空の女
カメハウスには、専属の修理工が1人いる。


「ずいぶん古い型ねえ」
床にレンチを放り投げ、ブルマが呟いた。
足元にはオリジナルのツールボックス。レンチだけで9種も揃っているマニアックさだ。
「直りませんか?」
クリリンが遠慮がちに声をかけた。
「そりゃ直せるわよ、あたしなら。でも、もっといいの買い換えたら?お金はあるんでしょ?あたしが前にあげたダイヤは?」
「あれはウミガメさんが…」
クリリンの説明の弁を、本人(本亀?)が引き取った。
「はい、私が管理させていただいております。武天老師様に持たせておくと碌なことに使いませんからね。こういうものは老後のために取っておきませんと」
今がその、老後なんじゃないんだろうか。
「それにテレビなんてものは、見れればいいんですよ」
まったく、渋い亀だな。
まあ、俺たちはテレビなんてほとんど見ないし(見るヒマがない)。武天老師様が怪しげなビデオを見るのが関の山か…
「いいわよ、じゃあ直してあげるわ」
そう言うと、ブルマはさっさと作業にかかり始めた。

まったく、こいつは便利な女だ(誤解するなよ、言葉通りの意味だぞ)。
能力があるのはもちろんだが、なぜか機械弄りにかけて(のみ)は、全然面倒くさがらないのだ。常に清潔を保ちたいみたいなことを言うわりには、平気でオイルに塗れるし。よくわからないな。
「慣れよ、慣れ」
俺の質問に、ブルマはこともなげに答えた。
「物心ついた頃からやってるからね。オイルは友達みたいなものよ」
どこかで聞いた台詞だな。
俺はなんとはなしに訊き返した。
「物心ってどのくらいだ?」
「さあね。エレメンタリースクールの頃にはすでにやってたけど、それ以前の記憶は…ちょっとこれ持ってて」
俺は何かのコードを3本ほど掴まされた。ブルマはほとんど無意識に(少なくとも俺にはそう見える)手を動かしながら、会話を続けた。
「そうだ。4つの時にフリーザーを分解したわ。食べ物がどこからやってくるのか知りたくて」
「意味がよくわからないんだが…」
「フリーザーの中のものは自動的に湧いてくると思っていたのよ」
なるほど、子どもらしい発想だ。こいつにもそんな時代があったんだなあ。その後の行動が尋常ではないけどな。
「あとプリスクールで、園庭の遊具を改造して、回転速度を上げたことがあったわね」
なかなか楽しそう…
「あの時は怪我人が出ちゃって、こっぴどく怒られたっけ」
…恐ろしい園児だ。
俺がプリスクールの保育士の苦労を思い遣っていると、ブルマが何かのケーブルを引っ張り出した。
「あらら、コネクタが共通だわ。さすが年代物ね。これは修理工泣かせねー。しょうがない、作り直しといてやるか」
おまえが修理工なんだけどな。
ブルマは思い出したように(また文字通りの意味だな)叫んだ。
「あっ!そうだ、流れるプールを作ったわ」
プールを作った?
「隣区のプールにパドルホイールを取り付けたのよ」
「それで、怪我人は出たのか?」
ほとんど反射的にそう訊ねると、ブルマは呆れたように俺を見た。
「まさか。プールが流れたくらいで怪我人が出るわけないでしょ。ただそのプールって競泳用だったらしくて、その年の大会が中止になってたけど」
こいつは確信犯の典型だな。
「ま、そんなもんね。子どものできることなんて、たかが知れてるわよ」
それだけやれれば、充分だよ。
俺はその言葉を飲み込んだ。


「きったないわねえ。いつからこの状態なわけ?」
ボイラーに巣くう蜘蛛の巣を払いのけながら、ブルマが言った。その非難がましい目つきにもまったく動じることはなく、武天老師様は笑って答えた。
「そうじゃのう。かれこれ100年ほどかのう」
「げっ、マジ!?」
「冗談じゃよ。ほんの50年くらいじゃ」
「…たいして変わらないわよ」
それだって冗談なんじゃないだろうか。
俺はそう思ったけれど、そうツッコミを入れられるほどには、ブルマの機嫌はよくなかった。
「まったく、無駄に大きいボイラーね。家庭用とは思えないわ。それに、あたしボイラー技士じゃないんだけど」
こいつがこんなに(機械弄りに関しての)不平を言うなんて珍しい。
積もる埃と蜘蛛の巣を除けながら、俺は訊いてみた。
「ボイラーは苦手なのか?」
「ボイラーは労働安全衛生法に基づく技術よ。いわば管理責任者よ」
「つまり、わからないのか」
「失礼ね。わかるわよ」
どっちなんだ。

生暖かい風の吹くある晩。武天老師様の晩酌に付き合わされていた(とは言っても酒は飲んでいない。お酒は20歳になってから)俺たちは、ランチさんの一言で、弟子の務めから開放された。
「あの、お風呂のお湯が出ないんですけど…どうしましょう」
どうしましょうって、…ブルマの出番に決まっているじゃないか。
少なくともこの家ではな。

ブルマはボイラーをざっと検め、顎に手を当て呟いた。
「水管貫流か。場違いに高度ね」
「難しいのか?」
「平気よ。でも少し集中するから、上の方見てて。妙な動作したら教えてね」
態度が一貫していない。まったく、天邪鬼なんだからな。
ブルマは仰向けになると、頭からボイラーの下に潜り込んだ。俺はというと、言われた通り上を見ていた。むしろ、上だけを見ていた。
というのは、今日のブルマはいつにもまして短いスカートをはいていて、ボイラーの外に投げ出された両足が、その…かなり際どい見目であったのだ。
本当に、こいつはこういうところ、妙に無防備なんだよな。まいるよなあ。
そして、それにまいったのは俺だけではなかった。というか、常にそういう煩悩に支配されている人物が、カメハウスにはいるではないか。
俺の背後、足元から、腕が伸びた。それはブルマのスカートを抓んだ。
「む、武天老師様!!」
すかさず俺は蹴りを入れた。武天老師様はここぞとばかりに威厳を漂わせた口調で、俺を咎めた。
「ヤムチャ、お主、師を足蹴にするとは…」
「師だったら、そんなことしないでください!!」
まったく、俺の立場も考えてくださいよ。
というかな、何で弟子である俺が、師に向かってこんなこと思わなくちゃいけないんだろうな。…俺もいつかクリリンのように、常に師に猜疑を抱くようになってしまうのだろうか。
「うるさいわね。何やってんの?」
体勢はそのままに、ブルマが訊いた。俺はつい先日の、武天老師様絞殺人未遂事件を思い出した。
あれはマズい、あれは。この2人の対決は、とても俺の手には負えない。
「な、何でもないよ」
事なかれ主義を取り入れた俺の台詞に、武天老師様が便乗した。
「そうそう、何でもありゃせん。ブルマちゃんはなーんも気にすることないんじゃ」
そして、再び手を伸ばした。
ブルマはよくても(よくないだろうけど)、俺は気にしますよ!
俺はまた蹴りを入れた。
こうして、俺の役目は決まった。


カメハウスには、専属の修理工が1人いる。
そして俺は、その修理工の助手兼警護役に、いつの間にかなっていた。
inserted by FC2 system