馬鹿な女
スタンドに満ちる熱気。響き渡る歓声。華やかなチアガール。そこかしこから聞こえてくるラジオの音…
「なあ、何で目の前でゲームやってるのに、ラジオなんかつけるんだろうな?」
「臨場感を高めるためでしょ」
訝しげに放った俺の言葉に、ブルマは顔も上げずに即行で答えた。手元のチェックシートにペンを走らせてからようやく顔を上げ、俺の口にするビールを羨ましげに見つめてから、おもむろに口を開いた。
「あたし、ちょっと中チェックしてくる。アーティ・ショウの打席までには戻るから」
「…ごゆっくり」
いささか微妙な気持ちになりながら、俺は答えた。
都内のベースボールスタジアム。地元タイタンズのホームゲーム。そのバックネット裏のBOXシートに、俺はブルマと共に一席を占めていた。
ブルマは、ルールがわからないほど野球オンチではないようだが、試合の流れなどは一切見ていない。ただ相手チームのアーティ・ショウという選手と、C.Cが開発したという新しいシステムの試行ぶりを見ているばかりだ。
時折ビールを口に運びながら、半ばぼんやりと俺は試合を眺めていた。さして野球に興味のない者には勿体ないほど良い席の、高い位置からの目線では、ピッチャーの投球がよく見えた。
現在球界ナンバー1と言われる相手ピッチャーの球が、ど真ん中に決まった。湧き上がる歓声と共に、ラジオのアナウンサーの絶叫が耳に入った。
『…なんと165kmを計測!目にも留まらぬ速球です!』
俺は思わず呟いた。
「目にも留まらぬ速球…?」
あれがか?どうしたって止まって見えたぞ。
「打てるな、あれは」
俺は後ろを返り見た。
スタンドに満ちる熱気。響き渡る歓声。華やかなチアガール。
球界ナンバー1の投手。ブルマの好きな花形選手…
…悪くない。


「はあ?野球選手?」
「おまえにそんなのできるのか?」
俺がヴィジホンに向かってそれを告げると、画面の中でブルマとウーロンがほとんど同時に頓狂な声を上げた。
「いや、もうやってるんだ」
俺は余裕を持って、それに答えた。
「ヤムチャ様は4番なんですよね!」
唯一事実を知っていたプーアルが、2人の後ろで嬉しそうに言い添えた。
「そんなわけで来週からホームゲームだからさ。適当にチケット送るから、暇があったら見に来いよ」
この言葉にブルマは答えず、依然として最初の話題に執着し続けた。
「あんた、そういうことはもっと早くに言いなさいよ!テレビくらい見てあげたのに」
俺はこれには答えなかった。
だからだよ。だから、教えなかったんだ。
前もって知ってたりなんかしたら、感激が薄れるじゃないか。どうせならホームにいる時に知ってほしいよな。その方が盛り上がるし。ウーロンはともかく、ブルマが普段、野球観戦なんかしないことは、わかりきったことだし。絶対隠し通せると思ったんだ。
そして、その目論見は当たった。やはり2人は知らなかった。楽しみがこれで1つ増えた。
「どちらにしても、来週には帰るから。じゃあな」
最後まで余裕を持って、俺は電話を終えた。


そういう店に行くのは初めてだった。
ブルマの買い物に付き合わされることはしょっちゅうだけど、あいつはそういう店にはいかない。あいつが買うのはたいてい洋服やバッグなどだ。あまり興味がないんじゃないかな。
でも、男が買ってやりたいと思うのは、こういうものなんだよな。
「いらっしゃいませ」
俺がジュエリーショップのドアを潜ると、ほとんど同時に慇懃な店員の声がした。俺は迷わずそちらへと足を向けた。
こういうものはさっぱりわからないからな。店員の言に頼ると、もう最初から決めていた。
しかし、俺のこの決心は、5分もすると物の見事に崩された。
…どうして指輪ばかり勧めてくるんだ。
少し違うんだよな、指輪はさ。もっと気楽なものでいいんだよ。さりげないもので。
それに、あいつは買おうと思えば何だって買える人間なんだから。豪華さは求めてないんだ。そうじゃなくって…
「こんにちは」
ふいに聞こえた店員以外のその声に、俺は我に返った。
いつもなら反射的に逃げ腰になってしまう街中での女性の声だが、この時はそうじゃなかった。
「プレゼント?って、そうに決まってるわよね」
きっぱりはっきりとしたこの口調。飾り気のない喋り方。確かどこかで…
「あ」
すぐに、目の前の現実と記憶がリンクした。
「ああ、ああ。ああ…」
「どうやら思い出してもらえたみたいね」
俺の不躾な声にもまったく咎める素振りを見せず、声の主はおもしろそうに言葉を続けた。
「あたし、印象強いってよく言われるんだけど。あなたにとってはそうでもなかったみたいね。…どうしてなのかはわかるわ。もっと強い人間が身近にいると、そうなるわよね」
思わず苦笑した。それは相手にとって、嫌味にはならなかった。どちらかというと、この場にはいない人間にとっての嫌味だ。
「指輪あげるの?」
彼女はさして感心した様子もなく、さりげない口調でそう言った。そのざっくばらんさに、俺も素直に答えることができた。
「いや。どちらかというと、指輪以外のものをあげたいんだ。でも…」
「わかるわ。彼女にあげるって言うと、指輪ばかり勧めてくるのよね。バカの一つ覚えみたいにさ」
ふいに語尾がくだけた。
「指輪なんて一個貰えば充分なのに。いつもいつもそれを見させられる身にもなってもらいたいわ」
俺がまったく反応に困っていると、彼女は思い出したように話題を戻した。
「あたし、あの子とは全然趣味合わないけど、あの子の好きそうなものならわかるわよ。あの子は本物志向…と見せかけておいて、案外少女趣味なのよ」
「少女趣味?」
思わず聞き返した。ブルマが少女趣味?
どこをひっくり返してみても、そんな記憶は見つからなかった。あいつがその手の格好をしているところなんか、見たこともない。したいという言葉すら、聞いたことがない。
「そ。デザインじゃなくて、シチュエーションとか。って、たぶん知ってるわよね。だから、あなたのあげるものなら何でもいいわよ、きっと。気楽に選びなさいよ」
俺の心に浮かんだ笑みは完全に固定された。まったく彼女の言うことは的を得ていた。俺の知っている、でも忘れかけていたことを、彼女が掘り起こしてくれた。確かにあいつはそうだ。これまでに何度も、そういうことを求める声を聞かされた。
他人を厳しく見つめる目。歯に衣着せぬ物言い。
彼女がブルマにとって、いい友人なのかどうかはわからない。でも、同類であることは確かだ。
「恩に着るよ」
俺は素直にそう言った。いつの間にかそうなっていた、普段遣いの口調で。
「どういたしまして」
彼女はわざと衒いを見せることによって逆にまったく衒いなく、笑って言うとさっさと店を出て行った。その後姿を見送りながら、俺は思った。
ああいうタイプなら、俺も気兼ねなく話せるな。
女性として見られるかどうかはまた別だけど。


鋭く相手の意を読む、同類の友人を持つ俺の彼女は、その夜、まったく俺の意を読んでくれなかった。
初日のホームゲームを観戦にきてくれたのはいい。その後、一緒にビールを飲んだのもまたよしだ。
だが、その後がよくない。
程よい酒に頬を赤らめながら、自室のデスクに向かって研究を始めたのだ。信じられるか?
せっかく俺が帰ってきたのに。3ヶ月ぶりなのに…
昔は俺が1ヶ月いなくなっただけでも、文句を言っていたのに。ひどい変貌ぶりだよな。
「なあ、まだ終わらないのか?」
「もう少し。これ全部仕込み終えたらね」
さりげなく水を向けた俺の言葉にも、まったく平然としてブルマは答えた。
こいつ、他人のことに関しては結構鋭いくせに、自分のこととなると途端に鈍いんだよな。俺には女の心を読めと言うくせに、自分はさっぱり俺の心を読もうとしない。なんて勝手な人間なんだ。
一時期、妙に読まれたこともあったけど…あれは夢だな。
だが、俺は苛立ちはしなかった。半ばは慣れ。そしてもう半分は諦めだ。
退屈を持て余して、スツールに陣取りデスクの上の物品を弄くっていると、ふいにブルマが口を開いた。
「珍しいじゃない、あんたの方から誘ってくるなんて」
偉そうな口ぶりで仁王立ちするブルマに、俺は思わず言い澱んだ。
「お、俺は何も…」
「何言ってんの、バレバレよ」
おまえなあ。
わかっていたなら、もっと早くに応えろ。あんまり恥かかせないでくれ。…それとも遊ばれてるのかな…
着ていた白衣をおもむろに脱ぎ捨てると、ブルマは飄々とした顔で言った。
「で、どっち?」
「何が?」
「あんたの部屋?あたしの部屋?」
俺はまったく言葉を失った。
雰囲気がないにも程がある…!!
単刀直入なのがこいつのいいところだと思ってはいるが。TPOってものがあるだろ。こいつ、本当に女なのか?
…まあ、それは俺が一番よく知っているわけだが。

結局、俺はブルマの部屋を出なかった。どちらでもよかったからだ。それはたぶんブルマも同じだ。実際、あの言葉の後すぐに――ほとんど同時に――、ブルマは俺の膝に乗ってきた。
それなのにわざと訊いてみせるのが、こいつの嫌なところなのだ。…やっぱり遊ばれてるのかもな、俺。
それでもなぜか、俺はこいつのところに戻ってきてしまうんだ。どうしてだろうな。
ずっと前からそうだ。付き合い始めた当初から。こいつの怖いところも厄介なところも、過ぎるほど知っているはずなのに、なぜか惹かれる。引かれる、という方が正しいかもしれない。
気づかないうちに、何か食べさせられたんじゃないだろうか。磁力を発するキャンディとか。
ありそうなことだ…

生まれたままの姿になったブルマの横に、自分は服を着たまま俺は座り込んだ。ポケットにそれが入っていたからだ。
不審そうな顔をするブルマの首に、それをかけてやった。本当はベッドの中でしたりすれば、なおのこといいんだろうけど。俺にはそんなスキルはない。
やはり不審はそのままに、ブルマは呟いた。
「何これ?」
「何って、ネックレスだよ」
「これ、どうしたの?」
緩む口元を自覚しながら、俺は少々もったいぶって答えた。
「俺が初めて自分で稼いだ金で買った物だ」
初めて『使った』わけではないけど。残る物としては初めてだ。
数瞬、沈黙が訪れた。てっきり礼を言われるものと思っていた俺は、それを破ったブルマの言葉に、思わず耳を疑った。
「嘘…」
ひどいよな。ひどすぎだぞ。
それを疑うか?確かに俺がこういうことをしたことは、今までになかったけど。でも、嘘をついたことだってなかったはずだ。
「嘘じゃないって」
それを信じたのかどうかはわからない。…まあ、普通は信じるだろう。とにかくブルマは口を噤んだ。そしてつけてやったばかりのネックレスを、まじまじと見始めた。俺の存在を忘れているんじゃないかと思えるほど、まじまじと。
かわいいよな、こういうの。かわいくて、すごくうれしい。俺もあげた甲斐があったというものだ。こいつのこういう、わかりやすいかわいさに惹かれたんだよ、俺は。…最初はな。
この時のブルマは、俺に昔の気持ちを思い出させた。そういうことが普段まったくないというわけではない。でも今日は、特にそれが強かった。

なんか幸せだなあ、こういうの。
一糸纏わぬ姿をしたブルマが、俺のあげたものだけをつけている。その姿で笑っている。うまく言えないけど、心を満たすものがある――なんでもしてやりたくなってしまうな。
まだ酔ってるのかな、俺。そうかもな。でもいいさ。
こういう酔いなら大歓迎だ。

「えへへ」
緩んだ口からそう声を発すると、ブルマはその手を俺のシャツのボタンへと伸ばした。…こいつ、本当にわかりやすいな。
でも、今日はそうはさせない。さすがにそれでは、男が廃るというものだ。




俺たちは霧がかった瞳で、しばらくぼんやりとベッドに横になっていた。先に気力を回復させた(らしい)ブルマが、おもむろに口を開いた。
「あんたにしては、センスのいいものを選んだわよね」
何のことを言っているのかは当然わかった。俺は苦笑しながら、それに答えた。
「まあな。大変だったけど」
普通、貰った人間はこういうこと言わないよな。こいつ、本当に機微ないんだから…
楽だけどな。俺も機微なく答えることができるし。
「恥ずかしかった?」
「それはそうでもなかった。ただ店員がな…」
「店員が?」
ブルマにそう訊き返されて、早くも俺は喋りすぎたことに気がついた。
「えっと、その…あまり使い物にならなかった」
何とか俺は誤魔化した。さすがに指輪のことを言うのはちょっと…こいつが少女趣味だとするとなおさらだ。『そっちの方がよかった』などと言われかねない。
「じゃあ、自分で選んだのね」
「まあな。助言は貰ったけど」
正確には、喚起されたというべきかな。あれには結構助かったな。こいつの方からも礼を言っておいてもらうとするか。
俺はすっかり寛いでいた。今感じている幸せと、それに至る過程で起こった偶然の楽しさが、俺にそれをもたらした。
「どういうこと?」
「おまえのことを知ってる人間が、偶然いたんだよ」
もったいぶって、俺は答えた。まったく奇妙な偶然だよな。こいつもきっとそう思うに違いない。
「男?女?」
「女。おまえの学…」
俺の寛ぎは、ここで終わった。突然ブルマが体を起こして、その声を張り上げたからだ。
「何それ!信じらんない!!あんた、女に選ばせたわけ!?あたしへのプレゼントを!?」
「いや、選ばせたっていうか、ただそこで会った…」
「同じよ!!」
その顔を見る暇もなかった。瞬時に俺はブルマに背中を蹴りつけられ、気づけばベッドから落とされていた。
こいつ、どこにこんな力が…火事場の馬鹿力ってやつか!?
「出てって!!」
「ちょっと待て、ちゃんと話を…」
「うるっさい!!」
すでに俺にはわかっていた。ブルマが誤解しているということが。
今はこれ以上話を聞いてもらえないということが。取り付く島のない段階に入られてしまっているということが。
おまえってやつは…!
そう咎めてやりたいところを必死に我慢した。それは事を荒立てるだけだ。過ぎるほどに知っている、経験からくる事実だ。
溜息を堪えて、自分の衣服を探した。ブルマがそれを、背中越しに投げつけた。
まったく、こいつは…!
その呟きも呑み込んで、俺はブルマの部屋を後にした。


さて、どうするかな…
頭の隅にその悩みをおきつつ、俺はバットを振っていた。ベースボールスタジアムの選手控え室で。
5連戦だからな。時間はたっぷりある。…俺にとっては。
問題はブルマだ。あいつの頭が5日間で冷えるかどうか。…おそらく無理だろうな。ある程度冷えないと話のしようがないんだが…困ったものだ。
一つだけ策がないこともないが、出来ればそれは使いたくない。というより、断然使いたくない。こんなことに巻き込みたくはない。せっかく助けてもらったのに。
結局いつもと同じか。しばらく離れるしかないのか…
早くも出てしまった結論を念頭に、俺はバットを振り続けた。




5連戦の3戦目。ナイトゲーム。間もなく俺の初打席がやってくるというその時。バッターボックスへと向かう途中で俺は見た。
バックネット裏のBOXシートに菫色の髪。
青く激しく燃え立つ瞳。つり上がった眉。頑なに引き結んだ口元。大仰に仁王立ちしてグラウンドを睨みつけるその姿――
怖…!!
来てくれたのはいいが、怖すぎだ。他の観客が寄りつかないじゃないか。
…まあしかし、来てくれたということは、話をする気になったということだ。よかった…
それにしても怖い。後ろから睨みつけないでくれ。全打席これか…かつてなかったプレッシャーだな。
だがまあ、いいさ。
どうせ俺は別格だ。

正直、俺は調子が出なかった。だが、対外的にはいつもと同じ成績をキープした。
だって、球が止まって見えるんだ。これで打てなきゃ武道家やめるさ。


試合後のミーティングをパスして(言わば特権だ。正式選手じゃないし。いつもは参加してるけど、今日はパスした)、専用通用口を潜ると、ブルマがいた。
声も届かぬ距離から放たれる視線。それだけで、ブルマの状態は容易に読み取れた。
怒っている。まあそうだろう。まだ2日しか経っていないからな。話をする気になったというだけでも奇跡だ。
さて、どこから話を始めるべきだろう。
話さえさせてもらえれば、怒りは解けるに違いない。完全に誤解なんだから。問題は切り出し方だ。いきなり切り出したら、また怒鳴られるんじゃないかな…
考えつつ俺は歩いた。歩を止めれば、逆鱗に触れるだろうことがわかっていたからだ。そういう仕種的な部分はわかるんだよな。こいつ、喜怒哀楽わかりやすいし。問題は、心の内がさっぱり読めないということだ。
そして、この時もやっぱり俺は読めなかった。ほぼ手の届く距離まで俺が歩きついたその時、ブルマが大声で叫びたてた。
「あたしの幸せ返してよ!」
「は?」
まったく呆然とした。…何だって?
「あんたはどうか知らないけどね。あたしは感じたの!だから返してよ!」
何を?
さっぱり意味がわからない。心当たりがないとかではなく、言葉の意味がわからない。こいつ時々、妙に迂遠な表現使うよな。いつもは単刀直入なんだから、最後までそれを通してくれればいいのに。変なところだけ女なんだから…
俺が頭を掻きかけた瞬間、ブルマがぽつりと言った。完全に怒りの取り除かれた声音で。
「一緒に寝よ」
…どうしてそうなるんだ。
そう言ってやりたいところを、俺は必死に我慢した。やぶへびになることが明らかだったからだ。
それに、こいつはいつもこうだ。
いつもいつも、勝手に騒いで、勝手に解決するんだ。そして俺には何の説明もなしだ。なんて自分勝手な人間なんだ。
だが、俺は苛ついたりはしなかった。1つには慣れ。1つにはもっと大きな――
愛情だ。


とりあえず怒りは解けたらしい。その事実だけを、俺は受け入れた。
それ以上は考えても無駄だ。こいつの考えていることは、いつだって俺にはわからない。いや、俺じゃなくともわからないに違いない。こいつは飛躍しすぎなんだ。
俺が軽くキスをすると(正直、このわからなさの中ではこれ以上する気にはなれない)、にこやかな笑顔でブルマは言った。
「で、どっち?あたしの部屋?あんたの部屋?」
…こいつ、本当に雰囲気ないな。
そうは思ったが、俺は答えた。
「じゃあ、俺の部屋…」
どちらでも構わない。そう考えたのは間違いだった。やっぱり、俺の部屋の方がいい。
自分の部屋なら、追い出されることもないだろうからな…


「どうしてちゃんと話さなかったのよ」
言ってブルマは俺の上になり、深く口づけた。
おまえが聞く耳持たなかったんだろ。
そう言ってやりたかったが、言えなかった。…口を塞がれていたので。
「だいたい、言い方が悪いわよ。最初からディナだって言えばいいのに」
言うとすぐに、ブルマは俺から離れ、自分の口を塞いだ。
それは俺が悪かった。
そう謝りたかったが、言えなかった。…声を殺すことに腐心していたので。
こいつはいつもこうだ。
いつもいつも、こういうやり方をする。いいんだか悪いんだかわかりゃしない。…いや、本当はわかってるけど。
「あ、待て…」
殺していた声を生き返らせた。自身を生かしておくために。
「ん?」
「えっと…」
「あ、もうダメ?」
あっけらかんとそう言うと、ブルマは俺のところに戻ってきた。どうしてこういう時だけ単刀直入なんだ。本当に雰囲気ないよな。
だけど、絶妙なんだよな、こいつ。
態度がさ。こいつ自身は気づいてないのかもしれないけど。
意外に好きにさせてくれるというか…苛められた後でも、苛め返してやろうとは思わないんだ。
それを端的に言い表す言葉を、俺は知っている。でもきっと、言っても誰も信じないだろう。

「かわいい」なんてな。
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