嵌める女
買ったばかりだという服を着て、ブルマが俺の目の前でくるりと一回転してみせた。
「似合う?」
「似合う似合う」
どこかで見た展開だって?俺なんかもう何十回も見ている。いや、何百回かもな。天下一武道会ではなかなか勝てない俺だけど、「気の長い選手権」なら一発で勝てる気がしてきた。全然うれしくないけどな。
どうやら俺は「似合う似合うばかりではりあいがない」らしいのだが、今日の服にはちょっと思うところがあったので、それを口に出してみた。
「今日のはいつもと違うな」
「あら、わかる?」
いつもの服はたいてい、ワンピースとか胸元が開きすぎだったりとかスカート丈が短すぎだったりとかすごい原色だったりとか(まあ、それはそれで似合ってはいるんだけど)する服だけど、今着ている服はちょっと…いやだいぶん、違う。胸元も開いていなくて膝まで隠れていてツーピースで、それに何よりこいつにしては珍しくシックだ。
「卒業式の服だから。フォーマルスーツなのよ」
ああ、卒業式か。
…いつも卒業式だといいのにな。
そう思ったが口にはせず(当たり前だ殺される)、俺はビールを引き寄せ、ほとんど空になっているそれをちびりと舐めた。

卒業とはいってもドクターコースに進むというので、ブルマは卒業自体には感慨を抱いてはいないらしい。こいつは今の時点ですでに2年スキップしていて、学会なんかにもかなり出ているみたいだから、特別感が湧かないのも納得できる。
なんせこいつは、ハイスクールもサボりまくっていたくせに(たぶん全校で1番サボっていた)首席で卒業するという、非常に嫌なやつだからな。俺は課題をやってもらえて楽だったけど。
そうして学院でもまた首席だ。あんなに細菌を死なせてばかりいたのにな。世の中おかしいよなあ。
それにしてもこいつは、学院とか学会とかC.Cの役員連中とか(時折C.Cの会社に赴いて役員連中とやりあっているのを俺は知っている)、まったく面倒くさい生活をしている。一体疲れたりしないんだろうか。
俺のこの質問に対するブルマの答えはこうだった。
「そりゃ疲れるわよ。だからあんたみたいのと付き合ってるんじゃない」
「何だよそれは」
「あんたは単純だから楽なのよ」
褒められた。…わけじゃないよな。
俺がわざとらしく不貞腐れてみせると、ブルマは笑いながら助け舟を出してくれた。
「ま、外で議論しあっている人間とプライベートでまで付き合いたくないっていうのは、本当ね」
どうやら本音らしい。俺はちょっと浮上した。

さて、まったくのんびりとして見える俺たちだが、いつもと違ってハードな面も1つある。それはここが山の中だということだ。
今ブルマが身を翻したのも山の中。俺がビールを舐めたのも山の中なら、助け舟が現れたのも山の中。西の都から数百キロ離れた山の中に、修行しようとする男(俺のことだ)とそれを邪魔する女が1人いるというわけだった。
一通りの酒と会話は提供しただろう。そう俺は見て取って、さりげなく切り出した。
「なあブルマ。おまえそろそろ帰」
「らないわよ」
みなまで言わせてさえもらえない。
「だってヒマなんだもの。試験も論文も終わっちゃったし。それに」
ブルマはわざとらしく腕を組み、色気など微塵も感じられない――むしろ対極だ――流し目を送ってみせた。
「…研究は邪魔されるし」
俺は顔を伏せた。
「まったく、恋人を賭けの材料にするなんて最低よね!」
「だからやめたんじゃないか…」
「当たり前でしょ!許してもらえただけでもありがたいと思いなさい!」
全然許してもらえた気がしないんだが…
「と・に・か・く。ここにいるわよ。あたしの気がすむまでね」
言い放つや否やブルマはベッドに潜り込み、俺に身振りで退出を促した。

翌朝、俺は定刻通りに修行を始めた(妙な表現だがその通りなのだから仕方ない)。ブルマはまだ寝ている…はずだ。
山の中ではあるが、カプセルハウスがあるのだから放っておいても大丈夫だろう。そう俺は判断した。というか、今は放っておきたい。我が身のためにも。
基礎トレーニングを終え体も温まってきたところで、目下実行中の新手の修行に取り掛かった。新・必殺技の開発だ。狼牙風風拳にも飽きてきたし、かめはめ波も二番煎じだし、ここらで一発目も覚めるような必殺技を、皆にお見舞いしてやりたい。いや、お見舞いさせてください。
すでに名前も決めている―「繰気弾」―我ながら気に入っている。技の名前は重要だ。これがあるのとないのとでは扱いが違うからな。
俺は未完の大技を磨くため、大地に足を踏みしめ、拳に気を集中した。かめはめ波と違ってこれがなかなか難しい。不慣れなせいもあるが、コントロールを目的としているために、形成概念が違うのだ。
気が拳へと流れ込む。ブゥンと唸るような鈍い音。やがて音が止み、手のひらに光の塊が出現する。淡く静かな俺の体のエネルギー。
やはりいい…この瞬間、俺は最高にぞくぞくするのだ。
俺はその快感を思いっきり前方へと放った。

その時だ。目の前を白いものが横切ったのは。

俺は慌てて拳を引いた。繰気弾は数瞬遅れて軌道を外れた。
あっぶねえぇ〜。
それにしても反応が遅い。あれでは当らな…いや当てちゃダメだろ。当てちゃ。
「ブルマ!そんなところで遊ぶな!」
俺は白衣の天敵に向かって叫んだ。
「遊んでるんじゃないわよ!失礼ね!」
ブルマは木影から、葉に塗れた頭を覗かせた。
「毒草の採集してんのよ。珍しいのがあったから。ウパスの葉。稀少品よ」
おまえの遊びは、どうしていつもそう恐ろしげなんだ。
それにしても危なかった。白衣を着ていなければ、仕留めてしまっていたところだ。
「ブルマ。おまえ、もう帰れ」
俺は常になく厳しい声音で言い渡した。
「何よ急に」
「修行の邪魔なんだよ。もう帰れ」
お願いだから帰ってくれ。うっかり俺が殺してしまわないうちに帰ってくれ…

ブルマは帰って行った。捨て台詞を残して。
「何よ!ヤムチャのバカ!!」
何と言われても構わない。おまえが生きてさえいてくれればな。

「こんなシチュエーションじゃなければ、かっこいい台詞なんだがなあ」
俺は溜息をついた。


1ヶ月が経った。あれきりブルマはやってこなかった。
ちょっとキツく言いすぎたかなあ。
いやいや、命の尊さを考えれば安い代償だ。
なぜ俺が代償を支払わなければならないのかが謎だが。


3ヶ月が経っ…いや、そんなには経ってないな。
修行に身を入れていると、時間の感覚がなくなってしまって困る。
正確には俺は困らないのだが、それでブルマとの約束を破ってしまったりして困…っているのはやはり俺か。
どうも俺は、最近あいつのことばかり考えている。以前はなかったのにな、こんなこと。やっぱり別れ方が悪かったせいかなあ。それともヒマなんだろうか。
いや、修行はやっている。もうガンガンやっている。煩わされるものが何もないので、心置きなくやっている。
だがしかし、何というかな。…心が退屈なのだ。
不思議なもんだな。いるとあんなにうるさいのに。うるさいからこそかな。もう中毒だな。
「そろそろ帰るかな…」
俺はあの時ブルマが飛んで行った空に向かって、1人ごちた。


それから1週間後、俺はC.Cへ帰ってきた。
すぐに帰らなかったのは、プライドの問題かな。やっぱり…なあ。女に会うために帰ってくるというのはなあ…
まあ結局は負けたわけだが。しょうがないよなあ。
何となく悶々としながらC.Cのドアをくぐった俺を、プーアルとウーロンが出迎えた――
「ヤムチャ様、よかった。帰ってらしたんですね」
「ようヤムチャ、まったくおまえも間の悪いやつだなあ」
――妙な雰囲気で。
何だよおまえら。一体何の話だ?
俺は小首を傾げつつ、ブルマの姿を探した。そんな俺を見透かしたように、ウーロンが言った。
「ブルマならいないぞ」
いない?こんな時間に?
「だって、もう夜だぞ」
細菌研究をやめてからは、夜に出かけることなんてほとんどなかったはずだ。
俺の疑問に答えたのはプーアルだった。
「学院ですよ。今日は卒業式です」
「卒業式…」
忘れていた。わけではなく、知らされていなかった。
むしろ、卒業式そのものを気にしていなかった。あまりにもあいつが「感慨ない」を連呼していたので。
俺は、あの夜身を翻していたブルマの姿を思い浮かべた。
シックなキャメルのスーツに身を包んだあいつの姿を。
足は自然に歩き出していた。

我ながららしくないと思う。
というか、俺は一体何がしたいんだろう。

学院に着いたはいいが、俺は相変わらず悶々としていた。次の行動が思いつかない。
とりあえず待機かな…
俺の中の小心者が首を擡げたその時、まるで図ったようにブルマの姿が視界に入った。急きたてられるように、小走りに、外へと出てきたあいつの姿が――

おいおいおいおいおいおいおいおい。
俺は目を疑った。
おまえ、何だその服は。
ブルマはチャイナ風のドレスを着ていた。しとやかな深青。胸元に3連のくるみボタン。腿の覗く大胆なスリット。伸びかけた髪を結い上げて、大きな花をつけている。
バカやろう。色気出しすぎだ。確かに上等のチャイナではあるが(俺はチャイナ系の服にだけは目が利くのだ)、おまえが着ると…
俺はブルマに駆け寄るとひったくるように手を掴み、物陰へと連れ去った。
「ちょっとあんた、何してんのよ」
「それはこっちの台詞だ。何だその服は。スーツはどうした」
「何って仮装よ。仮装卒業式。言ったでしょ」
聞いてないぞ。
「おまえ首席だろうが。まさか答辞もそれでやったんじゃないだろうな」
この衣装で演壇の上に立つブルマの姿を想像しただけで、俺は眩暈がしてきた。
「まさか。その後で着替えたのよ」
それは不幸中の幸いだ。
「ハーイ、ブルマ」
言い争う俺たちの前に、1人の女性が現れた。ブルマと揃いの――こちらは真っ赤な――ドレスを身に着けている。なかなかスタイルのいい女性だ。だが醸す色気の方向がブルマのそれとは違うというか…ウーロン評すところの「夜の女王様」だなこれは。
「あはははは、揉めてるわね。あたしも彼氏に散々言われたわよ」
そうだろう、そうだろう。
俺は見も知らぬ相手に同意した。
「あなたがヤムチャね。あたしディナ。あの説はご苦労様」
その時の俺は、端から見ても呆けていたと思う。
ディナ。げっ。これがあの友人の彼女か!?
俺は思わぬところで同士を見つけた気がした。世間は広いようで狭いという伝説は本当だった。
ディナが去ると、俺は再びブルマの手を掴んだ。
「帰るぞ」
「はあ?何言ってんの。あたしこれから追いコンよ」
「おまえ、その格好で出る気か!?」
「だったら何なのよ」
いいだけファッションに感けておいて、こういうことだけ気づかないというのは、反則ではないだろうか。
「着替えろ!!」
「嫌よ。この髪セットするのにどれだけ苦労したと思ってるのよ」
「じゃあこれを着ていろ。さほど違和感はないはずだ」
俺は自分のシャツを脱ぎ、強引に羽織わせた。自分のワードローブがチャイナ寄りであることを、この時ほど神に感謝したことはない。
「いいか絶対に脱ぐなよ。後で迎えに来るからな」
「もう一体何なのよ…」
まったく、おまえはいつも俺のことを鈍いと言うが、おまえだって相当鈍いぞ。

「まったくわけわかんないったら」
迎えに来た俺に開口一番そう言うと、ブルマはシャツを投げて寄こした。
「他人の服にとやかく言わないでよね」
夜ごと俺の部屋に来て、ファッションショーを繰り広げている人間の言葉とも思えない。
結局ブルマは三次会まで居座って、俺と合流した時にはすでに12時を回っていた。
「おまえが無防備すぎるんだ」
「何よ、妬いてるわけ?」
ブルマは乱暴に言った。
まったくこいつはナメている。普段はそれでも構わないが、こういう時くらいはちっとは俺を立てろってんだ。
「ああ、そうだ」
俺は躊躇なくそう言うと、ブルマに口づけた。

最近こういう展開ばかりだ。だが、その気にさせるこいつが悪いんだ。
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