手を振る女
朝になった。爽やかな朝だ。
そして、最後の朝だ。俺がブルマと共にすごす、最後の。
ちょっと――いや、だいぶ――気障だな。俺たち別れるわけじゃないし。
でも、意味はある。きっと。

思えば俺は、なんとなくここで過ごしていた。なんとなく都に来て、なんとなくブルマと付き合って(酷い言い方かもしれないが事実だ)、なんとなくハイスクールに行った。…俺って流されやすいのかな。
でも、今日はそうじゃない。俺は自分の意思で武天老師様のところへ行くんだ。
うーん、ちょっと浸ってるな、俺。
ブルマと離れることももちろんだけど、俺にはもう1つ自分にとって大きな変化があった。プーアルだ。プーアルと俺はいつも一緒だった…それが理由でブルマと破局しそうになるくらいな。
離れたくないとかそういうことはないけど(俺とプーアルはそういう関係じゃない)、感覚が違うことは確かだ。

結構新鮮だな。うん、新鮮だ。そしてそれは悪い気持ちじゃない。
これが巣立ちの気持ちってやつなのかな。


キッチンで朝食をとるところだった。俺は昼前に出発する予定だった。
出立の日だというので朝からご馳走…などということはない。帰らぬ人になるわけじゃないし(というか、なりたくない)。だいたい朝からそんなに食えんだろ。
ウーロンとプーアル、それにブルマのママ、ブリーフ博士――ブルマ以外の全員と共に、席に着いた。
…そう、ブルマ以外の。
あー、女々しいとか思わないでほしいんだが…何か気にならないか?こういうの。俺は別に特別な朝を迎えたかったわけではない、わけではないが…
何で今日に限っていないんだよ!?
普通いるだろ、こういう時は!!
俺は食事をとるのは後にして、ブルマの部屋へと向かった。ロックはかかっていなかった。ブルマの部屋は薄暗く、カーテンがかかったままだった。
「ブルマ?」
俺は名を呼びながら寝室への階段を上がった。返事は返ってこなかった。そう、あいつは。あいつは…
…寝ていた。
おい!!
俺は思わずブルマの頬を引っ張った。いつもは寝起き直後のブルマですら、恐ろしくて声もかけられないものだが。
「…んあ?」
ブルマは起きた。目が合った。そして言ったもんだ。
「…あんた、いたの?」
おまえ!!
呆然とする俺をよそに、ブルマは目を擦り擦り体を起こし、1つ大きな欠伸をすると、ぼんやりとした目つきで俺を見て言った。
「着替えるからあっちいって」
……

何なんだ。一体何なんだ。
どういうことなんだこれは。
悶々とする意識を抑えつつ、テーブルに片肘をついて俺が待っていると、やがてブルマが寝室から降りてきた。
「あんたここで何してるの?っていうかロックは?」
「かかってなかったぞ」
しまった、というようにブルマは額に手をやり一瞬目を閉じて、それから再び俺に尋ねた。
「で、何してるの?」
「…おまえを起こしにきたんだよ」
俺は苦虫を噛み潰した顔で答えた。
ブルマは驚いたようにしばらく俺を見つめていたが、やがてにっこり笑ってこう言った。
「あんたかわいいことするわねえ」
な!!
言い訳しようとする俺を軽く無視して、ブルマはキッチンへと向かった。

何なんだ。何なんだ。一体何なんだこれは。

俺はブルマと一緒に朝食をとった。それはなんてことない朝食(さっきも言ったな)だったが、俺の心は散々だった。
散々というのとは違うな。不審だった、といえばいいだろうか。
ブルマは常と変わらずよく食べた。よく笑った。フレッシュイチゴをおかわりするところまで同じだった。
俺は訝った。そう思う理由が俺にはあった。

俺が最後の荷の整理をしていると、ブルマがやってきた。静かにベッドに腰を下ろし、黙って俺を見ている。
俺はそんなブルマの落ち着きぶりに堪えかね、ついに口火を切った。
「おまえ、何でそんなに飄々としてるんだ?」
一昨日までは、あんなに落ち込んでいたくせに。おまえは隠してたつもりだろうが、わかってるんだ。
「飄々としてちゃ悪いわけ?」
「だって、もうすぐ俺が行くっていうのに…」
どうして俺のほうが動揺しているんだ。
俺はブルマのあの瞳を知っている。てっきりあの瞳をされるものと思っていたのに…
「あっはははは」
ブルマは笑った。微笑とかじゃないぞ。思いっきり笑った。腹を抱えて笑ったんだ。そしてこう言った。
「あんたかわいいわねえ」
「な…」
俺が何か言う間もなく、唇を塞がれた。

俺たちは長いキスをした。あの時よりも、もっともっと長いキスを。

再び時が動き出して、俺は思わず呟いた。
「すぐに帰ってくるよ」
我ながら気が利いていると思う。俺にしては上出来だろ。
だがブルマは感動した様子もなく言ったもんだ。
「その気もないのに、よく言うわよ。せいぜい強くなるのね」
…ブルマ、おまえは本当に気が強いな。
俺も見習うとするか。


俺は2階の窓を見上げた。
ブルマは笑ってそこにいた。
「おまえ、見送りくらいちゃんとしろよな」
ウーロンが苦言を呈する。
「いいんだよ」
俺が笑ってそう言うと、ウーロンは頭を振って呟いた。
「まったく、恋人の見送りもしないなんて、本当冷たい女だぜ」
違うな、ウーロン。
俺はブルマの性格を知っている。あいつは激情家だよ。
「じゃ、行ってくるな」
俺は窓に向かって手を振った。
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