不進の女
一人C.Cに帰った俺の前に、ウーロンが呆れた顔を覗かせた。
「何だ、結局ケンカしたのか。せっかくひとが気を利かせてやったのによ」
「そんなこと言ったって…」
否定しようのない事実に、俺はただただうなだれるしかなかった。
「ちゃんと説明したのか?おれたちがやったこと」
「それが…」
できるだけ丁寧に、俺は話した。ブルマとのことに関する限り、俺よりはウーロンの方が、現実を把握できる。そう思って。
俺が話し終えると、ウーロンはやっぱり呆れたように言った。
「まったく、あいつもヤキモチ焼きなんだからな」
「ヤキモチなのか?」
「そうだろ。おまえがモテるのが気に入らないんだよ」
そんなの、俺だって気に入ってないよ。
そもそも本当にモテているのかどうかも怪しい。はっきり言って、珍獣扱いされているような気が強くする。確かにさっきの子は俺に好意を持っていたようだが、他の女の子もそうだとはとても思えない。モテるって、こんなに居心地が悪いものなのか?
きっと違うよな。だいたい、『好かれてる』って感じが全然しないもんな。ブルマから感じられたようなものが、他の女の子たちからは全然感じられない。
「で、どうするんだ?」
「どうするって…」
そんなの俺が訊きたいよ。
そうは思ったが、俺は答えた。ただ1つしかないその選択肢を、ことさら口に出した。
「謝るよ」


夕陽が見えない地平線に沈む頃、ようやくブルマが帰ってきた。
…いつもどこに行っているんだろう。
心に湧いた素朴な疑問を、片隅に追いやった。それを訊いている場合ではないということくらいは、俺にもわかった。
「…あの、ブルマさん。ごめん…」
颯爽とエアバイクから飛び降りエントランスに入ってきたブルマを、俺は捉まえた。何か意があったわけではない。ただ、足が動いたのだ。
「あんた、何で怒られてるかわかってるの?」
語気荒く、ブルマは俺の謝罪の言葉を往なした。それはまるで、子どもを叱りつけるような口調だった。
「それはその…女の子に告白されたから…でも、あの子いなくなっちゃったし…きっともう会わないし…」
俺はひどく言い難かった。こんなにいたたまれない気持ちになったのは初めてだ。
これが本当にモテているということなら、モテるなんて全然いいことじゃない。そう思った。
どうしようもないほど心が小さくなりかけたその時、ブルマが言った。
「もういいわ」
ブルマの声は冷静だった。それまでの鋭さも、怒りの片鱗も見当たらない。
俺は弁明をやめた。わかってもらえた…そう思った瞬間、次の言葉が耳に入った。
「しばらく話しかけないで」
俺をその場に固まらせて、ブルマは去っていった。


ブルマの言は本当だった。会話はおろか朝の挨拶さえも、ブルマは返そうとしなかった。
物言わず鼻を一つ鳴らして前を歩き始めるブルマの背中に、溜息混じりの視線を向けた時、ウーロンが言った。
「毎日毎日よく続くよな」
「しかたがないよ」
俺自身、ひどく居心地悪いんだから。ブルマがそれを感じていたとしてもしかたがない。
ただ一つだけわからないのは、それでもこうして毎朝一緒に登校していることだ。そりゃあ俺たちはまったく同じ通学路だけど。でも、帰りは勝手に(サボって)帰ってきているのに。
「ブルマじゃねえよ。おまえがだよ。ここんとこずっとトレーニングしてるだろ」
「ああ…」
前を行く菫色の髪に目をやったまま、俺は答えた。その髪の主とは違い、俺の目的ははっきりしていた。
「天下一武道会に出ようと思って」
「天下一…?何だそりゃ?」
「武道の大会だよ。今最もレベルが高いと言われている大会なんだ。きっと悟空も出るんじゃないかな」
武道の道にいる人間なら、誰もが目指す大会だ。悟空なら…武天老師様の元で修行している悟空なら、きっと出てくるに違いない。
「そんなものあんのか」
「俺もつい最近知ったんだがな」
その時は、ブルマとこんなことになるなんて思ってもいなかったけど。
苦々しい気持ちで、俺は少し前の自分を振り返った。
あれはちょうど、クラブの話を引き受けた頃だ。試合に出るだけならトレーニングには影響ないと思ったんだ。スポーツをやることは、多少なりともプラスになるだろうとも思ったし。
でも、こんなことになるなら引き受けるんじゃなかったな。あの時告白してきた子だって、きっと試合を見たからに違いないんだ。そうでもなければ、他校の人間となんか接触すること自体ないだろうからな。
でも今さら断れないし。すでに空手の大会に出る約束もしてしまっている。
「そうだ。来週は空手の早朝トレーニングに参加するから。朝、先に行くな」
「試合だけ出るんじゃなかったのか?」
「空手は無駄にならないからな」
トレーニング内容も似ているし。部員相手に組み手や乱取りもできる。悪くない話だ。
…レベルを考えなければ、だが。


「行くよ。行くさ。もちろんだ」
ひさしぶりにその名を聞いて、俺は一も二もなくウーロンにそう答えた。
「今度の日曜だからな。試合があるなら断っとけよ」
「大丈夫、今週は何もないよ」
悟空に会いに行く。そう言い出したのはブルマらしい。なぜ急に思い立ったのかはわからない。
いや、そうでもないか。悟空と別れてから1ヶ月以上は経つ。人が誰かを思い出すには、適当な時期だろう。
「悟空か…」
俺にとって悟空を思い出すことは、自分の過去を思い出すことでもあった。
悟空に会って、俺の人生は変わったんだ。悟空と戦うことがなければ――悟空があそこにいなければ、きっと俺は荒野を出ることはなかった。
悟空が俺を撃退しなければ、俺はいつものように強奪を終えて、アジトに帰っていたことだろう。おそらくブルマに会うこともなかった。会っていたとしても、一度きりで終わっていたはずだ。
俺が今ここにいることも。ブルマと共にいることも。すべて、悟空の強さのおかげだと言えるだろう。
「楽しみですね、ヤムチャ様!」
「そうだな、プーアル」
プーアルが機先を制して、俺の気持ちを代弁した。


「…あら、あんたも来るの?」
開口一番ブルマにそう告げられて、俺は思わず絶句した。
宣言されてより今日まで4日。俺はブルマと一言も話をしていなかった。正確に言うと話しかけてはいたのだが、ことごとく無視されていたのだ。
「あのな、おまえがヤムチャを無視するのは勝手だけど、だからって仲間外れにするなよな」
「ダメだなんて言ってないでしょ」
咎めるウーロンに向かって吐き捨てるように呟くと、ブルマは瞬時に俺に背を向けた。
…まだかなり怒ってるな。
どうすればいいんだろう。許してくれるのを待つしかないのだろうか。許してくれるのだろうか。許してくれなかったらどうなるんだろう…
俺が考えたくもないことを考え始めてしまった時、ウーロンが思考を破った。
「ところで、エアジェットは誰が操縦するんだ?」
それを聞き終えた瞬間、ブルマと目が合った。
炎のちらつく瞳。鋭く上がった眉。引き締められた口元――
「あ、じゃあ俺が…」
自然、俺は操縦席へと座り込んでいた。

痛い視線。重い沈黙。
それが、俺とブルマの間に介在するものだった。
少々意識過剰な部分もあるには違いない。ウーロンとプーアルは普段通りなのだから。
数十分ほど操縦に専念して、俺は少しだけ腹を決め、俺たちの中で唯一悟空の居所を知っている最古の友人に、必要半分興味半分の質問をした。
「どれくらいかかるんだ?」
「2時間くらいね。このスピードだと」
返事はすぐに返ってきた。…よかった。これも無視されたらどうしようかと思った。
「どんなところなんだ?」
「完全な孤島よ。まるっきり海に囲まれた…」
「老師様一人で住んでるのか?」
「亀が一匹いたわ」
思ったよりも流暢に、ブルマは答えた。それで怒りが解けているなどと楽観するはずもないが、とりあえず俺は胸を撫で下ろした。
「久しぶりだな、あいつに会うのは…」
この俺の独り言にも、ブルマは答えた。
「まだたったの1ヶ月でしょ」
俺は苦笑しつつ、心の中で反駁した。
一般的にはそうかもな。でも、俺にとっては長い1ヶ月なんだ。
過去の記憶が薄れるほど、長い1ヶ月なんだ…

不思議だな…
この1ヶ月あまり、何度もそう思った。
そして、今また思っている。
必ずしも快適とは言えない状況に、俺はいる。夢見ていた通りとは言い切れない女の子と、一緒にいる。
でも、手を引こうとは思わないんだ。
どうしてだろうな。




帰路のエアジェットは、罵詈雑言の嵐だった。
「勝手なものよね。黙っていなくなるなんて!」
「行き先くらい言ってけっつーの!」
「あいつは本当に配慮がないんだから!」
目指した地点に、悟空がいなかったからだ。正確に言うと、ハウスそのものがなかった。どうやらどこかに移動したらしい。
エアジェット内に響き渡るブルマの罵声を聞きながら、俺はひたすら操縦桿を握っていた。プーアルとウーロンは、窓の外どこまでも続く青い空を眺めていた。2人の心境が俺と同じであることは、明らかだった。
「次に会ったらとっちめてやるわ!!」
やっぱり、この子ちょっと怖い…


結局、悟空には会えなかった。みんなは落胆していたが、俺はそうでもなかった。
いつかきっと会えると信じていたからだ。そのうち必ず会うことになるだろうと思っていたからだ。
同じ道を歩む者の勘だ。それに、武道の神様と言われる武天老師様に弟子入りした人間が、世に出てこないわけがない。
次に会った時が楽しみだ。俺はそう思いながら、トレーニング浸りの週を明けた。




その日、俺はハイスクールで一日中窓を見ていた。窓の外をではない。窓を見ていたのだ。
窓を伝う雫。打ちつけては弾ける飛沫。表面に浮かぶ水滴…
雨だ。
きっと笑われるだろうと思い誰にも言っていないのだが、俺にとって雨は未だ新鮮だった。
まさか見たことがないなどということはない。荒野にも雨は降る。…夜に。地面を湿らせる程度の雨が。朝になれば痕跡さえ消える、そんな雨が。
今朝登校してきた時には降っていなかったので、傘は持ってきていない。だが、全然かまわない。
雨に濡れる。そんなことさえ、俺にとっては新鮮だった。

その人物を視界に認めて、新鮮な景色はより新鮮になった。
放課後のエントランスにブルマの姿。…珍しいな、こんな時間までハイスクールにいるなんて。
ケンカして以来、ほとんど毎日サボっていたのに。午後のハイスクールでブルマを見かけることなんて、まずなかったのに。
週が明けて以来登校も別だったので、まともに姿を見ることさえひさしぶりだ。…だって、俺がリビングへ入っていくと、すぐいなくなっちゃうからさ…
数日ぶりに目にした菫色の後姿は、水煙にけぶって見えた。そのせいだろうか、背中が穏やかに感じたのは。
俺はエントランスへ一歩を出た。何か意があったわけではない。体が勝手に動いたのだ。
不思議なことに、この子はいつも俺にそうさせるのだ。

一瞬、ブルマと目が合った。…俺はそう思った。
ブルマはこちらへ顔を向けていた。…俺にはそう見えた。
だがブルマは、おもむろに持っていた傘を差すと、それで自分の顔を隠した。

この子の瞳の中に、俺は入らないんだな…

すごく悲しかった。でも、手を引こうとは思わなかった。
また後で。そう思いながら、今や気にもならなくなった雨の中へと、体を入れた。
その時だった。

「ちょっと、ヤムチャ!」
数日ぶりに名前を呼ばれて、反射的に足を止めた。
声の主を見た。ブルマの瞳に、青い炎がちらつきかけているのがわかった。それが俺に向けられているということも。
「どうして無視するのよ。何で黙って行っちゃうのよ。声かけなさいよ!あたしがいるんだから!あたしは傘持ってるんだから!」
「だって、話しかけるなって…ブルマさんが自分でそう…」
やはり反射的に答えた俺の言葉に、呆れたような声が返ってきた。
「『しばらく』って言ったでしょ」
…そうだっただろうか。そんなこと言われただろうか。
正直、俺は覚えていなかった。とはいえ、ブルマ本人の言を否定するつもりはない。でも…
それってどういう意味だ?だいたい、『しばらく』ってどうやって計ればいいんだ?
「それから!」
依然困惑する俺に、再び怒声が降ってきた。
「いい加減、その『ブルマさん』ってのやめてよね!いちいち『さん』づけされるとイラつくのよ」
俺はまったく呆気に取られた。どうしてここで、名前の話が出てくるんだ。
ケンカのことは?あれはもういいのか?
「わかったら、さっさと傘を持つ!あんたの方が背が高いんだから。いつまでもあたしに不自由なことさせないでよ」
俺はまったくわからなかった。ブルマの言っていること自体はわかる。だがどうして、今こんなことを言われているのかがわからない。もう怒ってないのかな…
横目でブルマの顔を見た。瞳の奥に青い炎。眉間に刻まれた皺。尖った唇…
…やっぱり怒ってるよな。それは間違いない。
すっきりしない心で、ブルマから傘を受け取った。だって、手を引こうとは思わなかったし。それに…

やっぱり、この子ちょっと怖い…
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