浅い女
まったく。一仕事増やしやがって。


「じゃあヤムチャさん、くれぐれもよろしく頼みますよ」
「…ああ、わかってる」
カメハウスのキッチンの片隅、俺とクリリンは顔もくっつかんばかりの距離に身を寄せ合い、密やかに声を交わしていた。
「絶対におかしな食材は買わせないでくださいよ。もうあんな料理はこりごりですからね」
「ああ、それは俺も同じ思いだ」
ある天気の良い昼下がり。俺はブルマに付き添って、買出しに出ることとなった。
ブルマは今や頻繁にカメハウスへ来ていた。かつてのプーアルほどではないにしても、もはや客として遇される立場ではなくなっていた。本人もそれを承知しており、多少の家事なら手を出すようになった。簡単でありながら面倒くさい買出しを引き受けるようにもなった。それはいい。
問題は、ブルマの作る飯が大変に個性的であるということだ。
不味くはない。不味くはないのだが、いかんせんメニューの選択が個性的すぎるのである。腕は悪くないのだから普通の物を作ってくれればよいものを、それでは本人の欲求が満足しないらしく、殊更にチャレンジしようとする。先日の料理がその典型であった。
「できれば、買出しそのものを止めていただきたいところなんですが、そこまでするのも何ですし…というか、俺にはそんな勇気ありませんし」
クリリンは額に汗しながら続けた。
「だからヤムチャさん、どうかブルマさんにメモ以外の食材を買わせることを阻止してください。本当に頼みますよ…」
「もうわかったって…」
俺だって他人事じゃないんだからな。何としても阻止するさ。
俺はそうクリリンに確約して、ブルマと共に街へと繰り出したのであった。


近頃、ブルマはおとなしい。
こう言うと前述と矛盾するように感じるかもしれないが、事実だ。
確かに料理をしている時は元気だ。そりゃもう元気大爆発だ。ストレス発散を兼ねて、はしゃぎまくっている。だがそれ以外の時――というか他の人間は気づいていないようなので、ひょっとすると俺と2人でいる時だけ?不思議におとなしいのだ。
ブルマは時々俺に唇を寄せてくる。それも妙にしおらしく。かわいいな、と思う反面、おかしいとも思うのだ。何というかな、あいつらしくない。俺、また何かしたのかな。
「研究所?」
「そ。物理のね」
俺たちは買い物がてら街を練り歩き、なんとはなしに話をしていた。定番のイチゴソフトを舐めるブルマは、今や完全にハイスクールを捨て去って、自らの道を歩いているようである。
「専門機関はやっぱりいいわ。『気』の研究にも先が見えてきたし。実例が身近にあるっていうのもあるけどね」
「ふーん」
好要素の中に自分が挙げられていることに気がついて、俺はちょっと照れくさくなり、気のない返事を作ってみせた。心なし早まった自分の歩速に、気がつくとブルマは視界から消えていた。
「ブルマ?」
振り返る。後ろにいた。誰かと話している。
…知らない顔だな。
訝しみながら駆け戻る俺の耳に、2人の会話の端々が聞こえてきた。
「…っとして、あちら本物?」
「一応ね」
言葉と共に、相手の視線がチラリとこちらへ送られたのがわかった。…俺のことか。
俺がブルマのところへ着いた時には、その人物は消えていた。
「知り合いか?」
自然発した俺の質問に、ブルマはそつなく答えた。
「さっき言った研究所の仲間よ。シンポジウムに来てたんだって。本当はあたしにも話はきてたんだけど断ったのよ」
澱みのないブルマの返答をクッションに、俺はさらに質問を続けた。
「本物って何だ?」
今度はブルマは一瞬の間をおいて、ゆっくりと噛んで含ませるように話し出した。
「本物の彼氏ってことよ。彼、偽物なのよ」
…は?
一瞬、頭が白んだ。まったく意味がわからなかった。ブルマはそんな俺を横目に、悪戯っぽい光を瞳に湛えて笑ってみせた。
「彼、すごく出来るのよ。それで、あたしとよく話すのよね。ほら、あたしも天才だから。それで周りが誤解してんのよ」
ここで得意気にウィンク。
「だから偽物ってわけ」
よくわからないぞ。
未だ消えない俺の不審を吹き飛ばすように、ブルマは言った。
「完全に噂の一人歩きよ。向こうもそれは承知してるのよ。彼、恋人いるしね。おもしろいわよね、噂って」
…おもしろい?そんなもんか?
とりあえず俺は『本物』なわけだけど…何か釈然としないなあ。


釈然としないながらも『本物』の謎は氷解した。だが俺にはもう1つ、どうしても腑に落ちないことがあった。
エアカーが街を離れ、周囲が無人となったことを見て取って、俺はブルマに声をかけた。
「なあ…」
「うん?」
さて、どこから話そうか。
俺は一瞬考えて、すぐに思考を改めた。こいつは回りくどいことは嫌いなはずだ。それに実のところ、うまい言い回しが思いつくとも思えなかった。会話の妙を競うことが、俺はあまり得意ではないのだ。
それで俺は、奇をてらわずシンプルにいくことにした。
「『一応』って何だ?」
「え?」
そうなんだ。その言葉が俺の心に引っ掛かっていた。
一見、なんてことのない言葉のように思える。だがあの時のブルマの口調は、冗談めかしたものではなく、奇妙に落ち着いたものだった。まるで本当のことを言っているとでもいうような…。それにここ最近の、あいつらしからぬおとなしやかな態度。
俺が思い切って切り出したにも関わらず、ブルマの反応は鈍いものだった。
「何?」
何じゃないだろう。
「何のこと?」
おまえが自分で言ったことだよ。
俺はブルマの顔を見た。どうやら本気で思い当たらないらしい。それとも惚けているのだろうか。俺は1つ溜息をつくと、努めて落ち着いた声音で言った。
「さっきおまえ、あの友人とやらに『一応』って答えてただろう」
「友人?…ああ」
そこまで言って、ようやくブルマは合点がいったようだった。
「あんなの言葉の綾よ。あんたそんなこと気にしてたの?」
ブルマは笑い飛ばした。俺の心にまた1つ、引っ掛かりができた。
「言葉の綾というのは」
俺はゆっくりと言葉を紡いだ。
「言い回しが違うだけで、結局はそう思ってるってことだ。違うか?」
そうなんだ。俺は自分の台詞を反芻した。
俺の言葉に、ブルマは明らかにうろたえて見えた。
「ち、違うわよ。思ってないわよ、そんなこと」
「じゃあどうして『偽物』がいるんだ」
俺は先の話題を掘り返した。
そうだよな。やっぱりおかしいよな。何で『本物』と『偽物』、2人いるんだ?偽物なんて必要ないじゃないか。そもそも偽物って何だよ。
「普通、否定するだろ。そういうことは」
俺だったらそうするぞ。
連綿と続く俺の非難に、ブルマはしばらくもごもごと口篭っていたが、ふいに俺の肩に手を触れると、ほとんど誤魔化すように言った。
「ちょっとヤムチャ、あんたコワいわよ」
「おまえが無神経すぎるんだ!」
まったくな。それに、その態度も気に食わん。
俺はブルマに被さるようにして、その瞳を睨みつけた。オートパイロットのスイッチを入れた。
「事実もそうだが、その話を俺にするというのがまた無神経すぎる」
一体おまえは、俺を何だと思っているんだ。
だがこの一言を放った途端、ブルマの瞳の色が変わった。
「な…何よ、偉そうなこと言わないでよ」
声は震えがちに、だが強気の宿った瞳で俺を見据えた。
「あんたなんか自分からは何もしないくせに!偉そうなこと言わないでよ!」
何だと?
「いつもいつもあたしからさせてるくせに!偉そうなこと言わないで!」
…おまえ、そんなふうに思っていたのか?
俺はブルマの顔を見返した。紅潮する頬。噛み締められた唇。
俺はその顔を両手で包み込むと、有無を言わせぬままに、その唇を解いた。
「…これでいいんだな」
そして再び唇を塞いだ。
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