおお。なんだこれは。二人とも笑ってるのに怖いぞ。なんだか火花が散って見える…
「さ。ヤムチャ、行こ」
ブルマは当然のように女の子の言葉を無視した。そして当然のようにべったりと俺の腕に抱きついた。さすがに俺は気づいた。自分が当てつけの道具にされていることに。それでもここは黙ってブルマに従うことにした。ブルマと他の子なら、俺はブルマの肩を持つのだ。特にこういう雰囲気の時はな…
「一体何でケンカなんかしたんだ?」
「別に。向こうが勝手に突っかかってきたのよ」
俺の小声の質問に、ブルマは鼻息荒く答えた。これ以上は何も訊かない方がよさそうだ。俺がそう判断した時、校内放送が流れた。
『あー、生徒の呼び出しをする。2年のブルマ、至急生徒指導室まで来るように。繰り返す――…』
歩きかけたブルマの足が、ぴたりと止まった。同時にその顔が顰まったことに俺は気づいていた。俺の腕を掴むその手に力が入ったことにも。それでも、声をかけざるを得なかった。
「…なあブルマ、今呼ばれたみたいだけど…」
前述の通り、ブルマが俺の腕に抱きついていたから。まさかこのまま生徒指導室まで行くわけにもいかないからだ。
ブルマは即行で俺から手を放した。そして生徒指導室のある方向ではなく、今出てきたばかりの教室に、その目を向けた。そこではさっきの女の子が、どこか居丈高に笑っていた。
「告げ口なんてしてんじゃないわよ。卑怯者!」
「あーら、あたしは本当のことを言っただけよ。あんたがいつもいつも午後からいなくなって困るってね」
次の瞬間、再び会話が始まった。相手を深く見据えるブルマに、挑発的な眼差しの女の子。…何だ何だ、一体何だ。ケンカしているのは見ればわかるが、それにしてもずいぶんと派手じゃないか。聞いたところブルマが何かしたようだが…でも、こんな風に絡まれるほど性質の悪いことなんて、ブルマはしないと思うんだが。怒ることはあっても怒られるようなことなんて――
「困るですって!?あたしがあんたに何の迷惑をかけたっていうのよ!!」
「掃除当番サボったじゃない!」
ここでようやく俺は思い出した。この子、昨日の子か。放課後俺に声をかけてきた…
「そんなことくらいで呼び出しかけないでよ!しかも昼休みに!」
「かけたのはあたしじゃないわよ。文句があるなら先生に言うのね」
「そうやって生徒指導室に行かせようたってそうはいかないわよ!」
「あらそう。じゃあばっくれれば?ま、それで終わるとは思えないけど」
俺は困った。本当に困った。ブルマが形勢不利なのは十分に見て取れた。そしてその理由がわかっているだけに余計に困った。事実に裏打ちされてるんじゃ仕方ないよな。たかが掃除くらいで、ずいぶん大げさに騒ぎ立てる子だな。そうは思うが、それは感情の問題だ。
「…ま、放課後を潰されたくなければ行くしかないな」
そんなわけで、もう一つの感情を俺は優先した。女の子の言う通り、しらばっくれて終りにはならないだろう。きっと先送りされるだけだ。そんなことで放課後を潰されちゃ困るんだよな。
「ええ〜〜〜。何よ、あんたまでそんなこと言うわけ!?」
それで、ブルマの文句は俺に向いた。自業自得だろ。そう言ってやりたい気持ちを、俺は抑え込んだ。ブルマが怖いからではない。さすがにこの程度の文句にまでビビッたりはしない。
「そうむくれるな。生徒指導室の前までは俺も付き合うから」
俺が軽く宥めると、ブルマは表情を変えぬまでも口は噤んだ。だがまた俺の腕に抱きついてきた。俺の顔ではなくケンカ相手の女の子の顔を見たままで。相手に向かって舌を出さないことを褒めてやりたいほどのあからさまさだった。そくそくと湧いてくる呆れを、ブルマと何より相手の女の子に気づかれないよう努めながら、俺はブルマに従った。
単に、違う方面での保身のために。できるだけ穏便にこの場をブルマと一緒に去るために。今日は一人残されることのないように。
この女の子、苦手なんだよ。なんとなく…


針の筵に堪えながらブルマを生徒指導室まで送った俺に、クラスメートの声が突き刺さった。
「よっ色男、女に取り合われたんだって?モテる男は辛いねぇ〜」
「…どうして知ってるんだ…」
俺はまったく唖然とした。当の俺が今クラスに戻ってきたところだというのに、なぜ前の席に座りっぱなしだったやつがすでに知っているんだ。
早くも弁当のほとんどを腹に詰め込み終えていたそのクラスメートは、俺の弁当に手をつけながら、楽しそうに教えてくれた。
「そこらの女子が伝言ゲームみたいに話してるぜ。で、今日は何を貰ったんだ?」
「そんなんじゃないさ、ケンカのダシに使われただけだ」
我ながら冷静に俺は答えた。俺自身がケンカしたわけじゃないからな。俺は巻き込まれた――というより場当たり的に利用されただけだからこそ、取れる態度だ。
「ちぇっ、なんだ。デザート期待してたのによ。つーか、おまえの弁当うまいな!…そういやおまえってさ、弁当の差し入れ貰わないよな。菓子なんかはよく貰うのに、なんでだろうな」
「そうそう、おれも女の子の手作り弁当食いたいと思ってた。おまえ、実は貰ってんのに隠してんじゃねえのか?」
「昼はブルマと食ってるからだろ」
前面の大食漢と、それに追随し始めた後面の暇人。二人に挟まれて、俺はなんとなく横を向いた。と同時にそっぽを向かれた。廊下にいた数人の女の子たちに。…なるほど、このクラスの廊下が伝言ゲームの最終地点か。それにしても、みんな暇人だな。そんな野次馬根性を出すほどのケンカではないと思うのだが。ケンカの種は掃除だぞ?…都って平和だよな。退屈とも言うが。
俺はすっかり呆れていたが、その実、自分自身も暇だった。はぐらかされたような気分と言えばいいだろうか。いつもはなんとなく一緒にメシ食うだけだけど、今日はちょっと話すことあったんだよ。ブルマにさ。すごく大事なことというわけではないが、でも無駄足踏ませちまうな。ま、自業自得なんだがな。
「じゃあ、今から誰かくれないかな。見ての通り、今日はおまえ一人なんだしよ」
「おれ、宣伝してこようかな」
間に俺を挟んでの会話はなおも続いていた。まったく、みんな揃いも揃ってひとをダシにしやがって。いつもなら呆れ返って終わるところだが、今日の俺はそうではなかった。
「やめてくれ。俺にまでケンカの種を持ち込むな。言っとくけど、今日は絶対何があっても断じて何も貰わないからな。勝手に受け取っても返しに行くから無駄だぞ。今日は貰うんじゃなくあげる立場なんだからな」
そうさ。そのくらいの分別はある。今日はブルマを喜ばせる日であって怒らせる日ではない。
俺はきっぱり引導を渡した。 つもりだったが、二人は軽く目を瞬いただけだった。
「なんだよ、珍しいな。おまえがそんな強気に出るなんて」
「さてはマジ喧嘩か。貰ったら絶交とでも言われたのか?」
その態度に、俺は思わず眉を上げた。どう見てもおもしろがっているようにしか見えないのは別にいい。心配されるようなことはこれっぽっちもないんだからな。しかし…
「違う。何も言われてない。今日はブルマの誕生日なんだ。だから――」
「誕生日?なんだよ、マジで大丈夫なのか、そんな日に一人でメシ食ってて」
「一体どういう意味だそれは。いいんだ。今日のはブルマの自業自得なんだから」
「おお、強気な発言。よっ、伊達男」
「ま、がんばれよ。ごっそさん」
「あっ!俺のメシ!」
二人はどこまでも俺のことをコケにして、おまけにさんざん人を話のおかずにしておきながら、おかずだけ奪っていったのだった。


そんな昼のひと時の後で、どことなく不本意な気持ちになってしまったのは、俺が驕っているからだろうか。
そうじゃないよな。確かにブルマは強いけど、俺だって一方的に従っているわけじゃない。…と思う。の、だが……
不本意は疑念を経て、やがて単純な気持ちへと変わっていった。そうして放課後の行動に少しばかり修正を加えたところで、ブルマが教室のドアから顔を覗かせた。
「ヤムチャー、帰ろー」
朝に比べればどことなく気だるげに聞こえる声。惰性的に俺を呼ぶその表情。ちょっと機嫌崩れたかな…まあ無理もないか。自業自得とはいえな。
とはいえ、放課後は潰されずに済んだ。そして放課後ともなれば、ブルマはたいがい元気になる。それは今日も例外ではないようで、俺の席へやってきた時にはすでに笑顔を閃かせていた。開放感溢れるすっきりとした顔をして、一昨日にも似た台詞を口にした。
「ねえヤムチャ、まずはセンター街へ行ってみない?こないだ行った時はあまりよく見なかったから」
だが、一昨日とは話が違うということはわかった。昨日一昨日にはそんなこと全然気づきもしていなかったらしいブルマが、今日は一足飛びにその話をしているということが、はっきりとわかった。なんというか、ニュアンスで。俺、プレゼントの『プ』の字も出してないのに。俺はそう思ったが、そこに呆れはなかった。せっかちだなあ。まったく、ブルマらしい遠慮のなさだ。あげる立場の俺が言葉を呑み込んでいたというのにな。だけど、当たり前のようにねだられるというのも悪くない…
「ごめん、俺ちょっと寄るところがあるんだ。だから先に帰っててくれないか。それでその後――」
ちょっぴりくすぐったい気持ちで、だが俺は詫びを入れた。そうしようとすでに決めていたからだ。ブルマには少し待っててもらえばいい。楽しみは後に、って言うしな。そう意識して余裕を持ち、続いて今だ照れくさくあるその言葉を口にしようとした時、ブルマが俺に背を向けた。
「あれ、おいちょっとブルマ?どこに行く――」
「お望み通り先に帰るの!!」
そして次の瞬間には、もう目の前から消えていた。閉めたばかりのドアを開けて、また閉めた。そのあまりの剣幕に、俺は思わず目を瞑った。一瞬の間を置いて、クラスメートが口々に声を上げた。
「こえ〜〜〜…」
「マジ喧嘩か?」
先ほどとは違い、その声には同情の気配が色濃かった。…喧嘩じゃない。ただいつにも増して話を聞いてくれなかっただけだ。俺に何を言うことすらさせてくれなかっただけだ――まさかそんなことを言う気には俺はなれずに、開けた目をただただ固く閉まったドアへと向けた。
あいつ〜〜〜
せっかちにも程があるぞ。…まったく。


「じゃあな、優男。がんばって許してもらえよ」
「ああ、はいはい」
数分後。俺は不本意な言葉に送られて、教室を後にした。そのままハイスクールをも後にして、ショッピングエリアへと向かった。ブルマの行方は気にしなかった。
俺の言い方が悪かった…わけではないだろう。ブルマがそそっかしいんだよ。ろくに話も聞かずに行っちまうんだからさ。
俺は意地を張っていたわけではない。もちろん怒っているわけでもなかった。そのくらいの猶予はあると思った。帰ってから話せば済むことだ。『先に帰る』って言ってたしな。
「お待たせしました。ご注文の通り刺繍はこちらに入れてあります。ハットボックスにお入れしますか?」
「ああ、お願いします」
昨日のワゴンショップでいくつかのやり取りをすると、その帽子は俺の物になった。今からブルマに手渡すまでの少しの間は。そしてその後は、ブルマを俺以外の者から隠してくれる物になる。…ちょっとキザかな。人知れず照れくささを感じながら、次にチケットショップへ行った。そこでふと考えたことは、さて何に誘おうか、ということではなかった。
たまには俺の方から誘ってみるか。そう思ったのだが…………ひょっとして、初めてだったかもしれん。少なくとも、こんな風に改まって誘うのは初めてだ。いつもは気がつけば約束してしまっている感じだから。気がつけば、ブルマが前を歩いていたりするんだから。
これでよく『一方的じゃない』などと思えたものだ。軽く自嘲に傾きながらも、俺の足は浮き立ち始めた。腕に抱えたハットボックス、ポケットの中にチケット、何も知らないブルマ――思い立った小物と思いついた小物と何より当の本人がそうさせた。少し前までは喜ばせたいだけだったブルマの誕生日は、今や俺にとっても意味のあるものになってきていた。タキシードに身を包んで花束を。それはさすがにキザだとしても、少しはそれっぽくしてやろうじゃないか。つまり、いくらか格好つけてみたい、そんな気分になっていたのだ。
だがやがてC.Cへと着いた時、その足はとまった。ポーチ前に、エアバイクが置き捨てられていた。それはもう無造作に横倒しにされて。それを見た時、俺の心にそくそくと呆れが湧き起こった。思わず溜息をもついてしまった。
――ブルマのやつ、だいぶん怒ってるなあ…
エアバイクをかたすことすらしないとは。これはもうたぶん確実に部屋に篭っているな。…でも、今日は宥める。絶対になんとかする。元を正せば喧嘩じゃないんだ。誤解ですらない。ただブルマが早とちりしただけだ。…とにかくなんとかする。
固く決心すると、自分のやるべきことが見えてきた。とにかく話をすることだ。それにはまず、ブルマに部屋のドアを開けさせる必要がある。何か買ってくればよかったな。すぐ出てこないと溶けちまうイチゴのデザートとか。迂闊だった…考え込みながら、とりあえず自分の部屋へ行った。前述の通り、一刻を争う土産は手元になかったので。そして、溶けない土産を箱から出した。その直後だった。
「ヤムチャ!帰ったの!?」
ドア越しにブルマの声が響き渡った。一応はキーテレホンに向かって喋っているらしいその声は、完全な怒鳴り声だった。だが、俺の心は怯まなかった。ブルマの方からやってくるとは。そんな驚きも、ドアを開けた時には消えていた。
「ああブルマ、ちょうどよかった。今部屋に行こうと思ってたんだ」
わかったのだ。俺の名を呼ぶそのニュアンスで。どうやらブルマはかなり待ち兼ねていたらしいことが――俺を待っていたらしいことが。 そういえばあまりないことだ。ブルマはいつも後から現れる。俺より先にハイスクールを出ておきながら、俺より後に帰ってくる。そして俺はいつもそれを待っている。それが今日はそうじゃなかった――
…せっかちだなあ。自分からいなくなったくせに。思わずそんな風に思ってしまった俺に、ブルマは言った。
「遅かったわね。一人でどこに寄り道してたのよ」
もうあからさまに不貞腐れた表情で。まるで置いてけぼりを食らわせられた猫みたいな雰囲気で。この瞬間、俺のすべての懸念は飛んだ。何を考える必要もなかった。ここまで露骨に拗ねられてしまっては、俺ももうはっきり言うしかなかった。
「うん、ちょっと街の方に。これ取りに行ってきたんだ。やるよ。…とりあえずのプレゼントだ」
なんだかかわいいなあ。どうして拗ねてるのかわかっているだけに、すごくかわいい。くすぐったい思いだけを胸に、帽子をブルマの頭に乗せた。すると、ブルマは途端に表情を変えた。先ほどまでの斜に構えた態度はどこへやら、目をぱちくりさせてそれは真っすぐな視線で俺を見た。それから帽子を両手でゆっくりと頭から外して、まじまじと見始めた。俺も少しの間だけ、その様子をまじまじと見た。 一連のブルマの仕種が、妙にかわいらしかったからだ。最後に帽子をこちらへ向けて顔を半分隠すようにしたブルマは、たぶんちょっと照れていた。それで俺もちょっと照れながら、ポケットからチケットを取り出した。
「それでさ、これからどこか行かないか?映画と遊園地のチケット、用意してあるんだ」
口に出すとはっきりわかった。やっぱり初めてであったことが。そして気づいた。ブルマがそれは驚いているということに。不自然なほどに長い無言を貫くブルマを見て、俺はつい自分の心理を棚に上げた――物を貰って驚くのはともかく、誘われて驚くってどういうことだ。それこそ当たり前だろ。今日はおまえの誕生日なんだから。俺は彼氏なんだから。
「パーティ夜からだろ?そのくらいの時間はあると思うんだ。映画と遊園地、どっちがいい?他のがいいならもちろんそれでいいぞ。そしてその後――」
そしてそう思っていたにも関わらず、口は饒舌になった。それっぽくあるのって難しい。格好つけるなら形から入った方がよかったかもしれん。結局は半ば芋づる式にその言葉を口にしかけたところ、ブルマが唐突に叫んだ。
「両方!!」
それまでのおとなしさをかなぐり捨てて。有無を言わせぬ勢いで。まあ、いつものブルマと言えばそれまでだが。俺はすっかり出鼻をくじかれて、この上なく現実的な意見を口にした。
「両方って…それじゃ帰りが遅くなっちまうぞ。パーティの時間が…」
「いいのよ、少しくらい待たせたって。あたしは主役なんだから!だから、あんたも待ってて。あたし着替えてくる!」
すでにブルマは身を翻していた。自らが言い終える間もなく、また俺にも最後まで言わせずに。俺は一瞬呆気に取られて、次の瞬間心で叫んだ。
――…この、せっかちめ!
話は最後まで聞け!今、一番大事なことを言うところだったのに。『誕生日プレゼントを買いに行こう』――そろそろ言わせてくれ。たぶん絶対わかっているはずなのに、どうして言わせてくれないんだ。俺のやり方が悪いのか?
俺は少し自省しながら、空になったハットボックスを眺めた。そう、あの帽子は誕生日プレゼントではない。ああ言っておけば今日はずっと被ってくれるんじゃないかと思ったんだ。本人は気づいていないらしい視線から、今日は隠しておこうと思ったんだ。
そして、その目論見は当たった。子犬のように駆けて行くブルマの頭には、しっかりと帽子が乗っていた。抱くように添えられた両手が微笑ましかった。それはわかりやすい、かわいらしい後姿――だから、俺は心の中で叫んだというわけだ。そればかりか、脳裏を過ぎったウーロンの言葉を、しみじみと噛み締めてもいた。
――『女のプレゼントっていやぁ身につけるものに限るぜ』…
そうかもしれない。ブルマも気に入っているようだし、身につけているブルマを見ていると、俺も嬉しい。…ということは、やっぱりアクセサリーか。そうだな。ブルマは容姿自体は大人っぽいんだから。それになんといっても誕生日なんだし――
だいぶん照れくさいけど。まあ、できるだけさりげなく切り出してみようか。
思考はてきぱきと纏まった。昨日一昨日と考え込んでいたのが嘘のようだ。いや、俺だってやる時はやるんだ。そして今日がその、やる時というわけだ。
「ヤムチャ!お・待・た・せ」
やがてブルマが戻ってきた時、俺はそんな気持ちだった。ドアから覗いた満面の笑みを目にすると、ますますその気持ちは強まった。当然のように頭を飾る帽子が、さらにそこを後押しした。でもその下にある姿を見た時に、一気に気持ちは硬直した。
真っ白なキャミソールワンピース。花柄刺繍の生地。縁取るレース。胸元についた大きなリボン。
ヤバい。かわいい…なんていうか、…………それっぽ過ぎる…
「えへ。かわいいでしょ。下ろしたてよ。ねえ、チケット見せて!映画って何時からなの?」
遠慮や謙遜の欠片もなく言い放つと、ブルマは俺の手からチケットを奪っていった。そして陽の光に透かすようにチケットを眺めて、そうかと思うとすでに俺の腕を掴んでいた。
「まだ夕方の上映に間に合うわね。じゃあ、映画が先ね。その後で遊園地!そしたらちょうどライトアップが始まる時間よ。それからナイトパレードを見て…ん〜素敵。いかにもデートって感じするじゃない!」
「あああの、ブルマ…」
「ありがとね、ヤムチャ。じゃ、誕生日デートにレッツゴーよ!」
今や完全に、俺はブルマに捕まっていた。素直な言葉に溢れんばかりの笑顔。まるで当然のように俺の腕に絡みつく手。嬉しいが、一つ大きな懸念が出てきた。
このかわいさにいつもながらの押しの強さ。…俺、言い出せるかな。
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