救う女
自信なくすよなあ。

あいつらは死の淵に立つたび強くなる。俺はそこで終わり。
俺は自分の力が着実に上がっていっていることを知っている。だが、それでもあいつらには届かない。
いつまでも、届かないんだ。
資質が違うんだ。精神の在り方が違うんだ。どうしたって届かないんだ。


C.Cの外庭。樫の影差す芝生の上に、俺は1人腰を下ろしていた。
修行の合間の休憩だ。――対外的にはな。
だが、そうではないことは俺が一番よく知っていた。
髪を弄る爽風。鼻に香る緑。遠く耳に届く喧騒。青い空。たなびく雲。
俺の心は穏やかだった。…穏やかすぎた。

「森林浴?優雅ねえ」
いつの間にか隣に歩んできていたブルマに、俺は本当に気づかなかったのだろうか。
そんなはずはない。気づかないはずがない。
だが、意識に入ってきたのは、その声が最初だった。
「何か用か?」
「あら、用がなくちゃ来ちゃいけないわけ?」
俺の隣に足を崩して座り込みながら、ブルマは答えた。
…用がないなら来るな、といつも言ってるのはおまえだろ。
おまえ、自分がボーッとしてる時は「うるさい」の一言で切り捨てるくせに。確かに対外的には修行だがな、なんとなくわかるだろ。少しは空気ってもんを読みやがれ。
だが、それを口に出すつもりはなかった。読めないやつに言っても無駄だ。
俺は努めて口を噤んだ。穏やかさを保ちたかったし、こいつと言い争いをする心境に、今はなれなかった。
だがこいつは、そんな空気も読めない。いや、読もうとしないのだ。
「あんたってお調子者よね」
「放っとけ」
俺は突っぱねた。わざわざそんなことを言いにやってきたのか、おまえ?
どうせ仕事の合間のリフレッシュなんだろうさ。いい加減、俺で遊ぶのやめろよな。…まあ、他の時なら相手してやらないこともないけどな、今、俺はそんな気分じゃないんだ。
本当におまえはな、空気ってもんを読みやがれ。
俺が先ほどの意趣を反してそう言ってやろうとした時、ブルマが再び口を開いた。
「じゃあ、もっとそれらしくしてたらどうなのよ。嫉妬なんてしてないでさ」
俺は言葉を飲み込んだ。まったく、不意打ちとはこのことだ。それとも気まぐれかな。
「…何の話だ?」
「往生際が悪いわよ」
ブルマの台詞と瞳に、まぐれではない真摯さと逃れられない運命を感じ取って、俺は腹を決めた。だが、こいつの言葉を肯定するわけにはいかない。それを話そうと言うのなら、訂正しておく必要がある。
「嫉妬じゃないよ」
そう、嫉妬じゃない。どちらかというと…
「いい加減惚けるのやめなさいよ。しつこいわよ」
惚けてるわけじゃないって。それに、しつこいのはおまえの方だ。だいたい、そこまで読めたのなら、俺の言葉も信じろよな。
言うべきだろうか。『俺の言うことが信じられないのか』と?だがそれはどこか違うような気がする。…何だか情けないぞ。
だから俺はブルマを見た。無言で訴えかけたつもりだ。
ブルマはそんな俺に目を走らせて、言葉を続けた。
「あんたって本当に体力バカよね。もっと考えなさいよ。考えればわかるはずよ。…あんたの嫉妬は的外れなのよ」
あくまで嫉妬でくる気か。
…まあ、おまえがそう思うならそれでもいいさ。本当はちょっと違うけどな。
それに、気になることもある。
「的外れってどういう意味だ?」
例え嫉妬の話だとしても、聞いておきたい気がする。
こいつ、時々妙に鋭いこと言うからな。空気は読めないくせにな。だから参考程度にはなるだろう。
「あいつらは別なのよ」
「…別か。確かにそうかもしれないな。あいつらは別格だ」
期待を裏切られた陳腐な言葉に、俺は少々落胆しながら、表向きは肯定してみせた。
言葉で言うのは簡単さ。だけど、それを認めるのが癪なんだ。きっと、おまえにはわからないだろうな。所詮おまえもそちら側の人間だ。
俺の追随に、ブルマは呆れたような顔をして、1つ大きな溜息をついた。
…おい、何だその態度は。ムカつくぞ、おまえ。
そもそも俺は譲歩しておまえの話を聞いているんだ。そんな態度を取られる筋合いはないぞ。
俺の片眉が上がったことにも気づかず(やっぱり空気読めてねえ)、ブルマは言い募った。
「概念的な話じゃなくって。事実としてよ。あたしたちは地球人。あいつらは宇宙人。まったく別の存在なの。つまりね、野菜が肉を見て、『どうして自分には脂がのってないんだ』って羨むのと同じよ。レベルとか次元の問題じゃなくって、初めから別物なのよ」
一体どういう例えなんだそれは。緊張感に欠けること、この上ないぞ。
部分的に否定しながらも、俺はブルマの言葉を反芻した。
当たり前のことだ。こいつは、まったく当たり前のことを言っている。
だがそれは確かに、俺の心の死角を突いた。
「だいたいね、あたしに言わせれば、地球の大会に宇宙人が出ること自体、反則よ」
天下一武道会のことだな。
「決勝戦が宇宙人対宇宙人だなんて、地球を甞めているにも程があるわよ」
俺は思わず吹き出した。まったくその通りだ。すでに地球の大会じゃないよなあ。
「だいたい地球人は趣味で戦ってるんだから。本能で戦うやつらに勝てるわけないのよ」
前半部分に引っかかるものはあるが…言われてみればそうかもな。
「言っとくけど、あたし孫くんや悟飯くんたちを否定してるわけじゃないわよ。孫くんは好きだし、悟飯くんだって。ピッコロも思ったより悪いやつじゃないみたいだし。…ベジータはよくわかんないけど」
『よくわかんない』か。否定はしないんだな。おまえらしいよ。
おまえは文句を言いながらも、結局みんなを受け入れるからなあ。
「でも、それとこれとは話が別よ。やっぱりあいつらは反則なのよ」
ブルマの話はそこで終わった。ように思えた。
息を抜こうとした俺に、ブルマは蛇足的に呟いた。
「ま、あんたが宇宙人に生まれたかったって言うのなら、話は別だけど。その願望は否定しないわ。夢は自由よ」
俺が宇宙人に?
思わず俺は反芻した。まったく自由な心で。
俺が宇宙人。

…いいな、それ。ちょっと格好いいな。
そうするとやっぱりサイヤ人だよな。なんたって戦闘民族だし。見た目にも問題なさそうだ。俺、黒髪だし。
ナメック星人は個性的すぎるからな。あの肌の色はちょっと抵抗あるよなあ。
するとベジータの配下になるわけか…すごく嫌だな、それ。
そして悟空をやっつけにいくわけか…
……
…俺、どっちみち死ぬんじゃないか?

それにその時こいつの隣には誰がいるんだろう。ちょっと…いや、かなり気になるな。
そりゃ知らない者同士なんだろうけどさ。…でも、やっぱり気になるな。




こいつの隣に俺がいない。俺の隣にこいつがいない。
…後者はちょっと気楽そうな気もするな。でも、前者は何だか嫌だな。
なかなか難しい問題だ、これは。

その問題は俺には解けそうにもなかった。俺は兜を脱ぐことに決めた。
そういう難しい問題はな、俺の領分じゃないんだ。そうさ、考えるのはあいつの仕事だ。役割分担、結構じゃないか。
まかせるからには文句は言わない。

俺はあいつに従うまでだ。
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