酔いどれの戦士たち(後編/ブルマ目線)
酔っ払いって、大嫌い。


久しぶりに訪れた常夏の地での夜。あたしは開け放たれた窓から、月が輝く空を見上げていた。
ビール片手にお月見、なんて洒落込んでたわけじゃない。ちょうど一人の無礼な男がそこから出て行ったところだったのよ。
「行っちまっただなあ、ヤムチャさ。ちゃんと悟空さが連れ戻してくれるといいんだけんど」
「戻ってこなくたっていいわよ、あんなやつ」
あたしに話しかけてきたのは、チチさんだけだった。さっきまでは騒いでいた他の酔っ払いたちは、あたしがヤムチャに一発食らわしてやってからは、視線を寄越してさえこない。…まあね。ちょっと派手にやり過ぎたかなとは思うわ。とは言えあたしが悪いなんて思わないし、変に口出しされたりするよりはずっといいけど。
「ブルマさってば、そったらこと言うもんじゃねえだよ。久しぶりに会ったんだべ?」
「そうでもないわよ。こないだの武道会からだから、まだほんの162日ばかしね」
「はぁー、そったら細けく数えてるくせして、素直じゃないだなあ」
「…あたしのことは関係ないでしょ。さっきのはヤムチャが悪いんだから。ヤムチャがあんなこと言うのがいけないんだから。本ッ当に最低よ!チチさんだって聞いてたでしょ!?」
「確かに全部聞こえただ」
「だったら、あたしが怒るのだってわかるはずよ!」
「そうだけんど…」
チチさんは言葉を詰まらせたけど、萎縮している感じじゃなかった。この人は女っぽいわりに、結構度胸が据わってる。そういうとこ孫くんと似た感じ。だからこそあたしも言えるわけだ。
「あんなこと言われて怒らない女はいないわよ。完全にあいつの失言よ」
「だどもなあ…」
「いくらチチさんだって、ヤムチャの肩を持つのは無理なんだから」
チチさんを言い負かしてしまうと、いくらかあたしの気は晴れた。話しながら飲んでいたビールがまた回ってきたのかも。気づけば、あたしたち以外の連中も再び酒に現を抜かし始めて、カメハウスにはそこはかとない喧騒が満ち始めていた。そんな中でチチさんがあたしと話を続けたのは、きっと彼女のお相手がいないから。そう思われる言い方を、やがてヤムチャと孫くんの消えた暗闇を見ながら、チチさんはした。
「…オラ、羨ましいだ。悟空さは、あんなこと言わねえもん」
「そりゃ、孫くんは言わないでしょうよ、あんなバカなこと!」
「そうじゃないだ。確かにヤムチャさはひどいこと言ってたけども…ヤムチャさはブルマさのこと、独り占めしたいって、自分だけのものにしたいって思うから、あんなこと言ったんでねえか?」
「だからって、あんな言い方すること――」
「ブルマさの怒る気持ちは、同じ女としてわかるだよ。わかるけど、でも…こうも思うだ。ヤムチャさは焼きもち妬いて、あんなこと言ったんだって。ちょっと言い方間違えただけで、あれも愛の表れだって」
「……愛の……」
「んだ。オラ、それが羨ましいだ」
「…………」
チチさんの言葉にではなく、態度にあたしは感化された。あたしにとってはヤムチャの、チチさんにとっては孫くんの、消えていった空を見る彼女の瞳は真剣だった。やがて言った口調にも、茶化しているところはまったくなかった。
「早く帰ってくるといいだな」
あたしは返す言葉を見つけられずに、にっこり笑って目の前を去っていくチチさんを見送った。今や怒りはすっかり殺がれていた。と言って酒の喧騒の中に入り込む気にはもちろんなれずに、あたしは一人窓辺に佇みながら、数十分前のことを思い返した――


「やーねもう、こんな時間から出来上がっちゃって。ちょっとペース速過ぎるんじゃないの?」
「悟空さもそろそろ食うのほどほどにしてくんろ。これじゃ、いくら料理を作ってもキリがねえだよ」
料理を盛った皿を運びながら、ブルマとチチがそれぞれの相手を咎めた。頃は宵時、カメハウスには闇の気配が忍び込んできていた。
「いいじゃないか、久しぶりなんだから。それより、ブルマも飲めよ」
「そりゃあたしだって飲みたいけどね、こうも料理がなくなるのが早くちゃ…」
「いいだよブルマさ、ブルマさはみんなのところにいくだ」
「でも、まだ材料残ってるわよ」
「あれは後にするだ。悟空さはあればあるだけ食べちまうんだから、まともに付き合ってたら一滴も飲めねえだよ。あの肉焼いちまったら、オラもそうするから」
チチは言ったが、ブルマは迷った。その隙を縫うように、咎められていたもう一人の男が、他人事のように声を上げた。
「ん?チチぃ、なんか言ったか?」
「言っただよ。ここに料理置くけどな、悟空さは食べちゃダメだぞ。ブルマさはまだ何にも食べてないんだからな。悟空さにはオラが今肉焼いてやっから」
「わかった」
「ずいぶんあっさりしてるわね。孫くんが素直なのはわかってるけど、こんな簡単に食べるのを我慢するなんて意外だわ」
感心したようにブルマが言った。料理で口が塞がっていないが故の円滑さで悟空はすぐに答えたが、実のところそれはあまり答えになっていなかった。
「チチのメシはうめえからな」
「餌付けされてるってわけね」
それでもブルマは正確なところを読み取り、悟空の斜め前に腰を下ろした。すかさずヤムチャが差し出してきたビールを、待ってましたとばかりに呷る。それを見たウーロンが茶化すように言った。
「おまえらとは正反対だな。腹も気もでかいダンナに、料理上手な世話女房。まったく悟空もうまいことやったよな〜」
「なーにその言い方。まるであたしが料理下手みたいじゃないの。ちょっと孫くん、あたしのも食べてよ。あたしのだって、おいしいわよね?」
「ああうんおいしいよ、ブルマの料理もチチさんのに負けないくらいおいしい…」
「ヤムチャには訊いてないの!」
同じ女として引くに引けなくなった…というよりは、酔っ払いのしつこさだろう。そう、ブルマは少し酔い始めていた。自分の作った料理の載った皿を手に、悟空に絡み出したブルマを見て、ウーロンが下卑た笑いを浮かべながら、一人キッチンに向かっていたチチに水を向けた。
「なぁチチよー、自分のダンナが他の女とあんな風にいちゃこらしてるのって、どう思う〜?」
「どう思うって…別にどうも思わないだよ」
手は肉を焼いているフライパンから離さずに、チチがきょとんとした顔を振り向けた。悪酔いと悪ふざけが相まって、ウーロンの言葉は誘導的になっていた。
「そんなわけないだろ。ブルマなら怒り狂ってるところだぜ。悟空に触るなーとか言わねえのか?」
「そうだなぁ、別に構わないだよ。ブルマさなら何ていうか、信用できるだ」
「信用って、ブルマがかよ?」
「おかしいべか?」
「そうは言わねえけどよ。ふ〜ん、そんなもんですかね〜……本当にブルマとは正反対だな…」
だがチチはまったくそれには乗らず、間接的にウーロンの酔いを醒ました。そしてさらにこうも言って、引き下がりかけたウーロンを驚かせさえした。
「そんなもんだべ。なぁ悟空さ、おめえブルマさのこと何とも思ってねぇだよな?」
この瞬間、ウーロンだけではなく他の面子も息を呑んだ。台詞の際どさと、何よりチチがあまりにも大声だった為だ。一方で当人たちは今ひとつピンときていないらしく、ブルマはなんとなく訝しげな顔をするに留まり、悟空に至ってはまったくわけがわからないといった顔で、答えにならない答えを返した。
「何言ってんだおめえ」
「ほらな」
さして得意そうな素振りは見せず、微かに笑ってチチがウーロンに言った。こうしてウーロンの茶々は、珍しく正面から退けられた。
とはいえ、一件落着しても、まだわかっていない人物がいた。
「わけわかんねぇな、あいつ」
それは、当の本人の片割れだった。口の中に残っていた肉(ブルマの料理)を喉に押し込んで、悟空が呟いた。
「そうか?俺にはわかったけどな」
いささか得意そうに、ヤムチャがビールを呷った。
「チチさん、おまえに焼きもち妬いたんだよ」
「焼き餅?それってうめえのか?」
「というボケはそろそろ卒業しなさい」
悟空の反応は完全に皆の予測するところだったが、いち早くツッコミを入れたのはやはりブルマであった。
「ははっ。冗談だよ。オラだって知ってるさ。前にチチに言われたからな」
意外そうな視線が悟空に集中した。それにまったく気づかない悟空は、マイペースに先を続けた。
「でもオラ、ブルマが女に見えたことなんていっぺんもないけどなぁ」
「失礼ねぇ。でもそうね、あたしにとっても孫くんは、せいぜい出来の悪い弟ってところかしらね」
「ははは。オラが弟か。でもまあ、違いねえな。オラにとっても、ブルマはそんなとこだ。女は女でも、ねえちゃんだな」
「でしょ〜」
笑いながらブルマが悟空の肩に腕を回した。悟空はそれを避けはせず、されるがままに笑い返した。少し離れたところで、チチが微笑ましそうに笑みを浮かべた。だが、ただ一人、眉を顰めた人物がいた。
「ちょっと、ヤムチャ、何すんのよ!?」
ふいにブルマが声を尖らせた。すばやくブルマの手を悟空の肩から外し、ブルマを強引に掻き抱こうとするヤムチャの手つきは、いつになく乱暴だった。
「何って、見ての通りだ。ブルマおまえ、いくら何でも肩を抱くことはないだろ。そんなの、チチさんが許しても、俺が許さん!」
「は?何が『許さん』よ。ヤムチャあんた、酔ってるわね?」
「だったらどうした。酔っていようがいまいが、そんなことは関係ないぞ。目の前で他の男といちゃつかれて許すほど、俺は心広くないんだ」
「いちゃつくって…ちょっとあんた、一体何杯飲んだのよ。ずいぶん悪酔いしてんじゃないの」
「とにかく。この傷心は体で慰めてもら――」


「…………」
思い出さなきゃよかった。半ば頭を抱えながら、あたしは苦いビールを口に運んだ。
敢えて客観的に思い出してみたけど、やっぱりヤムチャが悪いわ!これのどこが羨ましいって言うのよ!?
やっぱりどう考えても最低よ。それなのにチチさんたら…!あれが愛の表れですって!?ちょっと言い方間違えたですって!?
まったくもって甘過ぎ!!間違ってるにも程があるわ。孫くんの相手なんかしてるから、そんな風に思うようになっちゃうのよ。
それか、新婚だからよね。そこまで甘やかせるのは付き合い始めだからよ。なんて言ったら、八つ当たりにしかならないわよね。…あたしは絶対にそうだと思うけど。
きっと2、3年もしたらチチさんだって、そんな風には思えなくなるんだから。そんな甘い考えじゃダメだって、気づく時がくるんだから。そうしたら孫くんなんか山ほどダメ出しされて、今みたいにのんきに構えてなんかいられなくなって――
お酒のせいかしら。あたしの思考は落ち着かなかった。気づけばそんなことを想像していた。ガミガミと叱るチチさんに、しょげ返る孫くん。孫くんは無邪気なボケをかます余裕すらなくなって…
それはちょっとおかしくて、それ以上にすごく違和感のある想像だった。なんていうかね、あたし孫くんにはそんな風になってほしいわけじゃないのよ。そりゃ、もうちょっと物を識るべきだとは思うけど、孫くんらしくなくなっちゃうのは嫌よね。え?孫くんはしょげ返っちゃうような珠じゃない?ううん、わっかんないわよ〜。
今だって、柄になくヤムチャを追いかけていったところなんだから。それもチチさんに言われてね。…まったく、ヤムチャのやつぅ。せっかく楽しんでたところなのに、ぶち壊してくれちゃってぇ。最大の酒の肴である孫くんも連れて行っちゃって…
空になったビールの缶を手放して、あたしは窓辺に寄りかかった。暗闇の向こうから何かが現れそうな気配は、これっぽっちもなかった。あたし自身も、二人が戻ってくるなんて、欠片ほども期待していなかった。チチさんには悪いけど、孫くんがヤムチャを説得できるとは思えない。もともと孫くんはそういうの向いてない上に、ヤムチャは酔って支離滅裂になってたし…


…本当に酔っ払いって、しょうがないんだから。あたし、酔っ払いって大嫌い。
だから、せいぜい酔いを醒ましてから、帰ってくるといいわ。
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