桜花の女
現実って間抜けだよな。

俺が昼食を作っていると、ようやくブルマが起きてきた。あいつは蹌踉めきながらキッチンカウンターへとやってくると、おもむろにテーブルに突っ伏した。
「…あいたぁ…」
ギクシャクとした動きで、僅かに背中をさする。俺がカウンターの小窓から差し出したコーヒーにも、手をつけようとしない。
「どうした?寝違えたのか?」
そう訊くと、ブルマは顔を上げて俺を睨みつけ、最後に「いたっ」と小さく呻いた。
「…筋肉痛なのよ!!あんたのせいで!!」
俺はすぐに理解した。昨日のあれか。そうだな、こいつ普段まったく運動してないからな。
「自分で逃げたんだろ」
自業自得だ。
ブルマは怒鳴った。やはり小さな呻きと共に。
「あんたが追いかけてこなければ何の問題もなかったのよ!!」
「あんな逃げ方されて追わないやつがいるか!!」
怒鳴り返す俺の視界の片隅に、不安そうにこちらを見やるプーアルの姿が入った。
大丈夫だ、プーアル。これしきの口論、俺たちにとってケンカではない。特に、今日の俺たちにとってはな。
本当のケンカというものはな、睨み睨まれ追い追われ、心身共に緊張感あってこそのものなのだ。昨日のようなな。

それにしてもやっぱり間抜けだ。足跡のことといい、こいつ策を練るわりに、ディテールにまったく気を払ってないよな。どこが天才だ。
いや、頭はいいのかもしれないが、性格が邪魔をしているというところか。結果的にはそれで俺は助かってるんだけど、経過がたまんないよな。
トラブルメーカーって、こういうやつのことを言うんだろうな。

「後でマッサージしてやるよ」
だから今日一日はせいぜい苦しんでいるんだな。自業自得だ。
表向き笑顔を振りまきながら、俺は心の中で言い添えた。


この日の修行は捗った。あいつがまったく外へ出てこなかったからだ。
いやあ、一人ってすばらしいな。
俺は以前、ブルマのことを少し疎ましく思ったことがある。その性格によらず、存在そのものにだ。
だが、今では違っていた。あいつの存在は邪魔ではないが、あの性格は邪魔だ。殊に修行をする際には邪魔すぎる。文字通りの意味でな。
それに、なんとなくあいつがいると弛むし。これは俺が悪いんだろうけど。
そんなことを考えていたからでは断じてないが、俺は足を滑らせた。森の奥深くで、グリズリーを相手にしていた時のことだ。
グリズリーというのは大変大きな生き物だ。この時のは特に大物というわけではなかったけど、それでも体長4m、体重にして800kgはあっただろう。
それを仕留めた後(ちゃんと仕留めたぞ。戦っている最中に足を滑らせる程、俺は間抜けではないからな)で、俺は足を滑らせた。…前に誰かに言われたっけな。俺は気を抜くのが早すぎるって。まあ、それもあるかもしれないが、この時は足場が悪かった。冬にしては良すぎる日照のせいで、積雪が融けてぐちゃぐちゃなんだ。
俺は倒れたグリズリーに押し潰された。…マジで死ぬかと思った。それで結論を出したんだ。

夜、修行を終えてハウスに戻ると、ブルマは相変わらず死んでいた(文字通りの意味じゃないぞ。比喩表現だ)。俺のベッドで。
…おかしいな。俺、ルームロックかけといたはずなんだけど。…まあ、いいか。
「待ってたわよ。早くマッサージしてよ」
こいつ、彼氏に対する労りの気持ちってものが全然ないな。俺、修行でくたくたなんだけど。
でも、そんなことは言わない。俺はタフガイなんだ。
ベッドの上で横になるブルマの背中を揉み解しながら(ちなみにこいつはパジャマを着ていた。またバスローブ姿だったらどうしようかと思った。マジで。…本当だぞ)、俺は切り出した。
「なあ、俺ここを出ようかと思うんだけど」
俺の第一声に、ブルマはのんびりと答えた。
「何、あんた家出すんの?普通、そういうことは内緒にするものよ」
どうしてそうなるんだ。っていうか、ここ俺の家なんだけど。なぜ主が家出…
とりあえず不本意な気持ちは横に置き、俺は続けた。
「いや、場所を変えようかと」
「ふ〜ん。で、どこに行くの?」
ブルマはさして興味もないようだった。俺は手を休めず答えた。
「それはこれから決めるさ」
「あんたって、いっつも見切り発車よね」
即実行型だと言ってほしいな。
「それでさ。一度帰ってくれないかな…」
この一言が一番勇気いった。なにせこいつは2週間居座ると言い切ったやつだからな。…豪胆だよな。
「ええ?何よ急に」
急にじゃないだろ。おまえ、ちゃんとひとの話を聞いていたのか?
一通りの罵倒を受けた後で(「本当に勝手なんだから」とかだよ。想像つくだろ)、俺はブルマを了承させた。もとより修行に関して口を挟ませるつもりはない。本当さ。これだけは譲れない。
落ち着き先が決まったら連絡することだけを約束して、翌日俺たちは別れた。


本当に、一人ってすばらしい。
俺は1ヶ月余り、一人を堪能した。プーアルもいない。別にいてもいいんだけど、プーアルを呼ぶと自動的にブルマもついてくるだろうからな…
C.Cには時々連絡を入れた。…プーアルに。入れないとまた探されそうだし。居場所は適当にはぐらかした。教えてもいいんだけど、プーアルに教えるとブルマにも知られるからな…
まあでも、それも1ヶ月が限界だ。あいつは気が短いからな。それに時期的にもちょうどいいと俺は判断した。


昼食をとるためハウスへ向かっていると、一機のエアジェットがやってきた。C.Cのマークのみでブルマ仕様の刻印は入っていないが、こんなところに来る人間が他にいるとも思えない。しかも見たことのない型だ。新型かもな。
俺は手を振った。それに気づいたのかどうかはわからないが、エアジェットは一度俺の上空付近に滞空し、それからやおら周辺を旋回し始めた。ゆっくり、ゆっくり。2周はしただろう。
あいつの顔は見えなくても、俺にはあいつの心境がだいたいわかった。俺も何日か前に同じようなことをしたもんだ。
数分後、エアジェットは再び俺のところにやってきた。とても静かな航行で、翼を折り畳みながら機首を傾けつつ、俺の傍らに垂直に降り立った。こんな着陸の仕方、初めて見た。こんなの乗ってるのあいつしかいないよ。わかりやすいな。本当にわかりやすい。
思ったとおり、エアジェットから出てきたのはブルマだった。ブルマは機外へ顔を覗かせると、タラップを降りようともせずに、あたりを見回した。俺はその反応に満足した。
「なかなかいいところね」
俺の顔を認めると、ブルマは笑いながらそう言った。
やっぱりな。おまえは気に入ると思ったよ。
正直、おまえにそんな女らしい感覚があるとは思ってなかったけどな。あの雪の中のおまえを見るまでは。
まあ、ここは男の俺でも美しいと思うような場所だ。きっと誰でも気に入るんだろうけどな。

一面に生え渡る桜の木。それが俺の今回の修行場所の風景だ。
1kmも足を運べば平地も岩山もある。条件としては申し分ない。
しかし俺がここを修行場所に選んだのには、1つの理由があった。

俺がエアジェットからあいつの荷物を降ろしている間も、あいつはずっと桜の木を見上げていた。かわいいな。まったくかわいい。こういう時は、こいつが怖いやつだということを忘れるな。
…おっといけない、また緩んできているな。
俺は自分を引き締めるべく、殊更話題を現実的な方向へ持っていった。
「ところで、このエアジェット見たことない型だけど」
「これ?改造したのよ。狭い場所でも離着陸できるように」
おまえ、こんなものまで改造してるのか。
よっぽどヒマだったんだな。1ヶ月も放っておいて、悪いことしたかなあ。
…やっぱり弛むなあ、俺。

昼食をとると俺はブルマをハウスに残し、修行に戻った。
そうさ、弛んだ時は修行だ。それがいい。修行をしている間はあいつのことを忘れられる。というか、俺は本来そういう男だ。戦いの中に価値を見出す、そういう男なんだ。
桜の木の下で軽く体を解すと、俺は岩山へと足を向けた。
ここは実におもしろい土地だ。美しい桜の森を抜けると、いきなり岩山が現れる。それを越えると今度は荒野だ。そこにはコヨーテもいる。オオカミも。グリズリーはいない。…深い意味はない。
俺はこういうところが大好きだ。野性の血っていうのかな。生きているって感じ、するよなあ。
それに修行相手がいるというのはいい。手加減しなくていいなら、なおさらだ。
1、2、3、4、5、6、7…心の中で数えながら、タイリクオオカミを次々と薙ぎ倒していく。快感だ。
そして最後の1匹を、あの技で仕留める。パワーは微小ながら、俺はあれを実戦で使い始めていた。
相手の動きに注意しながら気を溜める。発現させたら、あとは一瞬だ。一瞬で決めるぞ。…か…
「かあっこい〜い」
心の掛け声は現実の声に掻き消された。俺はコケた。気持ちだけではなく、身もコケた。一瞬視界から消えたオオカミが、俺の真横に瞬間移動していた。
「どわっ!」
喉元を掠る牙を慌てて払い退けた。掌に溜めた気はすでに霧散していた。
くそっ!!
何とか初代必殺技で最後のオオカミを捻じ込んだ俺に、闖入者はえらそうな顔をしてうそぶいた。
「まだまだ詰めが甘いわね」
誰のせいだ、誰の!!
俺はブルマを睨みつけた。あいつは堪えた様子もなく、飄々と言い放った。
「あんた、戦っている時は格好いいわねえ」
…何だ、その言い方は。
「もうずっと戦ってたらいいんじゃない?」
ああ、おまえがいなけりゃそうするさ!!
まったく、どうしておまえはそうなんだ。いつもいつも、ここぞというところで邪魔しやがって。俺はそれが嫌でおまえを1ヶ月放置したんだぞ!
…そのツケが今、回ってきているのだろうか。
「おまえ、何でこんなところにいるんだ?」
あっちでおとなしく桜見てりゃいいじゃないか。わざわざこんなところまで、俺の邪魔しに来なくても…本当にかわいくないやつだな。
「桜見にきたのよ」
そう言って目配せすると、ブルマは岩山の端、切り立った断崖に歩を進めた。おいおい、危ないぞ。
思わず追った俺を尻目に、あいつは崖の端に腰を下ろした。
「絶景よ、ここ」
俺はブルマの目を追った。
本当だ。
見晴るかす大地をうめる淡紅色。その向こうに広がる濃紅色。桜と夕陽。単色の世界。
俺は眼前に広がる景色に目を奪われた。そんな俺をちらりと見やって、ブルマが言った。
「ねえ、何であんたここに来たの?あんたがこういうとこ選ぶほど、情緒に溢れているとは思えないんだけど」
放っとけ。
反射的に呟いてしまった言葉の毒とは裏腹に、俺の心は穏やかだった。
「いい頃合かと思ってさ」
風になびく桜の木々が見える。舞い散る花弁が美しい。
「ここの桜が散ったら、カメハウスに戻ろうと思うんだ」
当初の予定では、とっくに戻っているはずだった。とりあえず半年と思い、老師様の元を離れたが、気がつけばもう7ヶ月目だ。まったく俺も流されてるよなあ。
原因はこいつだ。おまえだよ、ブルマ。おまえが邪魔するから、思いのほか修行が捗らなかった。いや…
言い訳だな。おまえは悪く…はあるな、確かに。でもやっぱり俺の問題だ。俺が甘いんだ。俺はまだ、一人でやれるほどの器じゃなかったんだよな。それがわかったことを実りとしようじゃないか。
そう考えたものの、一方で未練は残った。やはり一人の魅力も捨て難い。自由気ままに修行することの、何と爽快なことか。
要するに、俺は迷った。それで自然にまかせてみることにしたんだ。
春は別れの季節って言うしな(ちょっとニュアンス違うか?)。桜と共に去るのも風流じゃないか。
俺が話すのをブルマは黙って聞いていた。だが話し終わるとおもむろに俺の頬を抓りあげた。
「バーカ」
そして一人さっさとエアジェットへ乗り込んだ。
…やっぱりわかってもらえなかったか。
まあ、そんな気はしてたけどな。


夜、修行を終えカプセルハウスへと戻る。必然的にその道は桜の森の中となる。
あー、腹減った。
何、情緒がない?放っとけ。
確かに俺も最初の頃は、ゆっくりと花見をしながら歩いたりしたけどな。だが、人間とは慣れる生き物だ。慣れるが故にやっていけることが多々あるのだ。俺が言うのだから間違いない。
それに花は食えないしな。情緒は満腹の時に見せるさ。
ハウスを視界に認めて、その上部、天窓のあたりの空が薄らぼんやり光っていることに俺は気づいた。ははあ、あいつまたやっているな。
正直、一歩外へ出れば済むことなのにとも思うがな。ここは寒くないんだから。あいつ、そういうこと億劫がるよな。典型的な都会人だ。
だが、俺の予想は外れた。一風呂浴びてバドワ(俺これちょっとハマった)片手にパーティルームのドアを開けた俺の目に映ったのは、桜色のバスローブを身に着けて、ソファの上で体育座りをしているブルマの姿だった。
「またそんな格好してるのか」
ちょっと危ないんだけど、そのポーズ。
「別にいいでしょ」
ブルマは口を尖らせながら、両の足を伸ばした。うんまあ、それならいい。…これが慣れってやつだ。
「今日はあれはやらないのか?」
ブルマの隣に腰掛けながら、俺は訊いた。あいつはこともなげに答えた。
「冗談でしょ。桜であんなことやったら、後片付けが大変よ」
…なるほど。おまえは本当に典型的な都会人だなあ。
考えてみれば、家の中で雪浴びするということ自体、都会人の発想だ。普通は外へ行くからな。こいつ、そんなだから運動不足になるんじゃないのか。
そんなことを考えながらバドワを口に運んでいると、ブルマがおもむろに俺の左腕を掴み上げた。
「あんた、これ血が止まってないわよ。ちゃんと手当てしなさいよ」
ああ、それ…
オオカミどもの闘心を煽りたくて、血を見せたんだけどな。少し深く切りすぎたんだよ、加減がわかんなくてさ。別に痛くないからいいよ。風呂ではちょっと悶絶したけどな。
「いいよ、面倒くさい」
だいいち、自分でつけた傷を手当てするなんて、格好悪すぎるぞ。
俺は切って捨てたつもりだったのだが、ブルマは食い下がった。
「あたしの体に血がつくのよ」
触んなきゃつかねえよ。
おまえ普段は大雑把なくせに、こういうことだけ神経質なんだからな。典型的な都会人だ。

「まったく、抜けてるんだから。そういうことするなら、もっと気を回しなさいよ」
そう言ってブルマは、貼り付けた止血テープの上から傷をピシリと叩いた。
痛え。さっきまで全然痛くなかったのに、おまえが痛えよ。
「おまえに言われたくないな」
むしろ、そっくり返してやるよ。
さっきだって、おまえがあんな場違いな声をかけるから、危うくやられるところだったじゃないか。格好いいと思うのは仕方がないが(事実だからな)、もう少し空気読め。
「何それ、どういう意味よ」
だが、そんなことは言わない。どうせ言ったって無駄だ。
「別に」
俺は顔を背けた。こいつが怖いからじゃない。本当だぞ。
ブルマは一瞬俺を睨みつけたかと思うと、すぐに視線を外した。ん?今日は矛を収めるの早いな。
思わず拍子抜けする俺の肩に背中を預けて、ブルマは横を向いた。そして体を丸め天窓を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「桜って、調子狂うわよね」
何の話だ?
「気を殺がれるっていうか」
…何の話だ?
脈絡がないにも程がある。それにどこか、様子が変だ。
「何かあったのか?」
なんとなくおまえ、エネルギーないぞ。気のせいか?
「何かあったのなら聞くぞ」
だが、ブルマは何も言わなかった。それが一番おかしかった。いつもは俺がこんなこと言わなくても、勝手に喋りだすやつなのに。
「大丈夫か?」
俺がふとその髪に触れると、ブルマは体を正面に戻し、素直に俺に頭を預けた。そしておとなしく髪を撫でられていた。
…決定的に変だ。




翌日、ブルマは起きてこなかった。
いつも通りだ。あいつはいつも朝が遅い。遅いというより、昼近くにならないと起きてこない。いつも通りだ。
それで安堵したというわけでもないが、俺はいつものように修行のため荒野へ行った。
確かに昨夜のあいつはおかしかった。でも怒っていたというわけではないし、機嫌も特に悪くはなかった。俺、何もした覚えないし。…確かに1ヶ月放置したけど。でも、それで怒っているのなら、あいつは絶対言うはずだ。
だから修行だ。俺には俺のやることがある。
オオカミの群れを見つけた。俺は殊更やつらに姿を見せつけ、自分のほうに誘き寄せた。やつらがまだ着かないうちに、ブルマが岩山の上から顔を覗かせた。
「ハーイ、ヤムチャ」
「おまえ、またこんなところに…」
俺の苦情は、穏やかなブルマの声に掻き消された。
「見てていい?邪魔しないから」
…本当に邪魔すんなよ。
タイリクオオカミ。アカオオカミ。ハイイロオオカミ。
突き。蹴り。関節。鳩尾。頭部。
1、2、3、4、5、6、7…
結果として、俺の望みは叶えられた。俺がやつらと戦う様を、ブルマは最後まで黙って見ていた。…奇跡だ。
こいつがいるとあの技が使えないのは残念だが、まあ大問題という程のことでもない。まさか一日中へばりついているわけでもないだろう。機会はいくらでもある。
俺が最後のオオカミを薙ぎ倒すと、ブルマはにっこりと微笑んで、荒野とは反対側、桜の森を見下ろす崖(昨日見た絶景のところだ)へと歩き去った。
…妙におとなしいんだよな。
俺は荒野の奥へと進めかけた足を止め、ブルマの後を追いかけた。あいつは昨日腰かけた崖の端にではなく、崖の手前に足を崩して座り込んでいた。その隣に屈み込みながら、俺はあいつの顔を見た。
「なあ、俺、何かしたかな?」
心当たりは全然ないけど。でも、ここには俺とプーアルしかいないし。プーアルが何かしたとは考えられない。
ブルマは心持ち笑みを浮かべて答えた。
「別に。何も」
じゃあ、何でおまえはそんななんだ?…正直、調子狂うんだけど。
ブルマはそれ以上何も言わず、眼下に広がる桜景色を暗に示した。
「あんた、何も感じないの?」
「きれいだと思うけど?」
…センシティブになってるのかな?
正直、こいつがそんな玉だとも思えないけど。でも、こいつも一応女だからなあ…
ブルマはしばらくそこにいるようだったので、俺は荒野へと戻った。
…俺には俺のやることがある。


やっぱり荒野はいいよな。
気性にあってるっていうのもあるけど、何と言っても壊し放題なのがいい。岩地とかさ。誰も文句言わないもんな。
木とかあからさまに自然破壊するのはちょっとな。最初は何とも思ってなかったけど。自然は有限だからな。それに倒木って邪魔くさいし(これが最大の理由だ)。
合気や型をやりながら俺が獲物を探していると、遮るものの何もないはずの地平に、突如人工物が現れた。…エアジェットだ。
あいつ、ここに来てるのか!?こんな荒野の奥にまで?…何考えてるんだ…
邪魔しないとか、さっき言ってなかったか?あれは空耳か。
俺はブルマを探した。おそらくエアジェットの近くにいるはずだ。…あ、もういた。
あいつは何かを追いかけ走っていた。体長30cmほどの、淡茶色の毛をしたネズミ。
はは。プレーリードッグか。あいつもかわいいことしてるなあ。…いや、そうじゃない。
こんなところに来させるな。ここは子どもの遊び場じゃないんだ。
気を引き締め、あいつの方へと足を向けかけた俺の耳に、プレーリードッグの鳴き声が聞こえてきた。
「キャンキャンキャンキャン…」
急きたてるように続けて発するその声は、まるで犬のようだった。この鳴き方…
ヤバイ!
「いやーーーっ!!!」
ブルマが叫んだ時、俺はもうそこに到着していた。俺はブルマの口を塞いだ。大声が遁避の効力を発揮するタイミングは過ぎた。これ以降はむしろやつらの闘争心を煽ってしまう可能性がある。
飛びかかってくるやつらを拳で防ぎながら、俺は背面に岩場があるのを見てとって、ブルマをそちらへ押し込んだ。そして前面を見据えた。コヨーテとコイドッグの群れか。数は…数えてる場合じゃないか。
俺一人なら、遊んでやるところなんだが…
俺は背後を返り見たりはしなかった。
見られたくないなどと言っている場合ではない。行くぞ!
「伏せとけ!!」
ブルマへ向けて叫ぶと、俺は一瞬でケリをつけた。拳に輝く光の球と、俺の眼光を認めた群れは、次の瞬間四散した。

「ブルマ!おまえ、こんなところに来るな!!」
俺が怒鳴りつけると、ブルマはようやく目を開けた(ずっと瞑っていたらしい。どうでもいいことだがな)。その様子に、俺は先を続けるのをやめた。
ブルマは震える手で俺の服の裾を掴んでいた。これは、相当怯えているな。俺が何か言うまでもない。少しかわいそうな気もするが、いい薬になっただろう。こいつはちょっと油断すると、すぐ危ないことをするからな。
俺が黙って見ていると、あいつは俺にしがみつきながら立ち上がり、ぽそりと言った。
「…帰る…」
そして蹌踉めきながら、遠くに留まるエアジェットへ歩いていった。
さすがに刺激が強すぎたか。
…大丈夫かな、あいつ。


俺はいつも通りに修行を続けた。ブルマのことは考えなかった。その代わり、コヨーテたちをいつもの倍は痛めつけてやった。ざまあみろ。
夕食はブルマやプーアルと一緒にとった(これもいつも通りだ)。ブルマの様子は普通に見えた。と言いたいところだが、あいつはさっさと食事を終えると部屋へ行ってしまった。なかなか微妙なところだな。
俺は荒野を巡りながら、時折訪れる開き時間(獲物を探している時なんかだ)にあいつのことを考えた。
やっぱり変だよな、あいつ。俺に怒っているわけではないみたいだけど、それでもちょっと気になるな。何かあったのかな。いつもだったらそういうの、訊いてもいないのに勝手に話すんだけどなあ。…言えないことなのかな。
隠し事をされているという感覚はなかった。誰にだって、他人に言えないことの1つや2つあるさ。ない方がおかしいじゃないか。
それに言えないことだからって、それが必ずしも重大なことだというわけじゃない。すごくくだらないことなんだけど、言えないこととかあるだろ。例えば癖とかさ。
少し話はズレたが、要するに俺は、ブルマに何もかも話してほしいと思っているわけじゃない。
ただ…


一日の修行を終え、俺はハウスへの道を歩いていた。いつも通りだ。荒野から岩山へ。岩山から桜の森へ。
だが桜の森へ一歩足を踏み入れた途端、それはいつも通りではなくなった。
春の嵐とも言うべき夜風にさらわれて、桜の花弁が舞い散っていた。上から下へ。下から上へ。
散っては舞い、舞っては散る。それは、永遠に尽きないとも思える動作だった。まるでシャワーだ。洪水だ。

あいつ、このこと知ってるのかな。
いや、きっと知らないだろうな。あいつがこんな夜更けに外へ出るわけがない。あいつは都会人だからな。

ハウスへ戻った俺は、一散走りにブルマを探した。まず、2階のパーティルーム。それからあいつの部屋。リビング。キッチン。バスルーム。
あいつはどこにもいなかった。
おかしいな。…外に行ったのか?考えにくいことだけど。
昼間の様子からして、危ないことはしないと思うけど…どうしようかな。
思案しながら、俺は自分の部屋へと行った。そしてルームロックを外そうとして、それがかかっていないことに気がついた。
時々こういうこと――ロックをかけたつもりでかけ忘れていること――あるんだよな。特にブルマが来ている時なんかに。本当、俺って弛むよなあ。
俺は若干の期待と共に、部屋のドアを開けた。あいつのことだから、また勝手に入り込んでいるかもしれない。そう思って。
だが、部屋は無人だった。俺は溜息をつきながら、ベッドに腰を下ろした。
…何か踏んだ。
俺は何の気構えもせずに、布団を捲り上げた。
「どわっ!」
そして瞬時に布団を戻した。
布団の中にはブルマがいた。あいつは寝ていた。バスローブ一枚の姿で。その寝相の悪いことと言ったら…
…不可抗力。不可抗力。
俺は呪文を呟きながら、布団の端から僅かに覗くあいつの頭を叩いた。
「おい、ブルマ!おい!起きろ!!」
「うぁ…うるさーい…何よもう…」
おまえの寝起きが悪いことは知っている。だが起きろ!俺の沽券に関わる。
俺が再三怒鳴りつけると、ようやくブルマは体を起こした。つーか、前合わせろ!!
「あら?ヤムチャ、あんたいたの」
もうそんな台詞、どうでもいい。
本当にどういう神経してるんだ、おまえは。
よくそんな格好で男の部屋に来れるな(もはや勝手に入っていたことなど、些細な問題だ)。この前のこと、全然教訓になってないな。しかもベッドに入るか、普通?そんな格好で。そんな格好で…
俺は先ほど布団を捲った時の、ブルマの様相を思い出した。
…ヤバイ。ちょっと、他の事を考えよう。
あ、そうだった。
「おまえ、外出てみたか?」
もともとそのために探していたんだった。ころっと忘れていた。
「すごいぞ。着替えてこいよ」
未だ頭の醒めやらぬ(らしい)ブルマを、俺はあいつの部屋へと追い立てた。
あれを見れば目も覚めるさ。おまえは絶対、気に入るはずだ。

薄紅の嵐の中に、ブルマは黙って立っていた。ここに来た時と同じように。
あいつは何も言わなかったけれど、それを楽しんでいることはわかった。
少しは気が晴れたかな。
きっと、そうだといいな。
だって、それくらいはしてやりたいじゃないか。とは言っても、俺の手柄じゃないけどな(桜の手柄だ)。
ふと、俺はおもしろいことに気がついた。
薄い菫色の髪。オフホワイトのワンピース。淡紅色の花弁。
視界が単色に染まってやがる。粋な偶然だな。
「すごいよな。こんな風に散るなんてな。なんていうか、想像以上だ」
本当に自然ってやつはな。だから俺はこういうところが好きなんだ。何もかもが生きている、そんな感じするよなあ。
俺の言葉に、ブルマは微かに微笑んだ。
…まだ少し違和感あるけど。しょうがないか。理由がわからない以上、俺にできることもない…
その時、春霞の間から月が顔を覗かせた。千条の光が、俺たちを照らし出した。
…何か、儚いな。
春は別れの季節ってやつかな。俺もそろそろ考えなきゃな。
「結構冷えるな。そろそろ戻るか」
俺は踵を返した。ふいに服の裾が引かれた。
振り向いた俺の瞳を、あいつが捉えた。唇が動いた。
「キスして」
これが、桜の嵐の中でこいつが初めて発した言葉。
「だからキスして」

…何が『だから』なんだろう。
そう俺は思ったが、口にはしなかった。
とてもそんなことを言う気にはなれなかった。それどころじゃなかった。…何だかこいつがかわいくて。いつもと違う感じで。

だから、今日は俺が身を寄せた。
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