寸進の女
「どうしてあんなことしたのよ!」
C.Cのポーチを潜るなり飛んできたブルマの声に、俺は完全に虚を突かれた。
まさか、ここにブルマがいるとは思わなかった。
今までハイスクールでケンカをした時は、いつも(なぜか)俺より後に帰ってきていたから。ケンカした時はたいがい、俺が話しかけても最初は無視するから。
それが今日は、俺の帰りを待っていて、しかも話しかけてくるとは。いつもほどは怒っていないということなのかな。
その楽観は一瞬で崩れ去った。声のした方へゆっくりと目を向けると、かつてないほど怒って見えるブルマがいた。憤怒に瞳を燃え立たせ、俺より小柄なはずなのにとてもそうは思えない迫力で、真正面から俺を睨みつけている。俺は慌ててブルマの声に答えた。
「あんなことって…?」
間抜けな台詞だとは自分でも思っていた。でも、よくわからなかった。
ブルマが飛び去る直前に起こった出来事のどれかだろうということには、想像がつく。チャイムが鳴るまでは、怒りの片鱗すらなかったのだから。そこまではわかるけど、そこから先がわからない。俺、こんなに怒らせるようなこと、何かしただろうか。
助けたことを怒っている…わけはないよな。あれはどうしたって、助けるところだろ。でも、チャイムの後に起こったことと言えば、あれしかないんだよな。
「…だから。どうしてあんな…あんな形で、あんな風に――」
常になく言い澱むブルマの頬が、みるみる朱に染まった。それを見て、俺は理由に思い当たった。
…助け方か。
やっぱり胸か。そうだよな、怒るよな。いや、当然だ。でも、そうは言ってもなあ。
「…しょうがないだろ。咄嗟のことだったんだから。ちゃんと抱き止められなかったのは、俺が悪かった。だけど…」
不可抗力だと思うんだ。人の落下速度ってすごく速いんだぞ。間に合っただけでも良しとしてもらわないと。…ブルマにはわからないかな。
「そうじゃなくって!あたしが言ってるのは、どうしてあんな時にあんなことを――」
当たらずとも遠からず。否定しつつも、ブルマは同じようなことを口にした。幾分歯切れ悪くもそう畳み掛けられて、俺は言葉に詰まった。
不可抗力であることは確かだ。確かなんだけど、…それに惑わされた自分を自覚してもいるからだ。だって、刺激強過ぎだぞ…少なくとも俺にとっては。
「おまえら、またケンカしてんのか」
その時、ブルマの後ろからウーロンとプーアルがやってきて、俺とブルマの間の空気が一瞬固まった。
「一体、原因は何なんだよ」
続けて発せられたウーロンの言葉に、俺はさらに固まった。…だって、言えるか、こんなこと。
心配そうに俺を見るプーアルの視線すら痛く感じ始めたその時、ふいにブルマの怒鳴り声が降り注いだ。
「バーカ!」
突っぱねるばかりのその声音と雰囲気に、俺はただただブルマの後姿を見送るしかなかった。


翌日、俺が朝食を摂っていると、意外なことにブルマがやってきた。
昨夜は俺が話しかけようとした途端に、姿を消してしまったものだが。どうしたんだろう。一晩経って怒りが解けた…
わけはないよな。ブルマの顔を一目見れば、それはわかる。依然として瞳の中に宿っている青い炎。ひたすらに顰められている眉。どう見たって怒っている。
でも、いつもはゲートを潜る直前まで、俺を避け続けるのに(なぜかはわからないが、ケンカしている時でも登校は一緒にするのだ。本当にわからない)。なんか、怒り方がいつもと違うな。
訝りながら黙々と朝食を摂り続けていたところ、ウーロンがそれを口にした。
「おまえ、まだパジャマなんか着てるのか。さっさと支度しろ。俺たちまで遅刻するじゃねえか」
俺が言おうかどうかかなり迷っていた台詞を。まったく準備していないように見えるブルマの身なりについての注意を。
「ハイスクールなら行かないわよ」
怒りというよりは呆れを漂わせて、ブルマがウーロンに答えた。やっぱり、いつもと違うな。怒っているというよりは、苛立っているように見える。怒りが爆発せずに燻っている。いつ爆発するのかわからない爆弾を抱え込んでいるようで、いつもとは違った意味ですごく怖い。
その怖い爆弾に、俺は視線を向けた。ウーロンの無鉄砲さには及ばないとしても、俺も少しはがんばらないと。
「でも、まるっきりサボるというのは、まずいんじゃないか?」
本当はサボること自体を止めさせたいところなのだが、そこまで踏み込む勇気は俺にはない。情けないことながら。
俺の小さな一歩は、ブルマにまるで無視された。ブルマから返ってきたのは、ほとんど脈絡がないとも言える怒声だった。
「誰のせいだと思ってるのよ!いい?何か訊かれたら、ちゃんと説明しといてよ。でも、否定するだけよ。余計なこと言わないでよ!」
「何を訊かれるって言うんだ?」
本当に、今朝のブルマはおかしい。態度どころか、言うことすらさっぱりわからない。
「あんた、そこまで言わないとわからないわけ!?昨日のことよ、決まってるでしょ!!」
そう叫ぶブルマは、ほとんど発火寸前だった。いや増す瞳の色と声量で、それがわかった。俺は言葉を呑み込んだ。
一体、誰に訊かれると言うんだ――ただ問いたいだけのその言葉を。
「とにかく、あたしは行かないから!ヤムチャ、あんた帰ったらあたしのところに来なさいよ!」
ほとんど惰性で、俺はその言葉に頷いた。

1限目の後の休み時間のことだった。クラスメートの女の子が、やや頬を上気させて、俺のところにやってきた。俺は少し身構えた。例の台詞を言われる時と雰囲気が似ていたからだ。
今は本当にケンカしてるんだよな。さて、何と答えようか…
そこまで考えていたにも関わらず、俺の構えは物の見事に崩された。
「ヤムチャくん、ブルマに襲われたって本当?」
「は!!?」
思わず大声で叫び返してしまった俺に、クラスメートの視線が集中した。いや…
そうじゃなくとも、たぶん最初から集中していた。特に女の子の。また気のせいだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。一人が口火を切った途端に、わらわらと女の子が俺の周りに集まりだした。
「酷い女ね」
「最低ー!」
「信じらんな〜い」
「何考えてんのかしら」
俺が何も言わないうちから、どんどん騒がしさが増していく。何なんだ、これは…
女の子は輪を作るものだと思ってはいたが。それにしたって作り過ぎ…
俺はしばらく呆然と、クラス全員とも言える女の子たちの輪の中に呑み込まれていた。するとそのうち、輪の外側に男が数人加わり出した。思わず眉を顰めた時、先の女の子が言った。
「ヤムチャくん、大丈夫だった?」
その瞬間、俺の中の何かが切れた。
「違う!俺が助けたんだ!!」
気づいた時には叫んでいた。一瞬にしてざわめきが止んだ。それを認識してもなお、俺の心は治まらなかった。
「ブルマがスツールから落ちたから!俺が助けたんだ!!」
クラスメートたちは本当に驚いていた。俺がハイスクールで声を荒げたことなど、これまで一度だってなかったからな。でも、我慢できなかった。だって、そうだろ。
どうして俺がブルマに襲われなきゃならないんだ。どうして俺が心配されるんだ。男だぞ、俺は!!
そりゃあ、俺はブルマには弱いけど。でもだからって、いくら何でも襲われるわけないだろ!俺を何だと思ってるんだ。酷い侮辱だ。屈辱だ。
「助けただけ?何もなかったの?」
「当たり前だ!」
男が女に何かされてたまるか!!
俺は初めて、女の子を一喝した。何の躊躇もしなかった。こんなの女の子じゃないよ。俺を弱める女の子じゃない。
いつまでも散開しない輪の集団を、俺は睨みつけた。まずは男どもが慌てたように散らばった。2限目開始のチャイムが鳴ると、ようやく女の子たちも席に着き始めた。女の子って神経太いな。
それにしても、一体どこから聞きつけたんだ。野郎どもまで混じりやがって。
ブルマがいなくてよかった。こんな噂が立ってるって知ったら、どれだけ憤慨することか。
絶対、耳に入れさせないようにしないとな…

『ヤムチャ、あんた帰ったらあたしのところに来なさいよ!』
放課後、ハイスクールから一歩を踏み出した途端、ブルマの言葉が脳裏を過ぎった。
すっかり忘れていた。1限目の後に起こったことと、その後の何も起こらなかったことによって。
あの後2限目以降を、俺はまったく何事もなく過ごした。もう周りは何も言ってこなかった。
視線は変わらず強かったが。特に女の子。俺の顔色を窺うように、時折投げつけられる視線。少し激発し過ぎたか。でも、後悔はしていない。どうしたって怒るところだ、あれは。
忘れてかけていた怒りが首を擡げた。気を落ち着かせるため、俺は少しだけ寄り道をすることにした。時々ブルマと行くスィーツスタンド。冷たいコーヒーで頭を冷やしながら、C.Cへの帰路を歩いた。頭を切り替えなきゃな。この不機嫌をブルマにぶつけるわけにはいかない。
C.Cのゲートを潜った頃には、すっかり平静になっていた。誰にも会わぬまま、なんとはなしにリビングへと行くと、ママさんが少し遅めのお茶の準備をしていた。
「おかえりなさい、ヤムチャちゃん。コーヒーいかが?」
「いえ、俺は…」
まずはブルマの部屋へ行かないと。正直言ってかなり怖いが、いつもみたいに無視されるよりはマシだ。…と思う。
俺が断ってもママさんは気を悪くした様子もなく、さらなる言葉と共に手つかずのストロベリーパイを示して見せた。
「じゃあパイはいかが?ブルマちゃんもまだだから、一緒にどうかしら。ヤムチャちゃんが呼べば、きっと出てくるわよ〜」
「出てくる?」
「ブルマちゃんたら、一度もお部屋から出てこないのよ。プーアルちゃんとウーロンちゃんも帰ってこないし、ママつまらないわ〜」
今ひとつ説得力のない声音で、ママさんは言った。この人はいつも笑っている。表情だけじゃなく、声までも。
「じゃあ、いただきます。でも、ブルマの部屋へ持っていってもいいですか?」
「どうぞ〜。すぐに切り分けるわね」
にこにことあくまで笑顔で、ママさんはパイにナイフを入れた。コーヒーセットとパイの乗ったトレイを受け取って、おそらくは母親とは対極の状態であろう娘の部屋へと、俺は向かった。

ブルマの部屋は静かだった。寝ている…わけじゃないよな。いくらなんでもな…
「ブルマ、俺だ。今、帰ったけど…あの、悪いんだけど、ドア開けてくれないかな。手が塞がってるもんで」
珍しくロックのかかっていないドアコンソールに向かってそう言うと、間もなくドアが開けられた。
『何しに来たの?』
いつもなら浴びせられるその言葉が、今日はない。やっぱり、少し妙だな。いや、『来い』って言われていたんだから、当然と言えば当然か…
朝に見た時とたいして変わらない表情のブルマに、まずは手にある物を差し出した。2人分のコーヒーセットとストロベリーパイ、それともう一つ。
「これ、お茶。ママさんがパイ焼いたから。それと、これ土産…」
「ハイスクールで何か言われたわね」
瞬時にそう返されて、俺は思わず言葉に詰まった。
…どうしてわかったんだ。
俺、何も言ってないのに。話すら振ってないのに。まだ不機嫌が残ってたかな。すっかり切り替えたつもりだったんだけど。絶対言いたくなかったのに。まいったな…
言葉と態度の双方を固まらせていると、ブルマがおもむろにトレイからそれを取り上げた。さっきスタンドで買ってきた、スィーツの入ったブラウンバッグ。中から一つを摘み上げて、気がなさそうに俺を見た。
「これ何?」
「…ストロベリーチーズバー。新作らしい」
「ふぅん」
曖昧に頷くと、ブルマはそれを再びトレイに戻した。依然、表情は変えぬまま。…外したかな?
やや気の逸れかけた俺を、ブルマが引き戻した。
「何を言われたのかは、だいたい想像がつくわ。で、ちゃんと説明したんでしょうね?」
薄く怒気を孕んだその声は、だが思いのほか冷静だった。おまけに最も訊かれたくなかった話題を流されもして、俺は心底安堵した。
「ああ」
「何て?」
「本当のことを言っただけだ。俺がブルマを助けたってな。後は何も言わなかったし、言わせなかった」
答えた途端に、あの時の不快さが甦った。いい加減、俺もしつこいな。でもな…
出来るだけさりげなく、ブルマの姿を目に入れた。眉間に寄った皺。相変わらず不機嫌を漂わせた瞳。雰囲気だけは迫力のある華奢な体…
やっぱりおかしいよな。どうして俺がこいつに襲われなくちゃならないんだ。いくら怖くたって、そんなことあり得ないだろ。男の沽券に関わることだぞ。都の人間って無神経だよな。
「よし」
その時ふいにブルマが呟いて、俺は我に返った。何が『よし』なのかさっぱりわからないけど。というか、全然いい気はしないが。とにかく話は終わった。のかな…
…いや、まだだな。
少しく気を引き締めて、デスク横のスツールに腰を下ろした。それに呼応するかのように、ブルマがデスクの上を片付けだした。おもむろにコーヒーをポットから注いで、カップを俺の前に差し出した。
何か、妙な雰囲気だな。今ひとつ緊張感に欠けるというか。ブルマは確かに怒っているようだし、眉も上がっているんだけど、険がない。そういえば今日は部屋に篭りっぱなしだったって言ってたな。疲れてるのかな。
「明日はどうするんだ?行くのか?」
どことなく宙を見るように、立ったままコーヒーに口をつけているブルマに、訊ねてみた。
行かない方がいいような気はする。だが、それを言えば、きっと理由を訊かれるだろう。…いや、ダメだ。どうしてブルマをサボらせなくちゃいけないんだ。何もしていないのに。
今ひとつ纏まりきらない俺の考えを、ブルマはいとも簡単に纏めてみせた。
「とりあえず行こうかな。様子によっては帰るわ」
サボり慣れた人間ならではの、この台詞。やっぱりブルマは豪胆だな。
まさにそれを示すように、ブルマは鼻歌混じりにブラウンバッグを開け始めた。まるで何事もないかのようにストロベリーチーズバーを取り出すと、それを軽く掲げてみせた。
「あんたも食べる?」
「いや、いい」
俺は即座に断った。だって、これはブルマのために買ってきたものなのだから。いや、決して、機嫌を窺おうとしているわけじゃない。
…とは、言い切れない。正確に言うと、良心が痛んだというところだが。だってなあ。
女が男を襲うだなんて、男にとっても不本意だけど、女の子にとっても不本意だよな。ブルマは確かに怖いけど、れっきとした女の子だし。気は強いけど、女の子だし。平手打ちされたことはあるけど、女の子だし。俺より豪胆な気はするけど、女の子だし…
考え進めた俺の心に、僅かに暗雲が垂れこめた。…本当に、あり得ないんだろうな?


翌日。宣言通り、ブルマはハイスクールへ行った。いつものように、俺と一緒に。
「いい?ハイスクールの中では、あたしに話しかけないでよ。お昼もしばらくは別々よ」
だがハイスクールへの道すがら、再三そう諭されて、俺は思わず眉を顰めた。
「しばらくってどのくらいだ?」
「ほとぼりが冷めるまでよ。それから帰りも別々ね。あたし迎えに行かないから、あんたも来ないでよ」
ブルマは当たり前のことのように言っていた。しかし、俺の意見は少し違った。
何も悪いことはしていないんだから、堂々としているべきだ。周囲の声を気にしなければならない理由なんて、どこにもない。
でも、それは言わないことにした。何と言っても、ブルマは女の子なんだから。男の俺とは感じ方が違って、当然だ。
…それに、これ以上ブルマを怒らせたくはない。ブルマは本当に怖いからな…

ハイスクールへ一歩を踏み入れて、俺とブルマは完全に別行動を取ることとなった。
廊下を歩くのも別々。授業も別々。休み時間も別々…
いや、別段おかしなことはない。まったくいつもと同じだ。もともと俺とブルマはクラスが別なのだから。違和感もなければ、不都合も感じない。それに、気がつけばブルマとは普通に会話しているし。…一体、ケンカはどこにいったんだろうな。ともかく、そういう意味でも、いつも通りだ。
まだ少し周囲の視線が強いような気はするが、それは努めて気にしないことにした。俺は普段通りにするだけだ。ブルマはどうか知らないが、俺はそういうスタンスだ。
ったのだが、4限目も終わった昼休み、前の席の男が妙な台詞を投げてきて、俺は少しだけその態度を崩された。
「…なあ、もう彼女と昼を一緒に食べないのか?」
「ああ、今日は別々なんだ」
俺がそう答えると、その男は露骨に不思議そうな顔をした。それを見て、俺もまた不思議に思った。
クラスの男がブルマのことを訊ねてくることなんて、これまでなかったのに。まったく話題にしないわけではなかったが、それはたいがい、難しい課題が出た時とか、厄介なレポートの課題が出た時で――つまるところ『頭のいい彼女がほしい』的な雑談でしかなかった。ブルマは特に高嶺の花扱いされているわけでもないようだし(むしろ対極のような気もする)、みんな俺たちのことを知っているわりには、いい感じに放っておいてくれていた。
どことなく物訊きたげな男の様子に、俺もまた訊き返したくなったその時、教室に大声量が響き渡った。
「ヤムチャ!!!」
瞬時に声のする方へと目を向けた。向けずともそこに誰がいるかわかってはいたが。話しかけるなとさんざん言ったはずの人物が、軽々と俺の名を呼んだばかりか、まったく人目を憚らない勢いでほとんど目前に迫っていた。
「ブルマ、どうし――」
言いかけて口を噤んだ。一目見てすぐにわかった。
瞳の中に轟然と燃える青い炎。昨日一日燻り続けた怒りの種火が、今や完全に発火していた。
あー、これは言われたな。おそらくは俺が言われたのと同じことを。そしてやっぱり怒ったな。当然だよな。でも、どうして俺のところに来るんだろうな…
ともかくも、ブルマの次の言葉を俺は待った。こういう時は逆らわない方がいい。
「あんた、一体…!」
すぐに第二声が降りかかった。しかし、それは次の瞬間止んだ。
「どうして、そんな…!!」
3度目の怒声が発せられた。だが、これも一瞬にして止んだ。
俺の中にも、昨日から燻り続けていたものが甦った。…不審。どうしたんだ、一体。
怒っている…んだよな?それにしては歯切れが悪いな。ブルマにしては珍しい…
「お弁当食べに行くわよ」
4度目のブルマの声に、俺の不審は増大した。声量のない、怒りとも呆れともつかない声音。
気がつけば、クラス中の視線が俺たちに注がれていた。俺は内心苦笑しながら、躊躇うことなく席を立った。いくら普段通りにするとは言っても、こんな雰囲気の中で飯を食うのはごめんだ。
それに、この状態のブルマに逆らうことも。何か、いつもと違うけど。それだって、充分に怖いんだからな…

無言のうちにブルマは俺を先導し、エントランスを左手に見る内庭の真ん中で足を止めた。
珍しいな。こんな人目のある場所を選ぶなんて。廊下にも面しているのに。まあ、さんざん視線を浴びた後でもあるし、ブルマが構わないのなら俺はどうでもいいけどな。
「本当に頭にきちゃうわね!」
芝生に腰を下ろし、弁当箱を開けた早々ブルマが怒鳴った。そして、俺の弁当箱にナッツと何かの炒め物を放り込んだ。
やっぱり怒っているな。どちらかと言うと、再燃したという感じだが。無理もないけど。
「あんたも少しは怒りなさいよ!」
俺が黙っていると、ブルマは横目に俺を見て、苛立たしげに言葉を発した。手元のフォークで、何かのローストを突き刺しながら。その荒々しさに、俺は思わず首を竦めた。
「うん、まあ…」
そして、なんとはなしに言葉を濁した。
俺はすでに怒ったんだよ。それで気が済んだというわけではないが、正直言って隣にこうも怒っている人間がいると、気が殺がれるよな。
それに今は怒るよりも、ブルマに訊いておきたいことがあった。
「なあ、もういいのか?」
「何がよ?」
俺が切り出しかけると、ブルマの眉が上がった。まだ何も言ってないのに。心までも竦ませられながら、俺はどうにか言葉を続けた。
「朝言ってたことだよ。話しかけるなって…あれはもう止めたのか?」
「当ったり前でしょ!」
瞬時にブルマが怒鳴り返した。何が『当たり前』なんだ。俺はそう思ったが、ここで口を噤んでおくことにした。
現在のところブルマの怒りは周りに向けられているが、ここで下手に何か言うと、対象が俺に変わってしまう。そう感じたからだ。
再び俺が黙り込むと、ブルマが何かのソテーを俺の弁当箱に放り込んだ。これで2品目だ。そんなんで腹膨れるのか?
それにしたって、気が変わるの早いよなあ…
何か言われたのだろうということには想像がつくし、怒る気持ちもわかるけど、こうも行動が変わるものだろうか。あれだけ口酸っぱく『無視しろ』って言ってたのに、一転して視線を集めるようなことしやがって。
本当にブルマの行動は読めない。読めたからといって、何かできるわけでもないが。
「あたし、午後は化学実験室にいるから。授業が終わったら迎えに来て」
「またか」
ふいに飛んできたブルマの言葉に、俺は思わず眉を集めた。
サボるのはいつものことだとしても、また化学実験室に行くのか。懲りないなあ。…豪胆というのとは少し違うような気がしてきたな。
「授業なんか受ける気分じゃないわよ。言っとくけど、あんたは来ないでよ。今日だけじゃなく、しばらくは絶対に来ないでよ!!」
「はいはい…」
来いと言ったり来るなと言ったり。本当に気まぐれなんだからな。
…まあ、いつものことか。
そう思いながら、俺はデザートのストロベリージェリーを、ブルマの弁当箱に放り込んだ。
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