渡る女
科学実験の時間がやってきた。
今日の実験は、健康豚と馬鈴薯塊茎の化合及び醤油汚染(肉じゃが)、アジ亜科魚類の解剖(鯵の開き)、薬草調合(青物のおひたし)の3種だ。
ブルマは今、イースタンの科学に凝っているらしい。
「イースタンの嗜好って変わってるわよね。こんな草をそのまま食べようっていうんだから」
おまえが作ったんだろうが。
「魚を生で食べるんだって。信じられる?」
それは作らないでくれ。
とはいえ、ブルマの作った飯はおいしかった。ただそれらに添えられるコメントが、激しく食欲を減退させただけだ。こいつは料理に向いていないな。上手い下手以前の問題だ。

好きではないといいながら、なぜかブルマは時々こうやって料理を作る。本当に時々――いきなりすぎてランチさんが困ってしまう(ランチさんはそうは言わないが、たぶんそうだろうと俺は思う)くらいの頻度でだ。
理由を訊ねてみたところ、ブルマは苦々しげな微笑を湛えてこう言った。
「気分転換よ」
俺はその言葉に思い当たった。
「また座礁したのか」
「ちょっと浅瀬に乗り上げただけよ。すぐに漕ぎ出すわ」
俺は笑った。こいつらしい言い草だ。
好きではないことがどうして気分転換になるのか俺にはわからないが、こいつは根が気分屋だからな。ある日は赤が好きだったのに、次の日は嫌いになる、そういうところがこいつにはある。なかなか図りきれないところだ。


修行生活も8ヶ月目に入り、俺は微妙に体が慣れてきた。微妙というのはつまり、メニューをこなすことに苦はないが疲れは残るよなあ、といった感じだ。肉体にとっては非常に心地よい状態である。だが俺には、ここで甘んじるつもりなどなかった。
しばらく前から試みていることが、俺にはあった。
心を集中する。イメージを描く。力を奮い起こす。
心を集中する。イメージを描く。力を奮い起こす。
心を集中する。イメージを描く。力を奮い起こす。
…ダメだ。
助言を仰ぎたい、時折そう思ってしまうこともある。だが、ダメだ。自分の力でやるべきなんだ。悟空だってそうだったじゃないか。
それに、もし俺がそう言ったとしても、おそらく叶えられないだろう。きっと一笑されるのがオチだ。俺は未だそういうレベルでしかないんだ。
だから、続ける。試行錯誤あるのみ。
みんなそうやってやっていくんだからな。


「最近ブルマさん来ませんね。ケンカでもしたんすか?」
クリリンがなにげなく訊いた。
「いや、してないけど」
俺もなにげなく答えた。
そういや来ないな。あんまり気にしてなかったけど。もう2ヶ月くらいか?
あいつはマイペースだからなあ。俺にはうるさく言うくせに、自分は夢中になると俺そっちのけで何かにかかりきったりするし。
「研究でもしてるんだろ」
俺は特に寂しいなどとは思わなかった。そもそもそんなヒマなどない。俺は修行中の身なのだからな。

心を集中する。イメージを描く。力を奮い起こす。
心を集中する。イメージを描く。力を沸き起こす。
心を集中する。イメージを描く。力が沸き起こる…


「やっほー、ヤムチャ」
昼、カメハウスに戻るとブルマがいた。3ヶ月ぶりくらいだろうか。
俺はなんとはなしに気持ちを落ち着けながら、口に出してはこう言った。
「また座礁したのか?」
俺の言葉をブルマは笑い飛ばした。
「違うわよ。ちょっと碇を下ろしたのよ」
小休止といったところか。
ブルマはいつものようにゆっくりとコーヒーを啜っていた。その隣に腰を下ろし、自分はランチさんの用意してくれた昼食に手をつけかけて、俺はブルマを呼び寄せた。
「ちょっといいか」
「何?」
俺はブルマを外へ連れ出した。誰にも見られたくなかったのだ。
カメハウスから半kmほど離れた樫の木陰で、俺は立ち止まった。そして気を集中し始めた。
長い時が過ぎた。気のせいじゃない。本当に長かった。たぶん10分はかかったんじゃないだろうか。
やがて俺の右手の輪郭がぼやけ始め、鈍い光を放ったかと思うと、俄かに拳からそれが浮き出て実体化した。かろうじて球を形作るその小さな発光体を、ブルマは驚きの目で見つめた。
「これってもしかして…気?」
「ああ」
「触ってみてもいい?」
「ダメだ。まだコントロールできないんだ」
そうなんだ。
まだ全然コントロールできない。それどころか自在に発現させることすらままならない。未完成もいいところだ。
誰にも見せるつもりはなかった。完全に技として確立できるまでは、隠しておくつもりだった。本当はブルマにだって、見せるつもりなんてなかったんだ。
でも、どうしてだろうな。さっきこいつの顔を見ていたら、ふいに見せたくなったんだ。
本当にどうしてだろうな。


科学実験の時間がやってきた。
今日の実験は、羊臓物化合燃焼物(キドニーパイ)、玉石混合植物無味無臭加工(大量の茹で野菜)、穀類の水分調節(ポリッジ)の3種だ。
ブルマは今、ウェスタンの科学に凝っているらしい。
「まったく、すごい匂いよね。素材を生かすにも程があるわ」
おまえが作ったんだろうが。
「油をペーストにしてパンに塗るんだって。信じられる?」
それは作らないでくれ。
「ミルクを高速回転させて分解するらしいわよ。あんたたちならできるんじゃない?」
俺はやらないからな。
ひさしぶりに食ったブルマの飯は、不味くはなかった。ただ文化の違いを感じ取っただけだ。
「もう作らないわ」
俺たちの表情を読んで、ブルマは笑った。
その時俺は思ってしまった。

こんなことを願うのはいけないとわかっている。でも思ってしまったのだからしかたがない。

ブルマおまえ、あまり順調に航海するなよな。
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