壊す女
ブルマがカメハウスに入り浸っている。もう1週間だ。本人は夏休みだなどと言っているが、俺は、年中休んでるだろ、と言ってやりたい気持ちでいっぱいだ。…言わないけどな。

例によって、プーアルが郵便配達にやってきた。
「ブルマさん、これ今週のぶんです」
「はい、ありがと。かりんとう食べる?」
ブルマは着々とプーアルを手懐けている。プーアルも、ブルマの怖さを知っているわりに(いや、知っているからこそか?)言うことをよくきく。所謂、飴とムチってやつだな。
俺は、嬉しそうにかりんとうを頬張るプーアルを微妙な気持ちで見やりながら、ブルマの向かい側に腰を下ろした。あいつは、時期柄(と本人は言っている)いつもより多い郵便物を、次々と検めてはゴミ箱に捨てていた。
ふと、その中の1通が俺の目に留まった。俺はそれを抓み上げた。
「乗馬クラブの会員権?何でこんなダイレクトメールが来るんだ?」
おまえ、乗馬なんかやらないだろう。というか、大動物(ひょっとすると小動物も)嫌いだろ。
初めブルマは無言だったが(こいつ時々無視するんだよ、何でだろうな)、俺がそれをひらつかせてみせると、得心したように瞳を閃かせた。
「やらされてたのよ、子どもの時に。祖母にね。すぐやめちゃったけど。乗るだけなら乗れるわよ」
俺は軽く眉を集めた。まったく、ここのところ俺はこいつに驚かされてばかりだ。
「おまえ、祖母なんていたのか?」
2年も一緒にいたのに気づかなかったぞ。
「祖父母がいなきゃ、ここにあたしがいるわけないでしょ」
そういう意味じゃねえよ。
「最も今はいないけど」
それを先に言え。
俺はまた1通抓み上げた。
「ソーシャルダンス…」
「それも習わされてたのよ、やっぱり祖母に。あとテニスに茶芸にピアノにバイオリンにソーシャルマナー…」
「…やってるところ見たことないけど」
それどころか、まったくの初耳だ。こいつ、詐称してるんじゃないだろうか。…今さら何の意味もないと思うけどな。
ブルマは笑って、俺の推測を否定する台詞を吐いた。
「全部やめたからね、祖母が亡くなった時に。あの時は爽快だったわ。息子がああだからって、孫に押し付けるの止めてほしいわよね、まったく」
息子?…ああ、ブリーフ博士のことか。
なるほど、納得の背景だ。祖母とやらも気の毒に。息子のみならず孫にまで裏切られたわけだな。
最後にブルマは、過去の栄光をまったく惜しまない言葉で締めくくった。
「ま、それ以来、あたしは科学の道をひた走っているわけよ」
ふーん。

どうやら俺には、この現在のブルマとの不即不離(という感じだと思うんだけどどうだろう)の関係が性に合っているみたいだ。精神にゆとりがあるっていうのかな。時々妙に客観的に考察している自分に気づく。例えば、今だ。
俺はこれまで、ブルマがこういう人間になったのは、環境のせいだと思っていた。メカ好きなところは言うまでもなく親譲りだし、唯我独尊なところなんか、いかにも放任主義の結果だと思うじゃないか。だけど、違ったんだな。環境はあったのか。天性のものだったんだな。
まあ、そうだよなあ。親が許したって、外野が許さないよなあ。なんてったって、こいつは『良家の子女』(俺、この言葉にハマったみたいだ)なんだからな。
俺は想像してみた。
優雅に乗馬を嗜み、しとやかに茶を点て、危なげにテニスをし(お嬢様はジャンピングスマッシュは打たない)、部屋からはピアノの音色が流れ、淑女然としていて、なおかつこういう性格の良家の子女…
…ほとんど詐欺だな。
頓挫してよかった。きっとその釣書きでは、うっかり見合いで見初めたやつも出たに違いない。危うく、一人の人生が犠牲になるところだった。
まったく、こいつが飾り気のないやつでよかったよ。唯一にして最大の美点だな。うん。


「いいなあ、ヤムチャさんは。おれも彼女がほしいですよ」
クリリンのストレート。
「そんないいことばかりでもないって」
俺の上段受け。
午後の組み手は、武天老師様が不在のため、私語のオンパレードとなっていた。人間なんてそんなもんだ。
ここのところのブルマの長期滞在に、どうやらクリリンは彼女ほしい熱を再燃させたらしい。
俺たち、そんなに当てるようなことしてないと思うんだけどな。俺は修行しているし、ブルマは遊んでばかりだ。一体どこに羨む要素があるのか、皆目わからない。
「でも、ああして会いに来てるじゃないっすか」
「あれは遊びに来てるんだよ」
文字通りの意味でな。
ビーチが近くになければ、夏休みを1日だってここで過ごしたかどうか、怪しいもんだ。
俺のこの言葉を、クリリンはまったく非論理的な台詞で往なした。
「またまた〜、素直じゃないんだから」
あのな。
「おまえはあいつと付き合ったことがないから、そんなことが言えるんだ。というかな、おまえしょっちゅう、俺たちがケンカしているみたいなこと、言うじゃないか」
本当に羨ましいと思っているのか?
「でも、ケンカする程仲がいいって、言うじゃないっすか」
本当にそう思っているのか?…本当に?
俺が自分でもらしくないと思うことに、クリリンを深く追求しようとした時、背後からその声が響き渡った。
「ちょっと、あんたたち!」
ぎくり。
俺は身を硬くした。ヤバい。聞かれたかな?
だが、声の主の怒りの理由はそれではなかった。
「弟子ならちゃんと師匠を躾なさいよ!!」
それは絶対に弟子の役目ではない。
そう思い振り返りかけた俺の瞳に、目を丸くしたクリリンの顔が映った。何だ?
見ると、ブルマと武天老師様がいた。
うーむ。
これは、どちらにより驚くべきだろう。
ブルマはなぜか水着を着けていた。白いバンドゥ・トップの。足元はミュールサンダル。言っておくが、ここはのどかな緑の中だ。
それから武天老師様。老師様はブルマに首根っこを掴まえられて、なぜか頭に銛を刺して(刺されて)いた。
…何が起こったのかは知らないが、訊きたくなさそうなことであるのは確かだ。
そしてそれは、ブルマにとっても話したくないことであったらしく(助かった)、ブルマは武天老師様から手を放すと、俺とクリリンに怒鳴りつけた。
「あんたたち!ちゃんと師匠を見張ってなさいよね!!」
それも絶対に弟子の役目ではない。
「まったく、プーアルの方がよっぽど役に立つわよ。…プーアル、もういいわよ」
ブルマがそう言うと、武天老師様に刺さっていた銛が自動的に抜けた。一瞬煙が立ったかと思うと、そこからプーアルが現れ出た。
…プーアル、おまえ何やってんだ。いくらかりんとうが好きだからって、使われすぎだぞ。
俺は自分の僕の未来を案じた。
とりあえず武天老師様を保護すると、俺はブルマに訊ねてみた。
「おまえ、何で水着なんて着てるんだ?」
「泳いでたからよ」
泳いでた?
「また行くわ」
そう言うと踵を返した。その先にエアバイクが留めてあった。
何?ちょっと待て。ひょっとして…
「おまえビーチにいたのか?その格好でここまで来たのか?」
「そうよ。近いと便利よねえ」
けろりとした顔でブルマは答えた。俺は目を覆った。
おまえなあ。
近いと言ったって、ここからビーチまで2kmはあるんだぞ。しかもその道中は住宅地帯だ。そんな格好でうろつくやつがあるか。そうだ、それに…
「おまえ、まさかエアバイクに乗ってきたのか?その格好で?」
「そうよ。決まってんじゃない」
俺は眩暈に襲われた。
どこの世界にそんな微妙な水着を着て、バイクに跨る女がいるんだ!
これはもう、無防備というより恥知らずの領域だ。まったく、悟空といい勝負じゃないか。
俺の胸中の呟きなど露知らず、ブルマはさっさと歩き出した。
「じゃあ、あたし行くわね。亀仙人さんは頼んだわよ」
「ま、待て。せめてエアカーに乗っていけ」
「嫌よ、面倒くさい。こっちの方が速いわ」
言うが早いかエアバイクに跨ると(せめて俺たちのいないところで乗ってくれ…)、プーアルを前に座らせ、けたたましいエンジン音と共に空へと消えた。
その軌跡を見送りながら、クリリンが無理矢理の笑顔と共に呟いた。
「ははは…ブルマさんも大胆だなあ…」
俺はそれには答えず(というか答えたくない)、横目でクリリンをチラリと見やり、訊いてみた。
「おまえ、まだ羨ましいか?」
「……」
クリリンからの返事はなかった。


美点云々の話は取り消す。…当然だ。


夜、俺がキッチンにミネラルウォーターを取りに行くと、リビングのテーブルに突っ伏して寝入っているブルマの姿が目に入った。髪が少し濡れている。おいおい、風邪引くぞ。
声をかけようと近づいたあいつの周りに、何かの資料が散乱していた。ははあ、途中で飽きたんだな。
とりあえずの処置としてブルマの体にタオルをかけ、散らかる書類を適当に掻き集めて(触っても問題ないはずだ。たぶん)いると、その中に例の高尚なご趣味のパンフレットが混じっていた。「クラシカル・ソフィスケート・エレメンタリー・メディテイション・スクール」…もはや何なのかすらわからん。『良家の子女』も大変だな。
…『良家の子女』か。
俺は、上品とは言いがたい寝顔で眠りこけているブルマに目をやった。
まったくなあ。『良家の子女』が聞いて呆れるよなあ。
確かにこいつはそういうものなんだと感じさせられる時もあるが(このDMもそうだし、あの嵐の日に宿を提供した時なんかもそうだ)、なんだかなあ。こいつ自身がそうだとはとても思えないよなあ。
普通はそういう人間には壁を感じるものだと思うんだけど(特に俺みたいな人間は)、さっぱり見えてこないよなあ。知れば知るほど壁(いや、もともと壁はなかったから、地面かな)が取り壊されていくようだ。まったくこいつは破壊力ありすぎだよ。
俺が何の気なしに先ほどのパンフレットを繰っていると、その音でブルマが目を覚ました。どうやら眠りは浅かったらしく(普段はこのくらいの物音ではガンとして起きない)目を数度瞬かせると、常と変わらぬ機嫌の声音で呟いた。
「…ああ、それね。知人の紹介だったから目を通してみたんだけど。…捨てていいわ」
俺は何の他意もなく訊ねた。
「全然興味ないのか?こういうの」
質問というよりは、確認だな。
「ないわね。そんなことやってるほどヒマじゃないわよ」
そうかな。充分ヒマそうに見えるけどな。
俺の思いは不躾な視線となってあいつに注がれていたらしい。ふいにこんなことを言い出した。
「はは〜ん。あんたもあれね。どうせみんなと同じようなこと言うんでしょ。お嬢様はお嬢様らしくしなさいとか。まったく、男ってどうしてみんなそういうこと言うのかしら。嫌んなるわね!」
「ははっ」
思わず俺は笑った。
おまえ、そんなこと言われてんのか。いやまったく、言われるだろうな、おまえのそのステータスと実情ではな。…俺だってちょっとは言いたくなるけどな。でもな…
「おまえはそのままでいいんだよ」
何したって、その性格は変わらないさ。だったら、これ以上被害者を出すな。
被害者は俺1人で充分だ。

ふとブルマの顔を見ると、何やら茫洋とした表情でうっすら唇を開けていた。この前と似ているな。
その気の抜けた表情がなぜかかわいく思えて(いや、見た目にはかわいくないんだけど、なんとなくな)、俺は思わずあいつの頭を撫でてしまった。
と、ブルマの眉間に皺が刻まれた。
「もう寝る!」
そう言い捨てるといきなり立ち上がり、リビングを出ていってしまった。

何だ何だ。
てっきり喜ぶかと思ったのに。
俺は宙に浮いた自分の掌を見つめた。

まったく、あいつはわかんねえな。
『良家』じゃなくとも『子女』としてわからなすぎだよ。
壁はないけど。でも。

あいつ自身が鉄壁だよなあ。
inserted by FC2 system