未進の女
俺は頭を切り替えた。

「試合?あんた、クラブなんか入ったの?」
「入ったっていうか…」
少しだけ言葉を探した。事実を如実に表す言葉を。だが、それは見つからなかった。
「試合だけ出るんだ。対外試合とか大会の時にな」
「そんなことしていいわけ?」
ブルマにそう問いかけられて、俺は首を捻った。それは俺にもわからない。だからこそ言葉を探したのだ。
ハイスクールに通い始めて二週間。俺を取り巻く環境は、相変わらずのものだった。針の筵というほどではないにしても、やはり視線が痛い。しかし、俺は気づいたのだ。
男からの視線はさほど痛くないということに。考えてみればそうだよな。何もしてないんだから、本来痛いはずはないんだ。きっと俺が意識しすぎなんだよ、女の子をさ。
それで俺は、男たちの輪に加わってみることにしたのだ。いや、この言い方には語弊があるな。男ってものは輪など作らないからな。本当に、女の子たちの輪の作り方は異常だよ。ブルマはそういうのにはあまり加わらないみたいだけど。だからかもな、ブルマといると気が楽なのは。
とにかく俺は、クラスの男どもとはそれなりにうまくやれた。それでまあ、武道をやっていることを話したり、体育の授業の様子を見初められたりなんかして、そういうことになったわけだ。身体能力を買われた、ってところだな。
とりあえずのところは、空手と野球とラグビー。それらのクラブに、試合の時だけ顔を出すことにしたのだ。
俺がそれらのことをかいつまんで話すと、ブルマは淡々とした表情で言い放った。
「あんた、意外と軽いわね」
思わず呆然とした俺に、プーアルの声が被った。
「ヤムチャ様は運動神経がいいですから」
ウーロンの声がそれに続いた。
「試合の時は応援に行ってやるよ。だからマネージャー紹介してくれよな」
「あんたは軽すぎよ」
明らかに咎めとわかる口調で、ブルマがウーロンの頭を小突いた。
結果的に、俺はウーロンの声に救われた。…のかもしれない。


「なあおまえ、ブルマと付き合ってるって本当か?」
ハイスクールでの放課後。なにげなくかけられた声に、ラグビーのルールブックに目を走らせながら、俺は答えた。
「そうだけど」
この言葉に、周囲にいたクラスメートが数人、反応した。
「ふーん」
「あいつってよくわからないよな。いっつもいないし」
「疲れねえ?あいつ頭いいんだろ」
罵倒とは言い切れないが褒めているとも思えない言葉が続いた。俺は顎に手を当てつつ答えた。
「疲れはしないよ。あとはよくわからないな」
「オレのダチでミドルスクールの時に告ったってやつがいるんだけど、すげー冷たかったってよ」
続くクラスメートの声に、知る限りのブルマの言動を脳裏に描き出した。
「うーん、そういうところはあるかもな」
確かにウーロンなんかに対しては、時々ひどく冷たいことがあるよな。
中の一人が寄ってきて、呆れたように呟いた。
「おまえ、のんきだなあ。ところでルールはもうわかったか?」
「いや、それが今ひとつ。クイック・スローインの可否がさっぱりわからん」
「あー、それはなー…」
率直な会話。歯に衣着せぬ物言い。固執されない話題。
やっぱり、男相手は楽だよな。ハイスクールに行くようになって、俺はそれを再確認していた。
女の子相手も、以前ほど緊張はしなくなった(ように思う)けど、積極的に話をしたいとまでは、まだ思えない。女の子自体は嫌いではない。むしろ憧れていたはずなんだが…
「ヤムチャ、帰るわよー」
その時、俺がそうは思わないただ一人の女の子がやってきて、俺はルールブックを閉じた。
「悪い、続きは明日な」
そう言って俺は席を立った。クラスメートは俺を咎めなかった。
やっぱり、男相手は楽だよな。

C.Cへの道すがらブルマと肩を並べて、俺は率直に訊ねた。
「なあ、一つ教えてほしいんだけど」
「何?」
元気よく振る大手はそのままに、ブルマが横目で俺を見た。
「レポートの書き方。課題出たんだけど、さっぱりわからなくて」
「ああ、それはね…」
少しだけ声を顰めて、ブルマは喋りだした。
「まず形式ね。1枚目は表紙。書くことは科目名・課題名・学籍番号・氏名・目次。2枚目から本文。余白を充分取って、見出しはやや大きな字で、適宜具体的なことを――」
唐突に始まった機関銃声を、俺はとっさに押し止めた。
「待った。待った、ちょっと待った。そんな一度に言われても覚えきれな…」
「ええー!!!?」
反射的に目を瞑った。ひさしぶりに聞く大声量。…び、びっくりした…
再び開けた視界の中に、大きな溜息をつくブルマの姿が見えた。それと同時に、声がした。
「もう、いいわ。あたしがやったげる」
「そんなことしていいのか?」
「いいんじゃない?あんたも似たようなことやってるでしょ」
俺は首を捻った。ブルマの言葉の意味がまったくわからなかった。
「クラブの助太刀。似たようなもんよ。要はバレなきゃいいんでしょ。適当にレベル落として書いてあげるわよ」
「はは…」
思わず笑った。その声が少し乾いていることを自覚しながら。
…この子、はっきり言うなあ。
まあ、構わないけどな。俺の方が成績が下であろうことは明らかだからな。
「その代わり、付き合って!ミックスベリーソフト!」
「いいよ」
それくらいお安い御用だ。
俺が言うとブルマは嬉しそうに笑って、ショップの方角へと俺の腕を引っ張った。
わかりやすいよな、この子。喜怒哀楽が実にわかりやすい。はっきりとした物言いも、不思議と気には障らない。むしろ誤解がなくていいくらいだ。
本当に楽だよなあ…


ハイスクールにもだいぶん慣れ、楽なものに囲まれつつある俺の生活の中に、楽ではないものが一つ現れた。ラグビーのルールだ。
ルールそのものはだいたい呑み込めたのだが、今ひとつ感覚が掴めない。やったことがないからな。…安易に請け負いすぎたかな。
結局その思いは解消できぬまま、試合当日を迎えてしまった。いつまでもルールブックを手放せない俺に、俺をこの状況に誘い込んだ友人が、陽気な声で言った。
「気楽にやれよ。今日の試合は何にも影響しないから。ルールを覚えるつもりでさ」
「そんなことでいいのか?」
「いい、いい。じゃなきゃおまえを出しゃしないって」
それもそうか。
俺はすっかり楽になった。男の言うことは単刀直入でいいな。女の子の言うことは、どうにも迂遠すぎてわからないからな。
ふと、グラウンドの向こうに設置された観客席に目をやった。同じクラスの女の子たちの面々と、見知らぬ女の子たちの群れ。
そりゃあ答えたのは俺だけどな。隠すことでもないだろうと思ったし。だが、まさかこうくるとは。
試合があるのは確かだ。応援するのも個々の自由だ。でも正直、想像を超えてるよな。
試合開始の時間が来た。チームメートに促されて、俺はルールブックを閉じた。
…まあ、観客席は遠いから。それだけが救いだな。

やっぱり、安易に請け負いすぎたな。
かなり強引に試合を終えて、俺はそう思っていた。
本と実戦は違うよなあ。当たり前だけど。まあ、何事も経験か…
俺のミスはさして咎めずファイトを認めてくれたチームメートの声に、そこまで考え進めることはできたのだが、問題はその後だった。
「おまえ、少し声かけてやったら?」
「え…」
女の子たちを指差し言われた言葉に、俺が断りを入れようとしたその時、さらに言葉がかけられた。
「そうそう。それくらいはしてやらないとバチが当たるぞ。そして、おれたちにもご相伴させてくれ」
「おれ一度、女の子の手作り菓子ってやつ、食ってみたかったんだよな」
…男ってわかりやすいよな、本当に。
そして、ここでは俺は新参者だ。
俺が心底悩んでいると、どこからかプーアルとウーロンがやってきた。
「おまえら、来てたのか」
なんの気なしにかけた言葉に、ウーロンが呆れたように答えた。
「おまえ、のんきだなあ。ブルマが怒りまくってるぞ」
「え、何で?」
「おまえが女にキャーキャー言われてるからだろ」
「そんな…」
確かに言われてはいるみたいだけど。それは否定しない。目の前に事実があるからな。でも俺一人に対してのわけもないだろうし、だいたいあれは単に物珍しがられているだけだ。そういう空気は、ハイスクールに来てからずっと感じていた。
『絶対よ。約束よ!』
ふいに、ブルマの声が脳裏に響いた。そして同時に気がついた。今の状況が、あの時と似通っていることに。
…これは、たぶん同じだよな。ラブレターを貰う行為と。同じじゃないにしても、非常に似ている。…ような気がする。女の子たちの本意はともかくとして、対外的には似ている。…と思う。
「う〜ん…」
俺の悩みは深まった。…もう、あんな怖い思いはしたくない。
「どうしたんですか、ヤムチャ様?」
訝るプーアルとは対照的に、ウーロンが見透かしたように言った。
「おれがおまえに代わってやるよ。女に声かけりゃいいんだろ?さっきの話、聞こえたぞ」
「おまえ…」
俺は瞬時に理解した。ウーロンがわざわざ俺に、ブルマが怒っていることを伝えに来た訳を。…男ってわかりやすいよな、本当に。
だが、今の俺には渡りに舟だ。
「頼むよ」
それだけを俺は言った。それだけで充分だった。

すぐにブルマを見つけた。女の子たちの群れから遠く離れたグラウンドの隅に。こういう時に一人でいるって、結構目立つな。
俺がその肩に手を置くと、ブルマが振り返った。やや色濃い青い瞳で。
…なるほど、怒っている。いや、怒りかけてる。
「何よ?」
「何って、その…」
一瞬瞳に呑まれかけて、俺は言葉を探した。とりあえず思いついたことを口にしてみた。
「…一緒に帰ろうかと思って。俺ももう帰るから」
「あの女たちはどうするのよ?」
瞬時にそう返ってきた。確かにウーロンの言った通りだ。危なかった…!
わかりやすい同居人の行動に、俺は心底感謝した。思案する必要のない事実を、口にした。
「あれはウーロンにまかせてきたから」
「まかせたって、あんたねえ!!!!」
突如大声量が襲ってきて、俺は反射的に目を閉じた。憤怒に満ちたこの声音。こ…怖え〜〜〜…!!
この子、本当に声が大きいな。大きいなんてものじゃないぞ。辺り一面に響き渡るようだ。
だが、その声の続きはなかった。おそるおそる開けた俺の目に、そのブルマの顔が飛び込んできた。
不燃に終わった瞳。平静を湛えた口元。いつも通りの形のいい眉…
「いいわ。一緒に帰りましょ。でもその前にシャワー浴びてきて。あんた汗臭いわよ」
少し強めの口調で発せられたその言葉は、俺の心を震え上がらせはしなかった。
どうしてなのかはわからない。でも、ブルマはもう怒ってはいない。それがはっきりとわかったからだ。
「じゃあ、行ってくる。後でな。ブルマさん」
言いながら手を振ると、ブルマも返した。
俺を惹きつける、あの笑顔で。


「ああ、疲れた…」
温めのシャワーで汗を流しながら、思わず呟いてしまった。
すごく疲れた。ただラグビーの試合をしただけなのに。体力的には何ら問題ないはずなのに。
「女の子って疲れるなあ…」
特にクラスの女の子。とその友人(なのか?)。…出来るだけ、関わらないようにしようっと。
シャワーを終え髪を濡らした水分をタオルに含ませていると、チームメートが賑やかに部屋に入ってきた。
「おまえ、あれ食った?あの黒くて四角いケーキみたいなやつ」
「何なんだろうな、あれ。この後、腹壊さなきゃいいけど」
「いや、女の子の作った物というだけで、おれは満足だよ」
そこはかとなく怖い会話に、俺が眉を顰めていると、皆が一斉に俺を持ち上げだした。
「おー、ヤムチャ。おまえすごくよかったぞ。次も頼むな」
「っていうか、おまえはもうレギュラー決定だ」
…男ってわかりやすいよな、本当に。こりゃあ、もう抜け出せそうにないな。
「これからも差し入れを引き受けてくれるなら…」
俺の出した条件は、容易に受け入れられた。
「おー、まかせとけ」
「おまえっていいやつだなあ」
ギブ&テイク。腹の底までよくわかる。これだけは、ブルマと違うところだな。
「じゃあ、お先に」
少しだけ心の内がわからなくなってきた彼女の元へと急ぐため、俺はシャワールームを後にした。

部室へ数歩を進めたところで、後ろから腕を引かれた。訝りつつ振り向いた俺の前に、女の子が一人いた。
俺はまだクラスの女の子全員の顔さえ覚えていないが、この子とは一度も会ったことがないと断言できる。なぜなら、他校の制服を着ていたからだ。このハイスクールは私服なので、その中に混じっていればだいぶん目立ったはずなのだが、俺はまったく気づかなかった。
不審の解けぬまま、掴まれた腕をどうしようか悩んでいると、その子がおもむろに口を開いた。
「あの、あたしあなたのこと…」
その語尾を新たな声が掻き消した。
「ちょっと、あんた!!!何やってんのよ!!!」
廊下中に響き渡る大音量。背後から襲われたそれに思わず身を竦めたその時、女の子が手を離した。
俺を救った声の主を振り返った。見ずとも誰かわかってはいたが。ブルマだ。
「あんたも何やってんのよ!!」
引き続き発せられた大声に、俺は反射的に答えた。
「何って…だって、あの子が急に…」
急に、なんなのだろう。俺は言葉に詰まった。
まったくわからない。先の女の子の意図も、ブルマの大声の理由も。
前者についてはすぐに解き明かされた。俺一人に話すにしては大きすぎる声で、ブルマがそれを教えてくれた。
「告白なんかさせちゃダメ!!」
「告白…?」
思わず口に出して反芻した。
今のがか?俺にか?でも俺、あの子とまったく初対面…しかも他校…冗談だろ?
理解するどころか想像することすらできない。なぜそうなる?
俺の思考をブルマの声が破った。それは怒声ではなかった。
「ヤムチャのバカ!!」
俺の名の冠せられた罵声。その響きに俺が思わず呆然としていると、ブルマが踵を返し歩き始めた。
「ちょっとブルマさん…」
「話しかけないで!!」
まったく取り付く島のないその口調。それに負けず劣らず物を言う背中。全身から溢れる怒りのオーラ――
こ…怖〜〜〜…!!

俺は何とか気力を保ち続けた。しかしそれは徒労に終わった。
外庭へと一歩を出ると、ブルマはポケットからエアバイクのカプセルを取り出し、素早くそれに飛び乗った。
遠く光るエアバイクの反射光を、俺はいつまでも見ていた。
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