たまごな女
白衣って不思議だな。身につけた途端、科学者然とする。俺たちにとっての道着みたいなものだろうか。
「うっしっしっし」
ブルマが歯を見せて、上品とは言いがたい顔で笑っている。こいつ本当にいいとこの娘なのかなあ、と思うのはこういう時だ。
「うん、あたしもやるもんね。初めてにしちゃ上出来だわ」
カメハウスの庭、ガーデンテーブルの上に、得体の知れない薬品や器具が乱雑に並んでいる。…ガーデンテーブルって、こういう物を置くところだったろうか。ブルマの手には、銀白色の小さな球。例の、島で採取した小石だ。少し小さくなっている。精錬したらしい。
「へえ、結構きれいなものなんですね」
5つあるうちの1つを摘み上げて、クリリンが石に顔を映した。
「宝石のハトコ分みたいなものだからね。エメラルドにも含まれているのよ」
でも、エメラルドには興味ないんだよな。こいつも変わったやつだよなあ。
僅かに残ったコーヒーを呷るように啜りこむと、ブルマは再び白衣を身につけて、設計図を引き始めた。俺は午後の修行に戻った。

最近、俺は自主トレと称して山の中に行くことが多い。いや称しているのとは違うか。実際やっているんだからな。
カメハウス周辺は見晴らしのいい平地で、体を動かすには絶好の場所なのだが、内密に事を運びたい時にはそれがそっくり仇となる。
それで俺は自主トレの際には、北の山岳地帯にまで足を運ぶことにしていた。峠道沿いに民家はあるが、一山越えればほとんど人目にはつかない。時折熊が出たりして、ちょっと楽しい気分になれる。荒野時代を思い出すのだ。熊など何の脅威でもないしな。いい稽古相手だ。
そんな風に、俺は誰にも内緒で野性を楽しんでいた。なんとなく格好いいよな、こういうの。


C.Cからその物騒な荷が届いたのは、翌々日の3時の休憩の時だった。50cm四方程のコンテナ状のケースで、内部に何かのユニットがついている。定温輸送がどうとかブルマは言っていた。それで入っている物はといえば、両手に乗るくらいのごくごく軽量なパーツだ。これが物騒でなくて何だというのだ。
ブルマはそのパーツを慎重に検めると、ガーデンテーブルの上にぶちまけ、何か作り始めた。
燦々たる夏の太陽の下で、メカ作り。健康的なんだかそうじゃないのか、わからないよな。それにしても、何でわざわざカメハウスでやるんだろう。C.Cの方が設備も道具も揃ってるだろうに。
俺がそう言うと、ウーロンが舌を鳴らして偉ぶった。
「まったくわかってねえなあ、ヤムチャは。女心ってもんがよ」
女心?
そんなものあいつにあるのか?それに、おまえに言われたくない気もするが。
海での一件を振り返ってみても、女心なんてものがあいつにあるとは、思えないけどなあ。
だがそれは言わないことにした。海でのことは、俺とブルマ以外の誰も知らない。わざわざ吹聴するようなことでもないし、あいつだって知られたくないだろう(もしも女心というものがあるとすれば余計にな)。それに、『またケンカ』云々言われるのも嫌だしな。
その後もウーロンは『女心』について延々と講釈を垂れていたが、俺はほとんど聞いていなかった。だって、そういうものがあいつに当てはまると思うか?どう考えても、あいつに一般論は通用しないだろ。むしろそうだったなら、どんなに楽か。
そして俺の推測は結果的には当たっていたことが、数時間後に証明された。

午後の修行を終えカメハウスへと戻ってみると、ブルマが夕陽に顔を赤く染めながら、さらに頬を紅潮させていた。
どうやらメカ作りは終わったらしい。直径5cm程の球形をしたそれを小型パソコンに接続しながら、盛んにキーを打っている。
「よし、完成!」
大げさに最後のキーを叩くと、白衣を投げ捨て、誰にともなくニヤリと笑った。
「1日で出来ちゃうなんて、やっぱりあたしって天才ね!」
「何を作ってたんですか?」
訊ねたのはクリリンだ。こいつはブルマのマニアックさを知らないからな。聞けば聞くほどわからなくなるということがこの世にはあるということを、こいつはまだ体験していないのだ。
「『高エネルギー分解能分析電子測定機』よ」
「…何すかそれ」
ほらな。
「簡単に言うと『気』を調べるメカよ。量子レベルじゃなく、あくまで質量としてのだけど」
やや不明な点はあるが、今回はかなりマシな方だ。まだ意味がわかるからな。クリリン、おまえツイてるな。
そして、なまじ理解できただけに、この話題は続いた。
「質量としての気?何すか、それ」
「鈍いわねえ。『かめはめ波』よ。もしくはそれに準ずる技。要は目に見えるエネルギーであれば何でもいいのよ」
クリリンは目を伏せて考え込んだ。
「と、いうことは武天老師様ですか?でも老師様、そんなことに協力してくれるかなあ。…いえ、協力はしてくれるかもしれないけど、その…」
やつの言わんとしていることが、俺にはわかった。ここに来た当初なら、わからなかったかもしれない。俺もだいぶん慣らされてきているなあ。
クリリンの懸念を、ブルマは快活に吹き飛ばした。
「何言ってんの。亀仙人さんに頼まなくてもいるじゃない、ここにもう1人モルモッ…」
「わっ!」
俺は慌ててブルマの口を押さえた。
本当に、何て口が軽いんだ、おまえは。他人事だといっそう軽くなりやがる。
ここのところその話題には触れていなかったから、忘れたかと思っていたんだけどなあ。甘かったか。
「とっと、あにふるもよ、あむちゃ!あなひなはいお!!あにかんがえてんもよ!!」
口元を押さえつけても、ブルマの声は止まなかった(むしろうるさくなったか?)。手を外そうともがくブルマを、俺はさらに羽交い絞めた。
「一体どうしたんですか、ヤムチャさん」
どうもこうもあるか。聞いてくれクリリン、こいつの口の軽さといったらなあ…
俺はそう言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。もうすっかり話がすり替わってしまっているな。
だがもちろん口には出さない(というか、出せない)。俺は努めて笑顔を作った。
「い、いや、ちょっと…ブルマに話があるんだ。そう、話が!」
掴んだブルマの体ごと、俺はクリリンに詰め寄った。
「恋人同士の語らいだからな!邪魔するなよ、クリリン」
こいつはこういう言い回しに弱い。悪いが、弱点を突かせてもらうぞ。
あくまでクリリンには笑顔を見せたまま、俺はブルマをカメハウスの裏側へと引き摺っていった。誰にも見られていないことを確認して俺が手を緩めると、ブルマはわざとらしく大きな息を吐いた。
「あー、苦しかった。なーにが『恋人同士の語らい』よ!」
ブルマは口を尖らせてみせたが、俺の怒りはそれより大きかった。
「おまえなあ!!」
こんな風にいきなり声を荒げることは我ながら珍しいと思うのだが、ブルマはまったく堪えた様子を見せず、きょとんと俺を見返した。
「何よ?」
「内緒にしろって言っただろうが!!」
「あら、あれってまだ有効だったの?」
永遠に有効だよ!!
まったくおまえは、他人を尊重しないにも程があるぞ。
俺の怒声もどこ吹く風、ブルマは飄々と言ってのけた。
「ごめんごめん。だって、まだやってるとは思わなかったんだもん」
何だって?
「てっきり挫折したかと思ってたからさあ」
おまえ…終いにゃ本気で怒るぞ。
っていうか、ここまで言われても本気で怒ってない俺って、えらいよなあ。
俺はブルマの視線を外し、見えないところで溜息をついた。そして最後通牒を突きつけた。
「ちゃんとやってるよ。でももう、おまえには見せん」
「えー。何でよ?」
何でじゃないだろうが。自分の胸に聞いてみろ。
と言いたいところだが、実のところ今のこいつの態度がなくとも、俺はもうあれをこいつに見せる気はなかった。今度こそ本当に、誰にも見せまいと決めていた。だからこそ、わざわざ山の中まで足を運んでいたのだ。
もともとこいつに見せたこと自体、計算外だったのだ。あの時突き動かされた不思議な衝動は一体何だったのか、それは未だにわからない。本当に何だったんだろうな、あれは。とにかく、今はあの時とは状況が違う。見通しがつくという程の段階ではまだないが、かなり方向性は絞れてきている。1人密かに取り組むべきだと俺は踏んだ。
だって、やっぱり驚かせてやりたいじゃないか。それに、いちいちこいつに報告するっていうのも、なんかなあ。
自らの意思を反芻していた俺の横で、ブルマはしつこく嘆願を繰り返していた。
「せっかくメカ作ったのに。お願い、見せてよ。データ取りたいのよ」
「あんたしかいないのよ。亀仙人さんには頼みたくないし」
「あたしがあのじいさんに何されてもいいっていうの!?」
…だんだん脅迫になってきた。
ブルマの言うことは一見最もであるように聞こえるが、実はそうではない。他にも方法はあるはずなんだ。例えば、悟空を探し出すとか。武天老師様と交渉するとか。こいつはそういうの得意だからな(実際やってるし)。
それがわかっているのに、俺はつい言葉を洩らしてしまった。
「しょうがないな。これが最後だぞ」
本当に俺は甘い。甘々だ。


夜、みんなが自室に引き取った頃を見計らって(10時過ぎくらいかな。カメハウスの住民は比較的夜が早いのだ)ブルマが俺の部屋にやってきた。小型パソコンと、例のメカを携えて。どうやらメカはパソコンで操作するらしい。
メカからやや厚みのあるカードのようなものを抜き取り、それをパソコンに接続すると、幾度かキーボードを叩いた。すると、一体どういう仕組みなのか俺には皆目見当もつかないが、メカは音も立てずに宙に浮かび上がった。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
目の前に浮遊する銀白色の球体に目を奪われながら、俺は訊ねた。…原理も目的も時に動機さえ理解できないこともあるけど、どこかすごさを感じさせるんだよな、こいつの作るものは。
本当にこいつは、わけのわからないものばかり作りやがる。どこから出てくるんだろうな、そういう発想。
思わず脇道に逸れかけた俺の心を、ブルマの声が引き戻した。
「気を出してくれさえすればいいわ。遠隔操作型自動実行監視方式だから」
…何言ってるのか、さっぱりわからないんだけど。
俺が訊き返すよりも早く、ブルマは次の語を紡いだ。
「触れれば勝手に調べるのよ」
最初からそう言ってくれ。…でも、それなら危険はなさそうだな。
俺は気を集中した。拳が鈍い光に包まれ、やがて光が形を取り始めた。それは溢れ密集して黄白色の球となった。そう、ここまでは今では比較的容易にできるようになった。問題は気を集めすぎると保てなくなることと、放出のタイミングをコントロールできないことだ。要するに、技としてはまったく成り立っていない。だが感覚はある。ここからが勝負なのだ。
この一連の動作を、ブルマは固唾を呑んで見守っていた。きっとひさしぶりだからだな。前に見せたのは半年以上も前だ。まあ、その時との違いなど、こいつにはわからないだろうけど。
ブルマが再びキーを叩いた。俺の拳から現れた黄白色の光体に、銀白色のメカが静かに触れた。触れた際、反発や火花が散ったりなどの反応は一切起こらなかった。メカは光に包み込まれるように気の塊と一体化し、やがて…
…消えた。
「あーっ!!」
ブルマが声をあげた。
「あーっ!あーっ!あーーーっ!!」
俺は集中するのを止めた。気の塊は消えた。メカもまた、そこにはなかった。溶け去ったように、俺には見えた。
「そんな〜」
ブルマが床にへたり込んだ。
「ベリリウムは1300℃まで耐えられるから、大丈夫だと思ったのに…」
そう嘆いていたかと思うと一転、俺を睨みつけた。
「一体どれだけ熱持ってんのよ、その『気』ってやつは!?」
知らねえよ。
睨みをおさめ1つ大きな溜息をつくと、ブルマはベッドを背にして床に座り込んだ。いつもの定位置だ。その右隣(これも定位置だ)に俺も習った。なんとなく2人無言になっていると、ブルマがまたもや横目で俺を睨みつけた。
「何だよ?」
「あんた、本っ当に気が利かないわね!こういう時は慰めたりするもんでしょ!」
はいはい。
俺はブルマの肩に腕を回した。…自分から言い出すのもどうかと思うけどな。
慰めろとブルマは言ったが、俺には1つ解消しておきたい疑問があった。
「なあ、何で爆発しなかったんだ?」
これまで幾度か気を使った技を目の当たりにしてきたが、こんな無反応なものはなかった。俺の気がおかしいのだろうか。…まあ、爆発されていたら非常に困ったことになっていたわけだけど。
「そういう特質なのよ、ベリリウムは。打撃や刺激に対して反応が極々小さいのよ。融点が高いだけのレアメタルなら他にもあるけど…」
そこでブルマはいったん口を噤んだ。数瞬の間を置いて、やや気を取り直したように続けた。
「しょうがないわね。また理論構成の日々よこんにちは、だわ」
またわからない言葉が飛び出した。
「それは一体何なんだ?」
「え?…そのまんまよ。理論を積み重ねるのよ。少し固まったから確認したくて、今回試してみたんだけど。結局は無駄骨ね」
ブルマは溜息をついた。俺は脳裏からその言葉を引っ張り出した。
「座礁したわけか」
「ひさしぶりに聞いたわね、その言葉」
ブルマは笑った。弱々しい笑いではあったが、そこに自嘲の翳りはなかった。
「でも、座礁したのとは違うわよ。進路が変わっただけよ。まだまだ進めるわ」
「そうか」
物事や人って、みんな同じなんだな。試行して、錯誤して、積み上げて、積み上げて…。それを続けるんだ。いつか到達することを夢見て。
俺は記憶を探った。前にこいつが座礁したのは、いつのことだっただろう。…もう1年以上も前か。こいつも結構がんばるなあ。そういう地味なこと、好きじゃなさそうなのにな。
また1つ思い出した。そうだ、それで買い物に駆り出されたんだったな。
あの時の言葉の意味が、今の俺にはわかっていた。こいつも素直じゃないよな、一言言やあいいのにさ。
俺はブルマの肩に回していた腕を下ろした。そしてブルマの顔を覗きこんだ。
「充電するか?」
これは質問ではなく確認だ。そしてその確認に返事は必要ない。
俺はブルマの頬に手を当てた。
だってこいつがそうしろって言ったんだからな。
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