微進の女
全国空手道選手権大会から一週間後。俺はブルマと遊園地に行く約束をしていた。
正確に言うと、約束をずらしてもらった。経緯は前話参照だ。

「何だ、おまえたちも来るのか?」
約束の時間になっても部屋から出てこないブルマを、リビングで2杯目のコーヒーを飲みつつ待っていると、プーアルとウーロンが明らかにそれとわかる格好でやってきた。
プーアルの背中に黄色の小さなリュック。ウーロンの手元には遊園地ガイドマップ…
「ほら、やっぱりダメだって、ウーロン…」
萎縮したように眉を下げるプーアルとは対照的に、ウーロンの態度は堂々としたものだった。
「構いやしないって。俺はこいつらのケンカに、さんざん付き合わされてるんだからな。こういう時だけ外そうたって、そうはいかないぞ」
ある意味最もであるその意見を俺が退けかけていると、ようやくブルマがやってきた。
ピンクのチューブトップにデニムのショートパンツ。…似合ってるしかわいいんだけど、あまりいつもと変わらない。女の子って、一体どこに時間かけているんだろうな。
「おまえ、遅いぞ。遊びに行く時まで遅刻かよ」
ブルマの姿を認めるなりそう叫んだウーロンに、俺は思わず舌を巻いた。
…こいつ、勇気あるなあ。
毒舌家だとは知っていたけど、ブルマに対してまでそうなれるとは。肝の据わったやつだ。
「まあいいか。早く行こうぜ」
言いながらリビングを出ていこうとするウーロンに、ブルマの怒声が降りかかった。
「は?何それ。どうしてあんたたちまで来るのよ!」
「いいじゃねえか、邪魔しないからよ。だいたい、どうせおまえら何もしないんだろ?」
「あんた、何てこと言うのよ!」
俺はひたすらカップの底を眺めていた。…目の前でそんな会話しないでくれ。
確かにするつもりはなかったけど、しないつもりだってなかったのに。そういうものだと思っていたのだが。…違うのか?
「まったく、図々しいったらありゃしない!」
ブルマはブルマらしい表現で、結局はウーロンとプーアルの同行を許した。
ブルマとウーロンはなかなかいい勝負だ。俺はそう思う。


「やっぱり最初はジェットコースターからよね!」
遊園地のゲートを潜るなり、まったく誰の意向も訊かぬまま、ブルマが言い放った。
まあ、構わないが。遊具を争う子どもじゃあるまいし。黙認する俺とプーアルをよそに、ただ一人ウーロンだけが呆れたように口を開いた。
「おまえって意外性のないやつだよなあ」
「何それ、どういう意味よ」
ブルマが眉を寄せた。ウーロンの言わんとしていることが、俺にはわかった。
いかにも、って感じだもんな。通常、その手のイメージは覆されがちなんだけど、ブルマは本当に覆さない。良く言えば本音で生きている、悪く言えば機微がないってところか。
さしたる感慨もなくその結論に辿り着いた俺の耳に、ブルマの喚起の声が入った。
「ところでプーアル、あんたはどうするの?たぶん身長制限で引っかかるわよ」
最もな意見だ。だがプーアルにとっては、なんらの問題にもならなかった。
「そうだな。プーアル、今のうちに変身しておけ。子どもあたりが妥当だろう」
「はい、…変化!!」
プーアルはすぐさま、俺の言葉に反応した。ウーロンよりはやや身長が高めの、ミドルスクールの頃合と思われる少年が目の前に現れた。ブルマが呆れたような目で俺を見た。
「あんた、こんな時だけ知恵働くのね」
「構わないだろ。本人の安全が図れればそれでいいんだ」
「それはそうだけど」
呟きと共にブルマは俺から目を逸らし、どことなく宙を見つめた。…俺、何か変なこと言ったかな?
ブルマによって抱かされた俺の懸念は、ブルマ本人によって吹き飛ばされた。
「じゃあ行くわよ。まずはジェットコースター3連発ね!」
元気よくそう叫んでコースターの方へと歩き出したブルマの後姿を、俺はプーアル、ウーロンと共に慌てて追いかけた。


ブルマは本当にイメージを覆さなかった。
ジェットコースターをたて続けに3つ乗ったその後に、バイキング。ついで垂直ループコースター。ローター。…タフだなあ。三半規管が強いのかな。
まあ、構わないけど。俺も特に弱いわけではないし。
とは言え、俺を除く2人には少々過酷な巡回コースであったらしく、まずはウーロンが苦々しげに切り出した。
「おまえ、絶叫系しか乗らないつもりかよ…少しはバランスとろうぜ。観覧車とか、コーヒーカップとか」
「メリーゴーラウンドやお化け屋敷もありますよ」
遊園地マップを広げながら、プーアルが言い添えた。それにはブルマではなく、ウーロンが答えた。
「お化け屋敷っていうのはな、カップルで入るものなんだよ。こいつらが行くと思うか?」
「どういう意味よ、それ!」
俺はまったく貝になるしかなかった。
言ってくれるよな、ウーロンも。こういうこと言うの、趣味なのかな。
それにしても、俺とブルマってそんなに恋人らしくないかなあ。俺は結構、付き合ってるという実感持ってるんだけど。
怒りを露にしながらも、ブルマはウーロンの言を軽く流した。やっぱり、どっちもどっちだな。
「観覧車は最後よ。コーヒーカップは乗ってもいいわ。メリーゴーラウンドは適当にね」
1つだけ外されたものがあることに、俺は気づいた。プーアルが俺を代弁した。
「お化け屋敷は行かないんですか?」
「ああいう非科学的なものは好きじゃないのよ」
きっぱりと言い放ったブルマの姿勢に、俺は疑問を感じた。
「お化け屋敷は非科学的なのか。じゃあ、他のものは科学的なのか?」
そもそも遊園地に『科学的』とかあるのだろうか。いくら科学者の娘だからって、少しこじつけが過ぎやしないか?
ブルマは俺に一瞥をくれると、やはりきっぱりとした口調で言った。
「大概の遊具は綿密な計算の元に設計されてるのよ。心理学的見地からのチェックも入るし。でも、綿密なお化け屋敷なんて聞いたことないわ」
頑なに言葉を並べるブルマを、俺はそれ以上追及しようとは思わなかった。説得力があったことももちろんだが、ブルマの口調そのものに、何だか妙な迫力を感じたからだ。…気のせいだろうか。
余程のことがない限り、ブルマには逆らわないほうがいい。そして、これは余程のことでは全然ない。
「ふーん」
頷きと共に再び貝になった俺の耳に、次なる指令が届いた。
「じゃあ、コーヒーカップね。その次はジェットコースターよ!」

陽が高く昇り、陽気もだいぶん暖かくなってきた。朝には涼しかった秋の風も、今ではすっかりやんでいた。
「あー、喉渇いた!」
言うが早いかブルマはベンチに腰を下ろし、ほとんど同時にウーロンとプーアルを指差した。
「あんたたち、飲み物買ってきて!あたしストロベリーマキアートね。ダブルホイップ。シロップは少な目。ミルクはブラベ、多目でね」
「注文多いぞ、おまえ。そこまで注文つけるなら、自分で…」
目を丸くするプーアルとは対照的に、ウーロンはすぐさま反論した。しかし、それは完全にやぶへびだった。
「何言ってんの。あんたたちが買いに行くのが筋ってもんでしょ!キャッシュはプーアルに預けておくから。ナンパなんかせずに、さっさと買ってきなさいよ」
ブルマから紙幣を受け取りながら、プーアルがにこやかに言った。
「ヤムチャ様は何になさいますか?」
「うん、じゃあアイスコーヒー」
「行こう、ウーロン」
プーアルと、それに引き摺られるようにしてウーロンが、人込みに入っていった。小柄な2人が雑踏に揉まれる様を目の当たりにして、俺は少々心配になった。
「2人だけで大丈夫かな。やっぱり俺も行って…」
途端にブルマがベンチから立ち上がった。
「あんたは行っちゃダメなの!」
「何で?」
ブルマは答えなかった。ただ怠そうな目で俺を見た。怒ってる…
…わけじゃないよな。
その瞳の色を確かめて俺が安堵の息を吐いた時、ふいにブルマが叫んだ。
「ヤムチャ!あっちの方に行くわよ!」
言葉と共に、袖口が引かれた。身体のバランスを取りながら、足早に立ち去ろうとするブルマの顔を見た。
「でもプーアルたちが…」
「すぐ戻るから!」
何だ何だ何だ。
問答無用といった呈で、ブルマは俺の袖を引き続けた。
余程のことがない限り、ブルマには逆らわない方がいい。そして、これは余程のこと…じゃないよな。

まったく何の説明もしないまま、ブルマは俺の袖を引き、あまつさえ強引にパススタンプの押された手をかざして、すぐ近くにあったアトラクションに入った。
「一体何が…」
まったく意味のわからないこの行動の理由を訊ねようとして、俺はブルマの様子がおかしなことに気がついた。
今の今まであんなに元気よく歩いていたのに、なぜか急に呆然としたように、立ち竦んで動かない。
「どうかしたのか?」
答えを得るまでには、数拍の間を要した。
「嫌いなのよ、お化け屋敷!さっきそう言ったでしょ!!」
確かにそう言っていたけど。…でも、自分で入ったのに。
そう、俺たちが今いるところはお化け屋敷。さっぱりわからない展開だ。まあ、いいけど。俺は別に嫌いじゃないし。
問題はブルマだ。嫌いなのにどうして入ったのかも謎だけど、とりあえずそれは置いておくとして…
「どうしてそんなに嫌いなんだ?」
どう見ても、この嫌がり方は異常だ。非科学アレルギー…?いや、そんなものないよな。
俺が訊くと、ブルマは堰を切ったように喋りだした。
「置き去りにされたの!昔、父さんと母さんに。しかもあの人たち、それに気がつきもしなかったのよ!3つの娘がいないことに1時間も気づかないなんて、どういうことよ!その後だって悪びれもしないでさ、さんざん笑い話にされたんだから!」
瞬時に、ブリーフ夫妻の姿が脳裏に浮かんだ。…ありそうなことだ。
「俺はそんなことしないけど」
「当たり前でしょ!したら殴るわよ!!」
ブルマの元気はすっかり回復していた。…ように見えた。だが、荒い語気に反してまったく動かないその足を見れば、それが空元気であることは明らかだった。
それはそうだろう。トラウマってそういうものだ。
俺の観察を裏付けるように、ブルマが溜息をついた。3つ目のそれを聞きながら、俺はブルマの手を取った。
途端にブルマが噛みついた。
「ちょっと、何するのよ」
「だって、怖いんだろ?」
何とかしてやりたいけど、何も思いつかないし。せめてもの気休めだ。
「な、何言ってんのよ!怖いわけないでしょ!」
「でも、今トラウマだって…」
俺がその言葉を出すと、ブルマは口を噤んだ。…あ、まずかったかな。
言わない方がよかっただろうか。逆撫でしてしまったかな…
数瞬の後、ブルマが口を開いた。その強気な声は、何かを耐えているように少しだけ震えていた。
「そうよ、トラウマなの。でも、怖いわけじゃないわよ。何て言うかこう…気になるだけよ!」
「うん、わかるよ」
誰にだって、弱みの1つや2つはある。全然恥ずかしいことじゃないさ。
でも意外だな。ブルマがそんな子どもの頃のことを、今だに気にしているなんて。吹っ切り良さそうに見えるのに。
怖いものなんか何もないように見えるのにな。
「じゃあ、行くか。できるだけゆっくりな。怖かったら言えよ」
俺がそう言うと、ブルマは意を決したように、俺の手を握り返した。

ブルマは一度も『怖い』とは言わなかった。だが態度がそれを如実に表していた。
俺の手は決して離さずに、ブルマは時折俺の背中に隠れ、幾度も口を押さえた。
「我慢しなくてもいいけど」
「へ、平気よ!」
どう見ても平気とは思えないのだが。怒鳴る声も震えているし。
強がりを言いながらたびたび俺の手に力を込めるその様に、不謹慎ながらも俺は思ってしまった。
かわいいな。
…と。


30分は経っただろうか。
お化け屋敷のゲートを完全に潜り出たところでようやくブルマは手を離し、小さな息を1つ吐くと、次にはいつもの口調となった。
「じゃあ、戻りましょ」
そうしてさっさと踵を返した。俺もそれに倣ったが、一歩を踏み出すことはなかった。すぐ目の前に、プーアルとウーロンがいたからだ。
安心したように俺の肩へと飛んでくるプーアルとは対照的に、ウーロンはブルマの頼んだストロベリーマキアートを啜り込みながら、白々しい目で呟いた。
「おまえら、やらしいな。2人きりになった途端、お化け屋敷なんか入りやがって」
「あんた、何てこと言うのよ!」
だから、そういう会話は止めてくれって…ウーロンもあまり言わないでくれよ。少し、微妙なんだからさ。ブルマはどう思ってるか知らないけど。
ブルマとウーロンの戦いは長引いた。
「どうりで注文つけると思ったぜ。いやらしいな、おまえ」
「違うっつーの!」
「隠すな、隠すな。ダメだなんて言ってないだろ。おまえらだって、一応カップルなんだからな」
「一応って何よ!一応って!!何も知らないでそういうこと言うのやめなさいよ!」
「知るようなことあんのかよ」
「失礼よ、あんた!あたしたちだってねえ――」
俺は気づいた。ウーロンの減らず口に、ブルマが誘導されかかっていることに。
珍しいな、ブルマが流されるなんて。…まあ、あんなことの後では無理もないか。
俺は、傍らの忠実な僕に目をやった。
「あー、プーアル、もう一度飲み物買ってきてくれないか。そうだな、アイスコーヒー。シロップ多目で」
「はい!ヤムチャ様」
俺の意を理解したのかどうかはわからないが、ブルマもすぐに乗ってきた。
「ウーロン、あんたも行くのよ。ストロベリーマキアート!ダブルホイップ、シロップはバニラで少な目、ベリーソース追加、ノンアイス。ミルクはブラベ、多目でね!」
そこまでやるのか。…ひょっとして、俺余計なことしちゃったかな。
「人遣い荒いんだからな…」
不貞腐れたように呟いて、ウーロンはプーアルと共に、ショップへと消えた。それを横目に大きく溜息をつきながら、ブルマがベンチに座り込んだ。かろうじて勝った、というところか。
「あんたも座れば?」
それでも未だ強気を覗かせるその声に、逆らう気は俺にはなかった。
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