前の女
俺だって、本当はこんなこと言いたくないさ。でも、しかたないじゃないか。
こんな状態がいつまでも続いたのでは、たまらないぞ。

「…しばらく来ないでくれないか」
唇をそっと外して、俺はできるだけ優しい声音でそう言った。
ブルマは一瞬驚いたように目を瞠り、それから意外にも声は荒げずに訊ね返した。
「しばらくって、どのくらいよ?」
難しい質問だな。
3日も経てば忘れられるような気もするし、一生玩ばれる予感もする。話題が移ればいいんだろうが、ここは娯楽が少ないからなあ。
「さあなあ。どのくらいだろうなあ…」
俺は遠い目をして呟いた。
「とにかく、ほとぼりが冷めるまでだ」
俺の言葉にブルマはまったく納得できないようだったが(そうだろうな。俺だって納得できない)、やはりまた意外なことに、素直に頷いたのだった。


さて、俺はほとんど永遠とも言える覚悟を内心していたのだったが、実際のところ、老師様とクリリンの俺玩びは1週間ほどで終了した。まあ普通そんなもんだよな。それだって充分しつこい方なんだよな、きっと。
残る問題はランチさんだ。この人は俺を苛めているというよりも、まったくの善意からそういうことを言ってくるので、きちんと正しておかなければ、ある意味で一番たまらない人物なのだ。
とはいえ女性に向かってそういうことをわざわざ切り出すというのも、(俺にとっては特に)非常に微妙な事であって、結局俺はダラダラと1ヶ月近くもそのままで過ごしてしまった。
そして1ヶ月を過ぎ共に買出しの任に当たった時に、ようやく彼女を正すことができた。その時、ランチさんは相変わらずの笑顔で(たぶん)はにかんだ。
「もう、嫌ですわ。もっと早く言ってくださればよろしかったのに」
いや、始めから否定してたんですけどね。
俺はほとんどそう言いかけて口を噤み、思わず頭を掻いた。
「いやあ、女の人にそういうことを話すのはどうも…」
これはきっと、俺じゃなくてもそうだよな。
それに俺は実を言うと、ランチさんが少々苦手なのだ。特にこの清純派の方のランチさんが。この人と話していると笑顔に引きずられるというかなんというか…一体何を考えているのか、正直さっぱりわからない。
ブルマもわからないが、この人はまた別ベクトルでわからない。いい人だとは思うし気さくに話すこともできるが、もし胸襟を開けと言われたら困ってしまうだろう。そういう意味では、怖い方のランチさんの方がまだ話しやすい(最もその場合は、向こうが俺を拒否するだろうが)。
…俺はひょっとして、怖い女性が好きなのだろうか。
言葉に詰まった俺の顔を、ランチさんが覗き込んだ。俺にはわからないあの笑顔で。
俺はそれに応えてみせた。


2ヶ月が経った。クリリンが言った。
「最近、ブルマさん来ませんね。ケンカでもしたんすか?」
まったく、おまえらは…
来たら来たで冷やかすくせに、ちょっと来なかったら、すぐケンカと決めつけやがって。一体どうしろっていうんだ。
そう、俺は実のところ迷っていた。これは、どうすればいいんだろう。俺からブルマに連絡した方がいいのだろうか。…会いにこいと?
しかし、それはちょっと勝手すぎやしないか。あまりにもご都合主義じゃないか。それにあいつも忙しいのかもしれないし。
…そうだよな。
俺はあいつの意思に任せることにした。
だって、そうだよな。


3ヶ月経っても、ブルマはやって来なかった。
これくらい会わなかったことは以前にもあったけれど、今回俺は妙に気になった。なぜかはわからない。
俺は別れた時のブルマのことを思い出した。不理解の漂う瞳の色。不本意そうなあの表情。
これは…
ひょっとして、俺が悪いんだろうか。
理由はない。確信もない。でもきっと俺が悪い、そんな気がする。
ケンカしたわけじゃない。言い争ったわけでもない。でも…
「やっぱり、俺が悪いよなあ」
俺は頭を掻いた。


クリリンと試合形式の修行をしていた俺は、そのことにまったく気づかなかった。
「ヤムチャさん、ブルマさん来てますよ」
1セット終えて、タオルで汗を拭いながらクリリンが教えてくれた。100m以上も離れた草地の上、木の下に隠れるように、あいつは座っていた。
「サンキュー」
礼と休憩の意を告げて、俺はブルマの方へと歩き出した。
「ようブルマ、来てたのか」
俺が声をかけるが早いか、あいつは立ち上がり、服に纏わりついた草を払い落としながら呟くように言った。
「今帰るわよ。…あたしはいない方がいいんでしょ」
声に険が篭っている。明らかに怒っている。
どうしてだろう、とは思わなかった。俺には、自分のしたことがわかっていた。…なんとなくだけど。
足早に去ろうとするブルマを、俺は追いかけた。その言葉は、自然と俺の口をついて出た。
「ブルマ、ごめん」
ブルマは足を止めることもなく、背中越しに言葉を投げつけた。
「何がよ?」
「何がって…」
俺は口篭った。…習性だ。
「わかってないのに謝られても、しょうがないわよ」
「俺が無神経だった」
ブルマの台詞に被せるようにそう言うと、あいつは足を止めた。
「俺が無神経だった。悪かった。謝るよ」
続く俺の言葉に、ブルマは歩を寄せ、下から睨めつけるように俺を見た。
「…本当にそう思ってるの?」
「ああ」
低い声音で呟く俺を、あいつはしばらく見つめていた。と、表情を崩すことなく、踵を返した。
「もういいわ」
よくない。全然よくないぞ。俺はブルマに駆け寄り、その手を掴んだ。
「ちょっと。何…」
そして続くブルマの声を封じ込めた。
あの樫の木の下で。


自由になったブルマの口から溜息が漏れた。
続く言葉は聞き取れなかった。
inserted by FC2 system