海の女
「眩しい…」
ここってこんなに日差しが強かったんだなあ。1年以上もいるのに、まったく気づかなかった。地面ばかり見ていたからかな。
俺はサングラスをかけ、ビーチチェアに寝転がった。
「ヤムチャ様、サンオイル塗りましょうか」
「ああプーアル、頼む」
俺はビーチに来ていた。修行をサボっているわけではない。…いや、サボってはいるかな。だが、それはクリリンも同じだ。
今日は、なぜかカメハウス住人総出でビーチに来ていた。何やら武天老師様とブルマとの間に密談があったらしい。だが、俺はそれには関知しないことにした。知らない方が幸せなことというものはある。特に武天老師様のことに関しては。
「まったく、自分勝手とはあいつのためにある言葉だよな」
俺にサンオイルを塗りながら自分もオイルに塗れるプーアルに呆れたような視線を投げながら、ウーロンが言った。
「言いだしっぺのくせして、協調性の欠片もないやつだぜ」
ブルマのことだ。スケジュールを組んだ当人が、「もう少し寝たいから」という理由で、朝になっても起きてこなかったことを咎めているのだ。
ウーロンの言葉を否定するつもりはない。でも、普段はさしてカメハウスに寄り付かないくせして、ビーチに行くと知った途端遊びにくるこいつもどうかと、正直思うな。
「クリリンだってそう思うだろ?」
俺が反応なしと見るや、ウーロンは傍らで柔軟体操をしているクリリンに話を振った。
「うーん、でもまあ、ブルマさんは我が道を行くって感じだからなあ、ははは…」
…こいつ、昨日のことを思い出しているな。
あまり思い出さないでほしいなあ。っていうか、早く忘れてくれ。
俺は溜息をついた。

「…あの、でも、私困ります」
どこからかランチさんの声が聞こえた。確か武天老師様と一緒にジュースを買いに行ったはずだが…
ぐるりと辺りを見回すと、海の家と俺たちの集う場所の直線上、やや離れたところに、ランチさんの姿が見えた。1人の男と話している。
「お友達が待っていますので…」
「友達なんかより俺と遊ぼうよ」
ナンパか。しょうがねえなあ。
俺は緩やかに立ち上がり、男の背後から声をかけた。
「…おい。何してるんだ?」
「あ、ヤムチャさん」
ランチさんがほっとしたように俺を見上げた。男は怪訝そうに呟いた。
「何だ、おまえは?」
「…何してるんだと訊いているんだ」
相手の言葉には答えず、俺は凄んだ。答えたってしょうがない。だいたい、答えられることもないしな。
一瞬言葉に詰まってから、俺の表情と肉体美(自慢だ)をその目に入れると、男は無言で去っていった。
ランチさんが両腕に抱えたジュースを整えながら、礼を言った。
「助かりましたわ。私、どう言ったらいいかわからなくて」
「相手にしなければいいんですよ」
まあ、この人には無理だろうけどな。
「それはそうと武天老師様は?」
こういう時のために、2人で買出しに行ったはずなんだけどなあ。
「用事があるってどこかへ行ってしまいましたわ」
ナンパか。しょうがねえなあ…まあ、知らないところでやってくれた方が、こっちとしては助かるけど。
俺が頭を掻きかけた時、遠くから怒声が聞こえた。
「しつっこいわね!!」
それがあまりに大きな声だったので、俺たちは思わずそちらを振り返った。が、俺には見る前からその人物が誰だかわかってしまっていた。この声。この台詞。…トラブルに巻き込まれている(巻き込んでいる?)時のブルマだ。
「行かないって言ってるでしょ!!」
こっちもナンパか。本当にしょうがねえなあ、海ってやつは。
「断られたらさっさと引く!それがナンパのマナーよ!あんたたち、なってないわよ!!」
おいおいおいおい。
その物言いじゃ、相手も引くに引けないだろう。
思った通り、相手の男2人の声は、俄然熱を帯びた。1人がブルマの腕を掴んだ。
「何だと、この女!!」
「何よ、やる気!?」
おまえ、ナンパ相手にケンカ売るなよ。
「ちょっとちょっと」
俺はブルマと相手の男共の間に割って入った。
「何だ、おまえは!?」
「こいつの男ですよ。お分かりの通り、こいつまったく脈ありませんから。無駄なことは止めましょうよ、ね?」
言いながら、俺は一方の男の腕を捻り上げた。
「うあ゛、ぁぁっ」
「ねっ?」
俺が笑って凄むと、もう1人がすかさずブルマの手を離した。
「ち、ちくしょう。そういう女はちゃんと繋いどけ!!」
そしてオリジナリティ溢れる捨て台詞を残して、去っていった。
「あっかんべーだっ」
ブルマがその後姿に向かって舌を出した。

助けたブルマを連れ出して、俺はみんなのところへ向かった。ブルマはまだ怒りが治まらないらしく、俺に向かって怒鳴りつけた。
「あんた、ああいう台詞はもっとビシッと言うもんよ!」
はいはい。
「本当に情けないんだから!」
八つ当たりもいいところだ。
だいたい、ここは礼を言うところだろ。まったく、ランチさんとはえらい違いだ。ランチさんの方がよっぽどお嬢様らしい。こいつ、生まれる家を間違えたな。
まあ、ランチさんはもう一方の人格がより過激だけどな。ひょっとして、あの2つの人格が融合したら、ブルマみたいになるんじゃないだろうか。
…たまらんな。
彼女にはあのままでいてもらおう。俺はそう思った。

「やっほー」
「遅いぞ、おまえ」
のんきに手を振るブルマに、ウーロンがツッコんだ。っていうかこいつ今日、機嫌直るの早いなあ。海のせいか?いつもこうだと助かるんだけどな。
「何よ。ナンパがうまくいかないからって、当たらないでよね」
ぶっ。ウーロンがジュースを吐き出した。
なるほど。それでウーロンはさっき機嫌が悪かったのか。ブルマに文句をつけるのはいつものことなので、つい見逃してしまっていた。おまえ、鋭いな。
ブルマは、柔軟を終え演武もどきを始めたクリリンを呆れたように見やった。
「あんた、こんなとこまで来て何やってんのよ。あんたこそ、ナンパでもしてきたら?彼女ほしいんでしょ?」
「まさか。ナンパなんてそんなこと。だいたい、俺には無理っすよ」
クリリンは頭を振った。ブルマはなおも言い募った。
「ちゃんとマナーを守れば大丈夫よ。1、断られたらさっさと引く。2、つまらないことは言わない。3、相手のことを尊重する。これでOKよ」
俺は呆れを隠す気も起こらなかった。
「おまえ、今ナンパにケンカ売ってたくせに…」
「それはマナーがなってないからよ。マナーを守ってくれれば許すわよ、遠くでやっててくれるぶんにはね。あ、あんたはやっちゃダメよ」
はいはい。っていうかな、おまえがいるのに、そんなことするわけないだろ。俺はマゾじゃないんだぞ。
「んー、じゃ、ひと泳ぎしてこよっかな」
場をいいだけ引っ掻き回して、ブルマは水際へと去っていった。

「…あいつ、どこまで行く気だ」
ビーチチェアに寝そべって、俺は思わず口に出した。
波間に垣間見えるあいつの姿が、どんどん遠くなっていく。そのスピードがまったく緩まない。
「しょうがねえなあ」
あいつはカナヅチではないけれど、運動神経がいいほうとも思えない。…これは監視の必要ありだな。
俺が立ち上がり水辺へと歩きかけると、ウーロンが言った。
「おまえも苦労症だよなあ」
そんなつもりはないんだけどな。あいつといると自然にそうなるんだよ。
「しょうがないよなあ」
俺は頭を掻いた。


俺がブルマのいる場所に泳ぎ着いた時、あいつは人気のない波間で、優雅に背泳ぎを楽しんでいた。そう、優雅にだ。
「おまえ、泳ぎうまいな」
思わず感心の声を出した。フォームがすごくきれいだ。意外だ。
ブルマは衒うことなく呟いた。
「スイミングは続いたのよ」
「…なるほど」
俺はちょっと反省した。こいつを見くびりすぎていたことを。
だが、その反省は長くは続かなかった。
「こーんなこともできるわよ」
言うが早いかブルマは頭から潜水し、足先を波の上に覗かせた。やがて腿までを顕にすると、器用に円を描き始めた。
「お、おい…」
「といっても、できるのこれだけだけど。シンクロの練習って地獄よ。それで辞めたんだけどね」
息継ぎのためか一瞬水面に顔を出すと、注釈を施す。だが、その台詞は俺の耳にはほとんど入らなかった。
「わかった、わかったから、もう止めろ」
そりゃあ人気はないけどな。ちょっとは俺にも気を遣え。
俺がそう言うとブルマの足技は止んだ。だが、本人が浮かんでこない。
訝りと共に心配が首を擡げた次の瞬間、俺の体が水の中に引きずり込まれた。
頭部が水に浸かる。海面が上に見える。慌てて口を閉じ、思わず瞑った目を開けると、ブルマが俺の両足を掴んでいた。
おまえ…!
俺はブルマの腕を剥がしその体を捕まえると、もろとも海上に脱出した。
「おまえ!いきなり何する…」
僅かに飲み込んだ水を吐き、加害者を睨んだ。ブルマは意地悪く瞳を閃かせて、歯を見せ笑った。
「なーによ!ぶらないでよね!おっさんくさ!!」
何?
「あんた最近、眉間に皺寄りっぱなしよ!おっさんくさ!!」
おまえのせいだろうが!!
俺はブルマの頭を押さえつけた。常人の力の範囲内で、水の中に押し込んだ。ブルマは浮上しようとはせず自ら体を潜らせると、俺の手をすり抜け、俺の体に飛びついた。
「やったわね!!」
俺の上半身を押し倒し水中へと落とし込み、自分は逃げようとするところを俺が掴む。息の続く限り揉みあって、どちらかが限界と見るや浮上する。
俺は手加減しなかった。…力以外は。ブルマは意外にもすばしっこく(スイミングの賜物だな、これは)俺の手足の先に掴みかかっては、水中へと引っ張り込んだ。俺はそれを振り解くのと、ブルマ本人を捕まえることに専念した。
30分も経った頃、互いの息が切れてきた。
「おまえ、結構やるなあ」
頭だけを海面に浮かせながら、俺は素直に感嘆してみせた。
「あったりきよ!」
ブルマは得意気に目を細めた。
俺たちは笑った。何も考えずにただ笑い合った。俺にとっては久々に発した『子どもの』笑いだった。
ブルマがまた意地悪そうに俺を見やった。小悪魔的ともいう笑い。
俺はそれに微笑で答えると、ブルマの体を引き寄せた。あいつの腕が、俺の首に絡まった。
俺たちは唇を合わせた。時折、波に叩かれながら。


「あれ?ヤムチャさん、ブルマさんは?」
「ん、ちょっとな」
俺たちは別々にみんなのところへ戻った。何となく照れくさかったのだ(見られてないとは思うけど)。
俺は再びビーチチェアに横になった。未だ残る余韻に、ふと首元に手を当てた。
あいつもかわいいとこあるよなあ。
サングラスをかけ、あいつが戻ってきた時のために表情を消そうとしたその時――
「うるっさいわね!」
近くで怒声が聞こえた。
「逆ギレしない、それがナンパのマナーよ!あんたたち、なってないわよ!!」
あ。
「何だと、この女!!」
「何よ、やる気!?」
おまえ、成長ねえなあ…
「ちょっとちょっと」
俺はブルマと相手の男2人の間に割って入った。
「何だ、おまえは!?」
「こいつの男ですよ。お分かりの通り、こいつこういう女ですから。相手にするだけ無駄ですよ」
言いながら、俺は両人の腕を左右同時に捻り上げた。
「うあ゛、ぁぁっ」
「無駄なことは止めましょうよ、ねっ?」
俺が笑って凄むと、相手はすかさず踵を返した。
「ち、ちくしょう。そういう女は表に出すな!!」
そしてオリジナリティ溢れる捨て台詞を残して、去っていった。
「あっかんべーだっ」
ブルマがその後姿に向かって舌を出した。

いつの間にか俺の隣に来ていたクリリンが、呆れたように呟いた。
「ヤムチャさんも大変っすねえ…」
「まあな」
わかってくれてうれしいよ。
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