緩進の女
「何このラスト。最悪!」
怒りを撒き散らしながら、乱暴にテレビを消したブルマに、ウーロンが噛みついた。
「おまえ、消すなよ。見終わったんなら、おれにリモコンくれ」
「勝手にすれば!…あー、毎週見てて損した!」
言いながらブルマはどっかりとソファに沈み込み、一方のウーロンはソファから身を離して、床に放り投げられたリモコンを拾い上げた。
「ドラマに怒ったってしかたないだろ。本当にわがままなんだからな」
「何言ってんの!普通こういうのはハッピーエンドで終わるはずでしょ!さんざん気を持たせておいてバッドエンドなんて、視聴者を甞めてるにも程があるわよ!」
ブルマの口調はまったく熱を帯びていた。女の子って、本当にドラマが好きだよな。まるで我がことのように熱中する。正直言って、わからない感覚だ。
俺はそのドラマを、今の今まで見たことはなかった。ただ偶然、今日、最終回のラスト10分を目にした。それだけだ。それだけではあったが…
「あれバッドエンドなのか?雰囲気的には違うように感じたけど」
それだけではあったが、ブルマの言うことは少し違うような気がした。何と言うかな、余韻のある終わり方だったように感じたのだが。
俺が言うと、ブルマは白けたような目をして、こともなげに言い放った。
「何が雰囲気よ。あんな中途半端なの許せるわけないでしょ。テレビ局に文句言ってやるわ!」
なるほど、こういう人間が抗議の電話をかけるのか。目の当たりにするのは初めてだな。
「それとリサーチ会社にも!父さんにも、スポンサーにならないように!」
すでに一個人の影響力を超えている。金持ちって、やっぱり強いよなあ…


そう感じたのは、どうやら俺だけではなかったらしい。というより、一般的な感覚であったようだ。
「見てよこれ。映画のチケット、こんなにもらっちゃった!これでしばらくはチケット買わずに済むわ」
テレビ局から送られてきたという映画のチケットは、ほとんど札束並みの厚さだった。嬉しそうにその封を切り出したブルマを見て、ウーロンが白々しい目で呟いた。
「おまえ、金持ちのくせにセコいな」
「何言ってんの。当然のことでしょ!あたしは視聴者の権利を行使したまでよ。向こうだってあたしに理ありと思うから、こうして送ってきたんでしょ」
それはちょっと違うような気がする。セコいとまでは思わないけど、やっぱり強引だよな。
まあ、ブルマはいつも強引か…
「早速行くわよ。封切りたてのミステリー。明日の放課後ね!」
「いいよ」
しかし、それは言うまい。俺もこうして恩恵を受けているわけだからな。
俺の返事にブルマはにっこりと笑みを閃かせ(ひさしぶりだな、こういう笑顔)、当面のチケットを別に取り出した。すかさずウーロンが言った。
「明日の何時だ?」
「何であんたが訊くのよ」
軽い睨みと共に放たれた、ブルマの台詞の言外の意を、ウーロンはいつもの調子で突っぱねた。
「おまえ、話するだけしといて、外すなよ。どうせおまえら何もしないんだろ?」
「シアターで何をするっていうのよ!」
「連席じゃなくてもいいからよ。おまえらには何にも期待しとらん」
「予約席なんだってば!」
ウーロンの気持ちも、少しはわかる。ブルマが怒るのにも、わりと頷ける。
というか、そういう会話は止めてくれ…
最後の思いに強く背中を押されて、俺は仲介役を買って出た。
「まあ、いいじゃないか。チケットはたくさんあるんだろ?」
「さすがおまえは話がわかるなあ」
「もうー!」
ブルマの睥睨が、こちらに向けられた。ヤバイ。やぶへびだったか?
俺が一瞬身を固くしていると、大きく息を吐きながら、呆れたようにブルマが言った。
「しょうがないわね。じゃあ、夕方の回ね。チケットは渡しておくから、勝手に入りなさいよ」
それを聞いて、俺もまた息を吐いた。


「ヤムチャ、行くわよー」
翌日の放課後。予告どおりブルマが俺のクラスへとやってきた。
俺は即座に対応した。瞬時に席を立ったのだ。それまでたいして身も入れず俺と話をしていたクラスメートの一人が、やはりたいして気を入れずに呟いた。
「おまえら、仲いいな」
なにげないその声に、俺は思わず本音で答えた。
「どうだかな…」
たぶんここは『まあな』と答えるところなんだろうけど。ちょっと、そこまでは言い難いよな。
まあ、特に悪いとまでは思っていないけどな。
シアターへの道を僅かに逸れながら、ブルマは元気よく言った。
「まだ時間あるから、ソフトクリーム食べていこ!」
「いいよ」
俺がそう答えると、ブルマは横目で秋波を送りながら笑みを零した。
何だかすごく機嫌がいいな。…いや、機嫌を窺ってるってわけじゃないけど。ブルマは感情の切り替わりが激しいからな。少しどきどきするんだよな…
ブルマの気に入りだというソフトクリームショップで、俺はアイスコーヒーをオーダーした。喉が渇いていたし。そういう時に、いきなりソフトクリームを流し込むのはどうもな。それにシロップを2つばかり投入していると、少々微妙な声音で、ブルマが言った。
「あんたって甘党なのかそうじゃないのか、よくわからないわね」
「そうか?甘党じゃないと思うけど。コーヒーは別だろ」
甘いものが特に苦手というわけではない。ただ、たいていの甘いものに付随している、クリームのあのくどさがダメなんだ。今まではそういうものを食べる機会自体がなかったので気づかなかったが、ブルマといるようになって、それがわかった。アイスやパフェなどのクリームものを、ブルマは本当によく食べる。そしてそれはたいてい…
「…あのさ。ひょっとして、イチゴ好き?」
密かに感じていた事実を、俺は率直に確かめてみた。途端にブルマの顔色が変わった。
「ちょっと、何それ!」
「え?いや、だって…」
険を含むとまではいかないが、僅かに憤った口調。俺、何かマズイこと言ったか?
「あんた、今頃それに気がついたの!?毎朝フレッシュイチゴ食べてるでしょうが!デザートだってイチゴばかりよ!」
それは知っている。今食べているのもイチゴ味だし。…だから気づいたんだけど。
俺がそれを言うより早く、ブルマが息巻いて言った。
「信じらんない。あんた鈍すぎ!」
「何でだよ?」
気づいたのに。そして当たっていたのに。どうしてそうなるんだ。
まったくもってわからない。…ブルマって、本当は俺のこと嫌いなんじゃないのか?

まさか本気でそう思ったわけではない。ブルマも本気で怒っていたわけではない。それくらいのことはわかる。というか、こんなことで本気で怒られては、いくらなんでもかなわない。
そうは思っているのだが、元気がいいと言うには荒すぎる足取りでやや先を行くブルマの、隣に並びかけるべきか否か、俺は迷った。
俺は気が弱くはないはずだが、こういう状態の女の子の横に行くのって、正直言って勇気いるよな。特にブルマは、いつ爆発するのか本当に読めないし。心臓に悪過ぎだ。
こうなると、俄然ウーロンが偉大に思えてくる。なり代わりたいとは思わないが。あいつはいつもブルマに突っ込んでいっては、負けてるからな。野郎相手になら俺もそうできるが、ブルマ相手にそれをするのはちょっとな…
ブルマが交差点を渡りかけた。さすがにそこで俺は並びかけようとして、瞬時に気づいた。
色の変わった直後の横断歩道。止まる気配を見せない一台のエアカー。それにも関わらず足を止めない二人の人間――おまえら、前を見ろ、前を!
「ブルマ!」
即行で駆け、それを引いた。ブルマの身と、その隣にいた子どもの手を。子どもは数歩後ろに尻餅をつき、ブルマは俺の腕の中に収まった。ほぼ同時に、その声が飛んできた。
「ちょっと、何するのよ!」
「おまえこそ何してるんだ。気をつけろ!」
ブルマと子どもと、走り去ったエアカーのドライバーに向かって、俺は反射的に怒鳴りつけた。そのことに、俺は気づかなかった。
「おまえ!?」
ブルマの声がそれを教えた。尖ったその声と強まる瞳の色に、俺は自分の失敗を悟った。
「あ、いや…ブルマ…さんこそ…」
ブルマは瞬きもしない目で俺を見ていた。例によって、俺の心臓は高まりだした。
「悪いのは向こうだけど、気をつけないと。車より歩行者の方が弱いんだから。…あ、ほら、早く渡らないと信号が変わる…」
口は勝手に動いた。身体も勝手に動いた。俺はブルマから目を逸らし、歩を先んじた。心中はどうかわからないが、ブルマはそれ以上怒りをぶつけてはこなかった。俺は気づかれぬよう、安堵の息を小さく吐いた。
あー、危なかった。
つい、他のやつらと話してるつもりで言っちまった。考え事してたし。それに気が動転してたから。
やっぱり、ウーロンは偉大だな。あの瞳と対峙するなんて、俺には無理だ…

横断歩道を渡りきったところで、ブルマが並びかけてきた。そして、無言のうちに俺を先導しだした。俺が街中の道を、あまりよく知らないからだ。
ブルマはもう怒ってはいないように、俺には見えた。それでもなんとなく俺が無言になっていると、ふいにブルマが歩を緩めた。目の前にシアターのゲートがあった。俺が気づくと同時に、偉大な人物が口を開いた。
「遅いぞ、おまえら」
ウーロンだ。ブルマが素っ気なくそれに答えた。
「あんたとデートしてるわけじゃないのよ」
一刀両断。やっぱりブルマは強いな。
「おまえ、遅れてきておいてそれかよ」
「勝手に入ってろって言ったでしょ」
問答を続けながら、ブルマとウーロンはゲートを潜っていった。俺とプーアルは苦笑しながらそれに続いた。

席につこうとする時までも、ブルマとウーロンの戦いは続いていた。
「ちょっと、勝手に座らないでよ。ヤムチャがここ!ウーロンはあたしの隣にこないでよ!」
「どういう意味だよ、それ」
「あら、言わないとわからないの?」
ブルマの考えていることはよくわかる。ウーロンの不満は自業自得だということも、よくわかる。
わかるけど、あまり大声出さないでくれ。周囲の視線が…
「プーアル、おまえブルマとウーロンの間に座れ」
言わば恥を凌ぎたい気持ちから、俺はプーアルにそう命じた。
なんか俺、こういう役ばっかりだな。別に嫌だというわけではないけど、いいとも言い切れないな。どうして俺がブルマとウーロンの仲を調整しなくちゃならないんだ。むしろ俺がそれをしてもらいたいくらいなのだが。だって、確か、付き合ってるのは俺とブルマのはずなんだからな。
今はケンカしてるわけじゃないから、まあいいけど。


映画を観終えた後は、映画談義。ありがちなその流れは、俺たちの間にもあった。シアター向かいのカフェで、それはなかなか白熱して行われた。
「だから、主人公が犯人なんだってば!本当に解らなかったわけ!?」
ショートケーキのイチゴをつつきながら、ブルマが怒声を上げた。
「マジかよ。あれってそういう意味なのか?」
「よく解りませんでした」
「俺は解ったよ」
口を尖らせるウーロンと目を丸くするプーアルを横目に、嫌味にならないよう気をつけながら、俺は言った。
「解りにくいなとは思ったけど。終わり方が中途半端というか。もう少しはっきりさせるべきだよな」
実際、ここに解らなかった人間が二人いるわけだし。そういうのは不親切だよな。
俺がそう言うと、ブルマは眉を寄せて言い放った。
「何言ってんの。あれはわざとなのよ。余韻と謎を残して、観ている人間に考えさせようって腹なのよ。あれはあれでいいのよ」
「でもブルマ…」
なんか、この前と言ってることが違うんだけど。
この前は、余韻だけじゃダメだと言っていたはずだが。局にクレームまでつけていたのに。
「気づかない方がおかしいのよ」
きっぱりと言い捨てるその様に、俺は言葉を返すのを止めた。
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