昂進の女
少しだけ考えて、動きにくい服を身につけた。
都に来たばかりの頃にブルマが見立てた服だ。これまであまり着る機会がなかったが、これからしばらくは完全になくなるだろう。この先3年間は修行三昧だ。最後に一回くらい着てやらないとな。
身支度を整えて食卓につくと、登校組は全員顔を揃えていた。トーストにジャムを塗りつけているウーロン。ホットミルクに息を吹きかけているプーアル。そして意気揚々とデザートのイチゴを口に運んでいるブルマ。最後の要素に、俺は眉を顰めた。
…少し、あからさま過ぎやしないか?
いつもは一番最後に食卓に顔を出すのに。その気合の入り方は、どう見たってハイスクールに行こうとしている態度じゃないだろ。おまけに、鼻歌なんか歌っちゃって。…楽しみにしてくれているのは嬉しいけど、もっと隠さないと…
「なあ、今日何かあるのか?」
齧りかけのトーストから口を離して、ウーロンが言った。途端にブルマが手を止めた。
「別に。なーんにもないわよ」
そしてわざとらしい口調で言い放った。目を覆いたくなる手を、俺は必死に抑えた。
おまえなあ。その言い方はないだろ。それじゃ『何かあります』って告白しているようなものじゃないか。
「ねえ、ヤムチャ?」
再びわざとらしい声が、しかも俺に向けられた。俺は溜息をつきながら、それに答えた。
「…ああ。まったく何もな…」
…俺に振るな、俺に。何かあるどころか、何があるのかまでバレてしまうぞ。
それまで不思議そうにブルマを見ていたウーロンは、今や完全に疑いの目で俺たちを見ていた。…そりゃそうだ。ウーロンじゃなくたって、誰だってそうするだろうさ。
これは今日は取りやめた方が無難かな。そう俺が考え始めた時、ブルマが唐突に叫んだ。
「さっ!ヤムチャ、もう行くわよ!!」
言い終えるが早いか、勢いよく立ち上がった。…だから、気合入り過ぎなんだって。おまけに時間も早過ぎる。
「いや、俺まだ朝メシ食ってないから…」
見ればわかるだろうことを、俺は意識して口にした。今は朝食の時間。C.Cを出るのはもっと後。俺たちは表向きはいつも通りにハイスクールへ行くことになっているんだから、いつも通りの時間に出ないとダメなんだよ。
俺の言外の言は、ブルマにはまったく伝わらなかった。ブルマは言葉を引っ込めるどころか、さらに口をすべらせた。
「そんなこと後にしなさい!」
「後って何だよ…」
俺たちはこれからハイスクールに行くんだろ。授業を受けるんだろ。後なんかないだろ!…いくらなんでもすべらせ過ぎだ。
もうフォローの余地はなかった。そもそも機会が与えられなかった。ブルマが俺の襟首を掴んで、力任せにリビングを出て行こうとしたからだ。
「おい、待てよ。おまえら…」
不審な表情を隠そうともせず、ウーロンが席を立ち俺たちの後をついてきた。…これはバレてる。絶対バレてる。少なくとも、何かあるらしいと思っているのは間違いない。
そりゃそうだ。ウーロンじゃなくたって、誰だってそう思うさ。ブルマも案外、隠し事のできないやつだよな。余計な口を利き過ぎるっていうかさ。
…本当に頭いいのかな。

「なあ、今日はやめにしておかないか?」
ミドルスクールのゲートへと消えかけるウーロンとプーアルの後姿を見ながら、俺はブルマに言ってみた。
「何でよ?」
「だって、ウーロンたちが…」
プーアルはともかくウーロンが、大人しく去っていったことが、俺は気になっていた。
ウーロンはいつだって、俺たちの約束に便乗してきた。だから今日も、根掘り葉掘り訊かれるに違いないと思っていたんだ。でも、スクールまでの道すがら、ウーロンは何も言ってこなかった。目つきは異様にうさんくさそうにしながらも。
「別にいいでしょ、あいつらなんて」
すっぱりと切り捨てるように、ブルマは言った。それで俺は、続く言葉を引っ込めた。
…ブルマがいいって言うなら、いいかな。
ウーロンが何か言ったりやったりして怒るのは、いつだってブルマなんだから。そりゃあ俺だって気分がいいはずはないけど、なんとなく我慢できるし。
「さっ!ヤムチャ、行くわよ!!」
言いながら、ブルマが踵を返した。ハイスクールのゲートへは向かわず、今来た道を戻り始めた。
途中まで。行き先はC.Cではない。時々帰りに寄るスタンドやシアターでもない。
久しぶりの遊園地だ。


「さあ!今日は三半規管の弱いやつもいないから、思いっきり遊ぶわよ〜!」
遊園地のゲートを潜るなり、フリーパススタンプの押された右手を陽にかざしながら、高らかにブルマが宣言した。揚々と半歩前を歩くその姿を横目に見て、俺は思わず声をたてて笑ってしまった。
無邪気だよなあ。ブルマって、遊ぶ時は本当に遊ぶことしか考えてないよな。やっぱり全然雰囲気ないぞ。ま、いいけど。その方が俺も気楽だし。
「で、何からいくんだ?」
ほぼ答えを予想しつつ訊ねた俺の言葉に、ブルマは感覚を裏切ることなく元気に答えた。
「当然、ジェットコースターよ!」
そうだろうな。
何度かみんなで遊園地に来たけれど、もれなくいつもそうだった。そしてやっぱり、今日もそうであるというわけだ。…本当に、ブルマはどんな時でも変わらないな。いつでもマイペースだ。ま、いいけど。
「ヤムチャ!早くー!」
ふいにブルマが声を上げた。いつの間にか数歩先に行っていたその身を軽く翻しながら。それで俺は、日差しに焼かれかけた目を覆っていた手を下ろした。
いつにも増して気合が入っているな。これは俺も、気を入れてかからないとな。ブルマの絶叫系マシン好きは半端じゃないんだから。それをとめるウーロンたちがいないとあっては、なおさらだ。
…動きやすい服を、着てくるべきだったかな。

オープニングセレモニーとして、ジェットコースターを三連荘。予想していたその展開を終えた時、予想だにしなかった眩暈にふいに襲われた。
「…なあ、ちょっと休まないか?」
非常に不本意な台詞を、俺は口にした。すぐに無遠慮な声が返ってきた。
「なーに?あんた酔ったの?だらしないわね!」
俺は返す言葉が見つからなかった。まったくその通りだったからだ。我ながら情けない…
「…少しだけ。腹に何も入れてないから…」
仁王立ちの様相で呆れたように俺を見下ろすブルマに、一応は本当のことを言ってみた。返ってきたのは、さらに強気な声だった。
「あんた、そういうことはもっと早くに言いなさいよ!」
「忘れてたんだよ…」
俺はさらに情けない気持ちになった。まさかそれしきのことで酔うとはな。いつもの自分なら考えられないことだ。空腹で乗り物に乗るなんて今まで何度も…いや、そうもないか。だいたいいつも、腹ごしらえを済ませてから強襲していたからな…
少しばかり過去の自分を思い出しかけた時、至近距離から声がした。
「カフェにでも入りましょ。少し休んだらブランチにするわよ」
膝に手をつき地面に向けていた俺の視界に、窺うようなブルマの顔が入ってきた。常になくしおらしげに俺の手を取るその瞳に、俺は心の底から侘びを入れた。
「悪い…」
「悪いと思うんなら、早く気分よくなってよね」
まったく、その通りだ。
無遠慮に言い放つその声に、心の中でそう答えた。口では言葉に詰まりながらも、妙に冷静な気持ちで俺は考えていた。
…少し、いつもと違うかな?

人気も疎らなカフェの一角に、俺はブルマに手を引かれながら腰を下ろした。…かなり情けないな。男が女の子にこういうことをされているのを他人の目に晒すのは。
だがそう感じていたのはどうやら俺だけだったようで、ブルマは変わらず心配そうな視線を寄こしながら、運ばれてきた水を、俺の手元に押しやった。
「大丈夫?水飲める?」
「ああ…」
半分ほどを一気に飲むと、徐々に視界が開けてきた。座っていたのは、爽やかに風の吹き抜けるガーデンテラス。人も疎ら――というか、誰もいないな。…ひょっとして、読まれたかな。
落ち着くと同時に少々照れを感じもして、俺は顔を上げた。少しだけ色を濃くした青い瞳が目の前にあった。
「もう大丈夫だ。面倒かけて悪かった」
「まったくよ」
無造作に呟くと、ブルマは大きく息を吐いた。それが安堵の息なのか呆れからきたものなのか、俺には判断がつきかねた。
しかし、それはすぐにわかった。俺が回復したと見るやブルマはテーブルに身を乗り出して、いつもの声音に戻って言った。
「あのね。普通は男が女の手を取るものなの!特に最初くらいそうしてよね!」
…あ、やっぱりそういうものか。
薄々感じていたことを当の本人に言い渡されて、俺はまたもや情けない気持ちになった。とはいえ他方では、一つひっかかることもあった。
「最初って…」
「初めてでしょ、手繋ぐの!半年以上も付き合ってて手を繋いだこともないなんて、一体どういうことなのよ。はっきり言って異常よ、異常!」
ブルマの表情は真剣だった。どうも、鎌をかけているとか、誘導しているというわけではなさそうだ。
「…あのさ。初めてじゃないだろ」
非常に気まずい沈黙を打ち破って、俺は言った。途端にブルマの声が大きくなった。
「何がよ!」
「手。前にも繋いだだろ」
「はぁ!?」
大声量が俺を襲った。今にも掴みかからんばかりの勢いで、ブルマがチェアから立ち上がった。耳を押さえたい衝動を堪えて、俺は何とかブルマに告げた。
「一番最初にここに来た時。お化け屋敷で…」
瞬時にブルマが黙り込んだ。腰を浮かせたままのその姿勢で。…この言動、この反応。ブルマのやつ、本気で忘れているな。
再び沈黙が舞い降りた。情けなさによらない溜息を俺がつきかけたその時、時が動いた。
「あんなの繋いだうちに入らないわよ!」
開口一番ブルマが叫んだ。俺の溜息は一瞬にして衝撃に変わった。思わず耳を疑いもした。
だって、ひどいじゃないか。あんなにしっかり掴んでいたのに。全然離そうとしなかったのに。結構、印象強い思い出だと思うんだがなあ。どうして忘れてるんだよ?っていうか、除外されてるのかよ!?ひどすぎるよな。…そりゃあ、ブルマにとっては苦い思い出かもしれないけど。でも、俺にとっては…
「あのな、ブル…」
思いが言葉になりかけた。だがそれは、ブルマの怒声に掻き消された。
「あたしが言ってるのは、ああいうやつじゃないの!」
2度目の大声量が俺を襲った。今にも襲いかからんばかりの勢いで、ブルマがテーブルに両手をついた。
「ああいう成り行き上しかたなくのやつじゃなくって、ちゃんと繋ごうとして繋ぐやつなの!何もなくても繋ぐやつなの!もっとちゃんと恋人っぽく繋ぐやつなの!!」
「わ…わかったわかった。ちゃんと繋ぐから…」
まさに目の前まで詰め寄る濃く青い瞳に、俺はどうにか言葉を返した。もう、先の言葉を続ける気は起こらなかった。
「何その言い方!それじゃ、あたしが無理矢理させてるみたいじゃない!!」
「う…」
だって、おまえが言ったんだろ。…一体どうしろって言うんだ。
俺は完全に言葉に詰まった。だって、本当にどうしろって言うんだ。
ふと、ブルマが眉を緩めた。だがそれは、許しの兆候ではなかった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
いつの間にかウェイターがテーブルの横に来ていた。引きつった笑いを浮かべるその声に、俺は反射的に返事を返した。
「あ。えーとダッチ・コーヒー一つ。それと…」
「…エスプレッソ。ダブルで!」
チャアに腰を下ろしながら、ブルマが後を引き取った。その語気の強さに、俺は思わず首を竦めた。…怖過ぎだぞ、おまえ。
「それとサブマリン・サンドウィッチ!早くしてね!」
続いて発せられたオーダーに、俺は当初の目的を思い出した。もうすっかり忘れていた。自身の気分が悪かったことなんて。今は違うものが悪いわけだが。…ブルマの機嫌が。
ひとまず静かになった俺たちのテーブルから、ウェイターは颯爽と去っていった。ブルマはどうやら一時矛を収めることにしたらしく、もう話を続けようとはしなかった。俺は胸を撫で下ろしながら、ほとんど閉じられているその青い瞳を見守った。
まったく、怖いんだからな。そのくせ席を立とうとはしないし(立たれたら困るけど)。よくわからないやつだよな、ブルマも。
…とりあえず、ウェイターさん、ありがとう。

半ば無理矢理、腹にサンドウィッチを詰め込んだ。食欲はまったくと言っていいほどなかったが、ここは食べておかねばならない。これから一日、ブルマの趣味に付き合うんだからな。付き合わせてもらえるならの話だが。
ブルマはというと、カフェを出てなお、その眉を寄せていた。だが、先ほどの怒りをそのまま引き摺っているわけではないらしいことだけはわかった。カフェでも完全に無視されていたわけではないし、それなりに話はしてくれたし。…って、どうして俺、卑屈になっているんだろうな。俺が卑屈にならなければならない理由はないはずなのに。なあ。
実のところ、その理由はわかっていた。苦笑いを噛み殺せずに、俺はブルマを返り見た。
「ほら」
俺が左手を差し出すと、ブルマはさらに眉間の皺を深めた。俺がしばしの沈黙に耐えつつそのまま手を引っ込めずにいると、やがて渋々といった顔でようやく俺の手を握った。まったく、ブルマのやつもなあ…
ウーロンのよく使う形容詞が、一つ頭の中に浮かんだ。それを否定したくて、俺は一言言ってみた。
「じゃあ、お化け屋敷にでも入るか?」
「入るわけないでしょ!!」
すぐに返事が返ってきた。一見怒声とも取れる、慌てたような呆れたような、…逃げ腰の声が。同時にブルマは足を止め、俺の手を軽く振り払った。どことなく傷ついたような表情が、その瞳に浮かんでいた。俺は少しだけプライドを回復させて、今度は自分からブルマの手を握った。
わかったか。俺にだって、このくらいは言えるんだ。…あー、怖かった。
意識してブルマの手を掴む右手に力を入れた。もう逃げられないように。…ちょっと油断してた。まさか女の子に手を振り解かれるとは思わなかった。まだまだ甘いな。
いろいろな感情を心に渦巻かせながら、俺はなんとなく歩の進まない様子のブルマを、途中まで先導した。遠目にバイキングが見えてきた時、ブルマが隣に並びかけた。そしてそのまま俺の手を引いて、目指すアトラクションへと向かい始めた。眉はもう寄ってはいなかった。頬が少しだけ、赤らんで見えた。
うん、やっぱり、ウーロンが言うほどのことはないな。
結構かわいいよな、こいつ。


バイキングの次は垂直ループコースター。ローター。さらに4度目のジェットコースター。
ブルマはすっかり調子が出てきたようで、次から次へといつものように絶叫系マシンに乗り続けた。俺もそれらを楽しんだ。もともと苦手なわけではない。さっきは調子が悪かっただけだ。
少しだけいつもと違うこともあった。おそらく俺の気のせいではないことに、ブルマは心持ち大人しかった。特にアトラクションを乗り終えて、地に足を着けた瞬間。必ず僅かに小首を傾げて、窺うように俺を見た。…いや、明らかに窺っている。その仕種がかわいくて、俺も素直に掌を開くことができた。
そして開いた手は、今では素直に掴まれていた。素直な笑顔で、とまではいかないけど。でも、ブルマの場合はそれだけで充分にかわいく思える…
ああ、いいなあ、こういうの。なんか、すごくそれっぽいよな。
俺はすっかり満足していた。ただ一つのことを除けば。
…………生理現象だ。
ほんの少し、5分ほど手を離したいだけなんだけど。それが言い出しにくいんだよな、すっごく。ブルマがいつもと違うから。いつもの感じならさらっと言えるんだけどな。あー、困った。困り果てるとまではいかないけど、結構困った。どうすればいいかな…
俺はたびたび、空いている方の手で頭を掻いていた(気づいてくれないものかな、こういうの)。何度目かのその行為の途中で、ふいにブルマが言い出した。
「ねえ、ソフトクリーム食べたい」
上目遣いに視線を寄こしながら、無造作に。気を遣ってくれたわけではないようだ。でも、俺にはそれで充分だった。
「わかった。買ってくるよ。そこで待ってろ」
目についたベンチを目線で促して、俺はブルマの手を離した。これは『卒啄同時』というやつなのかな。いや、どちらかというと『渡りに舟』か。ま、どっちでもいいけど。
くだらないことを考えながらも、俺はさっさと歩き出した。数瞬の間を置いて、背後から軽い怒声が飛んできた。
「ちょっと、話は最後まで聞いてよ。あたしはねー…」
「イチゴだろ」
端的に答えた俺の言葉に返事はなかった。俺はそれを了解の合図と受け取った。というか、俺じゃなくともそうするだろう。ブルマがイチゴ味以外のソフトクリームを舐めているところを、見たことがない。よく飽きないものだと思うよ。
とにかく助かった。神様、ありがとうございます。

ヤボ用を済ませてレストルームから出ると、その裏手にソフトクリームスタンドの看板が見えた。なるほど。それでブルマはあんなことを言い出したんだな。神様ではなく設計者の手柄だったわけか。どうやら一般的なタイミングだったようだな。
思うところをすっかりなくして、すっきりとした気分で俺はスタンドへと向かった。だが、まだそのメニューの文字も目に入らぬうちに、聞き覚えのある怒声が耳に飛び込んできた。
「だからそれは…!」
俺は瞬時に、声のした方へと顔を向けた。ソフトクリームスタンドの斜め正面、テーブルとミニツリーの陰に、見紛うことのない菫色の髪が見えた。今にも掴みかからんばかりの体勢で、誰かと話している。
あちゃ〜。待ちきれなかったか。それにしても、一体誰にケンカ売ってるんだ?ひょっとして、ウーロンが追ってきたか?
「どうした?何があったんだ?」
できるだけ穏やかに声をかけると、ブルマの動きが一瞬止まった。俺を見る目には、軽い逡巡の気配があった。
「何って…」
そして、気を殺がれたように呟いた。俺は胸を撫で下ろしながら、ケンカ相手の顔を見た。まったく、遊園地なんかで女のケンカを買うってどういう――
「兄ちゃん、邪魔しないでくれないかなあ。オレら今取り込み中なんだよ。遊びの相談してるとこなんだからさあ」
…『兄ちゃん』?
ふいに飛び出してきた柄の悪い男の声音に俺が眉を顰めたその時、再びブルマが叫び出した。
「あたしの彼氏よ、これが!!」
…『これ』?
俺はさらに眉を顰めた。…おいブルマ、その言い方はいくらなんでもあんまりじゃないか。
その思いは口にできなかった。俺が口を開くより早くブルマが俺の右腕を掴んで、力任せに引っ張ったからだ。
「邪魔なのはあんたの方なの!ヤムチャ、さっさと行くわよ!!」
そして無造作に怒鳴りつけると、やはり力任せに歩き出した。それに抗えない自分に情けなさを感じながらも、俺は何とか問い質した。
「なあ、何だよ今のは?」
いろいろな意味を内包して。返事はすぐに返ってきた。
「何って、ナンパよ!あんた本当にわからないの!?」
「ナンパ?」
俺は思わず首を捻った。…ナンパ?あれがか?
そんな雰囲気、全然なかったけど。ナンパって、あんな怖い雰囲気になるものだっただろうか。どうしたって、ブルマがケンカを売っているように見えたのだが。いや、買ったのかな。そう言えば、ウーロンのケンカを買っている時とそっくりだったな…
「あんたが悪いのよ!」
ふいに耳元で怒声が轟いた。気づくとブルマが食ってかかるような目をして、俺を見上げていた。
「あんたがそれらしくしないから。ちゃんと右側を歩かないから、ああいうのが寄ってくるんでしょ!」
「…何の話だ?」
まったくわけがわからず、俺は問い返した。どうしてここで矛先が俺に向けられるんだ。
「彼氏は右側なの!そう決まってるの!」
ブルマの表情は真剣だった。さも当然というように言い切った。それで俺は、話が反れかけていることを、この際忘れることにした。
「利き手は空けておいて、それで彼女を守るの!それが彼氏のマナーなの!!」
「それならそうと早く言って…」
「そんな細かいこといちいち言わないわよ!」
吐き捨てるように言い放つと、ブルマは目を逸らした。…一体、どっちなんだ。気にしているのか、いないのか。さっぱりわからないな。
「うーん…」
俺は考え込んだ。でも、選択の余地がないことは、初めからわかっていた。
「わかったよ。右側に回るから。でもさ…」
「何よ!?」
再びブルマが俺を見た。軽く睨みつけるその瞳に向かって、俺は言ってみた。
「ブルマがそうやっていつまでも抱きついてると、回り込めないぞ」
「なっ…!」
瞬時にブルマは腕を離した。口をもぐつかせながら。その頬は、誰が見てもわかるほど赤く染まっていた。俺は少しだけプライドを回復させて、言われた通りにブルマの右手を握った。逃げられないよう、やや力を入れながら。
せめてこれくらいは言わせてもらわないとな。言われっぱなしじゃ、俺も立つ瀬がないというものだ。
だけど、心臓に悪いな、これ。あー、怖かった…


2度目のカフェで足を休めていると、陽が落ち始めた。ストロベリーマキアートに口をつけながら、おもむろにブルマが言った。
「そろそろ帰ろっか」
「もうか?」
俺は軽く目を瞠った。ブルマの言葉が意外だった。
てっきり夜まで遊ぶのかと思っていた。夜になれば花火やパレードなんかもあるし。ブルマの好きそうなイベントだよな。
「もうハイスクールも終わった頃でしょ。あまり帰りが遅くなると、サボったことバレちゃうじゃない」
片頬杖をつきながら、気だるそうにブルマが呟いた。俺は再び目を瞠った。…一応は、わかっていたのか。
でもそれなら、その精神を朝にも発揮してくれればよかったのに。あれだけ露骨にサボる気配を漂わせておいて、今さらだよな。それに、いつもサボっている時は、もっと遅い時間に帰ってきたりもするのに。気の遣い方がおかしいよな。
でも、それは言わないでおいた。まったく遣わないよりは、いくらかでも遣う方がいいに決まっている。…決して、ブルマが怖いからじゃないぞ。
「よし。じゃあ、ジェットコースター3連発。それから観覧車ね」
いつも通りの締めの言葉を、ブルマは口にした。少しだけいつもと違う態度で。
今や両頬杖をついて上目遣いに俺を見るブルマは、どことなくしおらしげに見えた。そして次には、どことなくどころか完全にそれとわかる、大きな溜息を吐き出した。
「疲れたか?」
俺が訊くとブルマは頬杖を崩して、人目も憚らずテーブルの上に両腕を投げ出した。
「全然っ」
「ふーん?」
強気に言い放つその声を口では流しながらも、心の中で俺は考えていた。
…俺、何かしたかな?
明らかに機嫌が悪い。ブルマって、そういうこと全然隠さないんだからな。それはそれとして、一体どうしたんだろう。今の今まで、そんな様子まったくなかったのに。手はちゃんと繋いでたし。嫌がってる素振りもなかったし…
「それ飲み終わったら行くわよ!」
「ああ」
続けて発せられた軽い怒声に、俺は端的に頷いた。特に異存はなかったからだ。決して、ブルマが怖いからでは…
…ちょっと、ある。

カフェから一歩を出て振り向きざまに開いた左手は、一瞬空を掴んだ。焦りを感じたその瞬間、ブルマの手が脇の下にすべり込んできた。それで、俺はすっかり狐に抓まれてしまった。
…腕、組むのか?
一体どういうことなんだ。怒ってたんじゃなかったのか?よくわからないな。どういう思考回路してるんだろう。
…ま、いいか。
ブルマは少し早歩きで、宣告通りジェットコースターを乗り回った。今まで思ったこともなかったけど、ジェットコースターっていい乗り物だな。乗っている間は空気とか考えなくて済むもんな。
観覧車へ辿り着いた頃には、夕闇が迫っていた。地平線の端に覗く夕陽の残光を無視するように、あちこちでライトアップが光り出した。都の証だ。
どうやら落ち着いた様子のブルマと共に、観覧車のワンボックスに乗り込んだ。俺もようやく、気が緩み始めていた。


地上を彩るイルミネーション。そこかしこに光るアトラクションのライトアップ。遠くに見える街の明かり。
観覧車のツーシーターベンチにブルマと並んで座りながら、俺は前面に広がるそれらを眺めていた。
都に来て、初めて知った感覚だ。『夜景を楽しむ』というこの行為は。肌に馴染むとまでは言えないが、それでも楽しむことはできる。
ブルマもまた、俺の隣でそれらを眺めていた。さほど浮き立ってはいないらしい表情で。好きではあっても慣れているというわけだ。やっぱり都人だな。こういう時、俺はいつもそう思う。
華やかで、騒がしくて、それでいてどこか受動的…いや、最後の要素はブルマには当てはまらないか。
「ひとまずは感じ納めだな」
都の風景の中に都の人間を一人収めながら、俺は呟いた。ちょっとした感慨が、心に沸いていた。
悪くない感覚だったな、今となっては。染まりたいとは思わないが、もう一つの世界としてありだな、とは思う。
それまで遠くに向けられていたブルマの視線が戻ってきた。軽く瞬いたその目は、またもやしおらしげに見えた。
「そう思うんなら、もっとそれらしくしてよ!」
俺の感覚を裏切って、唐突にブルマが叫びたてた。それまでの静穏を切り裂く鋭い声音で。俺は完全に虚を突かれた。一瞬感じた新鮮さが、やはり一瞬にして吹き飛んだ。思わず耳を疑いもした。
…何が何だかわからん。
ブルマの瞳は、なぜか完全に燃え立っていた。一瞬前にはベンチに凭れていた身を俺に向かって乗り出して、掬うような上目遣いで睨んでいた。両腕をベンチシートについたその姿勢は、まるで雌豹のようにも見えた。それにすっかり気圧されつつも、俺は何とかとりあえずの言葉を搾り出した。
「それらしくって?」
内包した思いを隠しながら。…結構それらしい話を始めたつもりなんだけど。
「そのくらい自分で考えなさいよ!」
吐き捨てるように言い放つと、ブルマは目を逸らした。でもそれは一瞬のことで、すぐに視線を戻して言った。
「初めてでしょ。最後でしょ。こう何か、いろいろあるでしょ!」
…だからその、いろいろを始めようとしたんだけど。
まあ、深くは考えていなかったというのが正直なところではあるが。しかしそれにしても、わからないことが一つある。
「初めてって何がだ?」
『最後』の意味はわかる。本当の最後ではないけど。そこはそれ、言葉の綾というやつだ。『いろいろ』というのも、まあわかる。…実際にはあるようなないような、微妙な感じだが。だが…
「何って、デートがよ!!」
再びブルマが叫んだ。俺は思わず目を瞠った。
「2人だけで出かけるの初めてでしょ!初デートでしょ!!」
ブルマの表情は真剣だった。どうも、鎌をかけているとか、誘導しているというわけではなさそうだ。嘘をついているようにも見えない。っていうか、そんなことしてどうするんだ。
「あのなあ…」
言いかけて、途中で呼吸を改めた。心を強く持つために。
「初めてじゃないだろ。前にもしただろ」
噛んで含めるようにゆっくりと、俺は話した。さらにブルマの声が大きくなった。
「何がよ!」
「デートだよ。カフェ行っただろ。パフェ食べに」
「はぁ!?」
大声量が俺を襲った。食い入るような視線が、俺を刺した。努めて心を落ち着かせながら、あまり言いたくない事実を、俺は渋々口にした。
「初めてケンカした後だよ…」
俺はもはや溜息を抑えることができなかった。まったく、言わせるなよな、こんなこと。
一瞬にしてブルマは黙り込んだ。姿勢は変わらず食い下がらなかったが、雌豹が猫になったように、俺には見えた。頬に赤みが差していた。どうやら思い出したらしい。
沈黙は短かった。黙って様子を見ていた俺の耳に、焦ったような怒声が入り込んできた。
「あ、あれはー…」
「デートじゃないという言い訳はなしだぞ」
今や優位をすら感じながら、俺はブルマの言葉を遮った。だって、あれがデートじゃなかったら、何だというんだ。あれこそが初デートだろ。
「だって…」
ブルマは完全に言葉に詰まっていた。俺の視線を避けるように(というか、明らかに避けている)顔を俯かせて、ひたすらベンチシートを見つめていた。今回ばかりは俺の勝ちだな。でも、全然嬉しくない。だってなあ…
「ブルマはどうか知らないけど、俺は楽しかったぞ。おまえと付き合ってるって、すごく感じたんだ。だから…」
っていうか、ブルマも結構楽しそうに見えたけどな。あんなに嬉しそうにパフェを食べていたくせに。それを根こそぎ忘れてしまうなんて、まったくひどい話だ。
「だから?」
ふいにブルマが顔を上げた。しおらしさの名残りと強い光が、瞳にあった。
「だから、何?」
「え?ええと、だから…」
今度は俺が言葉に詰まる番だった。…そう突き詰めて訊かれても困るんだけど。たいして深く考えてなかったんだからさ。
「もう…」
溜息をつきながら、ブルマが体を起こした。肩に寄りかかり気味に俺を見上げる青い瞳にぶつかった時、俺は立場が逆転したことを悟った。
呆れ。批難。答えられない俺に対するそれらの感情が、ブルマの瞳に浮かんでいた。…ひどいやつだな、こいつ。悪いのは絶対にブルマの方なのに。そんなこと、もう忘れてやがる。
しばしの沈黙が流れた。安堵とも焦慮ともつかない溜息を俺がつきかけた時、ブルマがおもむろに口を開いた。
「ねえ…」
そして、上向き加減に俺を見据えた。その瞳に、俺は見覚えがあった。ここ数日あらゆる意味で俺を悩ませ続けた、憂いと咎めのたゆたう、あの――上目遣いにねだる瞳…
…ひどいやつだな、こいつ。一体どうして、この流れでそんな瞳ができるんだ。
本当にひどいやつだ…

ブルマの顔を片手で傾げさせながら、俺は少しだけ躊躇して薄目を開けた。菫色の髪が視界に入った、次の瞬間だった。
がくんとワンボックスが揺れた。目を完全に見開くと、もう窓の外に夜景はなかった。眼下にあったはずのイルミネーションが、すぐ目の前にあった。ブルマから手を離した瞬間、閂を外す音がして、後ろでドアが開く気配がした。
「おかえりなさーい!」
ほとんど同時に、遊園地スタッフの陽気な声がボックス内に響いた。半瞬前には予想していたその言葉に、俺は自分の判断が正しかったことを知った。
危なかった。危うく現場を目撃されるところだった。偶然とはいえ、躊躇しといてよかった。…神様、感謝します。
安堵の息を吐きながら、俺は片手を上げかけた。その時だった。
「足元に気をつけてお降り…」
「もう一周!」
続いて飛び込んできた遊園地スタッフの声を、ブルマが物の見事に掻き消した。フリーパススタンプの押された右手をこれでもかというほど高く掲げて、顔だけを後方に向けて。…体を俺にぴったりとくっつけて、左手で俺の胸元を固く掴んで。俺は思わず上げかけていた手で目を覆った。
いくらなんでも、あからさま過ぎだ!そうする気持ちはわかるけど(俺もそうしようとしていたけど)、もっと隠せ!何をしようとしてるのか、一発でわかるぞ。誰が見たって、絶対にそう思うぞ。…実際、そうなんだけど。
「…いってらっしゃいませー」
再びスタッフの陽気な声が、明らかな間をおいてボックス内に響き渡った。俺は後ろを振り向かなかった。正確に言うと、振り向く勇気がなかった。…降りる時、どうしよう。
閂のかけられる音とドアの閉まる音が、遠くに聞こえた。気づくと窓に、頭を掻いている自分の姿が映っていた。呆然としていた感覚が、ようやく元に戻ってきた。だが、さっきまでのそういう気分はすっかり消し飛んでいた。だってなあ。ブルマのやつ、機微なさ過ぎだぞ…
溜息をつきかけた時、窓の中のブルマが動いた。依然体を俺に寄せたままで、窺うように顔を俺に向けて傾けた。実物に目をやると、またもやあの瞳にぶつかった。憂いと咎めのたゆたう、上目遣いにねだる瞳。そこに少しばかり、怒りと呆れが加えられて。
ああ…
やり直しね。…はいはい。
まったく、『目は口ほどに物を言う』ってこのことだな…


「じゃ、帰ろっか」
2周目の観覧車を降り地に足を着けた瞬間、ブルマが軽快にそう言った。にこにこと笑みを振りまいて、恥ずかしいほどべったりと、俺の腕に絡みついてきた。どうやら、俺は合格点をもらえたらしい。…わかりやすいな、こいつ。
観覧車を降りざまちらりと向けられた遊園地スタッフの視線と、時々浴びせられる周囲からの視線を、俺は気にしないことにした。どうせ、しばらくここには来ないんだ。それに、似たようなカップルもちらほら見かけるから、きっと遊園地の一情景だろう。そう思うことにしよう。…じゃないと道を歩けない。
C.Cへは、自己暗示が解ける前に、何とか辿り着くことができた。ゲートを視界に認めた時、ブルマがゆっくりと腕を離した。ちょっぴり名残惜しそうに、俺の顔を見上げながら。うん、やっぱりウーロンが言うほどのことはないな。一応は冷静でもあるみたいだし。よかったよかった。
「あー、お腹空いた!」
元気よく言いながら、ブルマはさっさとリビングに入って行った。一歩遅れてその後に続きながら、俺は内心で胸を撫で下ろした。ブルマの様子が、少し浮かれていること以外は、まったくいつも通りだったからだ。
この態度が朝にも出来ていたなら、もっとよかったんだけどな。もう済んだことだ。それに、それだけ浮かれていたのだと考えれば、かわいいと言えないこともない。
「よう、おかえり」
隣接するキッチンへとブルマが消えた時、ウーロンがリビングに入ってきた。後ろを追うようについてきていたプーアルが、軽やかに肩へと飛んできた。
「おかえりなさい、ヤムチャ様!」
「ああ、ただいま、プーアル」
いつもの重みを肩に感じて、俺はすっかり日常感を取り戻した。…正直、プーアルと一緒にいる方が落ち着くな。ブルマには言えないことだが。まあ、それが『女の子と付き合う』ということか…
「どうだった?初デートの味は」
「なっ…!」
出し抜けにウーロンが言い放った。途端にブルマが、手にしていたストロベリーソーダを取り落とした。呟きというには大きすぎる、狼狽の声と共に。俺はそれをリビングのドアの近く、ソファに座りかけるウーロンの後ろから見ていた。ある一つの確信を抱きながら。
…やっぱり、バレていたか。
そうだよな。朝のあの様子で、バレていないわけはないよな。でもわざわざ訊いてくるということは、見られたわけではないということだ。つまり、鎌をかけている段階か。それなら…
とりあえずはブルマの落としたソーダを拾おう。できるだけさりげなく。
俺はそう判断を下したが、実行に移すことはできなかった。俺が一歩を踏むより早く、ブルマが俺の顔を睨んだからだ。とても自然な動作とは言い難い、ものすごい勢いで。
…俺を見るな、俺を!ブルマの考えていることはだいたいわかるが、それだけに――というか、俺じゃない!
それまで僅かに垣間見えていたウーロンの窺うような姿勢は、今ではすっかり消えていた。…バレたかな。バレたよな。あー…でもまだ、しらばっくれるという選択が…
「どうしてあんたはそう口が軽いのよ!」
ブルマの怒声が、俺の思考を掻き消した。同時に可能性も吹き飛ばした。俺はすっかり絶望的な気持ちになって、目を瞑り天を仰いだ。
おまえなあ。どうしてそういうこと言うんだよ。もう言い逃れできないだろ!
「本当におまえらは奥手だよな。離れる段になって、ようやくデートとはよ」
今や完全に断定口調で、ウーロンは始めた。例によって、一見心配しているように装った、ウーロン独自の悪い癖を。
「ちゃんとキスしたか?手は繋いだか?せめて初おろしくらいはしとけよ」
だが、今日は特にその言葉が露骨だった。露骨というか、妙に核心をついている。これはブルマ怒るぞ…
俺は耳を塞ぎかけた。大声量が轟くであろうことは、もはやすっかりわかっていた。
「初めてなんかじゃないわよ!!」
予想通りの大声が響き渡った。しかしその言葉は、予想の遥か斜め上をいくものだった。
「それはキスがだろ。見栄張るなって。それだって、最近やっとしたくせによ」
「全部よ!!」
恥ずかしげもなくブルマは言い放った。一瞬、呆気に取られたようにウーロンが口を噤んだ。俺は堪らず2人に背を向け、ドアを視界に入れた。
…見ていられん。
どうして言ってしまうんだ。誘導尋問に引っかかるのもいいところだぞ。これからどうするんだ。みなまで話すのか?…俺、もう部屋を出ていっちゃおうかな。でもそうしたら、ブルマ怒るだろうな…
葛藤は長くは続かなかった。ふいに会話が途切れたかと思うと、どかどかと荒っぽい足音が近づいてきた。それが誰のものかなど、考えるまでもなかった。
ブルマはまっすぐにドアへと向かっていた。どうやらウーロンとの会話は打ち切ることにしたらしい。その判断を最初からしてくれていたら…
そう思った時、ブルマが足を止めた。通り過ぎかけていた足を戻して、俺の前へとやってきた。そしてまさしく鼻先に、一言を突きつけた。
「バーカ!!」
言うなり踵を返すと、荒々しくドアコンソールを叩いた。先の言葉が捨て台詞であることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
…な、何だ。どうして俺に怒るんだ。八つ当たりか?…俺、何もしてないよな?
開け放たれたままのドアから聞こえる足音が小さくなった。ウーロンが呆れたように、俺の背後で呟いた。
「なんだよ、またケンカしたのかよ。本当におまえらはしょうがねえなあ」
「……」
俺は何も言えなかった。まったくわけがわからなかったからだ。だが、表向き沈黙を貫きながらも、心の中では思っていた。
…なんだかなあ…
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