探す女
夏が終わる。といっても、カメハウスは常夏だけど。

でもやっぱり、俺にとって夏はあった。きっと、あいつにとってもそうだろう。
この夏、俺とブルマはベタ甘だった。ああ、はっきり言ってしまおう。ベタ甘だった。
ケンカもいっぱいしたけど。でもそれでわかったこともいっぱいあった。相変わらずわからないことも、もちろんあるけど。

俺はどうやらブルマのことが、かなり好きであるらしい。らしい、という言い方に他意はない。…性格だ。
正直、以前はそれすらわからなくなることが時々あった(ブルマには内緒だぞ)。例えば、付き合い始めの頃。武天老師様の元で修行を始めたばかりの頃。好意を持っていたことは否定しないが、…何と言えばいいのかな、自分の中での位置づけがうまくできなかったのだ。
好きは好きなのだが、こんな言い方するのも何なのだが…時々邪魔に思うこともあった。あいつが口うるさいから邪魔、というのではなく、あいつの存在自体が邪魔だった。あいつ自身にもよくわからない部分があったので、なおさらだ。
俺は子どもだったんだな。今はそう思えるようになった。成長したということかな。自分で言うな、という気もするが。
時々、俺は考える。
俺は武道に命をかけているわけではない。ブルマも、俺にとってすべてではない。
武道は俺の人生のテーマだ。ブルマは俺の好きな人間だ。
修行をしている時、俺は充実する。ブルマといると楽しい気持ちになれる。
その2つは共存する。もう俺の気持ちを掻き乱さない。俺は俺の人生を生きている。
いつか武天老師様が言っていた。「雑念と付き合え」と。
あれってこういうことだったんだな。

俺はそんなことを考えながら、1人エアジェットを駆っていた。目的地は…まだない。
こうなったのには、もちろん理由があった。


「ヤムチャ、おぬし、1人でやってみるか?」
武天老師様がそう言ったのは、まだ夏の余韻の残るある朝、いくぶん乾きかけてきた空気の中でのことだった。
どういうことだろう。俺、何かしたのだろうか。
即座にそう考えた。破門を告げられたと思ったのだ。
武天老師様は俺が言葉を発するより早く、俺の疑念を打ち消す笑みを浮かべた。
「そうではない。これも修行の1つじゃよ。いわば武者修行じゃな」
なぜ俺だけなのだろう。次に俺はそう考えた。兄弟子であるクリリンは相変わらずここにいるというのに、なぜ俺だけ?
これは口に出した。武天老師様の答えは、俺の記憶を喚起するものだった。
「クリリンはとうに1人立ちしておるよ」
え?
情けないことに俺は、武天老師様に言われるまで、そのことを思い出せなかった。
「前回の天下一武道会の後でな。あやつはわしに敬意を表してここに留まっているにすぎん」
そういえばそうだった。俺は自分が恥ずかしくなった。
いつの間にか俺は、自分がクリリンと同等の立場だと思ってしまっていたのだ。一緒に稽古をしていたから、というのは言い訳にすぎない。俺は慢心していたのだ。
ブルマが時々俺に言う。俺はお調子者だと。本当にそうだ。
「ここを出て行けと言っているわけではない。このままここで修行を続けるのも、外へ出て行くのもおぬしの自由じゃ。すぐに戻ってきても咎めはせん。そういうことではないのじゃ」
俺は理解した。
老師様は俺に考えろと言っておられるのだ。我武者羅に鍛えるだけの時期は過ぎたと。そう言っているのだ。
1人で修行する。誰もいないところで。心ゆくままに。
それは魅力的なことのように思えた。そこでは、あの修行も存分にできるだろう。1人になって見えることもあるだろう。自分を見つめなおし、そして再び武天老師様のご指導を仰ぐ。俺には必要なことかもしれない。自分でも知らず慢心してしまっていた、今の俺には。
決心するまでもないことだった。俺はカメハウスの住人に暇を告げた。


と、格好つけてはみたけれど、とどのつまりはただの武者修行だ。どうも無意識のうちに格好つけてしまうところが、俺の悪い癖のようだ。
とりあえず半年くらいかな。やはり最後は老師様のご指導を仰ぎたいからな。
さて、どこへ行くかな。
それについて俺は、まったく全然何も考えていなかった。考えつけるほど多くの土地を知らなかった。俺は、思い立ったらすぐ筋斗雲で飛んでいける悟空ほど、身軽ではないからな。…あいつ、ズルイよな。
だから何も言っていなかった。ブルマにも。

だって、まだ何も考えてないなんて言えるか?とりあえず出発してみたなんて言えるか?
俺にだって、それくらいのプライドはあるぞ。
絶対バカにされるに決まってる。普段はそれでもいいけど、せめてこういう時くらいはなあ。ビシッとしたいじゃないか。
ブルマやプーアルには、落ち着き先が決まったら教えればいいさ。別に、地球上からいなくなるわけじゃないんだからな。…何かグローバルだな、俺。
そもそも教える必要すらないかもしれないな。ブルマなんかには特に。あいつとは半年会わなかったことだってあるくらいだからな。

気楽に行こうぜ、気楽に。それが武者修行の醍醐味だ。

俺は放浪した。といっても、闇雲にというわけじゃない。いくつかそれらしいところをピックアップしてあった…あくまで地図上で、だけど。自由に、とはいってもこういうことをしてしまうのが、現代に生きる人間の限界だ。いやまったく、悟空はすごいよ。あの奔放さは半端じゃない。さすが隔離されて育っただけあるよなあ。
ふと俺は、気持ちが寛いでいる自分に気づいた。以前は悟空のことを考えると、焦りばかり感じたものだが。
いい傾向だ。俺は案外、1人が性にあっているのかもしれないな。


3週間を、俺は1人で過ごした。それはまったく健康的な日々だった。
1年以上の修行生活で、体のリズムはすっかり出来上がっていた。朝も夜もトレーニングの間すら、(ある程度は)体が勝手に動いてくれた。ブルマに体力バカと言われる所以だ。
お茶の時間にも体が反応してしまうのには、まいったが…でも、思えばあれは武天老師様の余裕の表れだな。余暇の時間を取らせても弟子を鍛え上げることができる、という余裕の表れだ。だから、俺もそれを尊重した。コーヒー一杯飲むくらいの余裕がなくてどうする。なあ?
そうしてこの武者修行も、老師様の心の表れだ。老師様は、俺にどこへ行くのか訊ねなかった。監視するつもりはないのだ。俺が修行を決してサボりはしないと踏んでくれているのだ。ならばその期待に応えなくてはな。
俺は1人で過ごしていたにも関わらず、こんな風に随所に他人の息吹を感じ取っていた。おもしろいな、人生って。


4週間目のことだった。一機のエアジェットが空を過ぎった。俺はその時、カプセルハウスの前でコーヒーを飲んでいた。ブルマ言うところの『甘すぎるコーヒー』を。
エアジェットの側面に刻印が入っているのが見えた。C.Cの、ブルマが自分仕様のものに入れる刻印だ。
何だ何だ、もう見つかったのか。早すぎるぞ、おまえら。
言い忘れていたが、今俺がいるのは北の森だ。そしてそれを、誰にも教えていなかった。忘れていたのと面倒くさかったのと、半々だ。…すまん(誰に謝っているんだろうな、俺)。
思った通り、エアジェットから出てきたのはブルマとプーアルだった。プーアルは文字通りジェットから飛び出すと、喜色を露にあの小さな体で俺に体当たりしてきた。
「ヤムチャ様ー!!」
ほとんど泣き笑いの様相だ。まったく、かわいいやつめ。
俺はプーアルを抱きとめながら、陽気に構えてみせた。
「よう。よくわかったな、ここが」
「探しましたよ、ヤムチャさ…」
「偶然よ。偶然、通りかかったのよ」
プーアルの声をもう1人の人間が遮った。ブルマはジェットのタラップに片足を乗せながら立ち尽くし、白けたような顔でこちらを見ていた。
何だおまえ、機嫌悪いな。ひさしぶりに会ったっていうのに。どうせなら機嫌のいい時に来いよな。
…まあ、それもこいつの性分か。
俺はさして気にしなかった。というより諦めていた。ブルマの機嫌が俺に読みきれた例がない。それに今はプーアルもいることだしな。
相変わらず、俺の気分は寛いでいた。武者修行の賜物だった。…俺にとっては。

「…雑然としてるわね」
カプセルハウスに足を踏み入れるなり、ブルマが言った。俺はそこだけは充実しているキッチンで、新しいコーヒーを淹れながら、それに答えた。
「寝て食うだけの家だからな」
それ以外はすべて修行の時間というわけさ。俺はおどけてみせた。
「…そう」
ブルマは相変わらずの不機嫌と共に、俺の渡したコーヒーに口をつけた。プーアルがこちらは笑顔で、カップを両手に抱えた。
「カメハウスにヤムチャ様がいないと知った時はびっくりしました。でもお元気そうでよかったです」
こちらも相変わらずの心配性めいたプーアルの言葉に、俺は思わず顔が綻んだ。
「元気に決まってるだろ。まだ1ヶ月も経ってないんだぞ」
「そうよね。たった1ヶ月よね」
ブルマがぽつりと言った。…何か棘のある言い方だな。気のせいか?
「で、その1ヶ月であんたは何をやってたわけ?」
今度ははっきりと、声に険を篭らせているのがわかった。プーアルが不安そうに俺を見上げた。プーアルの手前もあって、俺は努めて陽気に答えた。
「何って、今までと変わりないさ。時間と人目を気にせずできるのが最大の利点だな。例の技もやりやすいし…」
最後の言葉は俺とブルマにしかわからない、いわばリップサービスめいた気持ちで口にしたのだが、それは完全にブルマの怒声に掻き消された。
「そういうことを訊いてるんじゃないわよ!!」
ブルマはコーヒーカップをテーブルに打ちつけた。黒い液体が波うち零れた。瞳が青く燃えていた。俺は一瞬息を呑み、次の言葉を待った。
だがブルマは俺から目を逸らすと、プーアルにカプセルを1つ投げつけて、無言で席を立った。
俺は後を追った。呆然と俺たちを見送るプーアルの姿を背中に、俺がハウスの入り口でブルマの肩に手をかけた時、あいつは振り向きざま、掬うように俺を睨めつけ、ただ一言叫んだ。
「バカ!!」
俺は呆気に取られた。あいつの姿がエアジェットへと消えた。

…わけがわからない。
こんなにわけがわからないのもひさしぶりだ。一体何なんだ。
機嫌が悪かった?いや、そうじゃない。あいつの瞳には明らかに怒りが宿っていた。
…俺、何もしてないと思うんだけど。だってするヒマなかったし。だいたい、ここしばらく会ってないし。…うん、やっぱり俺何もしてないよな。
わからねえ…


ブルマとはそれっきりだった。プーアルは小まめに俺に会いにやってきた(本当にかわいいやつだ)。とはいっても、カメハウスにいた頃ほどではないが。ここはそれほど便のいい場所ではないからな。
そのこともあって、俺はブルマのことをさして気にしていなかった。…ふりをしていた。ここは便も悪いし、あいつだってそうそうヒマじゃない。…と自分に言い聞かせていた。
気にならないわけないさ。そうだろう?
だが、俺にはどうすることもできなかった。俺は修行中の身だ。あいつに会いにC.Cに行くことなどはできない。どこに行くのも自由、とは言っても、それはそういうことじゃない。俺に許されているのは、あくまで武者修行としての自由なのだ。
だから俺は、修行とブルマのことを切り離して考えることにした。ここにいる間は、修行に専念するのだ。当然だ。だがブルマのことを忘れたわけじゃない。
それができるように、俺はなっていた。…はずだ。


2ヵ月後、俺はカメハウスを訪れた。戻ったわけではない。時節柄だ。年も暮れてきたので、武天老師様に一言挨拶しておこうと思ったのだ。人里離れたところで修行している人間の言うこととしては奇妙に聞こえるかもしれないが、あいにく俺は世捨て人ではないのでな。これはおそらく許される行為だろう。
ひさしぶりの常夏の中で、俺はまずクリリンと顔を合わせた。あいつは、よく俺と組み手をした場所で、1人、合気をやっていた。
「よう、クリリン。相変わらず精が出るな」
「あ、ヤムチャさん。ひさしぶりっすね」
俺は苦笑した。こいつの敬語なんだよな、俺を慢心させたのは。もちろん、それだけではないけどな。
「どうですか、武者修行の方は?」
「ボチボチだな。まだ始めたばかりだしな」
それにしても間抜けな会話だよな。武者修行もすっかり軽くなってやがる。
俺はクリリンに例の技のことは伏せて、だいたいの近況を話した。クリリンの方はさして話すこともないようだった。そりゃそうだ。俺はつい数ヶ月前までここにいて、この辺りのことはたいがい知っているのだから。
と思っていたのだが、2人並んでカメハウスへと歩き出した道すがら、意を決したようにクリリンがその言葉を呟いた。
「ブルマさんが時々来ますよ」
一言言うと気が楽になったのか、クリリンは流暢に後を続けた。
「時々というか、えらく頻繁に来てます。それが何か様子が変で…実は今日も来てるんですけど。何かあったんですか?」
あいつ、俺のところに全然来ないと思ったら、カメハウスの方に来てたのか。何でまた。しかしあの別れ際の怒り方からして、きっとさんざんみんなに当たり散らしているんだろうなあ。
「悪いな、迷惑かけちまって」
もうケンカのことはみんなにバレてしまっていると踏んで、俺はそう言った。
「あ、いえ全然。機嫌はいいですから」
機嫌がいい?
じゃあもう怒ってないのかな。本当にあいつは気分屋だな。しょうがないなあ。
ブルマの話はそこで終わった。クリリンと四方山話を続けながら、俺はカメハウスを視界に認めて、気構えを整えた。
ドアを開けると、確かにあいつがいた。俺はドアをくぐるクリリンの後ろから、テーブルに皿を並べているあいつの姿を認めた。キッチンに戻りかけるあいつの背中に向かって、声をかけた。
「よう」
ブルマは振り向かなかった。それどころか一目散に2階へ続く階段へと走った。
「あ、おい」
俺は追いかけた。クリリンとランチさんが、驚きと好奇の目を俺の背中に走らせたのがわかったが、それは無視した。
おまえ、怒ってないんじゃなかったのか?何で俺からだけ逃げるんだ。
階段を上りきったところで、あいつの手を捕まえた。相変わらず俺を見ようともしないあいつに向かって、俺は問いかけた。
「おまえ、一体どうしたっていうんだよ。あれっきり顔も見せないし」
せめて理由を言えよ。黙ってちゃわからないだろ。
だがブルマの返答は、俺の予測を超えていた。
「何であたしがあんたに会いに行かなきゃいけないのよ」
また声に険が篭っている。一体何なんだ。
「何でって…だって、俺からは行けないんだから、しょうがないじゃないか。俺は修行中の身なんだし」
そりゃあ、おまえからすれば面倒くさいかもしれないけど。しょうがないじゃないか。なあ。
数瞬の間が開いた。俺がなんとなく黙っていると、ブルマがさらに突拍子もないことを言い出した。
「あんたは、あたしがいない方がいいんでしょ」
…何言ってんだ、おまえ。
っていうか、前にもこんなことあったような…
でもあの時と今は違うぞ。あの時は確かに俺が悪かったが、今回は何も言ってないぞ。…言ってないよな?
「違うって」
「じゃあ、何で居場所教えないのよ!?」
言葉と共に振り向いた。その瞳の色に押されて、俺はうっかり本当のことを言ってしまった。
「それはその…忘れてたっていうか。修行が楽しかったから、つい」
熱中しちまったんだよ、修行に。それでつい忘れちまったんだ。…悪かった。
あ、やっぱり俺が悪かったのか。

面目ない気持ちでうな垂れる俺に、ブルマは呆れたような(いや、たぶん本当に呆れてるな。…面目ない)声を投げつけた。
「わかったわよ。行くわよ。行きゃいいんでしょ。呼んだからには、それなりにもてなしてよ。それから、部屋は別々よ。ちゃんと用意しといてよ」
ブルマの強気な許しの言に、俺は安堵の息を漏らした。…やれやれ、助かった。
和らぎ始めた空気を、しかしブルマの声が再び裂いた。
「でも、今は帰って」
は?
「当たり前でしょ。こんな風にしといて、みんなにどんな顔して会えっていうのよ。っていうか、あたしが帰るわ」
言うなり寝室のドアを開け、自分の荷物を手にすると、エアバイクをカプセルから戻した。
「みんなにはうまく言っといてよね」
そして窓を開け放つと、エアバイクに跨りキーを差し込んだ。
「バーイ」
もはや轟音以外の何物でもないエンジン音(こいつ、また改造しやがった。いい加減にしろよな…)と共に、ブルマは去っていった。


後に残された俺には、針のむしろとなる運命があるだけだった。
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