0と1の女
俺はそれを口に含んだ。
悪くない。少々マニュアル通りのきらいはあるが、でも安心して食べられる味だ。
俺はブルマの手料理を、この時初めて食べていた。大陸に移動したカメハウスでのことである。
武天老師様の元での修行生活も6ヶ月に入った頃。ブルマが初めて、俺に会いにきたのだった。
「ブルマさんが料理をされるとは思いませんでした」
クリリンが言った。ブルマと共にやってきたウーロンとプーアルも、同意するように頷いた。
「あら、それどういう意味かしら」
ブルマが社交的な笑いを閃かせながら、切り返した。
「え、いやぁ…なんていうか、専門家の人って料理なんてするヒマなさそうですし」
クリリンは巧いことボカして答えた。とはいえ、ブルマは看破しているに違いない。だが、あいつは怒らなかった。
「よく言われるわ、そういうこと。科学者は家事なんかできない、みんなそう思うらしいのよね。でも大きな間違いよ」
ブルマは噛んで含むように話した。これはかなり言われ慣れているな。
「他の分野の人はどうか知らないけど。化学や物理をやっている人には料理上手な人、多いのよ。レシピや手順をきちんと守るからね。むしろ妙な工夫をする一般人のほうにこそ、料理ベタな人は多いわ」
なるほど。
「ま、包丁は苦手だし。好きか嫌いかって訊かれれば、嫌いだけどね」
素直に認めてみせるブルマに、みんなが笑った。

俺たちは食後のコーヒーをゆっくりと啜った。修行も半年を過ぎ体が慣れてきたこともあって、夜もそう遅くはならなくなっていた。ブルマたちの来訪を、武天老師様が大目に見てくれたこともある。
俺とブルマはみんなからやや離れて、部屋の隅に座り込んでいた。あからさまにならない程度に、みんなは気を遣ってくれていた。まあ、俺とブルマの会話にはさして色気も漂わないので、聞かれても何ら問題はなかったが。
カップから立ち上る湯気を顎に当てながら、俺は尋ねた。
「ハイスクールはちゃんと行っているのか?」
このある意味定番の質問に、ブルマはこともなげに答えた。
「ハイスクール?…ああ、いいのよあんなもの、適当で」
俺は眉を上げた。怒ったのではない。意外だったのだ。
これまでのブルマならばこういう時、「つまんない」とか「うるさい」などと言うところだ。だが、今発した台詞に負の気配はなかった。
…ははあ、こいつふっきったな。
それならそれでいいと思えた。俺はこいつにハイスクールへ行けとは行ったが、別に優等生になってほしいわけではないのだ。なんというかな、鬱屈しているのを知っていたので、それが心配だったのだ。
だが、ふっきった。ハイスクールに価値なしとこいつが踏んだのなら、それはそれでいいじゃないか。
「それより今は研究よ」
「研究?」
俺は訝った。
意外に思うかもしれないが、『研究』という言葉をこいつの口から聞いたのは、これが初めてだった。ブルマはいつも何かを作っていたが、それはどちらかというと機械弄りの部類で、研究といえるものではなかった。
俺の中に興味が湧いた。
「何の研究をしているんだ?」
「『気』よ」
気?
「気って気か?俺たちの言っているこの気か?」
「他に何があるのよ」
「だって、そんなものわかるのか?」
俺がそう言った途端、ブルマの声音が変わった。
「あんた、科学をバカにしてんの?」
「何?」
ブルマは下から掬うように俺を睨みつけた。
「わかるわからないじゃない、それをわからせるのが科学よ」
ブルマの鋭い眼差しに、俺は諸手を上げた。
「それで、どういうことがわかったんだ?」
「だからそれを、これから調べるところなのよ」
おまえなあ。
俺はひさしぶりにブルマに呆れさせられた。
それは懐かしい感覚だった。

たっぷり時間をかけてコーヒーを2杯啜った後で、ブルマは腰を上げた。
「じゃあ、そろそろあたしいくわね」
「何?」
俺は、ポケットの中をごそごそと弄っているブルマに目を向けた。
「泊まっていかないのか?」
「明日、用事があるのよ」
プーアルとウーロンにもこの話は初耳だったらしく、俺と話すブルマに目を向けた。ブルマはその視線に気づくと、機先を制して言った。
「あんたたちは泊まらせてもらいなさい。後で迎えにきてあげるわ」
そう言ってさっさと外へと歩き出すブルマを、俺は追いかけた。
「危ないぞ。せめて朝に…」
「平気よ、スコープがあるから」
そう言う間にもブルマはエアバイクをカプセルから戻し、ゴーグルを首にかけた。そして、ふと俺を見た。
俺は瞬間、迷った。…ブルマにキスをすることを。勝手を忘れていたのだ。
その一瞬の逡巡のうちに、あいつはエアバイクに飛び乗った。
「じゃあね」
「ブル…」
俺に時を許さず、あいつは星と消えた。

ブルマの飛んで行った暗闇を、俺はいつまでも見つめていた。
「…ブルマのやつ、元気じゃないか」
むしろ、俺がいないほうが元気なんじゃないのか?
「…まいったな」
俺は頭を掻きながら、ハウスへと戻った。

1人ハウスへ戻った俺を、みんなの視線が出迎えた。
「どうかしたんですか、ブルマさん?」
クリリンが不思議そうな顔で尋ねた。
「さあ、それが俺にもよく…」
要領を得ない俺の答えに、ウーロンの気のなさそうな声が被さった。
「どうせお前が何か言ったんじゃねえの」
「そんな…」
…俺、何も言ってないよな?
訝るみんなが俺を見た。


翌日。
俺は午後イチの修行を終えた後で、1人、独自メニューの修行をこなしていた。いわゆる自主トレだ。
俺は武天老師様の弟子としては末弟子で、悟空のみならず、クリリンにも水をあけられているからな。せめてこうでもしないと追いつけない。
一通りメニューを終え、カメハウスへ戻ろうと歩いていると、ブルマがこちらへ向かってくるのが見えた。俺は手を振った。
「ブルマ、来てたのか」
「来てちゃ悪い?」
ブルマはくぐもった声で俺を睨みつけた。
何だ何だ。
昨日はあんなに機嫌よかったのに。どうしたんだ。
俺が不審に思っていると、ブルマが口を開いた。
「あんた、みんなに何言ったのよ」
「何のことだ?」
…俺、何も言ってないよな?
「しらばっくれないでよ!いつあたしがあんたとケンカしたっていうのよ!!」
ブルマが俺の胸倉を掴んだ。俺は思わず身を引いた。
「何だって?」
「みんなが言ったのよ!!あたしがあんたとケンカしたって!!あんたが何か言ったんでしょ!!」
「いや、俺は…」
「何考えてるわけ!?あんたあたしにケンカ売ってんの!?」
口を挟ませる間も与えず、ブルマは延々と捲くし立てた。土石流のごとく流れる言葉の中で、俺は息を吐いた。
おまえはどうしてそうなんだ。いつもいつもひとの話を聞きゃしねえ。
「俺は言ってない!!」
気がつくと叫んでいた。俺は自分で自分に驚いた。
「俺は言ってない」
思わず繰り返した。自分に言い聞かせるように。
ブルマが俺に顔を寄せ、囁くように呟いた。
「本当に言ってないのね?」
「…ああ」
ふと目を落とすと、俺の胸倉を掴んでいたはずのブルマの手が、いつしか胸元に添えられていた。
ブルマが俺を見上げていた。
瞳に俺が映って見えた。

俺は顔を逸らした。背中を向けた。
あいつの顔を見ていられなかったのだ。なんだかひどく照れくさかった。

「ちょっとヤムチャ!」
ブルマは俺に駆け寄ると、再び胸倉を掴んだ。…何だよ。
「ここはくるべきところでしょうが!!」
何が?
ブルマは俺から顔を逸らし、1つ大きな息を吐くと、俺を木陰へと引っ張り込んだ。
「これが最後よ」
言葉と共に吐息が俺の中に流れ込んだ。
「次からは自分でするのね」
ブルマは踵を返した。
俺は唇に手を当てた。
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