夢の外の女
「どうだった?痛かったか?」
開口一番ウーロンが言った。俺は待ってましたとばかりに、それに答えた。
「すっげーーーーー痛かった」
手術の話だ。
骨折にもいろいろあって、手術が必要ないことも多いらしいけど、俺の場合はそうじゃなかった。難しいことはよくわからないけど、ブルマがそう言っていた。
本当に痛かった。医者も慌てていた。冗談じゃないぜ、慌てたのはこっちだ。いや、慌てるどころの騒ぎじゃない。もう痛いのなんのって。笑い話にでもしないとやってられないぞ、こんなこと。
「何言ってんの。麻酔効いてたはずでしょ」
いつの間にか部屋に入ってきていたブルマが、枕元に仁王立ちして居丈高に言い放った。
おまえなあ。少しは察してくれよ。本来痛くないはずのものが、痛かった。それがどういうことなのか。
ああ、麻酔は打たれたさ、確かにな。緻密に計算された量の麻酔がな。術後しばらくは切れないとまで言われた程の量の麻酔がな。それなのに…
「途中で切れたんだよ」
ブルマは呆れたように呟いた。
「あんたって本当に運のない男ね」
…それだけは言わないでほしかった。

監獄の中に俺はいた。病院という名の監獄の中に。
白いギプス。白い包帯。白いベッド――何もかもが白くて、本当に嫌になる。病院ってやつはどうしてこんなに白いんだ。もうちょっとさ、明るくできないものかな。
おまけに、医者の言うことはわけがわからないし。
「膝蓋骨横骨折、脛骨近位部骨折、外傷後変形性関節症・中枢端合併…」
まるで暗号だ。それとも呪文かな。
「もう少し簡単に言ってくれないか」
俺は頼んだ。…ブルマのやつに。
そう、俺は医者とはほとんど話をしていない。手術についても、その後の経過も、全部こいつの口から聞いた。学者の彼女は持つものだな。
定期問診はあるけど、そういう時はあまり小難しいこと言われないし。…ひょっとすると、後でブルマに話しているのかもしれないが。
とにかく、これにはすごく助かった。本当に感謝している。
…でも、そこで終われないのが、ブルマのブルマたる所以なんだよなあ。


俺は体を動かした。すぐにブルマが飛んできた。
「ちょっと、あんた!何してんのよ」
本当に、俺がちょっと身動ぎしただけで、この台詞だ。
勘弁してくれよなあ、とは思わない。それが俺のことを慮っての言葉なのだということぐらいは、俺にもわかる。ただなあ…
もう少し、察してほしいんだよ。
「何って、用を足しに行くんだよ」
「用があるならあたしがするから。あんたは黙って寝ていなさい」
あのなあ。
俺は苦々しげに呟いた。
「…生理現象だ」
俺の言葉に、ブルマは黙った。その顔がみるみる朱に染まった。
恥ずかしいのはこっちだ。言わせないでほしいよな、こういうこと。まったく、少しは察してくれよ。
俺もひとのこと言えないけどさ、こいつだって相当鈍いよな。おまけに配慮もないときた。
固まるブルマをよそに、俺は足を床につけた。すかさずブルマが俺の脇に入り込んだ。
「何だよ」
「だって、トイレに行きたいんでしょ」
はあ!?
ちょっと待ってくれよ。まさかおまえ、一緒に来る気か!?
「一人で行けるって」
「ダメよ!何かあったらどうするの」
何かあったら医者に見てもらうさ。ここは病院なんだからな。
でも、結局俺はブルマを振り解けなかった。こいつはやると言ったら、てこでもやるんだ。
「ここで待ってるからね!一人で勝手に動かないでよ!」
そう言って、手洗いの前に陣取った。…まったく、勘弁してくれよ(あ、言ってしまった)。
こんな俺たちの様子を、ウーロンと院内の人々がニヤニヤしながら見ている。
…あー、格好悪ぃ。

昼間、ブルマたちは武道会を観戦に行っている。…正直、羨ましいかな。だって、俺だって見たいし。っていうか本当は、出続けていたかったし。勝ち進みたかったし。
勝ち進める自信あったし。強くなった自信あったし。でも、現実は…
俺は一人病室(ちなみに個室だ)で、そんなことを考えていた。
…と思うか?
まったく逆だ。一人になれる時間なんかありゃしない。
なぜか看護士が入れ替わり立ち代りやって来るんだよ。それも女の、しかも若い人ばかり。
たまに男の看護士がやってきたかと思えば、こんなことを言うし。
「優しい彼女で羨ましいですねえ」
…勘弁してくれ。
俺は感傷に浸りたいの!一人静かに、これからのことを考えたいの!
だいたい、あいつのどこが優しいんだ。きっと対外的には、かいがいしく世話を焼いているように見えるんだろうけどな。その実情は違うぞ。
口うるさいし、配慮はないし、恥知らずだし(男性トイレについて来ないだろ、普通)。何だかんだと手を出すわりには、彼女らしいことはさっぱりしないし。
ほら、よくあるだろ。『あーん』とか言いながら飯を食わせたりするやつ。ああいうことは、あいつは一切しない。
いや、やってほしいと言っているわけじゃない(俺、病人じゃないし。折ったの足だし)。そうじゃなくて、態度のことを言っているんだ。つまりだな、全然『優しい』『彼女』じゃないぞ、ってことが言いたいんだ。
まったく、いたたまれないよな。
それで俺はリハビリも兼ねて、昼間は院内を歩くことにしていた。
まあ、結果的には悪くない感じなのかもな。


俺は修行の夢を見ていた。…らしい。
らしい、というのは、まったくその内容を覚えていないからだ。でも、ブルマが言うにはそうらしい。俺が寝言で気合いを発していたと。ありそうなことだ。
ここはあまりにうるさくて、そんなことを考えている暇はないけど。俺の本分はそれだしな。『夢は潜在意識の現われ』、ブルマもそう言っていた。
「しょうがねえな、おまえは。おれが願掛けといてやるよ」
俺の話を受けて、ウーロンがギプスに落書きを始めた。
「あまり変なこと書くなよ」
俺はもう充分恥を掻いているんだからな。これ以上のネタはいらんぞ。
ウーロンが手を退けて、俺はそこに目を落とした。そこにはこう書かれていた。
『修行』。
うん、これならいい。
欲を言えば『勝利』とかの方がいいけど。それは自分でなんとかするさ。




ブルマが荒地を駆けている。その前には、一匹のプレーリードッグ。どこまでもどこまでも、追いかけていく。
かわいいことしてるなあ。
思わず微笑を漏らしかけて、俺は気を引き締めた。そうじゃない。
ここは、おまえの来るようなところじゃない。女、子どもの来るところじゃないんだ。
走り出した俺の目に、ブルマに近づくコヨーテどもの姿が入った。そらみろ。
「ブルマ!どいてろ!」
俺はコヨーテとブルマの間に、割って入った。


…懐かしいな。
妙にすっきりと目を覚ましながら、そう心の中で呟いた。今見たばかりの夢を思い出して。
今のは潜在意識の現われではない。ただの事実だ。少し台詞は違ってたけどな。
どうやら俺は本当に、修行の夢ばかり見ているようだ。これじゃ、言われてもしょうがないかもな…『修行バカ』って。
ベッドから半身を起こすと、ブルマが機嫌の悪そうな目つきで俺を凝視していた。
「何だ?」
「別に」
どう見ても「別に」って顔じゃないだろ、それ。
何があったのか知らないけど、お願いだから八つ当たりはしないでくれよな。逃げようかなあ。でも、こいつついてくるしなあ。
思わず首を竦めると、ブルマが不機嫌を吐き出し始めた。
「あのねえ」
座っていたスツールを後方に蹴り出して、荒々しい足取りで俺のいるベッドへと向かってくる。
「あんたがどんな夢を見ようと勝手よ。と言いたいところだけど、そうはいかないわよ。何であたしがそんな扱いなのよ!」
はい?
「『そんな扱い』って何だよ」
どこから出てきたんだ、そんな話。
ブルマは俺の問いを完全に無視した。
「もっと感謝しなさいよ。もっと褒め称えなさいよ!」
俺はまったく呆気に取られた。
…おまえ、すごいこと言うなあ。そこまで言えるやつ、滅多にいないぞ。ここまでくると、ほとんど尊敬の域だよな。
大変な苦労の末に、俺は笑いを噛み殺した。でもきっと声にはそれが出ていただろう。まったく、これが笑わずにいられるものか。
「ちゃんと感謝してるって」
本当さ。少しうるさいとは思うけどな。
「じゃあ何で『どけ』なんて言うのよ!」
はい?
なんか、さっきからわけがわからないな。一足飛びにしたって、わからなさすぎる。
「何の話だ?」
「あんたさっき『どけ』って言った!!」
『言った』、って…
俺、寝てたはずだけど。その前…はみんなと話してたし。いつ言った?
思わず考え込んだ俺に、ブルマが痺れを切らしたように怒鳴りつけた。
「寝言よ!」
寝言?
俺の?
俺がおまえに?
『どけ』って…
数瞬の間の後、俺の謎は氷解した。
俺はブルマの顔を見た。燃え立つ瞳。刻まれた眉間の皺。尖った唇。
あいつはまったく本気で怒っているようだった。おまえ…
「あっははははは!!!」
俺は笑った。それはもう豪快に。とめられなかった。これが笑わずにいられるものか。
「何よ。何で笑うのよ!」
笑いすぎて涙が出てきた。
「だっておまえ…」
…かわいすぎだ。

俺はブルマの頬に手を伸ばした。もう何も言う気になれなかった。
怒りと呆気の綯い混ざったその瞳。さっきまでとは違う角度で尖った唇。
俺はその唇を崩しにかかった。
男ならわかるだろ?この気持ち。


ブルマが部屋を去った後、俺は気づいた。左足元に、一本のサインペン。ギプスに新たに書き記された文字。
そこには俺のことを一言で言い表す言葉が現れていた。
『修行』『バカ』と。

…まったく、かわいすぎだよな。
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