以下の女
俺はブルマと一緒に登校し、一人でC.Cに帰ってきた。
それだけで、事は傍目に明白だった。

無人のリビングに俺が足を踏み入れると、ドアの陰からウーロンが顔を覗かせた。
「おまえら、もうケンカしたのか。やっぱりな。そうなるだろうと思ったよ」
「やっぱり?」
瞬時に俺は聞き咎めた。やっぱりってどういうことだ?
そんなに不釣合いに見えるのか?そりゃ、相手はお嬢様だけど…
ウーロンが答えた。それは俺の懸念にはまったく触れない話だった。
「何があったのかは知らないけどな。どだい無理な話なんだよ。あいつのあの性格で男と付き合うなんてよ」
「あの性格?…」
再び俺は聞き咎めた。ウーロンの言葉の意味が、まったくわからなかった。
それまでの白けた態度を一変させ、妙に気合の入った口調で、ウーロンは言い放った。
「たぶん、おまえにももうわかったと思うけどな。この際だからはっきり言っといてやるよ。あいつは顔と体はいいけどな、性格はそれはそれは怖ーいやつなんだ」
「怖い…」
三度俺は聞き咎めた。今度は語尾に疑問符をつけずに。
確かに、ものすごく怖かった。人が変わったかと思った。何も言えなかったもんな。思わず固まっちまった。
「…どうすればいいと思う?」
年下の友人に向かって、俺は訊ねた。そのことに躊躇いはなかった。
どうやらこいつは、俺より遥かにブルマのことに詳しいらしい。そう思った。
「どうするって…」
ウーロンは俺の問いには答えず、驚いたように目を瞠った。
「おまえ、まだ付き合うつもりなのか?あいつと?」
「うん、まあ…」
だって、そうだろ。
そんなに簡単に割り切れるものじゃないだろ。人との関係なんて。
せっかく会ったんだし。…せっかく付き合うことになったんだし。
俺のこの心境はウーロンにはまったくわからなかったらしい。やつは再び白けた声で、呟いた。
「物好きだな、おまえ」
俺はそれには答えなかった。

なんら解決策の得られぬまま、ウーロンとの会話は終わった。プーアルを従えポーチの脇で体を動かしながら、俺は一つの結論に達した。
とにかく、理由がわからないことにはどうしようもない。そんな当たり前の結論に。
まるっきりわからないんだ。どうして急に怒り出したんだろう。会話途中というわけではなかった。直前までは普通に接してくれていた。あんなににこにこしてたのに…
女心?もしそうだとすると、俺にはどうしようもない。だって、そんなもの知らないんだから。
ふいに空から轟音が鳴り響いた。すでに何度か耳にしている、このエンジン音。
俺より先にハイスクールを出たはずのブルマが、俺より後に帰ってきた。どこに行っていたんだろう。
帰るに帰れなかったのだろうか。ハイスクールをサボったから。…俺がサボらせたから。
エアバイクを地に着け下り立ったばかりのブルマの背に向けて、声をかけた。
「…あの、ブルマさん。ごめん」
もっと言葉を紡ぐべきだとは思ったが、それしか出てこなかった。いたたまれない思いをさせた、そのことをまず謝りたかった。
ゆっくりと向けられたブルマの顔に、先ほどの鋭い怒りがないことを見て取って、俺は話を続けた。
「それであの、できれば理由を教えてもらいたんだけど…叩いた理由。俺、何かした…」
「はあ!!!?」
俺の語尾を掻き消したその大声に、うっかり固まりかけた。…び、びっくりした…
「何よそれ!あんた、あたしをバカにしてんの!?」
俺の凝固はますます強まった。…先の片鱗が見える。
色を増しつつある瞳。形を変える眉…
「じゃあどうして謝ったのよ!!」
だが俺はなんとか踏みとどまり、ブルマの質問に答えた。
「それはハイスクールサボらせちゃったから…」
「はああああ!!!?」
思わず耳を塞いだ。この子、ずいぶん声量があるなあ。
元気な子だとは思ってたけど。それにしても…
数瞬の間が開いた。俺が両耳を塞ぐ手を通常の位置に戻しかけると、ブルマがそれを掴んだ。
「ちょっと、ヤムチャ。こっちきなさい!」

俺はブルマの部屋に引っ張り込まれた。より正確に言うと、引き摺り込まれた。
そして同時に、再び耳に攻撃を受けた。
「あんた、本当にわからないの!!!?」
俺は答えなかった。ブルマは質問しているわけではないということが、明らかだったからだ。
今や完全に燃え立っている瞳。つり上がった眉。声量溢れるこの怒声…
こ…怖〜〜〜…!!
「あんたがラブレターなんか貰うからでしょ!」
そう言って、息を吐いた。そしてそれきり何も言わなくなった。
ふいに訪れた静寂。俺はその落差に驚きながら、ブルマの示した理由にもまた驚いていた。
…あれが理由だったのか…!!
まったくわからなかった。あまりにも怒りの度合いがすごいから、もっと取り返しのつかないことをしてしまったのかと思った。心当たりはなかったけど。
「もう貰わないよ」
どんなことが書いてあるのか、だいたいわかったしな。…それに、これ以上怖い思いはしたくない。
「本当?絶対よ。約束よ!」
「約束するよ」
出来ない約束ではない。つまり、渡されそうになっても断ればいいわけだ。…想像すると結構大変そうな気はするが、今は深く考えるのはよそう。…これ以上怖い思いはしたくない。
だけど、やっぱりわからないな。どうして会ったばかりの相手にラブレター…あとでウーロンにでも訊いてみるか。
訝しい思いを残しながらも、ひたすら許しを請う気持ちに俺はなっていた。…怖かったから。それは否定しない。でも…
「いいわ。許したげる」
幾分声音を緩めて、ブルマは言った。その瞬間、俺は本当に安堵した。
「その代わり、お願いきいてね」
続けて発せられた言葉と笑顔に、逆らえるはずもなかった。


「よかった…」
ブルマの部屋から一歩を出て、俺は思わず呟いた。
怖かったけど、許してもらえた。笑顔も見れた。…本当によかった。
「何だ、もう仲直りしたのか」
「よかったですね、ヤムチャ様」
「わっ!」
すぐ目の前にウーロンとプーアルがいた。ほとんど目を瞑りながら部屋を出たので、気づかなかった。
なんとはなしにリビングへと足を向ける俺の隣で、ウーロンが無造作に言い放った。
「あのまま別れちまえばよかったのによ」
「おまえ、酷いこと言うな」
「何言ってんだ。おれはおまえのためを思って言ってるんだぞ」
とてもそうは思えないが。普通はうまくいくように願うものじゃないのか。
年下の同居人の性格を俺が慮っていると、当人がさらに毒舌を吐き出した。
「おまえ、本当にあいつでいいのか?せっかく都に来たんだから、他を当たったらどうだ?」
その言葉で思い出した。ケンカの原因となった一件を。
俺はそれをかいつまんで話して聞かせた。そして件の質問をしようとしたところ、まったく思ってもみなかった方向から機先を制された。
「それで、どうするんだ?」
「どうするも何も…俺にはブルマがいるし」
「カーッ。マジかよ。勿体ねえなあ。おまえ、一体あんなやつのどこがいいんだ?」
「え…」
俺は答えられなかった。
かわいいから。とはもう一概には言い切れない。…すごく怖かった。やっぱり固まっちまった。まったく逆らえなかった。
でも、どうしてだろう。
ブルマといると、どことなく気が寛ぐんだ。絶対矛盾してるよな。あんなに怖かったのに。緊張だってまだするのに。
「うーん…」
俺は唸り続けた。ウーロンはもうそれ以上、突っ込んではこなかった。


翌日。一夜明けてなおハイスクールは、俺に厳しい場所だった。
こういう物珍しげな視線って、一体どのくらい続くんだろう。勘弁してほしいよ。
放課後ブルマがやってきて、俺はようやく不快から解放された。C.Cには帰らず、肩を並べて街を歩いた。時折腕を引かれながら(道がまだよくわからないからだ)、とあるカフェへと俺は連れて行かれた。昨日ブルマの言っていた『お願い』だ。
「ストロベリーパフェ1つ。スプーンは2つつけてね!」
元気よく発されたブルマの言葉に、俺は思わず呟いた。
「2つ?」
「一緒に食べるのよ」
にこやかな笑顔と共に、ブルマは答えた。俺には、今ひとつぴんとこなかった。
「俺、あんまり甘いもの得意じゃないんだけど…」
「食べてるフリしてくれればいいから。ね!」
やっぱり笑ってブルマは答えた。
…よくわからないな。
あんなに怒っていた代償がこれか?しかも『フリ』って…それって何か意味あるのか?
「ふうん」
曖昧に頷きながら、クリームを一匙口に運んだ。それは俺には甘すぎた。だが俺はもう一匙口に運んだ。
フリでいいとは言われたけど。『一緒に食べたい』と言うということは、やっぱり一緒に食べたいんだろう。ならば食べてやりたい、そう思って。
「へっへ〜」
ブルマは子どものような笑みを浮かべながら、おいしそうにパフェを食べていた。その顔を見ながら、俺はさらに一匙口に運んだ。
悪くないな。
この子と一緒にいるの。やっぱり悪くない…

結局5口目で俺はギブアップして、ほぼパフェの99%をブルマにまかせた。務めは果たした。…と思う。
薄暮の中、行きかう雑踏を目の前に、カフェの外でブルマを待ちながら、俺はある感触を楽しんでいた。
なんかすごく『付き合ってる』って感じがしてきた。ブルマからは好意を感じるし、俺もそれを持っている。…ような気がする。
遥か遠い存在だったはずの女の子。街を巡る人の喧騒。今までいた荒野とはまったく対照的な都。
本当に、少し前の自分からは考えつかない世界だな。
「あの、すいません。今、何時かわかりますか?」
「ああ、はい。今は…」
ふいに世界の一部が接触してきて、俺はそれに答えた。相手の顔は見ず、自分の手元の時計を確かめながら。
「ここで何してるんですか?」
「何って…」
会話が続いていること自体に訝って、顔を上げた。まったく見知らぬ女性が2人…
「ちょっと、ヤムチャ!」
その時、背後からブルマの声が聞こえた。俺がそちらに目をやり再び顔を正面に戻すと、その女性達は消えていた。
…何だったんだ。用があったらしいことはおぼろげにわかるが、なぜ急にいなくなるのか。いなくなるのは構わないけど、せめて一言言っていってほしいものだ。本当に都の人間って不躾…
そう心の中で咎めていると、ブルマが苛立ちを含んだ声で叫んだ。
「あんた、何、逆ナンされてんのよ!」
初めて聞いたその言葉に、俺の口が反応した。
「逆ナンって?」
「逆ナンパ!女が男をナンパすることよ!」
「あ、あれナンパなのか」
それで会話が続いたわけか。なるほどな。
ナンパなんて、男がするものだとばかり思っていたが。女もするのか。
妙な新鮮さを感じかけたその時、ブルマが苦悩するような表情で頭に手をやっていることに気がついた。
「ブルマさん?どうかした?」
「頭痛いのよ。…あんたのせいで!」
は?俺?
その疑問は口に出すことができなかった。ブルマの表情に、あの片鱗が垣間見えたからだ。
固まりかけた俺の耳に、続くブルマの言葉が入った。
「ほら、さっさと歩く!買い物するわよ!」
「あ、はい…」
片鱗をちらつかせながら先に立って歩くブルマを、訳もわからず追いかけた。

訳を訊ねる勇気は、俺にはなかった。
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