不精な女
最近、C.Cでは賭けが盛んである。


「パリダちゃんは元気か?」
俺がブルマに訊いた瞬間、リビングの空気が凍りつくのがわかった。
「………………パリダちゃんって?」
長い沈黙を破って、感情を押し殺した声が低く響く。俺はブルマの背後に、まさに今羽ばたかんとする魔女の姿を見た。
おおこわ。
「い、いや、何でもない…」
俺はブルマから顔を反らすと、あらかじめ手にしていた雑誌に目を落とした。
(死んだな……)

ブルマがリビングからいなくなるや否や俺は自室へと赴き、ドアがロックされていることを確かめると、あらかじめ待機していた2匹に話しかけた。
「おい、どうやらパリダちゃんは終わったらしいぞ」
「えっ、もうですか!?」
「そんなことだろうと思ったぜ」
プーアルは軽い失望と共に驚きの声を上げ、一方のウーロンはポケットから1枚の紙を取り出した。
「今日は1度も行かないからおかしいと思ったんだ」
「ということは昨日ですね」
ウーロンはわざとらしくその紙を広げながら、得意げに笑ってみせた。
「数えで11日。おれの勝ちだな」

俺たちは、ブルマが細菌を何日生かせられるか、という賭けをしているのである。

賭けの対象であるパリダことパラジウムの生存記録は11日に留まり、10日との予想を立てたウーロンのニアピンとなった。3週間と予想していた俺は、愚痴ともつかない言葉を並べ立てた。
「しかしなあ、普通2度目は伸びるもんだろう。勝手もわかってくるんだし」
「わかってねえな、ヤムチャは。ブルマは慣れるより面倒くさがるタイプなんだよ」
「ヤムチャ様はブルマさんに甘いから…」
納得できぬまま俺は寂しくなった財布を懐にしまいこみ、おずおずと切り出した。
「なあ、ところで、この役リスクがありすぎるんだが」
「でも、ヤムチャ様が訊くのが一番自然なんですから、しかたないですよ」
何だとプーアル。おまえは俺の味方だったはずだろ。
だいたい不公平じゃないか。それに苦しみは皆で分かち合うべきだ。
「そうは言ってもなあ。せめて持ちまわり制にするとか」
「しょうがねえなあ、じゃあ次からジャンケンにしてやるよ」
俺はウーロンを見直した。おまえ、意外といいやつだったんだな。
「そうしてくれると助かるよ」


こうなったのには訳がある。
あの日、俺の部屋から走り出していくブルマの姿を、ウーロンに見られたことがすべての始まりだった。

余韻も何もかなぐり捨てて走り去っていくブルマの後姿を呆然と見送った俺は、いつのまにかウーロンが部屋の中に入ってきていることに気づかなかった。
「なあ、今ブルマ、おまえの部屋から出ていかなかったか?」
「そ、そうか?おまえの見間違いじゃないのか…」
俺は白を切りとおす決心をして、一糸纏わぬ自分の体を隠すように布団に潜り込んだ。
「ふ〜ん?」
ウーロンは曖昧な表情で辺りを見回していたが、やがて床の一点に目を落とすと、動きを止めた。
ウーロンの視線の先にブルマのピアス――
この、通常なら外れないだろうピアスが落ちているという状況それ自体が、俺の不運を物語っているではないか。
「へっへっへ、ようヤムチャ」
「な、何だよ」
ウーロンはいつにも増していやらしい表情を浮かべながら、俺の横に歩み寄った。
「ヤムチャもついに男になったかー」
バ、バカッ。
「そ、そういう言い方やめろよな…誰かに聞かれたらどうするんだ」
「何、おまえ、バレたくないわけ?」
ひらひらと布団をめくるウーロンの魔手から下腹部を守りつつ、俺は叫んだ。
「当たり前だろ!そりゃ俺とブルマは公認だけど、家の中でそ、そういうことをして何とも思わない親があるか!」
俺の崇高な建前を、ウーロンは一瞬で粉砕した。
「おまえ、マジでそう思ってんのか?あの親だぞ」
「……」
ともかくも奴は言った。
「ま、おまえが知られたくないってんなら黙っててやるよ」
「悪いな」
俺がホッとしたのもつかの間。
「た・だ・し。只でとは言わないぞ」
「お、脅す気か…」
「人聞きの悪いこと言うなよ。ちょっとしたゲームをやろうってんだよ」
「ゲーム?」
「賭けしようぜ」
「賭け…」
そうか、読めたぞ。
こいつは俺が勝負事に弱いことを知っていて、合法的にたかろうとしているのだ。
だが、俺に選択権はなかった。


その日夜もふけた頃、ブルマが白衣片手に廊下を行くところを、リビングのソファから俺は見とがめた。
「こんな時間に学院か?」
「うん、ラッシーに餌やりにいくの」
「ラッシー?」
「『エスケリキア・コリ』――ラッシーよ」
「ふぅん。送っていこうか?」
「いいわ。バイクで行くから」

「今度はラッシーか…」
ブルマが行ってしまうと、どこからかウーロンとプーアルが現れた。さては、こいつら盗み聞きしていたな。
「よし、じゃあ張ろうぜ。ヤムチャはどうする?」
「そうだなあ、クララが2週間で、パリダが11日だったから…1週間かな」
「ヤムチャ様、太っ腹ですね」
プーアルが心底感心したような声で言った。
「でもよぅヤムチャ、今みたいなのは無しだぞ」
「え?」
「トボけるなよ。スパイに行こうとしてたろ。負けてるからってセコいぞ」

俺が1週間、プーアルが6日間(だんだんわかってきたのだが、こいつは勝負事に実にシビアだ)、ウーロンが5日間。
「5日間っておまえ、いくら何でもひどくないか。せめてもうちょっと…」
「そんなだからおまえは勝てないんだよ」
微塵の躊躇いもなく、ウーロンは言い切った。
「ヤムチャ様ってば、本当にブルマさんに甘いんだから」
「俺に言わせりゃブルマと付き合ってる時点で甘々だぜ」
俺は反論できなかった。

試験が終わり論文も書き終えヒマになったブルマは、細菌を研究の中心に据えることにしたらしい。というより、それ以外の時には学院へ行かなくなった。
「今日は行かないみたいだな」
「まさか、まだ4日目ですよ。これから行くのかもしれません」
「よし、ジャンケンしようぜ」

くっそ〜。
結局負けた。どうして俺はこう勝負事に弱いんだ。
俺は怨めしそうに自分の拳を見つめながら、ブルマのいるリビングへと赴いた。さりげなさを装い、切り出す。
「今日は行かないんだな」
「どこに」
「学院だよ。ここのところ、毎日行ってたろ」
俺はブリザードの到来を予感して、手に持っていた雑誌に力を込めた。しかしブルマはあっけらかんとした声で言った。
「ああ、あれ。後輩に頼んでるから」
何?
「細菌が好きなんだって」
おまえ。他人に頼むなんて、それは反則じゃないか。
それにしても奇特なやつもいたもんだ。「細菌が好き」?一体どういう了見なんだそれは。
乱れる心を押さえつけながら、俺は少し突っ込んだ質問をしてみた。
「変わったやつだな。しかし、本当に任せて大丈夫なのか?」
「どういう意味?」
「その後輩にちゃんと世話ができるのかってことさ」
「大丈夫じゃない。もともと増菌培養ってそんなに難しいわけじゃないのよ」
それを次から次へと死なせているのは誰だ。
そう思ったが口にはせず(俺はまだ死にたくない)、俺は話を切り上げた。つもりだった。
「何でそんなこと聞くの?」
ブルマが不思議そうに訊ねる。俺は慌てて答えた。
「そりゃだって、彼女のことなら何でも知りたいからさ」
「…ふうん」
納得させられたとも思えないが、その瞳からはまんざらでもない様子が伺えた。
許せブルマ。こうして人は嘘がうまくなっていくのだ。

10日間が経った。ラッシーはまだ生きていた。
俺たちはどよめきあった。
「一体どうなってるんでしょうね」
「くそ後輩め、余計なことしやがって」
「いやあブルマはいい後輩を持って幸せだよ」
俺はそう言ったが、本当に幸せなのは俺だった。ともかくも俺の勝ちは確定なのだ。
その後輩とやらに奢ってやってもいいくらいの気持ちに、俺はなっていた。

夜になった。そろそろラッシーの餌の時間だ。
俺はエレベーターの中で、まさに今出かけようとしているブルマにぶつかった。
「今日は行くのか」
「うん、後輩いないから」
俺はそれ以上の質問はせず(勝ちが確定した今となってはどうでもいい)、なんとなく2人無言になっていると、いきなり照明が消えた。続いてエレベーターの緊急停止。
「何よ何よ何よ何よ」
「どうやら停電みたいだな」
エレベーターの窓を覗く。都一帯真っ暗だ。どうやらかなり大規模な停電らしい。
「あ〜ん、ラッシーが死んじゃう」
ブルマが泣きそうな声を出した。怖がるよりもラッシーか。筋金入りだな。
「きっともうダメだわ。まったく、自家発電のない無菌室なんてありえないっつーの」
窓に寄りかかって溜息をつく。
「せっかく後輩も手伝ってくれてたのになあ」
あんまりブルマが悲しそうな顔をするので、俺は肩を抱いてやった。ぽんぽんと、頭を撫でる。ブルマは俺にしな垂れかかった。
心に余裕のあった俺は、ここでちょっとした疑問を提出してみた。
「ところで俺にはさっぱり理解できんのだが、その後輩というのは、一体どういうやつなんだ?」
「だから細菌が好きなのよ」
いや、それがそもそもわからん。
「あたしといっしょに細菌を育てるのが好きなんだって」
ん?
「パリダの時も手伝ってくれたのよ。本当に好きなのねえ」
おいおい。それは…
おまえ、気づいていないのか?
俺はブルマを見た。あいつは何の邪気もなさそうな顔で俺を見返した。
ははは…
俺は心中笑った。
そうか、なるほどな。こういう気持ちなのか。…ブルマがいつも俺に煩く言うのもわかるな。
俺はブルマの頬を突くと、その唇に口づけた。


「なあ、もうやめにしないか?」
翌朝、俺は念入りに部屋の掃除をした後で、ウーロンとプーアルを呼び寄せた。
「どうかしたんですか?ヤムチャ様」
俺はわざとらしく頭をかいてみせた。
「いや、やっぱり彼女を賭けの対象にするのって悪いし」
「おまえ、そういうことはもっと早くに言うもんだぞ」
呆れたようなウーロンの言葉に、プーアルが続ける。
「じゃあ最後にもう1度だけやりましょう。やっぱり最終レースがないと締まりませんからね」
…思うにプーアルは「猫の皮を被った狼」とかいうやつじゃないだろうか。
ともかくも俺たちは、最後のその時がやってくるのを待ち受けた。

「サリーを見に行ってくるわ」
きた。4番目のサリーだ。
俺は慎重に情報収集を試みた。
「例の後輩はいるのか?」
「え?ああ、いるけど」
「そうか…」
後輩の存在は俺にとって微妙なものになりつつあったが、この際目を瞑ることにした。
何といってもこれが最後だ。俺は本当は強いのだということを皆に示してくれる。

10日間が経ち、戦いもいよいよ佳境に入った。
ラッシーは10日間もった。停電がなければさらに記録は伸びたはずで、今回も同じ条件なのだからサリーはさらに伸びるだろう、というのが俺たち3人の共通の見解だった。
俺が15日間、ウーロンが13日間、プーアルが12日間(本当にこいつはシビアなやつだ)。
俺たちは毎夜ジャンケンをし続けた。そのたびに俺は苦虫を噛み潰した。

2週間目のいつもの苦役。それが幕切れの合図だった。
「サリーは元気か?」
台詞には慣れても心は慣れない。いつでも気分は避難体制だ。
「ああ、あれ。もうやめたわ」
「何?」
やめた?どういうことだ。
「レスポンスが良すぎ…いや悪いし。言うこと聞きすぎて怖いし。ちょっと性格に難ありっていうか」
何を言ってるんだこいつは。
俺は爆発した。
「おまえって何でそう気が短いんだよ!明日で15日目なんだぞ!」
「それがどうしたのよ」
「どうしたっておまえ」
騒ぎを聞きつけて、ウーロンとプーアルがやってきた。俺は一気に捲くし立てた。
「それくらいがんばれないのか!これが最後なんだぞ!せっかく最後に俺が残ったのに。一度くらい的中させてくれたって…ここまできてニアピンだなんて納得できるか!」
「ダメです、ヤムチャ様!」
「気持ちはわかるが、ちょっと落ち着け!!」
「だっておまえら俺がせっかく――」
俺は言葉を切った。俺の視界の中でブルマの瞳が燃えていた。
「あんたたち一体何してたのよ!正直に言いなさい!!」
ウーロンとプーアルがしまった、というように顔を見合わせた。
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