食わせる女
ブルマは元気になった。むしろ、パワーアップした。

翌日。桜吹雪はピークを迎えていた。今では地面さえもが桜色に染まっていた。
「すごいわねえ」
足元を隙間なく埋め尽くす花弁を踏みしめながら、ブルマが言った。
「大自然の驚異ね」
言葉の使い方が間違っているような気はするが、その感覚には俺も同感だった。そして、その自然に俺は身をまかせたのだ。
昨日とはうって変わって屈託のない笑みを浮かべるブルマの姿に、俺は安心して沈思黙考することができた…

…と思うか?

正午前。荒野。いつもの修行。
オオカミどもを狩るのは小休止。というより、昨日ちょっと狩りすぎたな。
群れがなかなか見つからない。ひょっとして避けられてるとか。コヨーテやオオカミには横の連帯はないはずなんだけどな。
視点を変えて高みから探そうと岩山へ戻りかけた俺の目に、岩陰から顔を覗かせる2人の姿が入った。ブルマとプーアルだ。
「おまえら、何してるんだ?」
ブルマが来るのはまだわかるが、プーアルおまえまで。…毒されたか?
「じゃーん!」
ブルマがそう声を上げると、プーアルが大きな籐のバスケットを掲げた。
「花見よ。は・な・み!きっと今日が最後だからね。心ゆくまで楽しむわよ!」
おまえら、のんきだなあ。しかしブルマはわかるが、プーアルおまえまで…
「お弁当作ったんですよ。かりんとうも!」
…なるほど、餌付けされたか。
まあいいか。確かにここには桜があるし。修行の邪魔さえしなければ…
俺の願いは叶えられなかった。さりげなく遠ざかろうとする俺をビシリと指差して、ブルマは言ったもんだ。
「あんた、盛り上げ役ね」
は?
「またオオカミやっつけてよ。デモンストレーションに最適だわ」

まったく、修行も格下げされたもんだ。
前門にオオカミ。後門に虎(あいつのことだ)。
「いっけー!ヤムチャ!!」
「がんばって、ヤムチャ様!!」
…おまえら。俺は見世物じゃないんだぞ!
しかも、ブルマはともかく、プーアルおまえまで…
言い忘れたが、オオカミの群れをここまで誘い出してきたのはプーアルだ。群れがなかなか見つからないことを俺が告げると、あいつは嬉々としてそれを探しに出かけた。昔を思い出していたのかもな。
あいつが獲物を見つけて、俺が狩る。荒野の悪党。懐かしくもあり、恥ずかしくもある過去だ。
オオカミの数を、俺は数えた。1、2、3、4、5、…18。上等だ。
「せっかくの花見なんだから、がんばって花添えてよね!」
ブルマはまったく勝手なことを言っていた。昨日はあんなに怯えていたくせに。薬にはならなかったようだな。
まあいい。観客だと思えば腹も立たん。ということにしよう。
そうだ、ここは荒野じゃない。天下一武道会の会場だ。俺は当然予選突破。第1回戦の相手はオオカミ18匹…
って、どんなシチュエーションだ!
ああ、使いてえ。あの技使いてえ。一発ぶっ放して、驚かしてやりてえ。
…ストレス溜まるな、これは。

俺はせめての向上心を発揮して、拳のみでやつらをやっつけることにした。…が、それは完遂されなかった。
最後の1匹を前にして、岩山の上のブルマが盃を呷ろうとするのを、視界の隅に認めたからだ。あいつ!
気づいた時にはすでに、蹴りを放ってしまっていた。あーあ、やっちまった。せっかく17匹までがんばったのに。…ストレス溜まるなあ。
苛立つ気持ちでブルマの隣へ滑り込み、その手から盃をひったくった。それは勢い余って手を離れ、岩山の下まで飛んでいった。
「おまえ未成年だろうが!!」
まったく、油断も隙もないやつだ。
「心配しなくっても、ノンアルコールよ」
ブルマの差し出すボトルに鼻をひくつかせた。…本当だ。
紛らわしいことしやがって。おまえはトラブルのみならずストレスも作るのか。あーあ。
どっかりと岩山に腰を下ろした俺の横で、プーアルが弁当を広げだした。桜風味の飯。桜風味の魚。桜肉。桜茶。桜のソーダ(こいつだ。俺を紛らわせたのは)。桜もちにかりんとう…この極端なメニュー構成。どう考えてもブルマ作だな、これは。かりんとうだけ意味がわからないが(餌付けのためか?)。
プーアルに勧められて、俺は桜茶を啜った。悔しいことに、それはうまかった。

ブルマが盃を手に俺の隣へやってきた。そういえば、さっき吹っ飛ばしたんだった。こいつが何も言わないものだから(珍しいよな)、すっかり忘れていた。
盃には花が差し込まれていた。いまいち染まりきっていない紫色の、つりがね型の花が2輪。
「何だ、その花は?」
俺は眉を顰めた。どうやらこいつにも女らしい情感があるくさいということはここの桜でわかったが、こういう素朴な花に価値を見出す程だとは思えない。こいつは、野に咲く花よりも大輪の薔薇タイプだ。しかも、おそらく世の中の刷り込みによってな。素地は、真珠よりも金属を取るようなやつだ。
俺の睨んだ通り、その花は曰くありげな代物だった。
「毒草よ。ニップって言ってね。実が媚薬なのよ」
毒草。…媚薬。
…おまえ、今度は一体何を研究しているんだ…
よくもそんなことが口に出せるな。だいたい、女のするようなことじゃないだろ、それ。
思わず絶句した俺を横目に、ブルマは一輪を取り上げると、その花を萼から外した。すると黒紫色をした1cm程の大きさの、まるで濡れた瞳のような艶やかな実が現れた。
…なるほど、いかにもそれっぽい。
「なかなか色っぽいでしょ」
ブルマはそれを俺に向け、意味ありげに目配せした。…一体俺にどうしろって言うんだ。
俺が沈黙を守っていると、突然ブルマがカラカラと笑い出した。
「媚薬と言ったって、惚れ薬とかじゃないわよ。そんなものあるわけないでしょ。これは『多幸感を味わえる実』なのよ」
…あ、そっちの媚薬か。
俺は少し自分を恥じた。でもしょうがないよな、男なんだから。
そうだな、こいつがそういう思考をするわけないか。こいつはまだまだ子どもだからな。
まあ、それはそれとしてもだ。どうにもよくわからない。
「多幸感ってどういうんだ?」
初めて聞いたな、そんな言葉。多幸って何だろう。不幸の反対の意味かな。ということは、何かいいことが起こるのか?ラッキーアイテムってことかな…何だか、まじないじみてきたな。
「さあ、あたしもよく知らないけど。そう言われてるのよ」
妖しいな。妖しすぎる。なぜ神はこのように妖しげな物を、こいつに与えるのか。少しは付き合わされる俺の身にも…
その時だ。
「と、いうわけで。はい、あーん」
ブルマが俺の口元にその実を押し付けた。
俺は固まった。ブルマがこうくるであろうことはなんとなく予想がついたが、その台詞が意外すぎた。
瞬時に放心状態に陥った俺を見て、ブルマが口を尖らせた。
「…ちょっと、何よ、その顔」
何っておまえ…
「おまえがいきなりそんなことするから」
「何言ってんの。恋人だったらこれくらい当たり前よ」
それは普通の恋人同士の話だろ。
俺たちは…いや、おまえはそうじゃないんだ。
「おまえ、酔ってんのか?」
アルコールは入っていないはずだよな。
「失礼ね!!」
舌戦の火蓋が切られた。俺たちはすでに、ニップのことなど忘れていた。
ちょっと今回は俺が悪かったかな。でも、しょうがないよなあ。


夜、俺が修行から戻ると、ブルマはリビングで、ソファをベッド代わりにすっかり寝入っていた。
今日ははしゃいでたからなあ。昨日あんなにおとなしかったのが、嘘みたいだ。
こいつは元気だと困らせられることも多々あるけど、まあ、気は楽だな。それに今日は(比較的)何事もなかったし。よかったよかった。
一風呂浴びてから、ブルマをどうしようか(起こすか起こすまいか。こいつはひどく寝起きが悪いんだ)考えて、俺は気づいた。ブルマの口元にあの実が転がっていた。それが1つしかない。…確か2つあったはずだけど。どうしたんだろう。
ひょっとして食べたのか?まさか自分で?
こいつが自分を犠牲にするとは思えないが…でも、そうだな。
俺は改めてブルマを見た。そういえば、こいつ妙に寝相いいな。昨日はあんなにひどい格好(いろいろな意味で)で寝てたのに。バスローブ姿(もはやこれがデフォルトだ)で乱れてないなんて、これが初めてじゃないか?…もしかして副作用か。
俺はブルマを揺さぶった。いつもならば考えられないことだ、寝ているこいつを起こすなんて。自ら地雷に突っ込むようなものだからな。だが異常事態とあらば、話は別だ。
意外にもブルマはすぐに起きた。眠りが浅かった…のかな?ともかくも、俺はこいつの言葉を待った。
「あら。あんたいたのね」
よし。いつものブルマだ。
安堵の息を漏らしつつ、俺はキッチンへと向かった。安心したら腹が減った。
耳をつけたままのパンにベーコンとレタス、それにピクルスをたっぷり挟み込んだ。ナイフを使うのが面倒なので、トマトはそのまま齧ることにする。
俺は念には念を押して、ブルマに訊いてみた。
「おまえも食べるか?」
「いらないわ。こんな時間に食べるの体に良くないわよ。あんたも武道家なら体が資本なんだから、そういうこともっとちゃんと考えて…」
ブルマの演説は延々と続いた。よしよし。
もはや疑念は完全に立ち消えた。今夜のブルマに異常なし。
俺は我流のBLTサンドに齧りついた。

やっぱり、ちょっとおかしいかもな。
俺がそう思ったのは、ブルマがこんなことを言い出したからだ。
「ねえ、ヤムチャ。あんたの好きな食べ物って何?」
ソファの肘掛に片肘をつきながら、ブルマはどことなくくすんだ瞳で俺を見ていた。
…何か今日はこいつ、意外なことばかり言うよな。いや、言ってることそれ自体は極めて普通のことなんだけど、こいつの口から聞くと違和感あるっていうか…
誰かに何か言われたのかな。もっと普通にしろとか?いや、そんな勇気のある人間、この世にはいないだろう。
俺は訝りながらも、質問には答えた。それが会話のマナーってもんだ。
「そうだなあ。別に。特にないかな」
食べることに興味がないわけじゃないけど。口に合うものなら、何でも食べられるな。荒野で生きるって、そういうことだ。
俺の返答にブルマは納得できなかったらしい。さらにしつこく訊ねてきた。
「そんなことあるわけないでしょ。いいじゃない、隠さないで教えてよ。バカにしたりしないから」
どういう意味だ。だいたい、バカにされる食べ物って何だよ。一体、俺が何を好きだと思ってるんだ。
「いや、本当に。俺、何でも食べるし」
思わず頭を掻いた。ないものを言えって言われてもなあ。困るよな。
「じゃあ嫌いな食べ物は?それもないの?」
これには少し考え込んだ。
食べ物っていうか、ジャンルならあるけど。妖しげな古の料理とか。
でも、これは言わなくてもいいよな。普通にしてれば口にはしないはずのものだし。こいつも最近作らないし。わざわざやぶへびを呼び込むこともない。
「うーん、特にないかな」
この話題は広がらない。ここで終着すべき。普通そう思うよな。だが、ブルマは違った。
「何それ。あんたには好みってものがないわけ?」
あいつはいきなり怒り出した。
「食べられるものなら、何でもいいわけ?情けない!少しは拘りってものを持ちなさいよ!!」
好き嫌いがないことを責められたことなんて、初めてだ。本当にすごいやつだ、こいつは。
それにしても、何で今さらこんなことを訊くんだろう。こういうのって、付き合い始めとかもしくはその前とかに、ネタふりとして訊くものなんじゃないんだろうか。だいたいこいつ、他人の家で料理をする時でさえ、自分の好みで作るのに。まったく今さらだよな。
「ヤムチャ、あんたこれ食べなさい」
黙考している俺の鼻先に、あの実が突きつけられた。ニップだ。どういう展開なんだ、それは。好き嫌いと媚薬に一体何の関係が?わけがわからないにも程があるぞ。
さすがの俺も、この状態で素直に従う気にはなれない。っていうか媚薬だろ、それ?…何考えてるんだ…
ちょっとどころじゃなく、すごくおかしいぞおまえ。何というか、おまえ本来のおかしさだ。
もはやどこからツッコめばいいのか俺がさっぱりわからずにいると、ブルマが滔々と説明を始めた。
「あの後、あんたが修行してる間に、プーアルに食べさせてみたのよ。それでわかったの。これを食べると好きな物が食べたくなって、さらにいつもより強く幸せを感じ取れるのよ。きっと視床下部に働きかけるのね。食欲を掌るのは視床下部を含む中枢と自律神経系、胃腸管、それにホルモンなどだけど、センサーとしての機能は視床下部にあるというのが、昨今の解釈だから。とにかく『多幸感』ってそういうことらしいの。だからこれを食べて…」
…あ、そういうこと。
話の中途で、俺は早くも理解した。要するに俺をモルモットにしたいわけだな、こいつは。
俺はブルマにみなまで言わせず、ニップをその口に押し込んだ。ブルマはよく回るその舌でニップを飲み込み、一瞬目を丸くして、再び怒り出した。
「ちょっと、何すんのよ!」
長いんだよ、おまえの話は。おまけに、わけがわからん。
しかし、その言葉は飲み込んだ。
「いいじゃないか。そういうことなら、俺よりおまえの方が楽しめそうだろ」
これは本当だ。こいつの好物ははっきりしているのだからな。俺が食うより、確実に楽しめる。
それに、俺は知ってるんだ。おまえ、1度そうしようとしただろ。フリーザーの中にイチゴ山盛りあったぞ。他人に譲るなんてらしくないことしてないで、さっさと食っときゃいいんだよ。
俺は再びキッチンへと向かった。フリーザーから皿に盛られたフレッシュイチゴを取り出して、クールウィップをかけた。何、ちょっとした演出だ。
まったく、今日の俺は花添え係りだな。

俺がキッチンカウンターの小窓から、クールウィップにデコレーションされたフレッシュイチゴの皿を滑らせると、ブルマはフォークを取り落とした。
感動のあまり、だろうか。それにしては変わったリアクションだが。
それともフォークはいらないとか。この際、素手でがっつくとか?…確かにそういう人種はいるな。例えば悟空とか。
だが、ブルマはそうではなかった。そもそも、イチゴに手をつけようとしないのだ。
おかしいな。どうしたんだろう。
『こんな時間に食べると云々』とさっきこいつは言っていたが、イチゴにそれは適応されないということはわかっている。少なくとも、今まではそうだった。まして、今は媚薬のせいで食欲が増しているんだろ?手をつけないなんて、おかしいじゃないか。
「ブルマ?」
カウンターの窓から俺があいつの顔を覗き見ると、あいつは僅かに体を仰け反らせた。
「ち、近寄らないで!!」
何だって?
何で、いきなりそんな台詞が出てくるんだ。俺、何もしてないぞ。ただイチゴを出しただけだ。
クールウィップがまずかったか?でもこいつ、ストロベリーロマノフ好きなはずだけど。
ふいにブルマが身動ぎした。そして俺の頬に右手を伸ばしたかと思うと、左手でそれを掴んだ。何やってんだ?
平手打ち…のポーズじゃないよな。だいいち、俺殴られるようなことした覚えないし。
…だよな?
「どうしたんだ?」
俺は素直に本人に訊いた。心持ち身を屈め俺を見上げたその瞳は、いつもの蒼海色だった。どうやら怒っているわけではないらしい。
「体の自由がきかないのよ」
ブルマは、これまで俺が聞いたこともないようなか細い声で、そう言った。そして本当に苦しそうに――いっそ切なげに見える程だ――口を引き結んだ。
どうなってるんだ。…どうすればいいんだ?
俺は先ほどのブルマの話を思い出した。確かプーアルに食べさせたと言っていたな。夕食の時に見たプーアルは、至って普通の様子だった。ということは、後遺症はないんだな。
『体の自由がきかない』というのがどういう感覚なのかはわからないけど。でも、錯乱状態というわけでもなさそうだ。意識はあるようだし、(今のところは)暴れるわけでもない。酩酊状態みたいなものかな。
俺はブルマを抑えつけた。軽く羽交い絞めてみた。あいつは抵抗しなかった。これなら大丈夫だろう。
そのままあいつをソファへと引き摺って、共に座り込んだ。腕を前に下ろして、右手でブルマの両手を掴み、左手はその額に添えた。
知ってるか?人ってな、座った状態で頭を押さえつけられると、立ち上がれないんだぞ。
「ちょっと、何すんのよ…!!」
か細くも悲鳴のような声を、ブルマはあげていた。自業自得に近いとは言え、まったく災難だよな。一日を無事に終えるってことがないんだからな、こいつは。
「何分くらいだ?」
俺は訊いた。ブルマを非難する気にはなれなかった。なにせ、こんなにまいっているこいつを見るのは初めてだ。
「ニップの効き目だよ」
言葉の意味がわからないらしい(本当にいっぱいいっぱいなんだな。全然頭働いてないみたいだ)ブルマに、俺は重ねて訊いた。
「さ、30分くらい」
「じゃあ、その間俺が押さえててやるから。それでいいだろ」
後遺症がないのなら、とりあえずやり過ごせばいい。後のことはこいつが考えるだろう。
もしも本人の意思に反して体が動くのだとしても(考えにくいことだけどな)、こいつが俺に何かできるわけもない。力じゃ俺のほうが、絶対上だ。

それにしても聞いていた話と違うよな。どこが媚薬だ。
まったく、俺がいたことを感謝するんだな。俺がいなかったら、おまえ、どうなっていたかわからんぞ。
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